見えざる手

<1>

 店内にどよめきが起きたのは、そろそろ閉店準備をはじめようかという夕暮れどきのことだった。

 ワズロ・ゲインは騒音の元を探し、ゆるりと視線を巡らせる。


「あっ」と、思わず声がもれた。原因の理由がわかり、納得と同時に胸がざわつくのを感じる。

 内心の動揺を押さえ込み、足をひきずり近づく。ワズロは冒険者だった頃に受けた傷が元で、うまく右ヒザを曲げることのできない障害を負っていた。


「よお、ドラゴン殺し。買い物か?」

「ワズロさん……やめてくれよ。俺は仲間の足を引っ張っただけで何もしていない。それ言われると、すげぇ恥ずかしいんだ」


 大きな体を縮こませて、バツが悪そうに顔をしかめたのは上級冒険者のゴッツだ。パーティがドラゴン殺しを達成したことで、いまダンジョン街でもっとも注目を集めている冒険者の一人であった。


「ここに来たってことは、武器を新調か?」

「ええ、ダンジョンでなくしてしまって――」

「ゴッツさんですよね!」


 二人の会話に弾んだ声が割り込んできた。もみ手をしながら駆け寄ってきたのは、ワズロが勤める武具店の店主だ。

 話題の上級冒険者が商品を買えば、それだけで宣伝効果を見込める。店主はワズロを押しのけて、ニヤけた面でゴッツに迫った。


「よくいらっしゃいました。私が話をうかがいます。さあ、どうぞ、こちらへ」


 店主は強引な営業で、戸惑うゴッツを連れていく。

 その背中を無言で見送り、ワズロは小さく舌打ちを鳴らした。


 ワズロとゴッツの出会いは、数年前にさかのぼる。同郷の出身ということで、駆け出し時代のゴッツの面倒をいろいろと見てやっていた。

 当初こそ先輩風を吹かせて世話を焼いていたが、ケガが元でワズロが引退をよぎなくされると付き合いは減っていく。不本意な形で冒険者をやめざるえなかったワズロは、順調にステップアップしていったゴッツに複雑な感情を抱くようになったのだ。自然と距離を置くようになり、交流することはほとんどなくなった。


 ひさしぶりに再会したゴッツは、ひがみ根性がそう見せるのか、大物然とした空気感を放っているように感じた。

 それに対して、自分はどうだ。ワズロはみじめな境遇に歯噛みする。


 周りには冒険者時代の経験を買われて武具店のアドバイザーになったと告げていたが――実際は雇われ店員の一人にすぎない。わけ知り顔で武具の講釈をたれて、わずかばかりプライドを満足させたところで、脱落者が抱える劣等感は鬱積する一方だった。

 腹の底に溜まったくすぶりは日ごとに増えていき、忘れるために日々あおる酒の量も増えている。

 ワズロはもう一度舌打ちを鳴らし、抑えきれない暗い感情の宿った目をゴッツに向けた。


 全力の愛想でもてなす店主の交渉は、あまりうまくいっていないようだった。しつこく勧められる高額の武器を、興味なさそうに見ている。

 やがて苦笑したゴッツが、会釈して店主から離れた。その足はまっすぐワズロの元に向いている。


「気に入った武器がなかったのかい?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど、他の店も見て回りたいんだ。命を預けるものだから、自分の手にあった武器を選びたい」

