<3>

 三日間にも及んだ再検診の結果、モアレが患った病気が判明する。わざわざ小屋に訪れて、ミスミは教えてくれた。


頭蓋咽頭腫ずがいいんとうしゅだ」


 病名を聞いただけでは、まるでわからない。


「下垂体にできた腫瘍が視神経を圧迫して、視覚障害を起こしていたんだ。おそらく歩行障害や頭痛も頭蓋咽頭腫が原因だと思われる。モアレさんは元々ひどい老眼で、それが異変に気づくのを遅らせたようだ。もっと早い段階で察知できていれば、ここまで悪化することはなかったかもしれない」


 説明を聞いても、さっぱりわからなかった。


「つまり、それは治るってことですか?」

「ああ、手術で腫瘍を取り除けば治癒する。今日の午後、手術を行う段取りを組んだ」


 急転直下の展開にエルザの理解が追いつかない。しばらくして、ようやく状況が飲み込めて、エルザは不器用な笑顔を浮かべた。

 病気についてはチンプンカンプンだが、とにかく治療ができるというだけで希望が持てる。


「ずいぶんと心配していたことだし、エルザも手術に立ち会うか?」

「えっ、いいんですか?!」

「手術中はマヒ魔法で意識が飛んでいるから、モアレさんに見つかることはない。邪魔にならないようにおとなしくしていると約束するなら、俺は構わないぞ。もちろん担当医の許可が下りればの話だが――」


 二人の視線を受けて、ティオは困惑顔でたじろぐ。前もって話を通していたわけではなかったらしく、少し怒ったように眉を吊り上げて問題点を口にする。


「ミスミ先生がよろしいのなら、わたしはいいですけど、エルザの処遇はタツカワ会長にも判断をうかがわないと……」

「会長にはもう了承をもらっている。あとは嬢ちゃんの回答待ちだ」

「それなら、まあ」


 知らされていなかったことが気にくわなかったようで、奥歯にものがはさまったような口ぶりであったが、何はともあれ許可の言質は取った。

 エルザはさっそく、ミスミとティオに連れられて小屋を出発する。


 日中ということで移動に細心の注意を払わなければならず、思った以上に気疲れしたが、どうにか見咎められることもなく到着できた。

 診療所ではすでに手術の準備が進行しており、ドワーフ看護師のカンナバリが忙しなく動き回っていた。本日の手術の支援に呼び出された魔術師ダットンと医術者セントも、準備を手伝っている。


「この二人はエルザの事情を知っている。心配はない」と、ミスミが説明した。


 自身の心配よりも、手術前の緊張感に飲まれて顔がひきつる。エルザにとっては、ダンジョンに潜るときのほうがよほど気が楽だ。どれだけ押し込めようとしても、不安がもれ出てくる。


「大丈夫、手術はうまくいく。そんなに不安がることはない」

「簡単な手術なんですか?」

「そういうわけじゃないが、多少俺がミスしても再生魔法で復元できる。今回メスを入れる下垂体は、生命活動に直結している場所じゃない。回復魔法を活用すれば、いくらでも取り返しがつく。本当に魔法さまさまだよ」


 従来外科手術は身体に大きな負担がかかるものだが、切開箇所を再生魔法で修復することにより術後の回復も格段に早い――と、ミスミは少し興奮気味に言った。エルザは説明を聞いても、おそらく半分も理解できていない。


 ほどなくして、モアレが診療所にやって来る。今日もノンが付き添っていた。

 エルザは二階に押し込められるようにして退避し、ミスミによる手術前の説明が終わるのを待った。モアレはすでに覚悟が決まっているようで、警戒心や恐怖心を表面上は完全に抑え込んで滞りなく話は進む。


 やがて用意が整い、エルザはノンに呼ばれて手術室に足を踏み入れた。

 モアレは目元を布で覆った状態で、ベッドに寝かされている。その頭部側に立ったダットンがマヒ魔法をかけていた。


「シッ!」と、唇の前で指を立てて、ミスミがジェスチャーを送る。声を出すなと言うことらしい。

 だが、たとえ声を発しなくても彼女は鋭敏に感じ取っていたようだ。


「エルザかい?」

「えっ、どうしてわかったの?」


 思わず返事をしてしまう。ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、怒り混じりのため息をもらしていた。


