<2>

 ゴッツは予想以上に深刻なダメージを受けていた。

 尻尾の強烈な一撃によって、わき腹から背中にかけて肉がえぐれ血みどろになっている。見たところ胸骨と背骨が砕けており、位置的に肝臓や脾臓も無傷というわけにはいかないだろう。


 即死でもおかしくない大ケガである。かろうじて生きている――そんな状況だ。

 すぐに治療を施さなければ危険な状態だった。ティオは駆けつけると同時に、再生魔法の呪文を唱える。


「ティオはそのまま治療をつづけて」


 シフルーシュとダットンが、ゴッツの両脇を抱えて安全圏まで引きずっていく。その進みに合わせて、ティオは移動しながら再生魔法をかけなくてはならなかった。

 存外難しい作業であったが、これがゴッツを救うために最善の手段であることを理解しているので、不満をもらすつもりはまったくない。環境の整った診療所と違い、ダンジョン内での治療が困難な処置となるのは毎度のことだ。

 ドラゴンから遠ざかったところで、一旦移動の足を止める。場合によっては再度運び出す必要はあったが、とにかくまずは最低限の応急処置を行わなければならない。


「傷口を水で洗って!」

「わ、わわかった」


 ダットンは慌てながらも水筒のフタを開けて、ゴッツの肌にこびりついた血に水をかけていく。

 隠れていた傷口があらわになると、陥没した部位から折れた骨が突き出ているのを確認できた。


「うぇっ……」と、グロテスクな損傷に思わずダットンはうなる。

 その声をかき消すように、シフルーシュの調子っぱずれた甲高い声が重なった。

「な、何あれ?!」


 あまりの動揺ぶりに、理由を探して視線を巡らせる。

 原因はすぐに判明した。ドラゴンが出口に顔を突っ込んだ異様な状態となっていたのだ。首を上下に揺らして、なおも奥に入り込もうともがいている。治療に必死で経緯を見ていなかったティオには、何がどうなったのかまるでわからない。

 それは、シフルーシュにしてもダットンにしても同じようだ。ただダットンは、視界のなかに足りないものがあることを、即座に見極める。


「あれっ、マ、マイトはどこ、行った?」

「本当だ、マイトがいない。ひょっとして、あっちにいる!?」


 ドラゴンの腹部が膨らみ――勢いよくしぼむ。その動作と連動して、首を覆うウロコが脈打っているのに気づいた。

 顔が埋まった出口の隙間から、炎の残滓がもれてくる。火の息ファイアブレスを放っていると知り、ゾッとして青ざめた。


「マイト! どこにいる、返事しろ!!」


 シフルーシュの悲痛な声がフロアに響く。

 最悪の事態が脳裏をかすめたとき――ドラゴンに塞がれた出口の奥から、心もとないか細い声が返ってきた。


「ここだ」と、マイトの声がする。ドラゴンが邪魔して姿は見えないが、出口の奥にいることは間違いないようだ。「うまいこと身を隠す場所があったから、なんとか無事だ」

「よかった、生きてた……」


 ヘナヘナと安堵で腰砕けとなって座り込みそうになったシフルーシュだが、尻が落ちる直前に体を起こす。放心している場合ではないと、瞬時に仕切りなおしたのだろう。

 状況が変わったといえ、好転したわけではない。次の手を早急に打たなければならなかった。その一手を、出口の奥から提案される。


「俺は大丈夫だ。先にゴッツを連れて戻ってろ」

「バカ言わないで、置いていけるわけでしょ!」


 シフルーシュは即座に却下し、弓を構えた。

 仲間を犠牲にせず現状を打破する唯一の方法は、もはやドラゴンを撃退するしかない。頭部を出口に突っ込んで無防備な姿をさらしているが、その絶好のチャンスでもあった。


 限界まで弦を引き絞り――放つ。高速で射出された矢が命中した。

 赤銅色のウロコは、キンと甲高い音を鳴らしてあっさりと矢を弾く。ドラゴンは当たった衝撃すら感じていないようで、気にする素振りを見せず、また腹部を膨らませて火の息ファイアブレスを流し込んでいた。


「今度は、ぼ、ぼくが!」


 つづけざまにダットンが光の矢を放った。

 しかし、魔法の閃光もドラゴンのウロコを貫けない。油が水を弾くように、ウロコの表層を滑っていく。


「ぼ、ぼくらじゃ、ドラゴンにダメージを、与えられない」


 ドラゴンの装甲を破るには、絶対的に火力が足りないのだ。パーティでウロコを貫けそうな力があるのは、生死をさまよっているゴッツと自ら囮となったマイトくらいだろうか。両者とも戦える状態ではない。

 それを理解しているわけではないだろうが、ドラゴンは泰然と火の息ファイアブレスを吹いていた。


「ど、どうしよう……」

「とにかく、まずは火の息ファイアブレスを止めないと、マイトが蒸し焼きになってしまう」


 そうは言っても、攻撃が通じない以上打つ手がなかった。何か解決策はないものか、二人は唇を噛んで思案を巡らせる。


「横隔膜を傷つけることができれば――」


 再生魔法を一旦止めて、ティオは言った。ゴッツの治療をしながら、ずっと考えていたことだ。


「おうかくまく? 何それ?」

「意識することは少ないだろうけど、呼吸をするためには体のいろんな部位を使って肺を動かしているんだ。横隔膜は肺を大きく伸縮することができる筋肉の一種で、その働きを制限できれば火の息ファイアブレス機能をを阻害できるかもしれない」


