<3>

 診察室の扉をノックして、カンナバリが顔を覗かせた。


「あのー、ロックバース先生。お客さんがいらっしゃってるんですが」

「おお、来たか。ここに通してくれ」


 やって来たのは医術者ギルドのエレノアと、顔を曇らせた見知らぬ少女だ。少女の淀んだ目は、動揺によって小刻みに震えている。なんらかの病が巣食っているのか、下っ腹に手を添えて前屈みになって歩いていた。

 ティオはすぐさま少女にイスをゆずり、肩をつかんで座らせた。手のひらに彼女の体温が伝わり、じっとり汗ばんでいることを知った。


「エレノア、この子は?」


 医術者ギルドの後輩にたずねたのだが、返事をしたのはロックバースだった。


「ダンジョン街に来る途中に立ち寄った村で、病魔に苦しんでいた少女だ。えっと、名前は――」

「ミヤちゃんだよ」と、おぼえていなかったロックバースに代わって、ウォルトが答える。

「そう、それだ。ミヤだ。ミヤの両親に頼まれて、有効な薬剤の揃っているダンジョン街まで連れて来た。どうだ、キミが診察してくれないか」


 わざとらしく“先生”を強調して、ロックバースは話を持ちかける。

 ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、不信感をあらわにした。


「ロックバース先生がいらっしゃるのに、俺がですか? 大体治療に有効な薬剤がわかっているなら、診察の必要はないでしょ」

「誤診という可能性もある。キミの診断を是非知りたい」

「俺を試そうと言うんですか……」

「そう取ってもらってもかまわない。キミの診察に興味があるのは確かだ」


 ミスミは不服そうにしながらも、ちらりと青い顔をした少女ミヤに目をやり、覚悟を決めたようだ。イスをずらして、彼女と正面から向き合う。

 ミヤの色を失った唇がかすかに震えて、不安げな眼差しはエレノアからロックバース、そしてミスミに移っていった。


「大丈夫か。どんな調子なんだ?」


 ロックバースの目があるからか、ミスミの声色はいつもよりもやさしい。


「お腹が……痛いです」

「お腹? 食当たりというわけじゃないよな?」

「わかりません」


 ミスミはボサボサ頭をかいて、わずかに逡巡した。

 見慣れた診察中の背中が、少し緊張しているように見えたのは気のせいではないだろう。なんだかティオも緊張がうつり、無意識のうちに肩に力が入る。


「さわらせてもらうぞ。痛かったら言ってくれ」手を鳩尾みぞおちに押し当て、ゆっくりと下げていく。「下っ腹が張ってるな。ガスが溜まっているのか?」


 後半は症状を確認するための独り言だ。ブツブツとつぶやきながら、症例を検討していく。


「腹痛の他に、何かおかしな点はあるかな?」

「おかしい……と言われても、よくわからないけど、吐き気がして熱っぽくて、あとベン――」


 ミヤはここで一旦区切る。唇を噛んで、顔を伏せてしまった。

 痛みがもたらした絶句というわけではないようだ。内ももをモゾモゾと動かしているところを見ると、どうやら羞恥によって言葉がつづかなかったらしい。

 急かすことなく待ちつづけるミスミに根負けしたようで、ミヤは小さな声で言った。


「あと、便秘です」

「便秘か、そいつは苦しいな。いつ頃から出ていないんだ?」

「五日くらい――だと思います」


 病気が起因する便秘と断定するには微妙なラインだった。便秘がちな体質なら、平時でもありえる日数だ。ちなみに便秘症のティオは、最長二週間出なかったことがある。


「あの、ミスミ先生。便秘なら活性化魔法である程度解消できますよ。やりましょうか?」


 便秘になったと思ったら、ティオが実践している解消法だ。活性化魔法をおぼえてからは、おかげで苦しむ日数が格段に短くなった。ただし、あまりやりすぎてしまうと、今度は下痢になってしまうリスクもあった。


「診察が終わってから頼む。とりあえず、いまは他の原因を探ってみるよ」


 ミスミはさらに質問を重ねて、前段階として胃痛や咳が止まらなかった時期があったことを聞き出す。これで、ミヤが経験した症状はあらかた出揃ったようだ。

 だが、まだ原因のとっかかりさえつかめていない。鼻のつけ根のしわが、深い溝を作っていた。


「家族や近所の人に、似たような症状が出たことはないか?」

「体調を崩すと、大体こんな感じですけど。でも、あんまり長引くことはないかも……」


 ミスミは小さなうなり声をもらす。ミヤが口にした症状は、ちょっとした体調の変化で起きる、よくある症状なのだ。他に明確な問題点があれば、解明の糸口となるだろうが、現状の材料だけでは特定するのは難しかった。

