<2>

 酒場の一件から数日後、ふらりとライズが診療所にやって来た。

 まさか自ら進んで治療に訪れるとは思っていなかったミスミは、予想外の心変わりに驚く。それだけバロッカの挑発に効果があったということだろうか。


「ちゃんと治療する気はあったんだな」

「そんなんじゃねえよ……」


 ぶっきらぼうに返し、そこかしこに視線を散らしている。その先にいるのは、診察室に揃ったティオでありカンナバリでありノンだ。

 すぐにライズが何を気にしているのか察した。異常に治療を拒んでいたのは、自分の病状を他者に知られたくないという気持ちの裏返しだろう。不特定多数の存在がいては――しかも、それが異性とあっては、自尊心が邪魔して悩みをさらけ出すことができない。


「悪いけど、二人きりにしてくれないか。診察は俺だけでいいや」

「はい、わかりました」


 状況が飲み込めず困惑するティオとノンを、一瞬で感じ取ったカンナバリが腕を引いて連れていく。持つべきものは経験豊富な看護師だ。

 診察室から女性がいなくなったことで、幾分落ち着いたのかライズの肩の力が抜けた。まだ緊張は残っているが、幼い顔に安堵が浮かぶ。

 苦笑をかみ殺し空咳を打つと、ライズは我に返り慌てて表情を引き締めた。


「お前のこと、いろいろと調べさせてもらった」


 若干声が低くなったのは、おそらく意図的だろう。威圧しているつもりなのかもしれない。


「へえ、そんなことしてたんだ。成果はあったか?」

「ダンジョン街のヤブ医者――いい印象は持たれていないようだ。当然だろうな、回復魔法が使えない医者に価値があるとは思えない。でも、実際に治療を受けたヤツらからは、そう悪くない評判だった。医術者がサジを投げた患者を何人も治療している。ただのヤブ医者ってわけではなさそうだ」


 しっかりと調査して、一応褒めてくれているらしい。


「お眼鏡にかなったってことかい?」

「……別にそういうわけじゃない。まあ、少しくらいは話を聞いてやってもいいとは思ったがな」


 まるで立場があべこべになったような言い回しだ。ひねくれた性分がそうさせるのか、素直に診察願いを認めようとしない。

 ミスミはボサボサ頭をかいて、小さく嘆息する。医療は一人で行うわけではない、医者と患者が向き合うことで成立する共同作業だとわからせる必要があった。


「あのなぁ、どんな名医だろうと患者が本気で取り組んでくれないことには治しようがないんだ。その気がないなら帰ってくれ。ここに来てまだためらうってことは、命にかかわるような問題じゃないんだろ。それならそれで、一生付き合う覚悟を決めて、周りに迷惑をかけないようにしろ。いつまでも相手にしていられない!」


 強い口調で言い放つと、ライズは怯んで顔を強張らせる。

 思いのほか心に響いたようで、「一生……」と切羽詰まった声をこぼした。病気と一生付き合っていく覚悟を決めるには、ライズはあまりに若い。

 動揺で震えた目が、さまよったあげく、最終的にミスミの元へ戻ってきた。ようやく覚悟を決めたようだ――病気と向き合う覚悟を。


「ここでのことは、誰にも言うんじゃないぞ……」

「安心しろ、そのくらいの良識はヤブ医者にもある」


「お、俺は――」と、ここで一旦区切り、もつれた舌を押さえつけるように口を閉じる。言いあぐねているわけではなく、説明の順序に悩んでいたことは次の言葉でわかった。「お前は、うちの商売のことを知っているか?」


