<3>

 意識不明のゴッツがミスミ診療所に担ぎ込まれたのは、まだ診療前の早朝のことだった。

 ティオによるとモンスターの攻撃を受けて、瀕死の重体になったという話だ。傷口を見ると、胴体に痛々しい黒い痣が残っている。


「応急処置はすませました。まだ完全とは言えませんが、命の危機は回避できたと思います。あとは、いかに後遺症が残らないように治療できるか時間との勝負です」


 疲労の色濃いティオであったが、治療の意欲は衰えていない。ゴッツを手術室に運び込むと、さっそく回復魔法に取りかかる。

 その頼もしい姿に、パーティを覆っていた張り詰めた空気が少しゆるむのを感じた。じわりじわりと安堵が広がり、強張っていた顔がほどけていく。


 ダンジョンからつづいた緊張から解き放たれ、ある種安穏とした気配が漂いはじめた頃――唐突にマイトが崩れ落ちる。自身でも何が起きたのかわかっていないキョトンとした顔で、ドスンと尻もちをつき、体の安定を失い倒れ込んでしまう。


「おい、何やってんだ、マイト?」


 診療所に駆け込んできてから、はじめてじっくりとマイトの様子を確認し、ミスミはギョッとして目を見張る。重体のゴッツに気を取られて、マイトの身を焦がす異変に気づくことができなかった。

 マイトの顔は真っ赤に染まっており、所々に水膨れが生じていたのだ。慌てて頬にふれると、燃えるように熱い。


「こいつ、どうしたんだ。何があった?」


 ダットンとシフルーシュは顔を見合わせ、困惑を浮かべる。

 肌の具合から見て、これは間違いなく熱傷ヤケドだ。深度こそ浅いものの、全身まんべなく損傷を受けている。


「ひょっとして、ドラゴンの火の息ファイアブレスのダメージ?」


 戸惑いが混じった口調でシフルーシュが言った。それに対して、マイト自身が答える。


「直接は、浴びなかったんだけどな……」

「バカ野郎、たとえ直接火にふれなくても、長時間熱波にさらされていれば熱傷になるにきまってるだろ!」


 ミスミの怒号を受けても、どこか他人事のように苦笑を浮かべたマイトであったが、熱傷がひきつるらしく苦しげに顔を歪めた。


「ご、ごごめん、マイト。ゴッツを運んでくれたから、たいしたこと、ないと思ってた」

「アドレナリンの分泌で、運んでいるときは痛みを感じなかったんだろう」


 なぜ誰も気づかなかったのか――ちらりとティオを見ると、魔法をつづけながら気まずげに目をそらす。

 ティオはあえて症状の確認をしなかったのかもしれない。マイトのがんばりがなければ、意識不明のゴッツを連れて全員で地上に戻ることは難しかっただろう。そのことを察して、取捨選択した結果か。


「とにかく、一刻も早く治療しなくては危険だ。ダットンは医術者ギルドに行って、手の空いてる医術者を呼んできてくれ。上級冒険者が二人死にかけてると言えば、何人かよこしてくれるだろう」


 ミスミの指示で、ダットンは早朝のダンジョン街を駆けていく。

 次はシフルーシュの番だ。マイトの服をナイフで裂いて脱がせながら、不安げなエルフに目を向ける。


「シフル、精霊魔法でマイトの体に水をまとわりつかせることができないか?」

「えっ、うん、できると思う。やってみる!」


 熱傷の治療は、何をおいてもまず水で冷やすことが重要だ。すぐさまシフルーシュは準備に取りかかり、器用に水をマイトにまとわせた。

 しばらくして、ダットンが四人の医術者を連れて戻ってきた。出勤してきたカンナバリとノンも加わり、大所帯での治療がはじまる。


 治療自体は難しいものではなかったが、とにかく時間がかかった。患者が上級冒険者ということもあって、術後の身体機能低下をおさえるために、細密な調整を必要としたのだ。

 どうにか治療に一段落ついたのは、半日以上たってから――すでにとっぷり日が暮れていた。


 隣の木賃宿に二部屋借りて、マイトとゴッツの病室代わりとした。看護師のカンナバリとノン、それにダットンとシフルーシュが二人に付き添っている。助っ人に来てくれた四人の医術者は、疲れ切った顔で帰っていった。彼らの陣頭指揮をとりながら治療を行っていたティオはというと、待合室の長イスに突っ伏してすっかり眠りこけている。


