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「結構いけるな、これ」


 以前治療した農家から、大量の豆が送られてきた。それをカンナバリが焼いて、塩を振りかけただけの炒り豆をポリポリと食べる。

 甘みの立った豆の風味に、絶妙な塩加減がマッチして手が止まらない。


 ミスミもノンも、ヒマを持て余して診療所に来ていたマイトも、炒り豆を盛った椀に絶えず手を伸ばす。

 唯一不服そうにしていたのは、マイトに付き合って来ていたエルフのシフルーシュだ。一粒口に放り込み、ウッと声をもらして眉をしかめた。


「絶対ナマのほうがおいしい……」


 菜食中心の食生活を送るエルフには、シンプルな炒り豆でさえ好みから外れるようだ。


「本当にエルフってヤツはわがままだねぇ。嫌なら食べなきゃいいのに」


 普段は温厚なドワーフのカンナバリだが、犬猿の仲であるエルフに対してだけは辛らつになる。


「ドワーフみたいにガサツなら、そりゃあ何だっておいしいでしょうね。精細なエルフには、生命力を感じられるナマのほうがいい。バカ舌のドワーフには、言ってもわかんないだろうけど」

「何が繊細だ。エルフの場合は、貧弱って言うんだ。味つけに耐えることのできない弱い舌で、えらそうに語ってんじゃないよ!」


 にらみ合うドワーフとエルフは、いまにつかみかからんばかりの雰囲気だ。


「おい、マイト。二人を止めてこいよ」

「嫌だ、絶対ろくなことにならない。そういうのはヤブ先生がやってくれよ」


 こちらもこちらで小競り合い。ポリポリと豆をかじりながら、制止役を押し付け合う。

 どうにか激突をまぬがれたのは、第三者の介入のおかげだった。来客が訪れたのだ。

 ティオにタツカワ会長という見慣れた顔につづき、見知らぬ二人の男が診療所に入ってきた。その二人を見た瞬間、シフルーシュは「あっ!」と驚きの声を上げて目を見張る。


「やあ、ミラーのとこのお嬢さんじゃないか。ミラーに話は聞いてるよ、冒険者になったんだって」と、太った男が親しげに話しかけた。

「あんたらが、なんでここに……」

「なんでも何も、エルフが街にいることよりも珍しことじゃないだろ」と、険しい顔の男が皮肉を言う。


 どんな関係性がわからず戸惑うミスミ達に、タツカワ会長が二人を紹介した。


「昔の仲間のウォルトと、魔法学院のロックバース教授だ。彼らにエルザの診察を頼んだ」


 真っ先に反応したのは、冒険者のマイトだ。


「ウォルトって、会長とダンジョン制覇した伝説の魔術師?! マジか、すげー!!」


 興奮したマイトは、飛びかかるような勢いでウォルトに迫り、強引に手を取って握手する。ウォルトは若干引き気味ながらも、苦笑を浮かべて応えていた。

 マイトのように表に出すことはないが、ミスミも内心驚いていた。事前にエルザの治療でロックバースが来るとは聞いていたが、まさか出向いてくると思っていなかったのだ。

 ちらりと目をやると、険しい顔が向いていることに気づく。


「お前がミスミ・アキオか?」

「えっ、どうして俺の名前を知ってるんですか……」


 年齢差もあるが、医術界の重鎮だけに貫禄があって、思わずへりくだってしまう。


「エルフのミラーリングが、女王の呪いが解けたことを律儀に報告にきた。そのとき、呪いの正体を突きとめた医者のことを教えてくれたんだ」

「ああ、そういうことですか。あれは、ロックバースさんが残してくれた診察記録のおかげですよ。あなたの細かな診療があって、なおかつ診断の範囲をせばめてくれたから、どうにか察知することができた」

