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ダンジョン前広場に駆け込んだミスミは、タツカワ会長の姿を見つけると開口一番怒鳴りつけた。
「おい、どうなってんだよ!」
走りどおしで息が切れた状態であったが、間を置くことなく詰め寄った。
「おいおい、落ち着けよ」
「おち、落ち着いて――」ここで力尽きた。体力が限界に達して、しばらく息を整える時間が必要だった。
数度深呼吸を繰り返して、酸欠の頭に酸素を送り込む。体力回復と共に、冷静な思考を徐々に取り戻していった。
ミスミ診療所に医術者セントが訪れたのは、つい先ほどのこと。ダンジョンで未知の病気が発生し、ティオが立ち向かおうとしている。事情を聞いたミスミは、居ても立ってもいられなくて慌てて駆けつけたというわけだ。
「落ち着いたか?」
「ええ、まあ」ミスミはボサボサ頭をかいて、ぶっきらぼうに答える。「それで、状況は?」
「まだわからん。緊急措置として腕利きの冒険者を手配したが、何分急なことで到着が遅れている」
同じく事情を聞いたタツカワ会長に、深刻な様子はまったく見受けられなかったが、一応は対策を打ってくれてはいた。事態が解決するまで地下二十階への進入及び異常状況の報告強化――と、すでに管理組合から勧告が出ている。
「セントってヤツの話では、意識障害を引き起こす未知の病気らしいですけど、これまで似たような案件はなかったんですかね?」
「俺の知るかぎりでは、ない。ミスミ先生はどう思う」
「いまある情報だけでは、なんとも言えないな。意識障害につながる病気は、それこそ数えきれないほどありますからね」
真相を解明するには、くわしく状況を知る必要があった。現在状況の調査を行えるのは、もっとも近い場所にいるティオだけ――だが、ムチャせず戻ってきてほしいと矛盾した考えがミスミをとらえている。
救いなのは、どうやら感染症ではないことだ。冒険者にとっては災難だろうが、地下二十階を封鎖してしまえば、もう被害者が出ることはない。少なくともティオが無理する必然性は低かった。後はマイトが冒険を優先して、危険をかえりみず突撃しないことを祈るのみか。
そこに、状況を打破する救世主が登場する。「遅れて、すみません。休暇日だったもので、パーティ全員というわけにはいきませんでしたが、とりあえず揃うメンバーは集めてきました」
タツカワ会長が手配した冒険者だ。仲間を二人引き連れた先頭の男を、ミスミは知っていた。
「話は聞いてるな。地下二十階に行って異常の調査を頼む。ついでに困っているパーティがいたら、救出しておいてくれ」
「わかりました。番人はどうしましょう。排除しますか?」
「そこらはお前さんに任せるよ。うまいことやっといてくれ」
「そういうのが一番困るんですけど……」冒険者は呆れ気味に言って、視線をずらすとミスミに目を合わせた。「どうも、お久しぶりです」
彼もミスミのことをおぼえていたようで、さわやかな笑顔を浮かべる。
「ああ、久しぶり。ディケンズだったな、こんなとこで会うとは思わなかった」
以前ティオが妊婦を連れて押しかけてきたとき、無関係だというのに手助けしてくれた好青年の冒険者だ。
「なんだなんだ、お前ら知り合いだったのか」
「前に助けてもらったことがあるんですよ」
「いや、助けたなんて大げさなことは――」
「すまない!」無駄話に流れそうだったので、ミスミは慌てて打ち切った。「悪いが急いでくれないかな。ダンジョンにティオがいるんだ」
ディケンズはわずかに目を見開き、力強くうなずいた。
「そうですね、急ぎます」すぐさま仲間と簡単な打ち合わせを交わす。「現場が地下二十階なら、
ルートが決定すると、さっそくディケンズはパーティを連れて広場の端に向かう。黒い石柱型の転移装置が設置された場所だ。
「そんなに慌てる必要はないと思うがなぁ」と、タツカワ会長は一人のんきなことを言う。
ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、いい加減な責任者にため息をもらす――が、「会長の言うとおりかもしれませんね。慌てる必要はなかったのかもしれない」と、どういうわけかディケンズは同調した。
