<3>
冷たい水で顔を洗い心持ち酔いをさましてから、ミスミは診療室のイスに座ったグンジと向き合う。
「診察をするから、頭を見せろ」
「えっ、いやぁ、それはちょっと――」
ハゲ頭をさらすのに抵抗があるのか、巨体を大きく反ってグンジは拒絶する。目深にかぶったフードの奥で、顔を強張らせているのがわかった。
「いいから、ミスミ先生の言うとおりにするんだ」
「……わかったよ、ダットンのアニキ」
ダットンが強い口調で命じると、しぶしぶ従った。こんなにも頼りになるダットンを見たのははじめてだ。
グンジはためらいがちにフードを払う。あらわになった頭は、脱毛によって地肌が透けて見え、かろうじて残った毛髪が頭部の台地に縞模様を描いていた。
多発型の円形脱毛症とも違う、奇妙な状態だ。あえて例えるとするなら、放射線治療で引き起こされる脱毛の副作用が近いように思える。
「髪以外に、何か体に違和感はないか。ちょっとしたことでもいいから、思い当たるものを教えてくれ?」
「そんなこと言われてもなぁ」グンジは困り顔で首をかしげた。「別に体調が悪いなんてことはないぞ。俺は病気じゃない」
脱毛を起こす病気として考えられるのは、ホルモンの異常や皮膚病、アレルギー、ストレスなどだ。他にも原因となる病気は存在するかもしれないが、専門医ではないミスミには識別することができなかった。
「自覚症状がないだけかもしれない。とにかく調べてみよう」
くわしく診察するために上着を脱がせると、いたるところにタトゥーの彫られた筋骨隆々の肉体があらわれた。身動きするたびにコブのような筋肉が盛り上がり、太い血管が浮き上がる。
褐色の肌はうっすらと汗をかき、添えた指先に火照りを感じた。アルコールによってもたらされた微熱だと思うが、現状においてはまだ判断できない。
ミスミは丁寧に診断を重ねて、悩みながら結論を出した。
「おかしい。これといって異常は見られない」
「ッだろ。俺は病気じゃない!」
「それは喜ぶことなのか? 病気じゃないってことは、ハゲは治らないってことだぞ」
そこまで思い至っていなかったらしく、グンジは破顔から一変して顔を曇らせる。
ミスミは短く息をついて、ボサボサ頭をかく――が、慌てて指を引きはがした。こんなことで、大事な髪が抜けてしまってはたまらない。
「明日にでも改めて診察するか。酔っ払って見落としているところがあるかもしれない」
「それで本当にハゲが治るってんなら、やってもいいけどよぉ……」
信じられないのか、グンジは不服そうに眉を下げる。左目周辺に施されたタトゥーが、表情の変化にともない形を変えた。
その顔をぼんやり見ていて、ふと昔聞いた話を思い出す。
「ちょっと口を開けろ!」
ミスミが太いアゴをつかむと、グンジは仰天しながらも素直に大きく口を開けた。
キラリと輝くものが口腔に突き出ている。頬から貫通したピアスの端だ。
「もしかしたら――」
周囲を見回し、この検証に使えそうなモノはないか探す。ミスミは手術器具を保管した箱から、試験に都合のいいナイフを取り出した。手術用に研いでもらった、持ち手の部分も一体化した金属製のナイフだ。
「おい、何をする気だ。まさか、それで切ろうってんじゃないだろうな!」
「切りはしない。置くだけだ」
「ハア? 置く?」
タトゥーが彫られていないグンジの前腕内側に、ナイフを置く。文字通り、ただ置いただけだ。
「しばらくジッとしてろよ。ナイフを絶対に落とすんじゃないぞ」
意図が通じず怪訝そうな顔をしながらも、ダットンの目があるからかグンジはおとなしく従った。時間にして五分ほど、無言でナイフを落とさないように体勢を維持しつづける。
そろそろ頃合いだろうか――ミスミはナイフをそっと取り除く。
「あっ!?」と声を上げて、ダットンはぐいっと顔を寄せた。「これって、跡が……」
濃い肌の色合いでわかりづらいが、うっすらと置かれていたナイフの形に赤い跡が残っている。
グンジは目を瞬かせて、この不思議な現象に戸惑っていた。
「こ、これは?」
「金属アレルギーだ。ピアスをつけてかゆくなったりはしなかったか」
「少し……かゆいときはある。でも、ガマンできないほどじゃない」
「皮膚疾患の耐性があったとしても、口内から侵入した分は耐えられなかったのかもな」
グンジはハッとして、頬のピアスにふれた。太い指が動揺で小刻みに震えている。
「これは、村を出るとき妹から餞別でもらったものなんだ」
「だったら、大事にしまっておくといい。何も身につけておくことだけが、想いに応える行為というわけじゃない」
肩をもむようにつかんで、ダットンが深くうなずく。まるで歴戦の冒険者を思わせる貫禄をまとっている。いつも酔っていればいいのに――と、ミスミはちょっぴり思った。
「ピアスを外せば、ハゲは治るのか?」
「俺も金属アレルギーによって脱毛を引き起こす症状があるって話を聞いたことがあるだけで、断言できるほど事情に精通しているわけじゃない。でも、試してみる価値はあるんじゃないか。ただピアスを外すだけなんだ、怪しい研究所に行くより楽なもんだろ」
グンジは視線を泳がせて逡巡した末に、ピアスの留め金に手をかけるのだった。
※※※
ピアスを外した効果は、てきめんだった。
一週間もしないうちにグンジの頭はうっすらと毛が生えて、髪を刈り揃えると違和感はなくなった。金属アレルギーが脱毛の原因であったことは、もう疑う余地はない。
「髪が戻ったのは、先生とダットンのアニキのおかげだ。パーティも無事組むことができて、ようやくダンジョンに潜れる」
グンジは心底うれしそうに言った。問題があるとすれば、金属製の武器を携帯することができないことだろうが、木製の棍棒をたずさえてあまり気にした様子はない。
将来的には悩むこととなるかもしれないが、まだ初級の段階では不安視するほどのものではないのだろう。
「よ、よかった、ですね、みミスミ先生……」
「ああ、そうだな……」
ちなみに、『クリステ毛髪研究所』の怪しい一団は、その日のうちにダンジョン街から姿を消していた。
タツカワ会長に調べてもらったところによると、各地を回り薄毛に悩む人々を騙して金銭を奪うサギ師グループだったらしい。人の弱みにつけ込むけしからん連中で、早く捕まってほしいと切に思う。
「とりあえず、グンジの問題は解決したけど、こっちは……」
「で、ですね……」
ミスミは、ちらりとダットンの頭に目をやる。ほぼ同時に、ダットンもミスミの頭に目を向けていた。
視線がかち合い、ため息がもれる。
「これから注文した海藻が届いてないか薬屋に行こうと思うんだけど、ダットンも来るか?」
「ハイ、お供します」
二人並び、肩を落として診療所を出ていく。その姿に、疑念の声がこぼれていた。
「あの二人、いつの間に仲良くなったんでしょう」と、事情を知るよしもないティオが言った。
「さあ、同病相憐れむってやつですかね」
カンナバリの鋭すぎてバッサリ切れそうな発言から、半ば駆け出すように逃げる。
「待ってくれよ、ダットンのアニキ。どこに行くのか知らねえが、俺も行くぞ!」
診療所を飛び出した二人を、グンジが追いかけてきた。
木枯らしが吹きつけて、寒さに弱い南方出身の大男は身を縮めている。だが、もう以前のようにフードをかぶることはない。冷たい風が沁みる心配は、もうないのだから。
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