「どうしてだろうね。目が悪くなってから、不思議といろんなことを感じられるようになった」


 マヒ魔法の影響か、少し寝ぼけたような声だ。

 しかたなくといったふうに、ミスミが話に入ってきた。


「人がモノを認識するとき、多くが視覚情報を頼りにします。モアレさんは視力が低下したことで、他の感覚機能を活用するようになったんでしょう」


 わかるような、わからないような――モアレがどこまで理解できたかは不明だが、わずかに口元をゆるめて手を伸ばしてきた。


「エルザ、手をにぎっててくれないかい」

「うん、わかった……」


 ミスミがうなずいて許可し、エルザはそっと手を重ねる。

 強張っていたモアレの指先から、ゆっくりと力が抜けていくのを感じた。マヒ魔法が浸透して、呼吸音が小さくなる。

 彼女の意識が完全に喪失したのを確認してから、ミスミは一同の顔を見回した。


「では、手術をはじめようか。よろしくお願いします!」


 手術の開始だ。ナイフを手に取ったミスミは、迷いなく鼻のラインに沿って切れ込みを入れはじめた。

 エルザは動揺して、ノドをひきつらせる。


「か、顔を切るの?」

「そりゃあ患部は脳の下側――眉間の奥にある下垂体だ。まず、そこにたどり着かないことには話にならない。手術に邪魔な部位は、とりあえずのけておく」

「そんなことして、平気なんですか!?」

「再生魔法でちゃんとくっつけるから大丈夫だ。俺がヘマをしたとしても、最低限元の状態に戻れる。そのために優秀な医術者を助っ人に呼んだんだ」


 照れ笑うセントを、ノンが「優秀だって」とからかっている。現在の状況に驚愕しているのは、エルザただ一人だった。

 ミスミは鼻の片側を切り剥し、開けることで下垂体に通る隙間を確保しようとしているようだ。切り口からあふれ出る血を、カンナバリが素早く拭う。


 エルザは思わず目をそらし、我慢できず後ずさっていた。距離が空いたことで、モアレとつないでいた手を離してしまう。支えを失った手は力なく垂れ下がり、手術の振動に合わせてゆらゆらと揺れていた。


