<3>

 ジュアンの薬屋にツケの代金を払いに行ったノンが、汗だくになって診療所に駆け込んできた。

 戻って来るなりミスミをつかまえて、取り乱しながらまくし立てる。


「太っちょが急に倒れた。あれは普通じゃない、絶対どっか悪いと思う。センセェ、いっしょに来て!!」


 状況はよくわからなかったが、緊急事態であることはその必死の形相を見ればわかる。ミスミを頼ったということは、医療措置が必要な事態だとも。

 カンナバリはすでに準備をはじめていた。ティオも大慌てで治療用具をかき集めている。


「わかった、行こう。カンナさんとティオは、とにかく持てるもん全部持ってきてくれ。何が必要になるかわからんからな」


 一足先に診療所を出たミスミは、ノンに腕を引かれてダンジョン街を疾走する。

 途中何度も足をゆるめようとしたが、ノンが許してくれず走りつづけるはめになった。その結果、ジュアンの薬屋にたどり着いた頃には、ミスミはゼエゼエと肩で息をしながら横っ腹を押さえる消耗しきった状態となっていた。


「なんか、ボロボロだねぇ」


 店の前で迎えてくれたジュアンが、困惑気味に言った。


「そ、それで……」ミスミは笑みを浮かべて強がろうとして失敗。いびつな表情で尋ねる。「か、患者はどこに……」

「センセェ、こっちこっち!」


 ノンに連れ込まれた店内では、太った男がぐったりと横たわっていた。そのかたわらに、まだ年若い店員――エアロが付き添っている。彼が前もってスペースを確保してくれていたようで、周囲にあったと思われる机や棚が部屋の隅に押しやられていた。


 ミスミは息を整えながら男の脇にしゃがみ、首筋の脈を確認。指先にかすかな生命の活動を感じる。

 弛緩した体に反応はない。男の意識は戻っていなかった。


「倒れてから、どれくらいたった?」

「二十分ちょっとです」


 意識のない患者の代わりに、エアロが答える。

 ミスミはうなずき、さらに診察をつづけながら質問を重ねた。


 ここ最近のイザームに不審な点はなかったか、何か持病はなかったか、普段の生活習慣で気になることはなかったか――わかる範囲で、エアロは一つ一つ丁寧に答える。

 そうして診察と質問が終わった頃に、カンナバリとティオが大荷物を抱えて店に到着した。


「患者さんの容態はどうですか?」と、一息つく間もなくティオが確認する。

「危険な状態だ。早急に手を打たないと重篤な障害が残るかもしれん」


 ちらりと持ち込まれた荷物を見た。手間取るだろうが、この場で処置するしかない。


「それで、どのような病気なのでしょう」

「脳卒中だ」

「のうそっちゅう?」と、疑問を口にしたのはノンだった。理解が及ばず怒ったような表情になっている。


 ミスミはボサボサ頭をかきながら、しかたなく説明を付け足す。


「脳の血管が詰まったり裂けてしまったりする病気だ。この男は、脳出血を引き起こしている。状況から見て、被殻出血だろうな。くも膜下出血でないだけマシだが、危険なことには変わりない。まずは頭蓋骨を切開して、溢れた血腫を取り除く」


 おそらく完全には把握できなかっただろうが、それでも治療方針はわかったようだ。


「ちょっと待ってよ、頭を切る?!――そんなことしたら、太っちょ死んじゃうよ!」


 驚愕を幼い顔立ちに張りつけたノンが、あたふたと食ってかかった。その隣で、エアロは顔面蒼白となっている。


「脳を傷つけないように処置すれば、死にはしない。ここで手をこまねいているほうが、よほど危ないんだぞ」

「で、でも――」


 なおも食い下がろうとしたノンを、カンナバリが押しとどめた。無言の圧力で抵抗を封殺する。

 ミスミはこっそり安堵の息をつく。ノンにくわしく説明していては、いつまでたっても終わらない。


「とにかく時間がない、ここで緊急手術を行う。カンナさんとノンは、大至急周辺を消毒。ティオは患者にマヒ魔法をかけてくれ。ボウズは俺を手伝え――ちと可哀想だが、邪魔になるから残りわずかな髪を剃らなきゃいけない」