 しかし、同じ話を聞いて、ミスミよりも先に病気を察した人物がいる。


「あっ!」と、大きな声を発したのはウォルトだ。どこか得意げな顔で、ロックバースに耳打ちして答え合わせをする。

「まあ、そうだな。俺も同じ判断だ。魔術師に鞍替えしたとはいえ、さすが医術者一家に生まれただけはある」


 言葉だけを聞くと評価しているふうだが、険しい顔のロックバースの口調は心底つまらなそうだった。

 それが気にくわなかったようで、ウォルトはたるんだ頬を紅潮させて不満を浮かべる。


「キミは本当に意地悪なヤツだな。あの村の様子がわからないと、ミスミくんが気づくのは難しいぞ」

「そうか? そうでもないだろ」

「あの、それはどういうことですかね」


 ロックバースに反発したウォルトは、反動でミスミに肩入れする。


「ミヤちゃんが暮らしていた村はね、本当に田舎の村なんだ。農作と畜産で生計を立てる、小さな村。医術者はいないし、薬屋もない。教育機関ももちろん存在しない」


 ウォルトの語る村の姿は、けなしているように聞こえるほど徹底してであることを強調していた。

 これまで聞いた症状と生活環境を組み合わせて、ミスミは真剣に考えている。


「胃炎や腸炎といった感じじゃない。盲腸炎とも違う。大腸菌による感染症なら、下痢をともなわなければおかしい。そもそも他に被害者がいないというのが信じがたい――」

「ああ、そっか」


 思わずもれたつぶやきを、ミスミは聞き逃さなかった。瞬間的にギロリと視線を向けてくる。

 ミスミがこぼした言葉を聞いているうちに、ティオもひらめくものがあったのだ。同時に、なぜミスミがその結論に至らないのか理解できない。


「まさか、嬢ちゃんもわかったのか?」

「えっと、たぶん……」


 愕然としたミスミの表情が、ほどなくして、さらに崩れることになる。


「あっ、ひょっとしてアレか?!」


 タツカワ会長まで病気の原因にたどり着いたのだ。ウォルトに耳打ちして答え合わせをし、得意満面の笑顔を浮かべる。

 呆然自失のミスミを見て、ロックバースはため息と共に肩をすくめた。


「タイムアップだな。これ以上つづけても、時間のムダだ」

「な、何が原因なんですか?」


 動揺したミスミが、震える声を絞り出してたずねた。

 ロックバースはさして気にする様子もなく、ぼそりと言った。表情もまるで変わらない。


「寄生虫だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ミスミはヒザに頭突きしそうな勢いで前のめりに沈んでいった。いきなりのことでミヤは目を丸くして驚いている。


「寄生虫」と、声に出して念押しして、ミスミはボサボサ頭を乱暴にかき回す。「そうか、そういうことか。衛生観念の乏しい場所では、まだ寄生虫の危険性が残っているんだ。まるで頭になかった」


 後悔とも自嘲ともつかない理屈を吐き出し、ぐったりと脱力する。だが、ミスミはすぐに体を起こして、不審が宿った視線をロックバースに向けた。


「治療はどうするんですか」

「安心しろ。もう手は打ってある――」


 ロックバースは部屋の隅に控えていたエレノアに目をやった。

 注目が集まったところで、彼女は微笑み、どこか誇らしげに答える。事前に話は通っていたようだ。


「ロックバース教授の指示どおり、薬屋に虫くだしを調合してもらい、もう飲ませてあります」

「効果はいつ頃出るんだ?」と、不審の消えない顔でミスミが問いただす。

「下剤入りなんで、そろそろなんじゃないかと――」


 エレノアの見積もりどおり、ほどなくしてミヤは恥ずかしそうに便意を訴えた。

 ティオが便所に付き添い、長時間かけて排泄を行ったミヤは、入ったときと変わらない苦悶を張りつかせた顔で出てくる。どう見てもスッキリという感じではない。


「ひょっとして出なかった?」

「……ちょっとだけ出ました。白っぽいウネウネしたヤツも、ちょっとだけ出ました」


 思わしくない状況にミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、じっと黙りこくって思案にふけている。


「薬はまだあるんだろ。頃合いを見て、もう一度服用してみろ」


 その言葉はエレノアに向けたものであったが、ロックバースの視線は違う人物に向いていた。ティオだ。

 なぜ自分が見つめられているのか理解できず、ティオはうろたえて顔を伏せる。ちらりと上目遣いに様子を探ると、ロックバースの視線は診察室の扉に移っていた。そして、ふいに足を進めて診察室を出て行ってしまう。


 ミヤに意識が向いて、ロックバースの退室にまだ誰も気づいていなかった。

 慌ててティオは後を追う。もしかしたら、ついてこいという合図だったのだろうか――そんなことを考えながら。

 ロックバースは受付も抜けて、すでに診療所の外に出ていた。ティオも飛び出すと、険しい顔が待ち構えていた。


「あの、どちらに?」


 おそるおそるたずねてみたが、予想していなかった言葉を返される。


「お前は、この街に来てどれくらいになる」

「えっ、わたしですか? わたしは、一年と半年ほどでしょうか」

「ミスミ・アキオに師事して、どれくらいだ」

「……そろそろ一年になります」


 ロックバースが何を言わんとしているのか、ティオにはまったくわからなかった。ただティオの経歴を聞きたかったわけでないことは、おおよそ理解できた。ノドの奥に本題があるにも関わらず、なかなか吐き出せないといった雰囲気だ。