 横隔膜は人間を含む哺乳類にのみ存在すると、魔法学院医術科の授業で習っていた。モンスターであるドラゴンに横隔膜が存在するかは不明だが、火の息ファイアブレスを吐く動作を見るに類する器官は備わっているものと思われる。


「で、でもでも、攻撃が通じない、のに、どどうやって横隔膜を傷つければ……」

「それは、まあ……」


 その点に関しては、戦闘力のないティオに策はない。逆立ちしても思い浮かぶことはないだろう。代わりにシフルーシュが決断する。


「グダグダ言ってないで、やってみるしかない!」勢いだけの決断であったが、解決策をえたことは心理的に大きかったようだ。「ティオ、横隔膜はどこらへんにあるの?」

「ドラゴンの生態はわからないけど、たぶん胸の少し下。人間の場合は、肺の下にあって胸部と腹部の境界になってる」

「わかった、やってみる」


 言うが早いかシフルーシュは駆け出す。向かった先は部屋の壁際だ。

 その意図は、すぐに判明する。ゴッツの手から離れた短槍が、壁際に落ちていたのだ。シフルーシュは短槍を拾い上げて、よたつきながら構えた。


 不慣れな武器なうえ、エルフの細腕には少々重いようで扱いに苦戦していたが、重心を落とすことでどうにかバランスを取ると、ドラゴンの正面側に体を寄せていく。

 ドラゴンの腹部は下を向いており、四つん這いの状態では攻め込むスキはなかった。それでも、火の息ファイアブレスを吐く瞬間、わずかに上体を起こすことを洞察したシフルーシュは、タイミングを計って小さなスキを狙う。


 出口の隙間から火の粉がもれると同時に、全体重を乗せた短槍の一撃を見舞った。穂先がウロコを突き破り、鮮血が吹き出す。

 ドラゴン腹部のウロコは色合いがうすく、どうやら少し硬度が低いようだった。まだ体表の一部を傷つけた程度だが、かすかに光明が見えてくる。


 思いがけない一撃に、ドラゴンは咆哮をあげて暴れ狂う。鋭い爪を持った前足を振り回し、床が震えるほど強烈に尻尾を叩きつける。ただ視界の外ということもあって、やみくもに暴れているにすぎなかった。

 シフルーシュは冷静に距離を取り、攻撃範囲から逃れる。


 ドラゴンは部屋にいる冒険者にようやく意識を向けたらしく、首を上げて出口から顔を引き抜こうとしていたが、どこか引っかかっているようでガリガリと石材を削る音が聞こえた。


「ダメだ。わたしの腕力では横隔膜に届きそうにない。それなら――」


 出口の縁を砕きながら、ドラゴンが強引に首を引き抜いた。勢いあまって上体が浮き上がっている。

 すかさずシフルーシュは滑り込み、潰される直前に股下から脱出した。その手に、先ほどまであったはずの短槍はない。


 ドラゴンがフロア中に響く咆哮をあげた。威嚇ではなかった、あきらかに悲痛な叫びと変わっている。

 ドポドポとこぼれ出る音が聞こえるほどに、大量の血がドラゴンの足下に広がっている。シフルーシュは体をくぐる瞬間に、短槍を突き刺したのだ――いや、正確には押し当てたといったほうがいいだろうか。

 短槍を腹部に押し当てたことで、ドラゴンの自重によって深く刺し込まれたというわけだ。


「ダットン、いまだ!」

「りょ、了解!」


 ダットンが唱えたのは、電撃の魔法だった。指先から発せられた電流は、腹に刺さった短槍を通してドラゴンの体内に流れ込む。

 効果のほどは一目瞭然――ドラゴンはのたうち回って苦しんでいた。


 苦痛に体を歪ませながらも、反撃に転じようとしていたのは、さすがドラゴンといったところか。しかし、火の息ファイアブレスの動作に入った瞬間、ティオ達にも、おそらくドラゴン自身も、予想だにしなかったことが起きる。

 短槍の刺さった傷口が爆ぜて、血飛沫と肉片とウロコをまき散らしたのだ。どうやら体内で爆発が起きたようだ。


 それは横隔膜を傷つけて、えられるであろうと思った効果とは違う。考えられることは、火の息ファイアブレスを生み出す器官を、偶然にも短槍が損傷を与えたのではないだろうか。

 ドラゴンの巨体がよろめき、横倒しとなった。長い尻尾を波打たせながら、力ない咆哮が口からもれる。


「た、倒したの?」

「いや、まだまだ。相手はドラゴンなんだ、油断はできない」


 シフルーシュは気をゆるめず、確実にしとめる方策を指示する。

 具体的には、電撃魔法による追い打ちだ。結局何回も電撃魔法を放って、ダットンがヘトヘトになった頃にようやく終局とした。

 ドラゴンの生命力はすさまじく、まだかろうじて息をしていたが、もう起き上がってくることはないだろう。


「終わったのか?」


 よろよろと出口からマイトが姿を見せた。火の息ファイアブレスの熱波によって、肌が真っ赤になっている。


「マイト、大丈夫?!」

「俺のことはいい、それよりゴッツだ。早く連れて帰らないと」


 気を失ったゴッツを抱えて、危険な道をたどり転移装置ポータルのある地下四十一階まで戻らなくてはならない。まだまだパーティの苦難はつづく。

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