 どれだけ混乱した状況であっても、目的があれば人間は動けるものだ。それぞれが指示どおりに行動を開始し、手早く処理していく。

 一番時間を要した剃毛が終わると、すぐさま手術準備に取りかかる。持ち込んだ道具を選定して、細かく打ち合わせをする。

 こうして、いよいよ準備が整った。


「では、手術を開始します」


 まずは頭部切開――右半身にマヒがあったことから、左脳で脳出血が起きたことは間違いない。左側頭部の切開箇所にペンで印をつけて、もっとも腕力のあるカンナバリが慎重に短刀で切れ込みを入れていく。

 ミスミとティオが位置がずれないよう必死にイザームの頭部を固定していると、自発的にエアロも加わった。恐ろしいのか、ノンは顔を背けている。普段の勝気な姿は、そこにはない。


 カンナバリは少しずつ刃先で頭蓋に小穴を開けて、ミシン目状の線を作り、最終的に輪となったところで一気にはがす。ミチミチと音を立て、血と髄液を滴らせながら頭蓋骨の一部がはずれた。

 穴から覗く脳のグロテスクな様相には、医術者として創傷を見慣れているはずのティオも思わず顔をしかめる。


「完了です」カンナバリが前髪が揺れるほどにフゥと大きく息をついた。「ミスミ先生、あとはお願いします」

「ありがとう、カンナさん」


 手術用手袋を装着しながら持ち場を交代して、ティオに目配せする。

 助手役のティオは神妙な面持ちでうなずき、ぴたりと隣に並んだ。カンナバリは患者の上半身を固定、ノンは下半身を押さえる役目であったのだが――手術の緊迫した空気に飲まれて、反応が鈍い。代わりにエアロが、両足をつかんで押さえてくれた。


 思うところはあったが、鼻のつけ根にしわを寄せた苛立った顔で一瞥するにとどまる。

 ノンの動揺した目が、震えながら落ちていく。口にするまでもなく、不甲斐なさを充分感じ取っているようだ。


「よし、やるぞ。嬢ちゃん、フォローよろしくな」

「はい、任せてください」


 特注品の拡大鏡をかけて、ナイフとピンセットを使い髄膜をはがしていく。多少の出血は気にしない。

 ティオに汗を拭ってもらいながら大脳皮質を分け入っていくと、どろりとした血がもれ出てきた。ついに被殻の出血部位にたどり着いたのだ。


 凝固して血瘤となりきる前のドス黒い血溜まりが、すべて流れ出るまで待ちつづける。ふいにイザームが頭を動かし、切り口が広がってしまうまでは――


「しまった!」反射的にミスミは、差し込んでいたナイフを引き抜いた。

 イザームの動きはわずかなものであったが、神経の一部を刺激してしまう。その結果、体全体が激しい痙攣を引き起こした。


 しっかりと抱え込んでいたカンナバリはこらえたが、思いがけない力にエアロは弾き飛ばされてしまう。

 バタバタと足が暴れ、その振動は頭を揺らす。ミスミが押さえ込むが、これでは治療がつづけられない。


「おい、早く足を――」


 ミスミが言い終えるよりも早く、無我夢中でノンが飛びついた。跳ねたヒザ頭が顔に当たり、鼻血がこぼれてもかじりついて離さない。この緊急事態にいても立ってもいられず、反射的に体が動いたのだろう。