「謙遜するな、あれはキミの手柄だ。病の実態に、俺は最後まで気づけなかった。そこでだ――」


 ロックバースの険しい顔に、フッとやわらかなものが混じる。面立ちに穏やかさが宿ったというのに、ミスミはむしろ緊張感が増した。

 正直に言えば、苦手なタイプだった。どことなくダンジョン街の裏の顔役であるロウ・ジンエと通ずるものを感じた。


「すぐれた医療知識を持つキミに、診断の意見を聞きたい。協力してくれるな?」

「そういうことなら、まあ……」


 ミスミは関係者を診察室に招く。エルザの容態については機密事項ということで、診療所の看護師二人と冒険者二人はタツカワが同席を許さなかった。


「さて、それじゃあ話をきかせてもらおうか」


 イスが足りなかったので、診察室のベッドに腰を下ろしたタツカワ会長がまず切り出す。

 ウォルトが落ち着かない様子で、ロックバースの出方をうかがっていた。


「端的に言うと、あれは魔法が起因した症状――だろうな。普通の病気とはまったく違う。どちらかと言えば、対応は医術者ではなく魔術師の領分かもしれん」

「魔法を取り除けば、彼女を救われるってことか?」


 タツカワ会長は思わず身を乗り出す。しかし、そう簡単な話ではない。


「いや、残念ながらそういうことでもない。むしろ魔法のおかげで生きながらえている状態だ。報告書にもあったが、魔力と血液を結合して強制的に循環させることで体を動かしている。もし彼女から魔法の効果を解除すれば、たちまち完全な死体となってしまうだろうな」


 エルザの状態は、予想どおりではあった。初診の方向性は間違っていなかったということだ。

 だが、確証が取れたことで、新たな疑問がわいてくる。


「あの、魔法にうといんでよくわからないんですが、ようするにエルザは魔法で延命している状態なんですよね。誰がなんのために、そんなことをしてるんですかね」

「それだよ、それ!」すかさずタツカワ会長が同調する。「ウォルト、お前言ってたよな。上級層のモンスターの仕業だって。あいつらがこんなことをして、なんの意味があるってんだ?」


 いきなり切り込まれてうろたえたウォルトであったが、小さな咳払いをはさむことで仕切り直し、落ち着いた声色で推察を語る。


犯人モンスターが見つからないことには、ハッキリとしたことは言えないけど、一つ思いついたことがある――“禁呪”だ」

「き、禁呪?!」


 よほど思いがけない言葉だったのか、ティオは上ずった声で繰り返した。口にしたあと、注目が集まったことに気づき、真っ赤に染まった顔を伏せる。

 ウォルトは頬をたるませて苦笑しながら、話をつづけた。


「説明不要とは思うけど――伝承やら過去の文献なんかに出てくる、禁じられた魔法を“禁呪”と言う。まあ、大体が話を盛っていたり実在しない魔法だったりするんだけど、すべてがデタラメとも言いきれないというのが魔法学院魔術科の見解だ。その禁呪のなかに、死体を操る魔法というものがある。どんな手法が使われているかは解明されていないが、彼女の状態は、それと近い魔法の効果によるものなんじゃないかって、ちょっと思った」


 この意見に疑問を呈したのは、意外なことに同僚のロックバースだった。険しい顔でアゴをなでながら口をはさむ。


「あの患者には自我があるという話だぞ。禁呪とは系統が違うんじゃないか」

「うーん、それは考え方次第じゃないかな。ロックバース、もしキミが死体を操るとしたら、どんな方法を使う?」

「そんなのわかるわけないだろ。考えたこともない」


 ウォルトは脂肪の塊のよう肩をすくめて、大げさに残念がってみせた。ロックバースはあからさまに苛立っている。


「いいから、さっさと説明しろ!」

「本当にせっかちだな、キミは。――いいかい、死体を操るといっても、操り人形のように魔法の糸で操作するのは現実的ではないんだ。もちろん突き詰めれば不可能ではないと思うが、死体を自立させて動かすのは手間がかかりすぎる。そこで、どんなふうに操るのが効率的か考えると、運動機能を維持した死体――つまり生ける屍リビング・デッド状態にして、精神支配するのが順当な方法なんじゃないかと思う。彼女の場合は、生ける屍リビング・デッド状態となったあと、本来行われるはずだった精神支配がなんらかの理由で中断したんじゃないかな」


 難しい顔をしたタツカワが、首をひねりながら口をはさんだ。


「なあ、一ついいか。精神支配ってやつで操れるなら、わざわざ殺す必要はないんじゃねえか?」

「それは、医術的に説明できる」ウォルトを制して、答えたのはロックバースだ。「精神に関与する魔法の抵抗力は、健康状態が反映されると検証されているんだ。肉体が弱まると精神的に不安定になることがあるのと同じように、精神に関与する魔法も効きやすくなる。生ける屍リビング・デッドなら、抵抗力はかぎりなく低いはずだ」


 健康状態が心理に影響を及ぼすのは知るところであったが、魔法の効果にも影響があるとは考えてもみなかった。元々魔法に縁遠い医者には、まったく未知の領域だ。

 ミスミは接合性を取ろうと頭を巡らし、無意識に小さなうなり声をもらした。ほぼ同じタイミングで、別の場所からもうなり声が聞こえる。それは、魔法に精通してミスミとは比べ物にならない理解度があるはずの医術者がこぼしたものだった。