不審がるミスミに、ディケンズはさわやかに笑いかける。
「見てください、ポータルが起動している」
石柱に彫られた魔法呪文の紋様が、うっすらと光を帯びていた。光は徐々に明度を増していき、空気を震わせる甲高い駆動音を奏ではじめる。
規則正しいリズムを刻む駆動音に合わせて、紋様は地面に流れ込むように光のラインを描いていく。円の内に複雑な紋様――いわゆる魔法陣の中心に石柱が置かれている形だ。
「転移に巻き込まれると危ない。少し離れましょう」
ディケンズに腕を引かれて、よたよたと距離を取る。
ミスミが息を飲んで見守るなか、ポータルを囲う魔法陣が目がくらむほどにまぶしい光を放つ。
瞬間的にまぶたを落とし――開ける。ほんの数秒、目を離していた間に、転移は完了して冒険者のパーティがこつ然とあらわれた。
「あれー、どうしたの。ひょっとして俺達を祝うために来てくれたのかい」
ニタニタと押さえきれない笑みを顔中に広げて、マイトが弾んだ声で言った。
ゴッツもダットンもシフルーシュも、もちろんティオも揃っている。全員がボロボロで満身創痍であったが、その顔にはやり遂げた達成感が満ちていた。
「おい、どうなってるんだ。地下でやばいことになってたんじゃないのか?」
「ああ、そのこと。バッチリやっつけたよ」
「やっつけた? どういうことか説明してもらおうか――」
タツカワ会長が身を乗り出し、事情聴取に取りかかる。
興奮状態であったマイト達はそれぞれ好き勝手に話しはじめて、整合するのに少々手間取ったが、どうにか大体の事情はくみ取ることができた。話をまとめると、番人モンスターを倒して初級の壁を乗り越え、地下二十一階に下りてポータル登録を済まし戻ってきた――という単純きわまりない話だ。
問題は、その過程にある。
「姉ちゃんが気を失って、退却するのにもたついたのが逆によかったんだ。すんなり退却に成功していたら、きっと気づけなかった」
地下二十階の壁に囲まれた大きな部屋は、一見何もないように見えたが、実はそうではなかった。壁に同化する形で番人モンスターが隠れていたのだ。部屋を出るのに遅れたことで、ヤツは擬態を解いて襲いかかってきた。
そのモンスターは、“ゴーレム”――タツカワ会長が、魔力で動く自立型のロボットのようなものだと説明してくれた。
「命からがら地下十九階に戻って、一旦はあきらめて引き返そうと思ったんだけど、目を覚ました姉ちゃんが試したことがあるって言いだしたんだ」
てっきりマイトあたりが強行したのだと思っていただけに、心底びっくりした。まさかティオが率先して攻略に乗り出すとは、考えもしなかったことだ。嫌々ながらもダンジョン潜りに付き合っているうちに、彼女のなかに冒険者の心構えが芽生えたのだろうか。
「試して無理そうなら、すぐに逃げるつもりでした」ティオが照れくさそうに告げる。「以前ミスミ先生が言っていたことを思い出したんです。空気中の成分もかたより次第で危険な性質を持つという話を」
ティオは密閉された地下二十階の部屋に、なんらかの危険な性質を持つ気体が満ちているのだと推察した。少量ではさして問題にならないが、濃度が高くなると意識障害をもたらす毒性を発揮する気体だ。
その気体の発生源がゴーレムであるなら、同じ空間にいて症状に差が出る理由に納得がいく。ゴーレム周辺の濃度が高い場所に近づいたことで、ティオは被害にあったのだ。
「だから、シフルの風の精霊魔法で、部屋の空気を循環させれば、毒性を中和できるのではないかと考えました」
ティオの推察は、ずばり的中した。その結果、別の苦労もあったようだが。「シフルは風を起こすのにかかりっきりだし、姉ちゃんは回復魔法を使える状態じゃなかったし、三人でゴーレム倒すのは本当大変だったよ」
とにもかくにも、こうして番人モンスターを打ち倒し、初級の壁を越えたわけだ。その後はゴーレムが潜んでいた壁の裏にあった階段を下り、地下二十一階に設置されたポータルで戻ってきた。冒険者タグに刻まれた『初級』の文字は、『中級』に書き換わっている。
「ところで、さっきから気になってたんだけど、そこにいるのって――」
「あっ!」いま頃になって気づいたようで、ティオが驚きの声を上げた。「ディケンズさんじゃないですか!」