「そうだな、そうしたほうがいい」


 ワズロは冒険者のよき理解者という立場を演じた。そうすることで、かろうじて自尊心を保っている。

 苛立ちのトゲがチクチクと心を刺しているのを感じていたが、表情にはけっして出すことなく、必死に平静を維持した。


「もうすぐ店が終わる。ひさしぶりに飲みにいかないか?」

「じゃあ、外で待ってるよ」


 よき理解者を気取って思わず口にした誘いを、ゴッツはあっさりと了承した。

 後悔しても、もう遅い。ワズロは動揺を悟られぬように無理に笑顔を作って、本日三度目の舌打ちを心のなかに響かせりのだった。


※※※


「ここは俺が払う」


 会計を前にして、赤ら顔のワズロが強い口調で言った。


「いや、でも――」

「いいから、俺が払うって言ってんだろうが!」


 ワズロは財布から金を取り出し、飲み屋の店員に押しつけるようにして渡した。そのままつり銭には見向きもせず、さっさと店を出てしまう。

 気前がいいと言うよりは、どこかヤケクソになっているような印象があった。ゴッツは代わりにつり銭を受け取り、慌てて後を追う。


「ワズロさん、ちょっと飲みすぎなんじゃないか」


 冒険者の先輩ワズロと、飲みに来たのはひさしぶりだった。ダンジョン街に来た当初は公私ともに世話になっていたこともあり、よく飲みに誘ってもらっていたが、パーティを組んで仲間と行動を共にするようになったことで、自然と疎遠になっていった。


 しばらく会わない間に、ワズロは少し変わった気がする。うまく言葉ではあらわせないが、微妙な違和感があった。元々酒好きではあったが、ここまで酩酊するほど飲むこともなかったように思う。


「よし、もう一軒行こう、もう一軒」


 グラグラと頭を揺らしながら、千鳥足で歩き出したワズロをすかさず止める。腕をつかんだ反動で、よろめいたワズロが体当たりするように寄りかかってきた。


「これ以上はやめといたほうがいい。また今度にしよう」

「なに言ってんだ。まだこれからだろ!」


 断固としてゆずらないワズロは、ゴッツの肩にアゴを乗せた姿勢でがなる。酒臭い息を吐きかけられて、思わず顔をそむけた。


 酔っぱらいの押し問答を、道行く他の酔っぱらいが笑う。それを恥じたわけではないだろうが、心変わりは唐突に起きた。つともたれかかっていた体を離し、充血した目をじっと向けてきたのだ。

 まるで怒りを宿したような視線に、ゴッツは少したじろぐ。


「わかった、帰ろう。家で飲みなおすぞ」

「まあ、それなら……」


 家ならば酔いつぶれても扱いが楽だ。ゴッツは妥協案として家飲みに応じる。

 以前はダンジョン広場近くの集合住宅アパートの一室を借りていたワズロであったが、引っ越したそうで連れられてきたのは裏通りのさびれた一角だった。二つの住宅の間のわずかなスペースに、無理やり押し込めたような小屋が転居先らしい。冒険者を引退して、経済的に苦労していることがうかがえる。


「おい、帰ったぞ」


 無造作に扉を開けて、酒枯れのダミ声で呼びかける。

 ランプ灯りがもれていたので同居人がいることは想像はついたが、あらわれた人物を見てゴッツは目を見張り驚く。


 うつむき加減でおずおずと玄関口にやって来たのは、年端もいかない少女だった。まだ十歳ほどだろうか。男の子と見まがいそうな短かく刈った髪の下で、戸惑いに染まった双眸を揺らしている。


「何やってんだ、挨拶しろ!」と、ワズロが忌々しそうに命じた。

「あ……こんばんは」

「悪いな。こいつ、トロいうえに人見知りなんだ。――さあ、戻って酒の準備をしろ。それとツマミだ。なんでもいいから早く作れ」


 テンポの遅れたうなずきを返して、少女はのろのろと奥に戻っていく。

 そのゆったりとした動作に、ワズロは不愉快を圧縮したようなため息をついた。


「いまの子、ひょっとして娘さんかい?」

「そんなわけないだろ。あれは……アレだ。前にいっしょに暮してた女の連れ子だ。そいつが娘を捨てて他の男と逃げちまってな。放り出すわけにもいかないから、しかたなく家に置いてやっているんだ」


 女と同棲していたことにも驚いたが、それより驚いたのは少女に対する辛らつな態度だ。たとえ遺恨が残る境遇であっても、ゴッツの知るワズロは罪のない少女につらく当たるような男ではなかった。