「しかし、本当にウォルトの考察は正しいのか? そこがズレていたら話にならんぞ」

「絶対とは言わないよ。でも、他に考えられる理由が思い浮かばない――」


 納得できないのかロックバースは、ウォルトの見解の正当性を検討しようとする。細かな問題点を指摘して、負けじとウォルトは抗弁していた。

 そんな二人の議論を聞きながら、ティオは何度も口を開いていた。何か言おうとして、そのつど遠慮がノドを塞いでいるようだ。


 ミスミはそっと背中を叩くことで、ノドのつっかえを外してやる。

 ちらりとミスミを見て、ティオは覚悟を決めた。医術者と冒険者の大先輩の会話に、声を震わせて割って入る。


「あの――」

 向けられた二人の視線に一瞬怯むが、勇気を振り絞ってティオはつづけた。

「重要なのは、エルザの容態ではないでしょうか。どうすれば彼女を助けられるのか、その方法を教えてください!」


 ロックバースはウォルトと顔を見合わせて、わずかに陰りのよぎった目を足下に落とした。顔の角度が下がったことで、眉間の隆起が一層際立つ。

 何も言わずとも、雰囲気で答えを察する。彼自身も通じていると理解していながら、それでもなお、きちんと言葉にした。


「いいかい、嬢ちゃん。死んだ人間を生き返らせることは絶対にできない。絶対にだ」

「……ロックバース先生でもムリですか?」

「当たり前だ、俺は死を覆せるような名医じゃない。魔力による血液循環法を解明すれば延命はできるかもしれないが、現状では、それも難しいだろうな。嬢ちゃんが書き記した診察記録にもあったように、患者の状態は日に日に悪化している。血液と結合した魔力が弱まっている証拠だ。魔力が尽きる前に血液循環法を解明し、実践できるように調整するには、あまりにも時間が足りない」


 担当医としてもっとも近くで接してきたティオが、一番わかっていたはずだ。それでも、すがったのは諦めきれなかったのだろう。

 ハッキリと明言されたことで、ティオは涙目で唇を噛みしめ、タツカワ会長は苦い顔で天を仰いだ。


「彼女に……告知すべきでしょうか」

「それは担当医が決めることだ。俺がとやかく言うことじゃない。だが、言わなかったとしても、すぐにわかることだぞ」


 エルザは腎臓の機能が低下して、老廃物の排出が困難になっていた。完全に意識がついえるのはまだ先かもしれないが、運動機能が衰えて行動に支障が出るのは遠くない時期であることは明確だ。

 目元を拭ったティオは、震える手を握り込んで押し黙る。頭の中で、必死に今後の対応を考えているのだろう。甘いところも多分にあるが、ティオもいっぱしの医術者なのだ。


「ミスミ・アキオ、キミはどう思う」

「俺ですか?」

「別の場所から来たキミなら、我々とは違うアプローチで患者を救うことができるんじゃないか」


 予想だにしなかった言葉に、ミスミは飛び上がりそうになった。“別の場所”という意味深な言い回しは、ミスミの事情を知っていなければ出てこない言葉だ。

 タツカワ会長も驚きを顔に張りつかせている。自分のことで手一杯で、ティオが聞いていなかったのは幸いと言えるだろうか。


「そんなに驚くことはないだろ。表立って公表されていないので知る者は少ないが、キミやタツカワ会長のような人間はまれにあらわれて、世界に多大な影響を与えている。そうだな、たとえば――」


 ロックバースは、つと天井を見上げた。つられてミスミも天井を見る。

 そこにあるのは、もちろんなんの変哲もない天井だ。特別なものは何も見いだせない。


「これが何か?」

「約百年前に突然あらわれた大工が、この世界の建築様式に革命をもたらしたそうだ。彼の登場前と後で、建築方法はガラリと変わったと聞く。もし古い建物に行く機会があったら、造りの違いを確かめてみるといい」


 建築に見識がないミスミは、きっと実際違いを比べてもよくわからないことだろう。

 自分と同じような境遇の存在がいることには、さしたる驚きはなかった。タツカワ会長と巡り会えたことで、ある程度推察できていた。


「俺としては、大工やダンジョンを踏破したタツカワ会長のように、キミも医術に変革をもたらしてくれると期待しているんだがな」


 どこまで本気かわからない物言いで、ロックバースはさらりと告げる。


「それは……買いかぶりすぎですよ。俺は、ただのヤブ医者です」

「そう思っているのは、キミだけなんじゃないか――」


 まっすぐ向けられた視線から、ミスミはさりげなく逃げる。

 やはり、ロックバースは苦手だと思った。彼と話していると、まるで試されているような気持ちになる。

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