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「ミスミ先生、
「ああ、タツカワ会長に至急レポートを上げろって急かされてんだ。面倒だが、いまのうちにやっとかないと」
ダンジョン前広場から一旦ミスミ診療所に移ったマイト達は、負傷の治療を終えると、その足で祝賀会の会場となる『銀亀手の酒場』に向かう。どの店にするか、ずいぶんと悩んだようだが――最終的に、近場である点と、サイフにやさしい点が決め手となったらしい。
カンナバリやノンも誘われ、喜んで同行する。もちろんミスミも誘われていたのだが、押しつけられた仕事を放り投げるわけにもいかず、参加を見送ることにした。
もうすでに酒が入ってるのではと勘繰りたくなる赤い顔で、テイオが不服そうに詰め寄る。
「それなら、わたしもいっしょに――」
「バーカ、主役が抜けてどうする。今夜のうちに草案を作っておくから、嬢ちゃんは明日チェックしてくれ」
強引に背中を押して、診療所から追い払った。扉の向こう側から、「銀亀手で待ってます。終わったら来てくださいね!」と未練がましい声が投げかけられた。
苦笑しながら診察室のデスクについて、サラの紙束と向き合う。
何かあるたびにタツカワ会長が押しつけてくるので、レポートは慣れたものだ。大まかな箇条書きを並べて、それぞれ細かな要点を足していく。後は書きながら修正・調整を加えて、必須事項を重点的に埋めていった。
筆は進み、予想よりも早くレポートは終わりそうだった。実際遭遇したティオ本人による説明が必要な部分を、書き飛ばすことができたのは楽だった。たぶん、明日チェックするティオは地獄を見ることになるだろう。今夜飲みすぎないように念じながら、ひっそりとほくそ笑む。
「おーい、昇級組はどこいった?」
タツカワ会長が診療所に押しかけてきたのは、一息入れようとしたミスミが不慣れなお茶の用意で四苦八苦しているときだった。
「あいつら、もう祝賀会に行きましたよ」
茶葉の渋みだけを抽出したような濃い緑色の湯に顔を歪めながら、ミスミは言った。
いつもなら「一杯くれ」と遠慮の欠片もなく言ってくるのだが、今日はちらりと一瞥しただけでスルーする。
「なんだ、ミスミ先生は行かなかったのか?」
「誰のせいで行けなかったと思ってんですか。レポートを頼んだのは、あんたでしょ」
「そうだっけか?」わざとらしく肩をすくめて、とぼけた態度で笑う。「まあまあ、若者の宴会にオッサンがいても煙たがられるだけだ」
まだオッサンと自認していない三十代半ばのミスミは、地味にショックだった。
「……それで、タツカワ会長は何しに来たんですか?」
「昇級した冒険者には、報奨金を渡すことにしてるんだ。ポケットマネーだぞ」
「そりゃあ喜ぶでしょうね。銀亀手にいるから持っていってやればいい」
「なに、急ぐことはないさ。その前にちょいと聞きたいことがある」
タツカワ会長は記述途中のレポートに視線を落とし、小さく「うーん」とうなり声を上げた。角ばった厳めしい顔に、懐疑が詰まっている。
ミスミもレポートに目をやり、大体のことは察した。
「今回の災難のこと?」
「それだ。いったい何がどうなってんのか、お嬢ちゃんの話を聞いてもよくわからなかったんだ。俺も現役の頃に何度かゴーレムと戦ったが、おかしな症状が出たことなんてなかったから、よけい理解ができない」
「ティオも言ってたじゃないですか。密閉された部屋にゴーレムがいたことで、毒性の気体が溜まったのだろうと。会長の場合は、ひらけた場所で遭遇したんじゃないですかね」
まだピンとこないようで、眉間にしわが寄っていく。
「そもそも、ゴーレムが毒を出すっていうのが腑に落ちない」
「俺はゴーレムを直接見たわけじゃないし、魔力を動力にする機械について見識があるわけでもないので正確なことは言えませんが、症状から逆算するとある程度原因を推測できます」
最初の被害者が、免疫機能の高い妖精族のドワーフであったことで、通常の毒物でないのは予想できた。
無味無臭の気体で、引き起こされる症状は目まい、頭痛、吐き気、意識低下からの昏睡――可能性として思い至ったのは、「一酸化炭素中毒ではないかと」
「一酸化炭素中毒?! 練炭とか排気ガスで事件になったりするアレか?」
「そう、アレです。ゴーレムは発熱しており、規則正しい音を発していたということですから、即座に起動できるようにアイドリング状態だったんじゃないかと思ってます」
実際のところ、本当に一酸化炭素中毒であるかはわからない。魔力という燃料が、動力を通してどのように変質するのか不明である以上、正確なことは何も言えなかった。ただ、なんらかの人体に悪影響のある気体が排出されていたのは間違いないだろう。
ようやく納得できたようで、タツカワ会長は深くうなずいた。
「しかし、とんでもないトラップだな。お嬢ちゃんのおかげで無事解決できたが、もし偶然居合わせていなかったら、犠牲者が出ていたかもしれん」
「本当ですよ。冒険者が危険は承知のうえだとしても、限度がある」
「神様は乗り越えられる試練しか与えないってやつ――そういうのだな。実際にうまいこと乗り越えたわけだし」
ミスミはボサボサ頭をかいて、鼻で笑う。
「そうなると、ダンジョンの神様ってのは、相当意地が悪い。乗り越えるのに特定の知識が必要な試練なんて、不公平すぎる」
「神様だって、たまには失敗するんだろうよ。まあ、わざとってことも充分考えられるがな」
何気なくタツカワ会長が口にしたセリフに、少し引っかかるものがあった。
冗談のつもりで言ったことに対しての返事としては、微妙に違和感がある。ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、じっと角ばった顔を見つめた。
「……ひょっとして、本当にダンジョンの神様ってヤツがいるのですか?」
「いるさ。冒険者の間では、そういうことになっている」どちらとも言えない返答だ。「実在を確かめる方法は、たった一つだけ。ダンジョン最下層にたどり着いた冒険者の、他ではえることのできない特典だ」
タツカワ会長はニヤリと意味深に笑い、大きな手でたくましいアゴを撫でる。歴戦の冒険者の風格は、いまなお衰えていない。
とてもじゃないが、ミスミはこんなふうにはなれないと思った。逆立ちしたって、最下層まで潜れる冒険者にはなれないだろう。ダンジョン街のヤブ医者で精一杯だ。
「ティオが最下層に行けたら、神様の正体を聞いてみるとするか」
「そりゃあ気の長い話で。いつになることやら」
神様がいるなら、聞いてみたいことがたくさんあった。この世界のことや元の世界のこと、どうして自分が連れられてきたのか?――でも、いま一番知りたいことは、そんな大それた問題ではない。もっと身近で、切実な問題だ。
「俺って、もうオッサンなのかな……」
ミスミは、まだ引きずっていた。
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