<4>

 目覚めと共に感じたのは、ひどい頭痛だった。息からも体中からもこびりついた酒気が漂い、そのにおいをかいで、また気分が悪くなる。

 重い二日酔いが引き起こす倦怠感に悶えながら、ウォルトは太った体をくねらせるようにして、どうにかベッドから抜け出した。


 昨晩はタツカワに誘われて、ロックバースともどもダンジョン街の飲み屋を連れまわされたのだ。いったい何軒はしごしたことか――酒に溺れて、ほとんどおぼえていない。タツカワが用意してくれたダンジョン街の高級宿泊所に戻ってこれたのが、奇跡的とすら思える泥酔状態だった。


 比較的飲めるタチのウォルトですらこのありさまなのだから、顔に似合わずアルコールに弱いロックバースはもっと凄惨なことになっているに違いない。

 ロックバースは隣の部屋にいるはずなので、少し様子を見ておこうかとも思ったが、その考えはすぐに消し去った。ヘタに刺激すると、いわれのない文句をぶつけられるのがオチだ。


「おとなしく寝かしておくのが一番だな」


 酒でかすれた声を吐いて、ウォルトは身支度をはじめた。

 洗面所で顔を洗い、酒のにおいが染み込んだ衣類を着替える。それだけで、少し気分がよくなってきた。

 宿泊所の従業員に簡単な食事を用意してもらい、空っぽの胃袋に無理やり詰め込む。胃酸が逆流して不快感は残ったが、食べ終える頃には二日酔いの頭痛はおさまっていた。


 どうにか行動できるだけの体調を取り戻したウォルトは、さっそく宿泊所を飛び出す。タツカワの頼みでロックバースに検分要請して、自らもダンジョン街に訪れたのには、一つ目的があったからだ。


「おお、タイミングばっちりだな」


 ちょうど宿泊所を出たところで、タツカワと鉢合わせになった。昨晩はベロベロに酔っぱらっていたというのに、いまはケロリとしている。アルコール分解能力が高いのか、冒険者だった頃からどれだけ深酒しても、翌日には元気いっぱいに復活していたことを思い出す。


「どうしたんだ、タツカワ?」

「どうしたもこうしたもあるか。あのロックバース教授が来てるんだ、ダンジョン管理組合の会長が接待しないでどうする。懇意にしておいて損はないだろ」

「昨日さんざんやったじゃないか。あれを接待と呼べるのかわからないけど……」ウォルトはため息をついて、その反動でたるんだ腹肉を震わせた。「ロックバースはまだ寝てるよ。無理に起こしたら、怒りを買うことになるぞ。それよりも少し付き合わないか――」


 タツカワは片眉を吊り上げて、不可解そうに目を細めた。


「付き合えって、どこにだ?」

「墓参りだよ」


 タツカワを連れ立ってウォルトが訪れたのは、ダンジョン街の片隅にある墓園だ。ずらりと並んだ墓石のなかから、忘れられない名前が刻まれた墓石を見つけ出す。

 冒険者仲間だったリアラの墓だ。彼女は最下層にたどり着く直前に、志半ばで力尽きた。

 リアラの墓に、ウォルトは深々と頭を下げる。その様子を、タツカワは冷めた目で見つめていた。


「そんなことしたって、意味ないだろ。そこにリアラはいないんだ」

「わかってるよ。気持ちの問題だ。ぼくがやりたいからやっている」


 ダンジョン最下層からリアラの遺体を連れて地上に戻るのは、現実的に難しかった。リーダーであったタツカワの判断で、彼女の遺体は残しておくことになる。その判断に異存はなく、間違いではなかったと断言できる――が、できることなら地上に連れ帰ってあげたかったと、二十年近くたったいまも悔恨の情がくすぶりつづけていた。


 墓の下にあるのは、遺品として持ち帰ったリアラ愛用のナイフと髪が一房。そこに彼女自身は眠っていない。

 だが、彼女に想いを馳せるのに、ここより他に適した場所があるとは思えなかった。


「リアラはどう思ってるんだろうな。バラバラになってしまった、いまのぼく達のことを」

「何とも思ってないだろ。あいつは合理的な女だ、必然性もないのにいっしょにいるほうがどうかしてると思うに違いない」


 当時のことを思い出したのか、タツカワは肩を揺らして笑う。

 確かにリアラは合理的で、ある意味計算高い女性だった。しかし、けっして薄情なわけではなく、情熱的な一面も持ち合わせていた。もし彼女が生きていたなら、定期的に集まることもあっただろうと考える。


