太陽が沈むとき

<1>

 伝えなければならないことがあるのに、伝えられないでいる――そんな雰囲気を、言葉や表情の端々から感じ取れた。

 ティオは隠しているつもりなのだろうが、半年近く毎日顔を合わせているエルザにはお見通しだ。


 直接問いただそうかとも考えたが、結局言葉にすることはなかった。はぐらかされるだけのように思えたし、少し聞くのが怖いという気持ちもあった。彼女がためらうということは、よい話でないことは確実だ。


「それじゃあ、今日はこれで失礼するね」


 診察を終えて帰り支度を済ませたティオが、おずおずと腰を上げた。葛藤が胸の奥で渦巻いているのか、その表情は鬱々としている。


「ところで、この間頼んだこと、会長は許可してくれた?」


 エルザは湿っぽい空気を吹き飛ばそうと、できるだけ明るい声で言った。


「ああ、それ。一応言ってはみたんだけど……ちょっと難しいかも」

「やっぱりダメかー。いい加減、閉じ込もってるのはつらいんだけどなぁ」


 外に出てみたい――そう提案したのは、いったいいつのことだったか。代わり映えしない小屋での生活には、心の底から飽き飽きしていた。

 小屋はつねに施錠されており、一部の人間以外は出入りできないようになっていた。用心のためとタツカワ会長は言っていたが、それが誰に対しての用心かは言わなかった。


 きっとエルザが外出するのをよく思わなかったのだろう。その気持ちは理解できる――自身の肌の色を見るたびに、その異常性を嫌というほど思い知らされた。こんな肌の人間が出歩けば、ダンジョン街は大騒ぎになる。

 そうなった場合には、ダンジョン管理組合の責任問題となるかもしれない。組織の長として、タツカワ会長はけっして外出許可を出すことはないだろう。


「見通しが悪い夜だったら、わたしが付き添ってれば心配ないと思うんだけど、タツカワ会長案外頭が固くて許してくれないんだ」

「まあ、そういうガンコな面もあるから、途中でくじけずにダンジョンを制覇できたんだろうね。今回の場合は、もうちょっと融通を利かしてくれたほうがありがたいわけだけど」


 エルザが笑うと、つられてティオも笑いだす。だが、その笑いはすぐに別の感情に押し流されることになる。


「でも、本当にちょっとでいいから外に出たないな。こういう同じ場所に居つづけるのって、精神的によくないんでしょ。いくら似たような場所だらけのダンジョンで慣れてると言っても、限界があるよ。きっとアーレスなら大暴れしてる」


 何気なくこらえ性のなかった仲間の名前を口にした瞬間、ティオの顔色があきらかに変わった。笑い顔はひきつったものとなり、激しく目線が揺れていた。

 エルザでなくとも、隠し事があるのはわかったはずだ。アーレスに関係した出来事が、何かしらあったのだ。


「わ、わたし、そろそろ行くね。また明日――」


 不器用なごまかしでつくろって、ティオはそそくさと小屋を出ていく。

 扉越しに、ガチャガチャとカギをかけるのに手間取る音が聞こえた。それだけ動揺しているということなのだろう。


 一人となった小屋で、エルザは物思いにふける。時おり思考が散り散りとなって、まとめるのにずいぶんと時間がかかった。気づくと見上げた天窓の奥に、夜空が広がる時刻となっている。

 感覚が異常をきたしていることを痛感した。自分で認識できるものではないが、状況証拠から意識が途切れていることを突きつけられる。


「あと、どれくらいもつんだろう――」


 無意識にもれたつぶきが、見えない剣となって胸を貫く。

 エルザは虚無感に拘束されそうな気持ちを、別のところに向けることで守った。現状から、目をそらしたとも言う。


「そんなことより、アーレスのことだ」


 自分に言い聞かせるために言葉にして、取り組むべき問題を意識の中心に持ってきた。エルザ自身のことはともかく、仲間のことは知りたかった。ティオの様子からして、吉報でないことは間違いない。


 どうにかして情報を仕入れられないものかと考え、一人の人物に思い至る。元冒険者で、多くの同業者とつながりを持つ事情通の男だ。名を、ワズロ・ゲインという。

 彼と会うためには、まず外に出なければならない。

 小屋の戸締りは完璧で、正攻法で抜け出すのは難しいとすでに調査済みだ。唯一まだ調べていないのは――到底手の届かない天窓だけ。


 天井近くには太いはりが通っており、そこまでたどり着けたなら、梁を足場にして天窓を調べられるかもしれない。

 エルザは放置されていた事務書架と机を組み合わせ、苦労して踏み台を作り上げた。梁の高さにはまだ足りなかったが、これ以上積み重ねる材料がなかった。


 しかたなく踏み台のてっぺんにまで登ると、覚悟を決めて梁に飛びつく。少し不安だったが、ダンジョンで鍛えた肉体は跳躍に耐えてくれた――同時に、踏み台に使った資材がガラガラと音を立てて崩れる。