 酔いのせいもあるのかもしれないが、おおらかで懐の深かった冒険者時代の姿とはかけ離れている。


 二の句が継げないゴッツをどうとらえたのか――ワズロは一瞬気まずそうに顔をしかめるが、すぐに苦笑へ作り変えて家の中に招いた。


「さあ、飲みなおそうぜ」


 整頓されているとは言い難いゴチャゴチャと物で溢れた小さな部屋だった。かつて愛用した冒険者道具が、埃をかぶって転がっているのを発見する。

 ワズロはテーブルに置きっぱなしだった酒瓶を手に取り、同じく放置されていたグラスに酒を注いだ。


 いつ洗ったかもわからない薄汚れたグラスに抵抗はあったが、すすめられて断ることができず、ちびりと口にする。酔っぱらうことにのみ特化した、味もそっけもない安酒だ。

 そんな安酒を、ワズロは手酌でグイグイとあおる。ミスミが見たら間違いなく鼻のつけ根にしわを寄せる、不健康な飲み方だった。


 しばらくして、「いつまで待たせんだ、あのガキは……」とろんと目のすわったワズロが、足をひきずり奥の厨房に向かった。

 少女がツマミの用意をしていたことを、ゴッツはすっかり忘れていた。いくらなんでも不自然なほど時間がかかっている。


「早くしろって言っただろうが!」


 ワズロの怒号が轟き、少女の蚊の鳴くような謝罪の声が切れ切れに聞こえる。

 心配になってゴッツが厨房を覗き込むと、ちょうどワズロが出てくるところだった。いまさら声が届いていたことを気にしたのか、照れくさそうにはにかむ。


「すまないな、あいつは何をやらせてもトロいんだ。もう少し待ってくれ」

「俺は別に……」


 厨房では少女が鍋と向き合っており、その周囲に食材の切れ端が散乱している。湯気と共に立ち昇ったにおいは、厨房の惨状と吊りあわない食欲をそそる香気で溢れていた。

 ゴッツの視線に気づき、少女がおずおずと振り返った。その頬は赤く腫れあがっている。さっきまではなかったはずのケガだ。


「大丈夫か?」


 問いかけに、困り顔が返される。あまりふれないほうがいいのかもしれないと、ゴッツは何食わぬ顔で鍋を見た。

 特別珍しくもない、ただの煮物だ。赤い香草をこして作った朱色のスープで、野菜と肉を煮込むクリステの家庭料理である。


「へえ、うまそうだな」


 少し戸惑う素振りを見せた少女は、逡巡した末に食器棚から小皿を取り出し、スープをすくって差し出した。

 味見を要求したと思われたのかもしれない。ゴッツは苦笑しながら口をつける。


「うん、うまい。ヘタな店よりよっぽどいい味してる。料理が得意なんだな……えっと、名前なんだっけ」


 少女は口を開くが、声が詰まったようにしゃくり、落ち着くのを待ってから改めて名乗った。


「チナ」


 油断していると聞き逃しそうなほど、か細い声だった。


「チナか。俺はゴッツだ、よろしくな」

「うお」と、ため息ともあえぎともつかない声がもれる。返事をしようとして、うまく発音できなかったらしい。


 ゴッツは肩を揺らして笑い、緊張しなくてもいいと伝えるために、チナの頭を軽く撫でようとした。子供に向けた対処で、他意はない。

 しかし、チナは顔をひきつらせて身を固める。大男が突然手を突き出せば、子供の視点では恐ろしく映るのは納得できる。もしくは――脳裏に浮かんだ想像を、ゴッツは頭を振って打ち消す。


「ごめんな、怖がらせるつもりはなかったんだ。冒険者なんぞやってると、どんどんガサツになって困る」


 なだめようと、笑顔で冗談めかして言った。

 ようやくチナの強張った顔がほぐれ、ゆっくりと肩の力が抜けていく。


「料理できるの、楽しみにしてる」

「うん」


 やはり小さな声だったが、今度はちゃんと発音できたようだ。

 部屋に戻ると、ワズロはテーブルに突っ伏して寝入っていた。グラスのなかの酒が波打つほどに、騒がしいイビキをもらしている。

 ワズロを起こさないように静かに待ち、完成した料理を存分に味わう。


「うまかったよ。まだ小さいのにたいしたもんだ」


 自然と口からこぼれた誉め言葉に、この日はじめて、チナは子供っぽい得意顔を浮かべた。

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