<2>

 光源を落とした薄暗い店内には、長テーブルの簡素な受付がポツンと置かれていた。

 見るからにうさんくさい痩身の男が、ダットンとミスミに目を向けて、こっちに来いとアゴをしゃくる。


「あんたらも、ここに記帳してくれ」


 先に入った大男が、テーブルに置かれた帳面に背を丸めてペンを走らせていた。暗がりであったが、ペンを持つ手から褐色の肌をしていることを確認できた。ダンジョン街では珍しい、温暖な南方の出身者らしい。


「とりあえず見学して、治療を受けるかは慎重に考えたいんだが、いいかな?」

「ああ、かまわないよ。うちの先生は器量の大きい人だ、たとえ途中で帰ったって文句は言わないさ」

「へえ、そいつはありがたい――」


 言葉とは裏腹にありがたさをまったく感じない声を発し、ミスミは大男と入れ替わり記帳する。


「ほら、ダットンの番だ。書いとけよ」


 その意味ありげなセリフが、何を指しているかはすぐに判明した。帳面に目を落とすと、名前・年齢・住所・職業の記入欄があった。ミスミはそのすべてにデタラメを書いていたのだ。まだ信用するなということなのだろう。


 何気なく、ちらりと大男の記入を見てみる。彼の名はグンジ、職業は冒険者となっていた。デタラメでないなら、同業者ということだ。


 記帳を終えると、三人揃って分厚い垂れ幕で塞がれていた奥の部屋に通される。

 こちらは窓があって陽射しが差し込む明るい部屋だった。木製の造りの荒いイスが並び、部屋の際が一段高い壇となっている。

 遅れてもう一人――ツルツル頭の男が入ってきたところで、受付の男がひょっこり顔を出す。


「じゃあ、クリステ毛髪研究所の薄毛改善講義をはじめる。先生に失礼ないようにしろよ」


 受付が引っ込むと同時に、その“先生”が入ってきた。長いヒゲをたくわえた男だ。毛髪研究所の先生を名乗っているだけあって、髪もフサフサだ。

 ヒゲが目につくのでわかりづらいが、顔立ちを見ていると意外と若いように思える。発する声からも老いは感じない。


「みなさん、よくいらっしゃいました。私はリープ、魔法学院の医術科で長年髪の研究をしていた元教授です。みなさんの髪の悩みの解決を手助けできればと願って、当研究所を設立しました。どうか、以後お見知りおきを――」


 冒険者薄毛ネットワークで聞いたところによると、研究所が開業したのは約一カ月前。当初は誰もがいぶかしんでいたが、ひやかし半分で見学に行った薄毛冒険者がリープの手腕に感激し、話を広めていったことでダットンの耳にも届いた。


 一応ネットワークの一員ではあるが、コミュニケーション能力に問題を抱えるダットンに話が回ってきたのは、かなり後のほうだ。現在この場にダットンとミスミを含めて四人しかいないのは、すでに多くの冒険者が受講済みだからだろう。


「えー、魔法学院での毛髪研究の歴史は古く、魔法学院が設立された当初からつづけられていると言われています。伝統のある研究で、私は主席研究員として勤めてきました。

あのロックバース・ケイランとも机を並べて、共に医術の発展に尽くしてきたのです。彼とは年は離れていますが、ある意味ライバルとして切磋琢磨してきた仲で――」


 うさんくさい自慢話で構成された前置きが長々とつづく。

 なかなか本題がはじまらないことに、大男グンジはいらつき激しい貧乏ゆすりを繰り出していた。ガタガタと床板がゆれて、距離を置いたダットンのところにまで振動が伝わってくる。

 その様子を見て、リープは慌てて咳払いをし、前置きを中断した。ようやく本題に入る気になったようだ。


「えー、私が行う薄毛治療は活性化魔法の応用です。独自に開発した魔法を頭部に照射することで、枯れた毛根を刺激して髪の復活を後押しします。効果には個人差がありますが、継続的な治療で必ず生えてきます!」