 離れてしまっても、苦楽を共にしたかけがえのない仲間なのだ――ウォルトにタツカワ、ミラーリング、そしてクライン。

 そこで、ふと以前耳にしたウワサ話が脳裏をよぎる。


「なあ、タツカワ。前にちらっと聞いたんだけど、クラインのことを知ってるか」

「クライン? あいつとはケンカ別れしてそれっきりだ」


 ダンジョン管理組合を共同で設立し、その後物別れとなったと聞いている。クラインが去って以降、ウォルトも直接会ったことはなかった。


「クラインがどうしたんだ?」

「なんでも、どこぞの貴族に仕えているという話だ。昔なじみの冒険者に会ったとき、そんなことを言っていた」


 タツカワは目を丸くして呆気に取られ、しばらくしてブッとツバが飛び散るほどに吹き出した。

 間髪入れずにウォルトは飛びのき、飛沫をさける。くさっても元冒険者、たとえ当時の倍以上に体重が増えても反射神経は衰えていない。


「あの跳ねっかえりが、貴族に仕えるだって?! そんなもん、うまくいくわけないだろ!」

「あれから何年たったと思っているんだ。もうクラインも大人だ。分別がつくぐらいには成長してるだろうさ」


 反射的にフォローしたが、正直なところウォルトも成熟した大人となったクラインを想像できなかった。冒険者だった頃のクラインは、すぐ感情的になる短気で短絡な性格をした少年だった。


 パーティの最年少ということもあり、リアラは実の姉のように甲斐甲斐しく彼の面倒を見ていた。クラインもリアラを慕い、彼女の言うことだけは素直にしたがっていた。その関係性もあって、死亡したリアラを置き去りにすることを、最後までクラインは反対していた。

 タツカワは多くを語ろうとしないが、共同運営の決別はリアラの問題が尾を引いていたからではないかとウォルトはにらんでいる。


「なんにしても、あいつが人並みにやっていけてるなら、リアラも安心だろう」

「そうだね。そうだといいな――って、寒いな」


 墓園に吹きつける冷たい風を浴びて、ウォルトは贅肉を揺らし身震いした。

 目につく樹木は葉を落とし、裸の枝をさらしている。季節はすっかり冬だ。まだ防寒に金をかけられなかった駆け出し冒険者時代は、冬になるときまってダンジョンにこもっていたことを思い出す。