彼は軽く肩をすくめて、気恥ずかしそうに笑う。呼び出されたものの無用であった状況に、きまりの悪さを感じているのかもしれない。それでも、「昇級おめでとう」と祝辞を贈れるのだから、やはり好青年だ。
対して、「やっぱり、ディケンズ・オーバーなんだ!!」と、こちらはクソガキまるだしだった。マイトはやけに興奮した様子で、ジロジロと無遠慮な視線を送っている。
「なんだ、マイト知ってるのか?」
「当たり前だろ、ヤブ先生。冒険者をやってて、ディケンズを知らないヤツなんていないよ。いまもっとも最下層に近いパーティのリーダーだぞ!」
タツカワ会長が腕利きと明言するくらいなので、相当な実力者だと信用していたが、まさかそこまですごい冒険者とは思いもしなかった。現在たった十二人しかいない、“上級”冒険者の一人である。
「たまたま、一番深く潜ったことがあるだけで、別にすごいわけじゃない」と、ディケンズは謙遜した。
「いやいや、昔よりダンジョンは複雑になってるって話だし、ダンジョン制覇者の会長よりレベルが高いんじゃないかって、みんな噂してるよ」
タツカワ会長は大人げなく露骨にムッとした。現役を退いて二十年近くたつというのに、負けん気の強さは衰えていないようだ。
その様子を横目に見たディケンズが、さらりとフォローを入れる。「それはありえないな。ダンジョンを完全攻略したレジェンドに、俺なんか遠く及ばないよ」
好青年で優秀な冒険者で、しかも処世術にも長けている。文句のつけどころがない。
「俺、ずっとディケンズに憧れてたんだ」キリリと太眉を上げて、マイトは宣言する。「でも、それは今日でおしまい。まだ中級になったばかりだけど、これからはライバルだと思ってがんばる。いつか追いついて、ディケンズを越えたい!」
初級の壁を越えた自信からか、マイトの言葉に迷いは一切ない。
好青年の顔に、ほんの少し不敵な表情が混じる。
「そうか、楽しみに待っている」
冒険者が見えない火花を散らすなか――そのかたわらで、ふと放心したティオの姿が目に入った。人心地ついたことで恐怖がぶり返したのか、カタカタと小刻みに足が震えている。
「ティオはすねている」というカンナバリの言葉を思い出しながら、ミスミは遠慮がちに声をかけた。
「おい、嬢ちゃん大丈夫か?」
「えっ、はい……」
軽く肩を叩くと、バネ仕掛けのオモチャのようにピンと背筋を伸ばした。思わず苦笑をもらすと、恥ずかしいのかティオはふらふらと目を泳がせる。
ほんの少し肩の力が抜けて、顔つきが柔らかくなっていく。ミスミが普段見ている、どこか頼りないティオの姿に戻りつつあった。
「今回は無事だったからよかったけど、あんまり心配させんなよ」
「心配してくれてたんですか?」
「バカ、当たり前だろ」
わずかにティオの頬が染まり、くすぐったそうに笑った。「心配かけて、すみません」と口にしたが、その声はちょっぴりうれしそうだ。
いまの彼女から憤りの気配は感じない。ミスミはなんだかバカらしくなって、探りながら言葉を選ぶ作業を取り払った。
「実はよくわかってないんだけど、知らない間になんか気に障ることやっちまってたみたいで、ごめんな」
突然の謝罪に目を丸くしたティオだが、すぐに慌てた様子で首を左右に振る。「いえ、わたしが勝手にいじけてただけです。ミスミ先生はなぁんにも悪くない」
他人の感情に鈍いことを自覚しているミスミは、異議を唱えようと口を開くが、声を発する寸でのところでブレーキをかけた。鈍いと言っても、これ以上のよけいな追及は悪手であることはわかる。
「今日はすごくいい日です」目を細めて、ティオが笑いかけた。「みんなの役に立てたし、ミスミ先生に心配してもらえた」
初級の壁を越えて、人間的に成長したのだろうか。いつもより、少し大人っぽく感じる。
ミスミはボサボサ頭をかくついでに、熱を帯びる顔を伏せた。急いで別の話題を振って、赤面をごまかす。
「しかし、今回は驚かされたよ。よく一人で解決できたな。このまま順調に育っていったら、そのうちティオに追い抜かれそうだ」
世辞と受け取ったのか、ティオは真顔となる。そして、「追い抜けませんよ。置いていったりもしません」
まるで病状を告げる医者のように、やけにきっぱりと言いきった。
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