「本当かよ、信じられねえ」


 牽制するように低い声を発したグンジの意見はもっともだ。耳障りのいい言葉を簡単に信じる薄毛はいない。


「そうですか、言葉だけでは納得してもらえませんか。では、実演してみましょう。効果には個人差がありますが、とにかく試してみようじゃないですか」


 リープは四人の顔を見回して、一所で目を止める。最後に入ってきたツルツル頭の男だ。

 彼を手招きして、壇上に呼ぶ。男は戸惑う素振りを見せはしたが、素直に従った。


「それでは、実演します。効果には個人差があります、その点をご理解ください」


 リープは口の中で呪文をつぶやき、ハゲ頭に手を添えた。

 時間は、ほとんどかからなかった。なでるように手が通った箇所に、短い毛がびっしりと生えていたのだ。


「うおっ、生えてる!」と、元ツルツル頭が強張った声を上げる。


 ミスミは目を丸くして身を乗り出し、グンジはイスが倒れるほどの勢いで立ち上がっていた。ダットンも驚きを隠せない――が、その驚きは彼ら二人とは別のものであったことだろう。


 ダットンは話すのが苦手で、自分から主張することはめったになかった。だが、今回だけは燃えるような使命感によって、普段は出せない大声を張り上げる。


「イ、イカサマだ!」


 思いもかけない大声に、ミスミはイスからずり落ちそうになるくらい体を反らしていた。背もたれにしがみついて、どうにか耐えている。


「……おい、どういうことだ?」

「あ、あれは、活性化魔法じゃ、ない。ささ再生魔法です」


 リープと、元ツルツル頭が青ざめる。おそらく二人はグルなのだろう。


「再生魔法ってことは、元々あったモノを再生してるってことか? そいつはハゲてるわけじゃなく、剃ってハゲを装っていた。それを再生して、毛がはえたように偽装したのか?」


 さすがにミスミは察しがよく、説明の手間がはぶけた。

 ダットンは何度もうなずいて、肯定の意を伝える。「効果には個人差があります」を強調していたのは、結果をすぐに求めないようにするための暗示だったのだろう。


「それは、確かなのか?」

「は、はい、ティオさんの魔法を、いつ、いつも見ているから、間違いないです。活性化魔法じゃない、さ再生魔法だった」


 その言葉にもっとも強く反応したのは、大男グンジだった。フード越しでも怒りに燃えているのが感じ取れる。

 勢いよく床を蹴りイスを飛び越えたグンジは、一直線にリープに迫り、首をつかんで壁に押しつけた。ノドを絞められたリープは、顔を真っ赤にしてもがき苦しんでいる。


「てめぇ、俺を騙そうとしたのか!」

「おい、待て。死んじまうぞ!!」


 慌ててミスミが止めに入った。グンジの巨体はびくともしなかったが、身にまとったモノはそうもいかない。

 反射的につかんだ外套を引っ張ったことで、目深にかぶっていたフードがズレる。


 褐色の肌をした想像通り厳めしい顔があらわになった。左目を中心に複雑なタトゥーが施され、鼻と頬に金属製の尖ったピアスが刺さっている。だが、一番印象に残ったのは、やはり頭だ――まばらにハゲた頭に目がいく。

 グンジは急いでフードをかぶりなおす。そのはずみで、胸に下げていた冒険者タグが大きく揺れた。


「てめぇ……死にたいのか」


 屈辱によって、怒りの矛先がミスミに代わっていた。

 手がはがれたことで、リープは転がるように逃げていく。グルだったツルツル頭は、いつの間に消えたのか、すでに姿がない。


「いまのは事故だ。そんなつもりはなかったんだ……」


 ミスミの無理に浮かべた笑い顔はひきつり、腰が引けている。

 そんな怯えた相手にも、グンジは一切容赦しなかった。ミスミの胸倉をつかむと、力任せに振り回して、先ほどと同じように壁に押しつけた。もう片方の手を握り込んで、鈍器のようなゲンコツを作る。


「ダ、ダメだ!」と、ガラにもなく声を荒げて制止した。この場に助けてくれる者が誰もいない以上、ダットンが気張るしかなかった。

 勇気を振り絞って、一歩踏み出す。グンジの胸元揺れる冒険者タグが目についた。


「なんだぁ、てめぇもぶっ飛ばされたいのか」

「やめるんだ。そ、そ、そんなことをしても、意味が、ない。ささ騒ぎになって困る、困るのはキミだよ。冒険者が街で騒動を起こしたら、きッ、規約で罰則がカセ、科せられる。ヘタをすると、ぼ、ぼ冒険者の身分をはく奪されるかも……しれない」