 しかし、小柄で体重も軽いノンでは抑えきれず揺れは止まらなかった。彼女ごとエアロが覆いかぶさることで、ようやく痙攣を押さえることができた。


「よし、嬢ちゃん出番だ。こっからは医術者の仕事だぞ」

「は、はい!」


 ティオはむき出しの脳にギリギリまで指を近づけ、口のなか呪文を唱えはじめる――再生魔法だ。


 この無茶な手術のキモは、再生魔法にあった。肉体を元の状態に修復する再生魔法があるからこそ、満足いく手術道具がない状況でも脳に直接メスを入れることができたのだ。

 出血したことで、血管を詰まらせた血栓は排出されている。脳を圧迫する血腫も取り除けた。あとは再生魔法で傷を修復すれば、とりあえず治療は完了する。


 懸命に魔法を放ちつづけるティオの汗を、今度はミスミが拭ってやる番だった。

 血管がつながり、脳の切り口が塞がっていく。高度治療でも難しい修復を魔法は可能とする。これこそ魔法の強みだ。


「な、なんとか終わりました……」


 最後に切開した頭蓋を定着させた。すみやかな処置を、ティオはやり遂げる。

 安堵と疲労によってぐらついた体を、そっとカンナバリが支えた。


「これで、太っちょは助かったの?」

「とりあえず危機は脱した。とりあえずはな」


 マヒ魔法の影響で、しばらく目覚めないとのこと。治療の結果がわかるのは、イザームが覚醒してからになるが、少なくとも最悪の事態は回避したと思われる。

 それでも明確な答えを聞けなかったことで、どこか不安げにノンはうつむいた。普段と違うしおらしい態度に、思わず笑ってしまう。


「お前さんはよくやったよ。手術がうまくいったのは、ノンのおかげだ」

「アタシ、何もしてないよ。最後にちょこっと手伝っただけ……」

「俺を呼んだじゃないか。呼んでくれなきゃ治療のしようがない。その判断が、この男を救ったんだ。一人でなんもかんもできるわけじゃない、それは今回の手術を見ればわかるだろ」


 ミスミがいてティオがいて、カンナバリにノンにエアロが揃っていたからこそ手術は成功した。疑いようのない事実だ。

 まだうまく飲み込めないらしく、ノンは険しい顔をする。


「そうだよ、ノンはよくやってくれた」ぼそりと、エアロが言った。「何もできなかったのは、ぼくのほうだ。薬の勉強をしていても、結局肝心なときに役に立たない」


 こちらも、ミスミの言葉を飲み込めていないようだ。自分の力量だけで物事を計りたがるのは、未熟な若者が陥りやすい視野狭窄である。ここから脱するには、時間と経験、それとある種の図太さが必要だった。

 ミスミは呆れ混じりのため息をもらし、ボサボサ頭を気だるげにかく。


「あのなぁ、手術は終わったが、治療はまだ終わってないんだぞ。薬屋の本領はここからだ」

「へ?」

「今回はあくまで脳出血の緊急措置を行っただけ。脳卒中を引き起こす動脈硬化の治療は、地道につづけなくてはならない。それには、薬剤を併用した体質改善が必須となる。薬屋の出番だ」