 いきなり飛躍した話に、戸惑いながらミスミはうなずく。


「飲食店を経営しているんだろ。そう聞いている」

「ああ、おもに飲み屋をやってる。夜の店が中心だ」


 どこに転がろうとしているのか不審に思うも、口ははさまないでおいた。ヘタに誘導するよりも、好きにしゃべってもらったほうが結果としていい場合がある。

 ライズの伝えようとする意思を尊重した。ただ単に、変に突いてヘソを曲げられると厄介だと思ったということもある。


「親父は、俺に跡を継げとうるさく言ってくる。そのこと自体は、別にいいんだ。俺もいずれやるもんだと、ガキの頃から思っていたからな。でも、いまはまだ、やっていける自信がない。その前に、どうしても乗り越えなきゃいけない壁がある」

「それは?」


 告げようとして、声にならなかった。口は動いているものの、言葉がしぼんで吐き出せない。

 ライズは苦しげに息をつぎ、何度も口を開けて、そのたびに失敗した。


「ち」ようやく絞り出せたの、その一文字。「チ――」

「チ?」


 ライズは勇気を奮い立たせて、それを言葉にする。


「チンコ」

「ハア?!」と、思わずすっとんきょうな声がもれた。この状況でまったく考えもしなかった単語が飛び出したのだ、ミスミでなくとも誰だって同じ反応をしたことだろう。

 赤面してうつむいたライズの肩が、羞恥で小刻みに震えていた。


「おい、いきなり何を言いだすんだ。ふざけてんのか?」

「俺は大マジメだ。チンコが、その……他の男とは形が違うんだよ。生まれつきおかしくて、それがコンプレックスで、こう女といい関係になれない。夜の仕事を継ごうってヤツが、女と経験がないと舐められるに決まってる!」


 まったく考えもしなかった悩みに加えて、飲み込むのに苦労する無茶苦茶な主張も重なり、ミスミは絶句してあ然とする。

 性のコンプレックスは、よくあることではあった。思春期を迎える頃に多くの若者が通る道だ。でも、だからといって、ここもまで大げさに考えるのは珍しいように思う。


「この間連れていた女とは、そういう関係じゃなかったのか?」

「あれは、ただの遊び友達だ。笑われるんじゃないかと思うと、手を出そうって気にならない」

「考えすぎなんじゃないか。他と形が違うっていうのは、ようするにってことなんだよな」


 包茎にもいくつか種類があり――包皮に覆われて亀頭を露出できない状態を“真性包茎”、皮を引っ張ることで亀頭を露出できる状態を“仮性包茎”、そして包皮口がせまく露出した亀頭を締めつけて戻らなくなるものを“カントン包茎”と言う。

 カントン包茎はむいた皮が亀頭を締めつけることで、男性器が壊死する危険性もある。この場合は早急な治療が必要だ。


 だが、治療をためらう余地があったことを思うと、ライズはカントン包茎というわけではないだろう。そうなると、真性か仮性の二択になるのだが、どちらにしろ多少苦労はあっても性交渉は可能だ。思い詰めるようなことじゃない。