 悪い夢でも見ているのか時おりうなり声をもらすティオに、ミスミはそっと毛布をかけてやった。

 こうしてあらかた片づいた頃に、「よお、お疲れさん。いろいろ大変だったみたいだな」タツカワ会長はやってきた。


 タツカワ会長はちらりと泥のように眠るティオを見て、呆れ混じりの苦笑を浮かべる。


「起こさないでくださいよ。ダンジョンからずっと治療しつづけて、ようやく休めたんです」

「わかってるさ、聞き取りは後日にする。ミスミ先生は平気なのかい?」

「俺は疲れることやってませんから。ヤブ医者の出る幕はなかったです。魔法のすごさを改めて実感しましたよ」


 ミスミはボサボサ頭をかいて、自嘲の笑みをこぼす。

 マイトにしろゴッツにしろ、ミスミの知る医療では治療はきわめて難しいものだった。長い期間をかけて治療を施しても、何らかの後遺症が残ることだろう。それが、回復魔法ならば一日でほぼ完治にいたったのだ。とんでもないことだ。


「なんにしても助かったならいいじゃないか。こちらとしても、いま上級冒険者に死なれるとまずいんで助かったよ」

でないなら、死んでもいいみたいな言い方ですね」

「そうは言ってない。こっちにもいろいろあるんだ、いろいろな」


 眉間に太いしわを作り、タツカワ会長はこれみよがしにため息をつく。口にはしないが、話を聞いてほしいのだろう。立場上グチを言える相手はかぎられている。

 ミスミはしかたなく診察室に招き、患者と対するように向かい合って座った。厳めしい角ばった顔には、本当に病人のような鬱積が淀んでいた。


「何かあったんですか?」

「うん、実はな、冒険者ギルドがダンジョン管理組合に傘下に入れと言ってきたんだ。そのこと自体は以前から何度も話があって、そのたびに突っぱねてきたんだが、今回は少し状況が変わってな……」


 医術者ギルドや魔術師ギルドはあっても、ダンジョン街に冒険者ギルドは存在しない。かつてはあったそうだが、ダンジョンに特化した管理組合の誕生によって撤退をよぎなくされたという話だ。

 そもそも冒険者ギルドは、ギルド会員登録をすることで仕事の斡旋をしてもらえるのを利点とした団体なのだが、高額な会費や報酬の中抜きといった問題を抱えていることから、ダンジョン街の外でも積極的に加入する冒険者は少ないと聞いている。


「冒険者ギルドの特別顧問に、エドワルド・シフォール・リマ・セントローブの就任が決定したんだ」


 耳馴染みのないずいぶんと大仰な名前に、ミスミは目をパチクリさせた。


「……えっと、誰?」

「そんなことも知らないのか。ミスミ先生は案外世間知らずだな」タツカワ会長は笑いながら、その人物と背景について教えてくれる。「まあ、別段重要なことでもないから、聞き流してもいいぞ――」


 エドワルド・シフォール・リマ・セントローブは、この世界における貴族階級の要人であるという。姓名はエドワルド・シフォール、つづくリマ・セントローブは地位をあわしているとのことだ。

 ダンジョン街を含む一帯はセントローブ地方と呼ばれており、領主一族の本家はテオ、分家はリマと区別されている。つまりリマ・セントローブは、セントローブ領主の親類という意味であった。


「エドワルド・シフォールは柔軟かつ革新的な考えの持ち主で、多くの社会事業にたずさわり、成功をおさめてきた優秀な人物だ。分家筋ではあるが、領主本家にも負けない影響力があると聞いている」

「ようするに、やり手の貴族が一枚噛んできたってことですね」

「端的に言うと、まあ、そういうことになるかな。本人がどう思っているか知らんが、エドワルド・シフォールの後ろ盾をえた冒険者ギルドは、これまで以上に圧力を強めてくることだろう」


 どんな世界だろうと、人が集まる場所には社会が生まれ、派閥が形成されていく。刻一刻と変化していく情勢のなかで、組織を維持する苦労は一介の医師にすぎないミスミには計り知れないものがあった。


 同情はする――だが、やはり他人事だ。

 深刻な表情のタツカワ会長を前にしても、いまだにピンときていない。


「しかし、よかったよ。あいつらがドラゴン殺しの実績を作ってくれたことで、管理組合の評価が上がった。所属の冒険者が活躍すれば、冒険者ギルドに対して大きなアドバンテージになる」

「なるほど。死なれるとまずいは、そこにつながるんですね。上級冒険者に死なれたら印象が悪い」」


 ようやく合点がいったミスミは、肩をすくめて苦笑する。

 そのノー天気な態度が気にくわなかったようで、思わず怯みそうなほどタツカワ会長の目つきが険しくなった。


「ずいぶんとノンキだな。場合によっちゃあミスミ先生にも関わってくるかもしれない問題だぞ」

「まさか。しがないヤブ医者に、貴族が興味を持つことはないでしょ」

「だといいがな……」


 タツカワ会長の不吉な言葉は、思いがけない形で現実のものとなるのだが、それはもう少しあとの話だ。

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