<3>

 収穫作業は、想像以上に重労働だった。腰を屈めた体勢で、菜っ葉の形が崩れないように根元を丁寧にカマで切り取っていく。

 普段使わない筋肉を酷使するので、体が悲鳴を上げている。肌寒い時期だというのに、汗が滴り熱いくらいだった。


「少し休憩するか」


 収穫状況を見て、老農夫ハクアがしゃがれた声で言った。まだ畑の三分の一も消化していないが、すでに疲労困憊で動きが鈍っている。ちょうどいい頃合いなのだろう。


 痛む腰をほぐそうとシフルーシュが背を反らすと、寝転がってへばっているノンの姿が目に入った。

 冒険者であるシフルーシュでさえつらいと思う作業に、ノンは歯を食いしばって懸命についてきていた。これまで生意気な小娘としか思っていなかったが、思いのほか骨のある女だと見直す。


 意外と言えば、もう一人――ダットンだ。


「農作業って、こんなにきつかったんだな……」と、屈強な肉体を持つゴッツも弱音を吐くなか、平然と作業をこなしていた。

「い、田舎にいた頃、よく手伝わされて、いたから」


 たとえ経験があったとしても、疲れるのは同じはずだ。その耐久力に感心する。

 それ引き換え不甲斐なかったのは、案の定やる気のないマイトだ。体力的にはゴッツについであるはずなのに、収穫量が極端に少ない。この段階になっても、まだ心はディケンズに向いているのだろう。あまりの女々しさに腹が立ってくる。


 爪の間にはさまった土を、むくれ顔で取っている姿はひどく惨めで情けない。シフルーシュは丸まった背中を軽く蹴ることで、苛立ちをぶつけた。


「痛ッ! 何すんだよ、シフル!!」

「あんたさぁ、いい加減しゃっきりしろよ――」


 言い争いが口火を切ろうとしたとき、そのタイミングを見計らっていたように轟音が割って入ってきた。雷が落ちてきたような音――それは、咳の音だ。


 ハクアが激しく咳き込み、骨が壊れてしまいそうなほど上体を揺らしている。

 一度咳き込むとなかなか止まらず、止まったとしても乱れた呼吸が整うまでかなりの時間を要した。ティオが落ち着くまで付き添い、ずっと背中をさすっている。


「やはり家でお休みになっていたほうがいいですよ。あとのことは、わたし達がやっておきます」

「そうはいくか。素人の雑な仕事をほっとけるかってんだ」


 ティオは困り顔でうなった。冬に差しかかろうという季節に、病人が寒風にさらされているのは支障があった。

 どれだけ強がったとしても、肉体には限界がある。このままでは取り返しのつかないラインを越えてしまうということは、医療知識のないシフルーシュでもわかった。


「なあ、爺ちゃん」うんざりした様子でマイトが声をかける。「どうして、ここまでして収穫しようとしてんだ?」

「そりゃあ仕事だからだ。他に何があるってんだ」

「そらそうだろうけど、命がけでやることじゃないだろ」


 ハクアは長い眉毛を揺らし、垂れたまぶたを押し上げた。マイトの発言に驚いたようで、老人はキョトンとしている。


「命を賭けているつもりなんか、まったくない。わしは、ただ自分のやるべきことやっているだけだ。何年も何十年も繰り返してきた習慣を、今日もつづけて何が悪い」


「迷惑なお爺ちゃんだ」と、ノンがこっそりつぶやく。シフルーシュも同意見だった。

 自分勝手な行動で、周りが迷惑することを考えていないところが腹立たしい。だが、少し共感してしまう部分があるのは、自分勝手に生きる冒険者ゆえか。


「心配してやってんのに、なんて言い草だ」


 唇を尖らせたマイトを見て、ハクアはガッガッガと奇妙な笑い声をもらす。痰が絡んでいたようで、ノドを鳴らして吐き出した。


「まあ、何を言ったところで結局好きだからっていうのが一番だろうな。――小僧、あんたは違うのか。冒険者ってやつは、好きでダンジョンに行ってるんだろ?」


 思いがけない切り返しだった。マイトの表情があきらかに変わる。


「そ、そうだよ」と、詰まりながらマイトは答えた。このところの自分をかえりみて、素直に返すことができなかったのだろう。


 焦燥感に駆られてダンジョンを潜る行為は、どう言いつくろっても本来の目標ではない。その事実をハクアは知るよしもないのだが、ちょっとした仕草や雰囲気から何か感じ取るものがあったのかもしれない。さすが年の功といったところか。