「こう寒いと、ダンジョンに潜りたくなるね」


 地上から隔離されたダンジョンは、季節関係なく一定の温度で保たれ、居心地がよかった。寒波がくるとダンジョン街の住民までも、地下一階に避難したものだ。


「それ、いいな。ひさしぶりにいくか?」

「冗談だよ、いかない。ぼくにとってダンジョンは聖域だ、冒険者をやめた人間が気軽に行っていい場所じゃないと思っている」

「体はブヨブヨのくせに、頭は固いな。そんな大げさなもんじゃないだろうに」

「ダンジョン管理組合会長の言葉とは思えないな。本当にちゃんとやっていけてるのかい」


 タツカワはニヤリと笑って肩をすくめる。どちらとも取れるリアクションだ。

 昔から、大切なことほどはぐらかそうとする。そういうところは何も変わっていなかった。


「そろそろ戻らないか。こんなとこにいつまでもいたら凍えちまう」

「そうだね、そうしようか――リアラ、またくるよ」


 リアラの墓に別れの挨拶を済ませて、タツカワと二人で宿泊所に戻る。

 扉を開けて広いエントランスに踏み込むと、受付フロントに詰め寄って騒ぎ立てる女性の姿が目に入った。その後ろ姿には見覚えがある。


「エレノアじゃないか。どうしたんだい?」


 強張った顔のまま振り返った姪っ子は、叔父を目にするとわずかに緊張を解いた。


「おじさん、ロックバース教授を至急呼んできて!」

「ロックバースを? いったい何があった?」

「あのミヤって患者さんを、ミスミ先生が勝手に連れて行っちゃった。何をする気かわからないけど、ロックバース教授に止めてもらわないと!」


 ウォルトとタツカワは顔を見合わせて、事態の緊急性を確認する。

 もう不機嫌をぶつけられるなんて小さいことは言っていられない。ウォルトは太った体を弾ませるようにして、大慌てでロックバースの部屋に急ぐのだった。


※※※


「おい、どうなってんだ!」


 いつも以上に険しい顔のロックバースが、手術室に駆け込んできた。少し遅れて――エレノア、タツカワ会長、息を切らしたウォルトの順に入ってくる。


 手術室はたちまち人で溢れ、ベッドに寝かされていたミヤは不安そうに視線を巡らせる。

 すぐさまカンナバリがやさしく語りかけて、動揺した気持ちを落ち着かせていた。その隣では、シフルーシュが真剣な表情で少女の下っ腹に手を添えている。


「患者を勝手に連れ出して、お前は何を考えている!」


 ロックバースが荒げた声を放ったのは、部屋の隅で手術道具を揃えていたミスミに向かってだ。

 手術衣に身を包んだミスミは、苦笑を浮かべて小さく首をかしげた。


「一応、勝手というわけではないんですがね」


 ちらりとティオに目をやった――正確には、ティオの背後で縮こまって隠れている医術者にだ。

 医術者ギルドの入院部屋に泊まっていたミヤを、ギルドの了承なく連れ出すのは難しい。運よく協力者をえられなければ、できなかったことだろう。

 偶然居合わせたティオの先輩にあたるセント・パイルを強引に巻き込んで、ミヤの転院を略式ながら認めさせたのだ。

 なりゆきで手伝わされた結果、医術者のトップににらまれることになったセントには申し訳ないと思う。だが、これは少女を救うために必要なことだった。


「お嬢ちゃん、どういうことなんだ?」と、タツカワはティオをつかまえて言った。ミスミ本人に問いただすよりも、こちらのほうが早いと判断したのだろう。

「実は、わたしもまだ説明を受けていないんですよ……」


 困り顔でティオが答える。その姿を横目に見て、頬をゆるませたミスミは、一呼吸置いてから改めてロックバースと向き合う。


「あれから、いろいろ考えたんです。どうにも腑に落ちない点があって、何か見落としがあるんじゃないかと思いましてね」

「見落としだと?」


 ロックバースの表情に、わずかだが興味の色が混じる。


「ええ、彼女が寄生虫にむしばまれているのは間違いありません。でも、それを考慮すると現状に疑問が残るんですよ」

「ほう、くわしく説明してもらおうか」


 到着した頃の勢いはすっかり消え、ロックバースは手近のイスに腰を下ろして話を聞く態勢に入った。

 ミヤを連れ出したことはうやむやとなり、セントはこっそりと安堵の息をもらす。


「まず気になったのは、身近に似た症状の人がいないということ。同じ生活環境にいて、彼女だけが寄生虫の被害に遭っているとは考えづらい。おそらく多かれ少なかれ、村に寄生虫被害はあったんじゃないかと思うんですよ。それなのに、寄生虫に対する薬剤が常備されていないのは、健康被害が起きるほどの症状が出なかったからだと考えました。人体に入っても無害とまでは言いませんが、劇的な病因となるタイプの寄生虫ではなかったんでしょう」


 ティオが遠慮がちに口をはさむ。


「では、寄生虫が原因というわけではないのですか?」

「うーん、そこは難しいところなんだよな。そうだとも言えるし、違うとも言える」


 この曖昧な言い回しに、一同怪訝そうに眉をひそめる。そのなかでも、もっとも強く反応したのは、医療とは無関係のタツカワだった。


「つまり、どういうことなんだ?」


 ミスミはボサボサ頭をかきながら、ベッドに寝かされたミヤを見る。かたわらについたシフルーシュは、まだ下っ腹に手を添えていた。


「彼女の身に起きた症状のなかで、もう一点気になったのが便秘です。さっき聞いたところによると、排泄は相変わらず滞っているそうですよ。処方した虫下しには、下剤が入っているというのに」


 下剤の強さにもよるが、まったく効果がないというのは不自然である。重い便秘の場合、薬効が通じないということもありえないわけではないが、寄生虫が起因となった症状ならば多少なりとも効果はあるはずなのだ。

 そもそも便秘と一口に言っても、さまざまな形態があって状態を見極めるのは難しい。ただ確実なのは、人体の構造上通り道は一本しかないということだ。


「便秘の原因を考えて、思い至ったのがイレウス――腸閉塞です。なんらかの理由で腸管が詰まり、排便を阻害している。腹が張っているのは、そのためでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってください。つまり彼女は、他の病気も併発していたってことですか?!」


