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 長く共にすごしていると、ちょっとしたことで感情を読み解けるようになる。たとえば足音――その足音の響き一つで、ディケンズがどれほど緊張しているかを感じ取れた。


 きっとディケンズも、エルザの足音を聴いて緊張の度合いを感じ取っていることだろう。

 やっとの思いで地下五十階に巣食っていた番人モンスターを倒し、隠されていた下につづく階段を発見した。緊張の足音を鳴らしてこれから踏み込む場所は、ダンジョンを制覇したタツカワ会長も行ったことのない完全なる未知の領域だ。緊張するなというのはムリがある。


 光源のない階段を、ランプの灯りを頼りに慎重に下っていく。ずいぶんと長い階段で、全員が地下五十一階に降り立つにはかなりの時間を要した。緊張していたことで、よけいに長く感じたのだろうか。


 ほっと息をつく間もなく、緊張はつづいた。

 地下五十一階に待っていたのは、細い通路だ。これも、とにかく長い。ランプを掲げても、光の端が通路の奥まで届いていなかった。


「気を抜くんじゃないぞ。ここからは何が起きても不思議じゃない」


 ディケンズが仲間に注意をうながす。自分に言い聞かせてもいたのだと思う。

 そして、その言葉が事実となるのに、さほど時間はかからなかった。


 先頭に立つ戦士アーレスが、「あっ」と小さな声を上げる。普段なら聞き逃していたかもしれないつぶやきを、このときはなぜかハッキリと耳にした。


「アーレス、どうしたの?」


 彼は無言でヒザを折り、そのまま通路に突っ伏して倒れた。

 何が起きたのか、まったくわからない。突然の異常事態に、困惑が頭のなかを駆けまわる。


「ちょっと、本当にどうしたっていうの――」


 長年の冒険者生活で身に着けた感情コントロールで、動揺を押し殺して問いかけた。

 突っ伏したアーレスの下から、じわりと液体が流れ出てくる。その色は、赤だ。血の色だ。


 エルザは強い不安に襲われながらも、素早く周囲に目を配る。アーレスのことはもちろん心配だが、それ以上に何が起きたのか確認するのが先決だった。

 冒険者としての経験が、状況確認を優先させる。ディケンズ達仲間も、同様に行動を開始していた。それぞれ武器を手に取り、四方に向けて身構えている。


 誰一人として、アーレスを見ていなかった。冒険者が行うべき正しい選択が、この瞬間――命取りとなる。


 ふいに襲った小さな衝撃の後、唐突に痛みが背中に走った。体から力が抜けて、その場に尻もちをつく。

 おそるおそる振り返ると、アーレスが剣を手にしていた。刀身にはべっとりと血が滴っている。


「え……」


 どうして、そんなことが起きたのかわからない。ただ、斬りつけられたという事実は理解できた。

 カクカクとしたぎこちない動きで、白目をむいたアーレスが次々と仲間に襲いかかる。思いがけない不意打ちを、防ぐすべはなかった。


 ディケンズさえも振り下ろされた剣を、かわしきれず肩口に受ける。血飛沫をまき散らしながら、反射的にアーレスの腕を斬って落とす。

 宙に舞った腕が、放物線を描き落下していく。その様子が、やけに印象的だった。


「――げろ」


 ディケンズはかすれた声を吐いて、エルザを突き飛ばす。

 血だまりの上を転がりながら、アーレスが再始動する姿を目にした。彼だけではない、他の仲間も動き出している――ディケンズめがけて。


「逃げろ、エルザ!」


 今度はしっかりとした声でディケンズは叫んだ。叫びながらおぼつかない足取りで、通路の奥に踏み出している。

 仲間達の突然の乱心から、自ら囮となって、エルザを逃がそうとしているのだ。


 自分ひとり逃げていいのだろうか?――脳裏をかすめた迷いを振り切り、エルザは痛みを押して退避する。負傷した自分が行ったところで足手まといになるだけだと、即座に判断したのだった。


「ディケンズなら、きっと大丈夫……」


 足を引きずり、来た道を戻った。足取りを示すように、点々とこぼれ落ちた血の痕が通路に残されていた。

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