「小僧が何を焦っているのか知らないが、無理をするのはいいことだ。背伸びしなきゃ届かないモノが、世の中にはたくさんある。問題は無理の仕方だ。この方法を間違うと、たちまち足下をすくわれる。人より長く生きている分、そういうヤツらを嫌というほど見てきた。自分らしく無理をしろ、それが成功のコツだ」


 それは、さとすような静かな口調だった。現在進行形で無理をしている自分を擁護する意味合いもあったのかもしれないが、若者に向けた老人の忠告なのは間違いない。

 少しは響くものがあったらしく、マイトの顔に迷いの欠片がよぎったのをシフルーシュは見逃さなかった。


「まあ、老い先短いジジイのたわ言だ。聞き流していいぞ」

「……なんだよ、いまさら」

「説教くさくなったと思ってな。ジジイの悪いクゼだ。小僧は小僧なんだ、好きにすればいい」

「言われなくても好きにするさ!」


 ぶっきらぼうに言い放って、マイトはカマを手に取った。本当に好きにするかと思ったのだが、なぜか収穫作業を再開する。

 理解できず眉間にしわを寄せたシフルーシュは、隣に腰を下ろして覗き込む。


 マイトはバツの悪そうな顔で、意識しながらも目を合わせようとはしなかった。黙々とカマを振るっている。


「言っておくけど、俺はディケンズを絶対にあきらめないぞ」

「うん」

「この作業を終わらせないと、お前らが動きそうにないからやってるだけだ」

「うん」

「本当にわかってるのか?」


 ようやく、ちらりと向いた目は、微妙に照れが浮いていた。心なしか強張っていた肩から力が抜けたようにも感じる。

 ハクアの言葉に、どこまで感じ入ったかはわからないが、少なくとも取り乱していた状態を自覚できるようにはなったようだ。


 シフルーシュもカマを取って収穫を再開する。ゴッツとダットンも、苦笑しながら収穫にくわわる。


「ハクアさん、後のことはわたし達に任せてください」

「ここはわしの畑だ。目を離すわけにはいかん。何度も言わすな――」


 思いがけない声が響いたのは、そのときだった。


「オヤジ!」と、大声で呼びかける中年男性があらわれる。

 彼の出現に誰よりも驚いたのは、老農夫ハクアだ。乾燥してささくれた唇を、プルプルと震わせている。


「お前、どうして……」

「ミスミって医者が、オヤジのことを報せてくれた。病気のこと、なんで言ってくれないんだよ!」


 ハクアに詰め寄った男性は、近くで見ると口元がそっくりだった。頑固そうな面立ちも似ている。


「ひょっとして息子さんですか?」

「ああ、そうだ。オヤジが迷惑をかけたな」


「いえ、そんなことは……」ティオは曖昧に笑って、ちらりとハクアに目を向ける。「どうして息子さんのことを教えてくれなかったんですか。知っていたら、畑仕事の手伝いも頼めたでしょ」

「こいつは、もう一人立ちしたんだ。こっちの都合を押しつけるわけにはいかん……」


 息子の登場に動揺したのか、ガラリと風向きが変わった。強固な姿勢は変わらないが、先ほどまでのかたくなさが薄れている。


「あのなぁ、オヤジ。頑固なのもたいがいにしないと、本当に死んじまうぞ。もういい年なんだ、甘い考えはやめろ」

「まったくです。ハクアさんはまずご自身の体をいたわってください。――あの、ハクアさんを家に連れて行ってもらえませんか。横になって休むことが、何よりも薬になるんです」

「わかった、任せろ」


 ティオの頼みに、息子は即応じる。弱った体でささやかな抵抗を試みるハクアを、問答無用で担ぎ上げた。


「おい、やめろ。勝手なことをするな、これはわしの仕事だ!」

「ハクアさんの治療が、わたしの仕事です。治るまでは我慢してもらいます」


 怒りと文句と、激しい咳を吐きながら、ハクアは連れられていく。頑固ジジイも息子の実力行使にあらがうことはできなかった。

 ひとまず目先の心配が消えたことで、ティオはほっと胸を撫でおろす。その顔に安堵と苦笑が混じり合った、珍妙な表情が浮かぶ。


「これで一件落着?」と、ノンが聞いた。

「まだだよ。まだ収穫が残ってる。これを片づけないことには終われない」

「ハア、やっぱり……」


 がっくりと肩を落として落胆しながらも、ノンは迷うことなくカマを手に取った。


「よし、とっととやっちまおう!」


 いつもの調子に戻りつつあるマイトのかけ声で、改めて収穫作業を再開する。

 まだまだ先は長いが、不満を口にする者は誰もいなかった。


※※※


「よお、ヤブ医者。今日は逃げずに来たか――」


 寝室に入るなり、待ち構えていたようにロウ・ジンエがあてつけがましく言った。声に張りがあり、見たところ顔色も悪くない。


「経過は順調なようですね。安心しました」

「何が順調だ。いまも肺が苦しいぞ」

「それは、まあ、そういう病気ですから。静養していれば、そのうち回復しますよ」


 ロウは疑わしそうに鋭い目を向けてくる。顔をそむけたくなったが、必死に我慢した。

 以前娼婦の性病予防を訴えにきたときも、この鋭い目で射抜かれて縮みあがったことを思い出す。これでも丸くなったという話だが、普段裏社会と関わることのない凡庸な医者には、まだまだ突き刺さるような角を肌身に感じた。