 こちらから問いかけていいものか悩んでいるうちに、ロックバースは頭のなかで自己解決したらしく、ほんの少し表情をゆるめて軽く首を振った。ポキポキと首の関節が音を立てる。


「お前は、ミスミ・アキオのことをどう思っている」

「えっ、どうと言われても――」

「おい、勘違いするなよ。あいつの人間性に興味はない、医者としての技量の話だ」


 見事に勘違いしてしまったティオは、赤面して顔を伏せる。だが、医者としてなら勘違いした題目よりもよっぽど話しやすい。


「ミ、ミスミ先生はすごい人です。わたしには判断できない症状を読み解き、治療法を導き出してくれる。回復魔法を使えないから、自分はヤブ医者だと卑下していますが、回復魔法に劣らない有用な医療知識を持っています。今回は……その、たまたま気づけなかっただけで、本当にすごい人なんです!」


 ティオの熱意に気圧されて、ロックバースはわずかに後ずさった。そんな自分がおかしくなったのか、苦笑を浮かべて鼻を鳴らす。

 ゆるりとミスミ診療所に目を向けて、ロックバースはどこか苛立ちの混じった声で言った。


「あいつの技量を疑ったりしていない。エルフの女王を治療した時点で、あいつは俺よりもすぐれた医療知識を持っているのはわかっていたことだ。今回の診断の鈍さも、俺達には知るよしもない理由があるのだろう。――さっき話した大工も、すぐれた建築知識がありながら、実際に道具を持って作業するとまるで役に立たなかったらしい。その男は、大工ではなくと名乗っていたそうだ。よくわからんが、あいつらには苦手とするものがあるのかもしれん」


 ロックバースは自分なりの解釈を説明してくれた――が、言葉が上滑りして頭に入らない。それよりも、かすかな怒りの気配を感じ取り、そこばかりに意識が向いてしまう。

 おそらくロックバースは悔しいと思っているのではないだろうか。自分が治療できなかった相手を、ミスミが治療したことに。


「ところで、確かティオと言ったな。お前は“名医”とは、どのような存在だと思う?」


 唐突な話の転換に、ティオは戸惑った。何か聞き逃してしまったのではないかと、数秒前の自分自身を疑う。


「えっと、それは……」必死になって絞り出したのは、当たり障りのない答えだった。「誰も治療できなかった難病を、解き明かす人でしょうか」

「違うな。病気を治してくれる者のことだ」


 判断に困る返答に、ティオは困惑する。「それはそうでしょう」と内心思っても、医術者のトップ相手に口答えはできなかった。

 ロックバースは平然と持論を語る。


「患者にとって名医とは、自分の病気を治してくれる者だ。たとえそいつが、何十回何百回と誤診を繰り返すヤブだったとしても、自分を治してくれさえくれれば、名医として感謝してくれる。そんなものだし、それでいいと思っている」


 患者の意見としては納得できる。病気を蹴散らしてさえくれれば、医術者の人格には頓着しない、

 医術者側としては思うところがあっても、患者にとっては結果だけがすべてなのだ。それこそ命に関わるような重篤な症状ならば、何よりも結果が最重要であるのだから。


「数多くの名医を作り出すことが、俺の使命だと思っている。そのために必要なことは、これまでのような医術者の感性に任せた治療ではなく、病気の種類に合わせた明確な治療法の確立だ。病気の仕組みを理解して、適した回復魔法の仕様書を作成すれば、どんなヤブ医術者だろうと名医にすることができるはずなんだ」


 思いもかけない壮大な話に、ティオは息を飲んで驚いた。発想は理解できる――その発想にいたった思考回路は理解できない。

 ロックバースは若い頃から優秀な医術者であったと聞いている。だが、優秀すぎたゆえか前任の教授に疎まれて、才覚がありながらも長い間教授に昇任することができなかったという話だ。これほどの先進的な考えの持ち主なら、古い価値観に捕らわれた前任者には理解できなかったことだろう。


「ティオ、お前は俺の仕事を手伝え」

「えっ、ええっ?!」


 いきなりのことで、ティオは慌てふためきうろたえた。

 医術者としての才能は、お世辞にも高いとは言えないと自分自身でわかっている。人並みには回復魔法を扱えるが、それ以上でも以下でもない。後輩のエレノアのほうが、よほど医術者としては見込みがある。


「わたしには、そんな大それたことは……」

「俺に必要なのは病気の知識だ。お前はミスミ・アキオにひっついて、その知識を誰よりも吸収している。根こそぎ奪って、俺のところに来い。何年かかってもいい、俺が死んじまった後でもいい。いつか魔法学院に戻って、医術者の仕様書を作り上げるんだ」


 あまりにも予想だにしなかった話で、頭がついてこない。

 呆然自失となったティオの肩を、ロックバースは力強く叩いた。その衝撃で、体がピンと伸びる。


 目をそらしたくなるような険しい顔に見つめられて、半ば無意識に頭が下がった。うなずいたように見えただろうか?――ふと、そんな雑念が脳裏をよぎるが、すぐに霧散して意識から消える。ティオは思考を保つことさえ苦労した。

 どうすることが正しいのか、まるでわからない。いまは、何も考えられなかった。

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