 冒険者の立場を盾にしたことが、予想以上に効いた。瞬く間にグンジの攻撃性が萎んでいくのを感じた。

 ミスミを解放して、フード越しに視線を向けてくる。ダットンは思わず目を伏せた。


「――あんたも、冒険者なのか?」


 返答にためらうダットンに代わり、ミスミが説明する。多少話を盛って。


「ダットンは、いま一番勢いに乗ってるパーティのメンバーだぞ。次の上級候補として期待されている中級冒険者だ」

「中級!? すげぇ!!」


 根が単純なのか、グンジはあっさりと信じた。おかげで凶暴な気配がキレイさっぱり消える。

 初級冒険者――しかも、この頭なので恥ずかしくてパーティを組めないというグンジは、まだ一度もダンジョンに潜ったことがないらしい。中級というだけで、尊敬の眼差しを向けてくる。少し照れくさくて、くすぐったい。


 こうして、ひとまずグンジの暴走は防げたわけだが、肝心の頭髪問題は水泡に帰した。すでにサギ師だったリープ達は逃げており、怒りをぶつける相手もいない。

 しょげるダットンを、同じくしょげたミスミが飲みに誘う。グンジも付き添い、三人で診療所近くの『銀亀手の酒場』へ――普段はほとんど酒を口にしないダットンだが、この日ばかりは浴びるように飲んだ。


 気づくと夜も更けて、すっかり店の外は暗くなっていた。隣の席ではカウンターに突っ伏し、グンジがイビキをかいて眠っている。


「ミスミ先生、これからどうしたらいいんでしょう」

「これからって……」酔いで充血した目が、頭部に流れていく。「これからか?」

「はい、もう打つ手はないんでしょうか」


 本人は認識していないが、ダットンは酔っているときのほうが口が滑らかになった。


「海藻類が髪にはいいと聞いているが、海が遠いダンジョン街で手に入れるのは難しいんだよな。知り合いの薬屋に、どうにか手に入れられないか頼んでみようと思う」

「それ、ぼくも噛ませてもらっていいですか。お金は払います」

「ああ、もちろん。共同購入でそれなりの金額を積めるなら、まとまった量を仕入れてくれるかもしれない」


 そのとき、突然突っ伏していたグンジが勢いよく顔を上げた。


「お、俺も、まぜてくだチゃい!」

「なんだ、起きてたのか」


「ダットンのアニキ、頼んます」いつの間にか、兄貴分にまで昇格していた。「こんままじゃ、せっかく冒険者になったってのに、ダンジョンに行けやしない。急にハゲて、どうしたらいいのかホントわからないんだ」


 フラフラと小刻みに揺れていたミスミの上体が、唐突にピタリと止まった。アルコールの回った赤ら顔は変わらないが、その表情は鼻のつけ根にしわを寄せた険しいものに変化している。


「急にって、いつからだ?」

「いつ……ダンジョン街に来てからだから、一カ月もたってないかな」


 ミスミはテーブルを叩くように手をついて、勢いよく立ち上がった。酔いでフラリとよろめいたが、身をくねらせて体勢を戻す。


「行くぞ」

「えっ、どこにですか、ミスミ先生」

「診療所だ。そいつのハゲは体質じゃない、病気だ。これから診察する」


 思いがけない展開に、ダットンは目を白黒させた。それはグンジも同じだったようで、フードから覗いた口をあんぐりと開けている。

 あまりにいきなりのことで認識が追いつかなかったが、ミスミが言うのだから間違いないと思えた。それだけの信頼感がある。


「メリンダ、急用ができた。とりあえずツケにしておいてくれ!」


 そう告げて、ミスミは店を飛び出す。まるで逃げるように――いや、事実逃げたのかもしれない。

 ダットンとグンジも慌てて後を追う。取り立てが追ってくる前に。


 ――医療に対する信頼感はともかく、金銭に対する信頼感は地に落ちた。

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