 ミスミは無理に愛想笑いを作って、診察をはじめる。すぐにでも帰りたいというのが本心だが、患者である以上そうもいかない。


「前に来たお嬢ちゃんはどうしたんだ?」

「畑に行ってます」

「畑? 医術者がなんでまた」

「農家の患者の手助けですよ。静養せずにすぐ働こうとするから、誰かが見てないと治るものも治らなくなる」


 ティオ達が、ハクアの畑に通うにようになって五日がたとうとしていた。どうにか収穫作業は終わったそうだが、今度は作物の出荷作業を手伝わなければならないらしい。今日はマイト達パーティ仲間の他にも、カンナバリやハクアの息子夫婦の手も借りて、すべての農作業に決着をつけると息まいていた。

 そんなわけでミスミは一人、しかたなくロウの容態確認に出向いたのだ。


「なるほど、そういうことか」ロウはニヤニヤ笑いながら、脈を測るミスミを見た。「お前は畑仕事が嫌で、こっちに来たわけだ」

「否定はしません。俺の体力じゃあ足手まといになるだけでしょうしね」


 納得したようでロウは表情をゆるめたまま、深くうなずいた――が、その穏やかだった顔つきから、唐突にフッと感情が消える。残ったのは、ギョロリとした目が送る強い視線だ。


 背筋に冷たいものが走り、ミスミはたまらず身震いする。胸部の検診に移行しようとしていた手が、中途半端な位置で止まり指が強張った。

 ロウが時おり見せる地金が、ミスミは苦手だった。奉公人のピリリとした緊張が伝わってくる。厳しい裏社会で磨き抜かれた気質が、得意な人間などおそらくいないのだろう。


「ところで、話は変わるがダンジョンで拾ったおかしな病人を診ているそうじゃないか」

「……耳が早いですね」エルザについてはかん口令が敷かれているので、本来外にもれるはずのない情報だった。「タツカワ会長に頼まれて、治療に当たっています」

「そいつは、本当に大丈夫なのか?」


 ずいぶんと大雑把な問いかけだった。言わんとすることがわからず、ミスミの鼻のつけ根にしわが寄る。


「どういう意味でしょうか」

「難しい話じゃない。そいつは、ヤブ医者の治療が通じる相手なのかと思ってな。ヘタに関わると、いらねぇキズを負うことになるんじゃないか。――お前は、案外甘いところがあるからな」


 ロウは、心配してくれているのだと思う。

 そんな素振りはみせてくれないが、ミスミを高く買ってくれている――と、タツカワ会長に酒の席で聞いたことがあった。かなり酔っていたので聞き流したが、あながちホラではないのかもしれない。

 ミスミは口元をゆるめて、軽く肩をすくめた。


「俺の治療は通用しないでしょうね。でも、うちには優秀な医術者がいます。ティオなら、彼女を救えると信じています」

「やっぱり甘いな、お前は」

「元々医者は甘いものですよ。どんな病気も絶対治ると希望を持って、治療するんですから」


 ギョロリとした目を丸くして、ロウは一瞬呆けた表情を浮かべたあと――思わず吹き出した。笑いすぎて咳き込んでしまうほど、大きな声で。


 慌てて奉公人が背中をさする。布団の上にこぼれたよだれは、水気が多くシミとなっている。

 肺炎は一朝一夕で完治するものではないが、危険域を脱して順調に回復しているようだ。


「ミスミ、お前は甘いじゃ足りない。大アマだ」

「誉め言葉として受け取っておきます」


 微笑んだミスミに合わせて、ロウはかすかにうなずいた。


「でもな、覚悟だけはしておいたほうがいいぜ。人間にできることなんて、ちっぽけなもんだ」

「ええ、わかってます。医者をやってると、嫌というほど痛感させられますから」


 不安はつねに胸の奥でくすぶっている。ロウにしても、突然体調が急変することも考えられるのだ。医療というのは、いつひっくり返ってもおかしくない脆い船のようなものだった。

 それでも、あきらめず労を尽くすしかない。これからも、医者をつづけていくかぎり、たぶん永遠に――

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