「おい、笑ってんじゃねえぞ!」


 笑ったつもりはなかったが、どうやら笑っていたらしい。ミスミはボサボサ頭をかくことで、ゆるんだ顔を隠す。

 ライズはこれ見よがしな大きな舌打ちを鳴らし、ふてくされてそっぽを向いた。

 包茎で悩んでいたことを知ると、この生意気な態度もかわいく思えてくるから不思議なものだ。


「まあ、とにかく、ズボンを脱いで見せてみろ」

「おっさん、ふざけんなよ。俺にそんな趣味はない!」

「こっちにだってあるもんか。これは医療行為だ、見ないことには治療方針が立てられない」


 しばらく押し問答がつづき、ライズは必死に抵抗したが――やがて秘密を打ち明けた以上は、もう後には引けないと腹をくくった。

 いまにも泣きそうな顔で、ライズはベルトをゆるめる。


「笑うんじゃないぞ、絶対に!」

「ああ、笑ったりはしない」と、口にはしたが頬が引きつるのを感じる。


 真っ赤に染まった顔で歯を食いしばり、ライズはやぶれかぶれとなってズボンを下ろした。ポロンと、がこぼれる。

 ミスミは笑わなかった。笑えなかったと言うべきか。


「これは……独特だな」


 真性包茎だ。ただ通常よりも先端に皮が集まり、まるで花のツボミのようにきっちりと閉じていた。

 確かに他では見ない形状だ。男性器の先に、ちょっとしたコブのような膨らみができている。ライズの苦悩を垣間見た瞬間だった。


「手術をしよう」


 ミスミは単刀直入に告げる。他の方法は思い浮かばなかった。


「しゅ、手術が必要なのか?!」

「俺に任せろ。必ず治してみせる!」


 強い口調でミスミは言いきる。同じ男として同情心が芽生え、彼を助けたいと本気で思った。


※※※


 ライズが診療所に訪れた翌日――ミスミは日が傾き、夕暮れが迫ると待合室に顔を出した。

 本日の来診は朝方と昼に担ぎ込まれた二件のみ。思い思いにヒマを潰していた面々が、気の抜けた表情をミスミに向ける。


「今日は店じまいにしようか。もう帰っていいぞ」

「ちょっと早くないですか?」


 ティオは読んでいた年季の入った医術書を閉じ、窓の外に目をやった。声色にほんの少し不審が混じっている。


「どうせ患者は来やしない。少しくらい早くたって問題はないだろう」

「何か所用でも?」と、カンナバリもつついてくる。付き合いの長い彼女も、何か感じ取ったのかもしれない。


 ミスミは曖昧に笑って、ボサボサ頭をかく。事情が事情だけに、今回ばかりは気取られるわけにはいかなかった。しかたなく一番罪悪感がわきそうもない相手に泥をかぶってもらう。


「タツカワ会長に呼ばれてるんだ。悪いけど、今日はここまでにしてくれ」

「そんなことだろうと思った。センセェのスケベ」


 頭のなかでどんな想像を巡らせたのか、ノンは不快感をあらわにする。タツカワ会長に対する認識は、思った以上にひどいようだ。

 ティオも少なからず同じような感想を抱いているらしく、憮然とした顔つきになっていた。じっとりと糸が引きそうなほど粘っこい視線が、無精ひげの生えたアゴ先あたりをとらえている。

 ミスミはできるだけ平静を装い、何食わぬ顔で受け止めた。ここでボロが出ると、厄介なことになるのは目に見えていた。


「ノン、帰ろっか」

「そうだね、ティオ姉ちゃん」


 疑念を残したままだが、ひとまずティオとノンは帰宅。カンナバリも家路についた。

 ミスミが診療所に一人きりとなった直後、音を立てず扉を開けてライズが入って来る。この見計らったようなタイミングを見るに、近くで待機していたらしい。


「よお、早いな。ずいぶんとはりきってるじゃないか」

「そんなんじゃねえよ。面倒なことはさっさと済ませたいタチなんだ、さあ、早くやれよ」


 この期におよんで、まだ生意気な態度を崩さない。ひねた虚勢に、思わず笑いそうになる。

 ミスミは肩をすくめて、ゆるりと手術室に目を向けた。前日に告げたとおり、ライズの包茎手術を行う予定となっていた。だが、予想よりもライズが早く来たことで、手術の準備が整っていなかった。


「まあ、落ち着け。今回のために手を貸してくれる協力者がくる。話はそれからだ」

「なんだよ、それ。誰にも言わないって約束しただろ!」

「手術を一人でやるのは難しい。安全性の問題もある。――安心しろ。今日来てくれるのは、けっして他言したりしない口の堅い連中だ」


 ライズは事情を知る者が増えることを不満に思い、ギャアギャアとやかましく騒ぎ立てた。

 いまさら怒鳴り散らしたところで、もう呼んでしまったものはしかたがない。どんな屁理屈をこねたとしても、この決定事項は覆すつもりはなかった。

 そうこうしているうちに、窓の外では夕闇が広がり、日没を迎えようとしていた。


「おっ、来たぞ」


 診療所の扉をくぐり、三人の男が姿を見せる。今回の包茎手術の助っ人が到着した。

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