 驚きで目をむいたティオは、理由を知りたいあまりにまるで突進するように迫ってきた。

 一瞬ギョッとして焦りをにじませたミスミだが、すぐに鼻のつけ根にしわを寄せた面倒そうな表情を浮かべる。


「そうだとも言えるし、違うとも言える」

「またそれですか。ちゃんと説明してください!」


 ツバを飛ばして、ティオが厳しく問い詰める。つねに熱心なティオであるが、今日はやけに積極的だ。

 医術界の名士であるロックバースの目を気にしているのだろうかと、ちらりと考える。


「だから、腸閉塞にも種類はあるわけだが、この子の場合は腸管に異物が詰まっている状態なんだ。その異物というのは――」

「寄生虫か」


 これまで黙して話を聞いていたロックバースが、ぽつりと言った。


「そうです。そう考えるとつじつまが合う」


 ロックバースはしきりに首をさすりながら、小さなうなり声をもらした。険しい表情に変わりはないが、まとった雰囲気に微妙な変化を感じる。

 それが、どのような感情によって引き起こされたものか、ミスミはまるでわからなかった。


「治療はどうする。回復魔法では寄生虫の駆除はできないぞ」

「外科手術で取り除きたいと思っています。幸いにも今日は医術者が揃っているので、開腹後の処置も問題はないでしょう」


 ティオにセント、エレノア、それにロックバースもいる。切開部の再生も、活性化魔法による感染症対策も安心して任せられた。


「簡単に言ってくれる。回復魔法は万能ではないのだぞ。腸内の詰まりを見つけ出すのに、時間がかかればその分患者の負担は大きくなる。回復魔法の限界値を超えるかもしれん」

「その点は大丈夫です。これを使って、事前に詰まった場所を見つけ出します」


 ミスミが取り出したのは、“豆”だ。農家から送られてきて、まだまだ大量に残っているナマの豆粒である。

 ロックバースは思わず表情を崩して、不可解そうにミスミを見た。


「ナマの植物には、生命力が宿っているそうです。俺はまったく感じられませんが、精霊と交信できるエルフはそれを感じ取れるらしいんですよ。先ほど豆を食べてもらって、そこにいるエルフのシフルーシュに追跡してもらっています。豆がたどり着いた行き止まりが、詰まった箇所だと判明する。場所さえわかれば最小限の切開で済みます」


 腹痛に苦しむミヤはここ数日間ほぼ絶食状態で、胃袋は空っぽ。胃の内容物による阻害がないので、多少胃液で溶けようとも追跡は可能だとシフルーシュは自信満々だった。

 少し時間はかかるが、この豆を使った内視鏡もどきならピンポイントで患部を見つけ出すことができる。


「あと問題があるとするなら……」ミスミは少し逡巡するふりをして、ロックバースに視線を送った。「この子の主治医が、治療を許可してくれるかどうか」


 許可などなくとも治療するつもりだった。しかし、当人が出向いてきたのなら、聞かないわけにはいかない。

 昨日醜態をさらした分、ちょっとした雪辱をはたしたい――そんな気持ちもあったことは確かただ。


「……俺を試そうと言うのか」

「そう取ってもらってもかまいません」


 ロックバースは眉を吊り上げるが、それは長時間つづかず、ヘニャリと一気に垂れ下がる。その顔から険しさが薄れて、次第に破顔していった。

 はじめて純粋な笑顔を見せてくれた。普段の面差しからは想像できない、毒気のないやわらかな笑顔だった。


「いいだろう、ミスミ・アキオ。すべて、お前に任せよう。今日の俺はお前の助手だ、一番近くで力量を見せてもらうぞ」


 ほどなくして、豆を追跡していたシフルーシュが弾んだ声を上げる。


「ミスミ、行き止まりに着いた!」

「よし、手術準備に取りかかろう。シフル、もう一踏ん張り頼むぞ」


 看護師カンナバリ指示の元、テキパキと手術の用意が整えられていく。ティオやノンだけでなく、セントにエレノア、ロックバースさえも素直にしたがっていた。

 真新しい特製手袋をはめたミスミは、汚染されないように両手を上げた姿勢でベッドに寝かされた患者の脇に立つ。ミヤはすでにマヒ魔法の作用によって、意識を失いつつあった。


「それでは、よろしくお願いします!」


 ロックバースが凝視するなか、開腹手術ははじまった。

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