 曇っていたエアロの顔に、うっすらと光が差す。


「ぼくでも……薬屋でも役に立てますか?」

「役に立つ、立たないじゃない。薬屋にしかできないことだ」


 医者にできること、医術者にできること、薬屋にできること――それぞれが足りない部分を補いながら医療は成り立っている。

 希望半分不安半分といった表情で、エアロは深くうなずいた。


「や、やってみます。ぼくができることを、全力で実践します」

「ああ、がんばれ」


 ダンジョン街の若き薬屋は、不安を振り切り覚悟を決めた。


※※※


 イザームが倒れ、緊急手術を行った日から数日後――ノンが店に顔を出した。

 白いワンピースの裾を揺らして店内に入ってきた彼女は、どことなくそわそわした様子で薬棚に向いている。なぜかエアロを見ようとしない。


「やあ、ノン。今日はどうしたんだい?」

「センセェに太っちょの容態を聞いてこいって言われた。どうなの?」


 ちぢれた乾燥薬草の詰まった薬瓶に顔を寄せて、ぶっきらぼうに聞いてくる。わずかに見えた横顔は、眉を下げた少し困ったような表情であった。

 その不可解な態度に、エアロは首をかしげる。


「イザームさんの経過は良好だよ。まだ右の手足に軽い痺れが残っているらしいけど、日常生活に支障はないって言ってた」


 エアロが処方した薬の効果もあって、いまは自宅療養中だが予想より早く職場復帰できそうだった。休暇を取ったことで張り詰めていた精神もほぐれて、気持ちにゆとりが出てきたようにも感じる。ミスミの話ではストレスも脳卒中の原因になりうるというので、よい傾向と言えるだろう。

 継続的な治療は必要だが、順調に回復していることは間違いなかった。


「そっか、よかった……」と、ノンは安堵の言葉を口する。あまり心配していたとは思えない平坦な声で。


 やはり、どこか様子がおかしい。不審に思ってノンを観察していると、ちらりと探るように向けられた目と目が合う。

 ノンは慌てて薬瓶に視線を戻すが、観念したらしくぎこちなく振り返り、軽く肩をすくめて苦笑を浮かべた。


「どうかしたのかい?」

「まあ、なんていうか、一応報告しておきたいことがあって――」


 もじもじと足踏みして、つづく言葉が出てこない。

 よほど言いづらいことなのか、何度も言いかけては声となる前に途切れるを繰り返していた。エアロは根気よく待つ。


「えっとね」ようやく決心がついたようで、ついにためらいが声となった。「アタシ、もうちょっと看護師の仕事つづけようと思う」

「へえ、そうなんだ……」


 ずいぶんと逡巡していたわりに、驚くような話ではなかった。拍子抜けして、エアロの返事は上滑りする。

 その曖昧なリアクションを、ノンはお気に召さなかったようだ。ムッとして、眉を吊り上げる。


「せっかく思い切って言ったのに、それはないんじゃない!」

「ご、ごめん。元から辞めると思っていなかったから、つい……」

「あのとき変なこと言っちゃったから、心配してたら悪いと思って来たんだけど――いらないお世話だったみたいだね」


 いまの環境に漠然とした不安を感じていることを吐露したのを、気にかけていたようだ。正直言うと、イザームの問題もあってすっかり忘れていた。

 ノンにとっては、忘れることのできない重大な悩みであったのだろう。気恥ずかしさにおかしな振る舞いとなっても、律儀に報告しようと思うほどに。


「何か心境の変化があった?」

「別にそういうわけじゃないけど……この仕事は、いい仕事だと思った。アタシは恩人を病気で亡くしてるから、病気を治す仕事の素晴らしさを改めて実感したんだ。これが本当にやりたいことかどうか、まだよくわからないけど、生きていく手段として選ぶ仕事してはかなり上等な部類だよね。だから――」


 白い歯を見せて屈託なく笑ったノンは、ぐるりと店内を見回す。目を向けたのは、陳列された薬の数々だ。

 今度はまごつきをごまかすためではない、興味を持って薬瓶を見ている。


「だからさ、中途半端はしたくない。真剣に看護師をやってみようと思う。そのためにも、いろいろと薬のこととか病気のことを教えてよ」

「えっ、ぼくが?」


「うちのセンセェはめんどくさがって教えてくれないし、ティオ姉ちゃんは勉強熱心だけど教えるのヘタクソだし、カンナ姐さんは口より体でおぼえろってタイプだし、誰もきちんと教えてくれないんだよね。よかったら、エアロが教えてくれないかな」


 医学と薬学は別物だ。看護師に必要となる知識を教えられるとはかぎらない。

 だが、エアロは笑ってうなずく。彼女が頼ってくれたことがうれしくて、その気持ちに答えたかった。


「わかった、ぼくがわかる範囲でいいなら教えるよ。じゃあ、さっそくだけど、この薬草を見て――」


 エアロの手元にあった薬草に、ノンは張り切って顔を寄せるのだった。

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