 冒険者という仕事柄、グロテスクな状況には慣れているつもりだった。でも、知人の顔が切り刻まれるところは、とてもじゃないが直視できない。

 結果としてエルザは、手術が見えない位置にとどまり、無事終わるのを祈り待つこととなる。


 ――手術開始から三時間。ようやくミスミは手を止めて、ホッと息をついた。

 腫瘍の除去が終了したのだ。カンナバリが持つ鉄製の皿に、血濡れた肉片が置かれている。

 残すは回復魔法による再生処理だけ。ミスミは疲労をにじませた表情ながら、達成感に浸っている。


「手術は成功したんですか?」

「ああ、神経に癒着していたから手こずったが、なんとか取り除くことはできた。ただ、腫瘍が再生しないとはかぎらない。しばらくは経過観察が必要だな」


 不安要素はあるものの、ミスミの声色は安堵に満ちている。エルザはひとまず胸を撫でおろした。

 少し時間をおいて、今度はティオがホッと息をついた。彼女は笑顔を浮かべて、エルザを手招きした。


 おそるおそる近づくと、ベッドに寝かされたモアレの顔が元の状態に戻っている。うっすらと鼻の切り跡が赤い線となって残っていたが、時間と共に薄れていくことだろう。

 見た目の印象としては、手術前と変わらない。本当に手術が行われたのか、現場を目撃した者でなければわからないかもしれない。


「ありがとう、ティオ……」

「お礼はミスミ先生に言ってよ。わたしは最後にちょこっと手伝っただけだから――」


 そのとき、ふいにモアレの腕がビクッと震えた。これには予想できなかったらしく、ティオは文字通り飛んで驚く。

 半開きだったモアレの口から、こもった吐息と共に小さなうなり声がもれる。


「もう目覚めたのか。ずいぶんと早いな」

「マ、マヒ魔法が効きにくい、た体質、なのかも」


 ダットンの指摘通り、モアレは短期間のうちに意識を回復させる。何度も瞬きしているのか、目元を覆った布が小刻みに揺れていた。


「お目覚めですか、モアレさん」

「……ええ。これ、取っていいかしら」と、目元の布にふれる。

「構いませんが、いきなり目を開くと眩しいでしょうから、ゆっくりとまぶたを上げてください」


 言われたとおりにモアレは布を外すと、時間をかけてまぶたを押し上げていく。

 途中まで息を飲んで様子を見守っていたエルザだが、自身の状態を思い出し、慌てて部屋の隅に逃げてフードを深くかぶった。


「すごい――」


 最初は眩しそうに細めていた目が、光に慣れて見開くと、モアレの顔に驚きが広がった。


「どうですか?」

「よく……本当によく見えるようになった。いままで、あんなにも狭い世界を見ていたんだねぇ」

「どうやら手術はうまくいったようだ。安心しました」


 おだやかな笑みを浮かべたモアレは、涙で膜をほどこした双眸をミスミに向ける。


「目が悪くなってからは、太陽が沈んでしまったような気分だった。また見えるようになるなんて信じられない」

「太陽が沈んだら、次は月が昇るもんですよ。希望は捨てちゃいけない」


 瞬きをした拍子に、涙が一粒まなじりからこぼれる。すかさず汗拭き用のガーゼで、ノンが涙を拭き取った。


「ありがとう、お嬢ちゃん。――ミスミ先生も、本当にありがとう。感謝の言葉もありません」

「いやぁ、モアレさんが手術に応じてくれたからですよ。普通はヤブ医者に、顔を切らせるなんておっかなくてできない」

「あなたはエルザの紹介でしたから、信頼して――」


 そこで、モアレはハッとして上体を起こす。思いがけない行動に全員が出遅れた。

 慌ててカンナバリが、肩をつかんでやさしく寝かしつける。強張った顔がベッドに戻ってきた。


「まだ起き上がってはダメですよ。体にさわります」


 モアレは謝罪の意を込めた視線を送り、間を置かず疑問を塗り込めた視線をミスミに向けた。


「あの、先生。エルザはどこに行ったのかしら?」

「あー、それは……どうしても外せない別件があったようで、手術の成功を見届けてから行ってしまいました」


 ほんの少し声を上ずらせながらも、ミスミはそれっぽい理由を瞬時にでっちあげた。モアレから見えないように背後に回した手を振り、早く隠れろと合図を送っている。

 命じられるまでもなく、エルザは音を立てないように静かに手術室を出ていく。そっと扉を閉めて、一人になったところで淀んだ息を吐き出した。


 あのとき、モアレは一瞬であったが、手術室を確かに見回した。部屋の隅にいたとはいえ、エルザの姿も確認したはずだ。フードで顔は見えなかったに違いない、肌の変色も気づかなかったことだろう。でも、目を患っていた頃なら、それがエルザだとわかったのではないかと考える。


 ミスミが言っていた、人の認識は視覚情報に頼る傾向がある――そのとおりならば、視覚が正常に戻った現在、モアレはエルザを認識してくれるのだろうか?

 急に世界から放り出されて、孤独になったような気分になる。この世界には、もうエルザの居場所はないのかもしれない。

 つねに頭の片隅でくすぶりつづけていたが、見ないようにしてきた現実を突きつけられた。半年という月日は、否が応でもエルザに残酷な前途を叩きつけてくる。


「どうしたの、大丈夫?」


 いつの間に来たのか、ティオが心配そうに声をかけてきた。

 力なく笑い、エルザは言った。


「ティオ、付き合ってほしい場所がある」

「えっ、どこ?」

「ダンジョン――最初から、わたしが向かう場所は、あそこしかなかったんだ」


 窓から差し込む夕焼けの赤が、驚きを浮かべたティオを染めていた。

 ゆるりと目を向けると、空の果てで黒と赤がせめぎ合っている。太陽は、もうすぐ沈む。

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