 これで、もうあとには引けなくなった。エルザは梁の上に立ち、天窓に手を伸ばす。


「あっ!?」


 開く開かないという問題ではなかった。天窓はそもそもはめ込み式で、しっかりと固定されていたのだ。

 これではどうすることもできない。踏み台を失い、降りることもできなくなっている。


 エルザは思案した末に、当初の目的を遂行することにした。羽織っていた厚手の外套で体を保護し、ヒジで天窓を叩き割る。砕けたガラス片が、パラパラと小屋に降りそそぐ。


 明日ティオに謝ろう――そんなことを考えながら、割った天窓の隙間に体をねじり込む。外套の裾が引っかかったが、力任せに引き抜いた。グシュリと不快な音がしても、いまは気にしない。

 小屋の脇には大きな木が生えており、屋根を伝い幹に飛び移って楽に下りることができた。


「フウ、ここからだ……」


 念願の小屋の外へ出たわけだが、感慨はあまりない。夜闇で風景がよく見えなかったこともあるが、皮膚感覚が鈍って外気を感じ取ることができなかったからだろうか。

 エルザは目的を優先することで、複雑な心情にフタをする。外套のフードを深くかぶり、夜のダンジョン街に踏み出した。


 向かった先は、街で一番栄えている武具店だ。ワズロは冒険者を引退後、その経験を買われて装備に悩む冒険者に進言するアドバイザーとして雇われていた。

 時刻的にまだ勤務しているか不安だったが、ちょうど帰宅するところだったようだ。


 人目のある大通りはさけて、横道の暗がりに潜んでいたエルザは、古傷のヒザをかばいながら歩くワズロがそばを通りかかった瞬間、腕をつかんで力任せに引っ張り込んだ。


「お、おい、なんだ!?」


 ワズロは予期せぬ出来事に慌てふためきながらも、元冒険者らしく素早く体勢を立て直して身構えた。


「静かに! 危害を加えたりはしない」


 小声で鋭く言い放つと、ワズロは警戒しながらも構えを解いた。


「その声……ひょっとして、エルザか?」

「うん、そう」ワズロが近づこうとしたので、手で制しながら後ずさる。「こっちに来ないで。そこでいい、そこで話そう」


「おかしなこと言いやがって、まったく何なんだ。大体ダンジョンから救出されたって聞いたのに、それっきり行方不明で、こっちはどんだけ心配したと思ってる。無事なら連絡くらいしろ!」


 身振り手振りが大きくて、暗がりのなかでもワズロの感情の動きはよくわかった。

 エルザは申し訳なく思う気持ちを押さえ込んで、強引に話を切り出した。


「ごめん、いろいろ言えない事情があるんだ。それよりアーレスのこと聞かせて。あなたなら知っているでしょ」

「お前、聞いてないのか……」


 ワズロの動きがピタリと止まる。それが、彼の抱いた感情を鮮明に伝えてくれた。

 憐憫だ。言葉にせずとも、理由は想像がつく。


「会長が口止めしているらしくて、くわしいことはわからない。ただガンシンって冒険者が、アーレスの冒険者タグをダンジョンから持ち帰ってきたのは間違いない。その意味は、わかるよな」


 ダンジョン内では身に着けていることを義務づけられている冒険者タグが、他人の手で地上に戻ってくる理由は一つしかない。

 少なからず覚悟していたことだが、やはりショックだった。胸に熱いものがこみ上げて、悲しみに染らたというのに、不思議と涙はこぼれなかった。涙腺が機能を失っているのかもしれない。


「――おい、エルザ、聞いているのか?!」


 意識が飛んでいたらしく、ワズロの声が切れ切れに耳に入る。


「ごめん、聞いてなかった」

「だから、いまダンジョンで何が起きているんだ? 管理組合はゴタゴタしてるし、上位の冒険者はやけに慎重になっている。かん口令が敷かれているらしくて、くわしい事情が入ってこないから、下の冒険者達は戸惑っているぞ」

「それは……言えない。いずれ正式発表があると思うから、それまで待って」

「じゃあ一つだけ聞かせてくれ。ディケンズは無事なのか?」


 エルザは一瞬固まるが、即座に打ち破りキッパリと言いきる。


「生きてるよ、絶対に――」


 ワズロと別れて、どこをどう歩いたのか、気づけば慣れ親しんだ場所にたどり着いていた。

 ディケンズは生きていると自分に言い聞かせることに必死で、無意識に進んだ先は――下宿している家宅であった。習慣というのは、心臓が止まっても残るようだ。


 いくら家主と懇意であっても、この体では対面するわけにはいかない。エルザは物さびしい微笑をこぼし、くるりと方向転換する。

 そのとき、思いがけず下宿の扉が開いた。屋内からもれたランプ灯りが、エルザの背中を照らし出す。


 外套ですっぽり体を覆っているので、見た目で彼女と判断することはできないはずだった。

 しかし、「エルザかい?」と耳になじんだ声が発せられた。

 家から出てきた老女は、エルザの姿を見ることなく察知したのだった。

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