<3>
「先輩、どうしてこんなところに……」
「話は後にしよう。それよりも、いまは彼の治療が先決だ」
「は、はい、そうですね!」
医術者二人がかりで、昏睡したドワーフの症状を確認する。呼吸が浅く、眉間にしわを刻んだ苦しげな表情を浮かべていたが、これといった外傷は見当たらない。わずかに額と鼻に擦り傷ができていたが、これは気を失い倒れ込んだときに負ったもので、昏睡の原因とは無関係だった。
状況から見て、考えうる要因は多くない。脳か心臓に持病があり、発作を起こして意識を失ったのではないか――しかし、ドワーフの健康状態に問題はなかったと仲間である先輩の証言があり、持病の発作の線はひとまず除外する。
感染症、もしくは食中毒の可能性も検討したが、ドワーフは突発的に意識喪失したという話だ。症状的に状況と見合わなかった。
そうなると、ティオに思い当たる原因は一つしかない。「毒でしょうか?」
「ぼくも、それは考えた。でも、断定するには腑に落ちない点があるんだ」
先輩によると――地下二十階は、たった一つの大きな部屋で構成されており、目につく物は何もなかったという。本来なくてはならない、先につながる階段までもなかった。壁に囲まれただけの空っぽのフロアだ。そんな遮蔽物のない空間に、もし毒素となる物質が漂っていたとするなら、ドワーフだけでなく他のメンバーにも健康被害が起きなくては辻褄が合わない。
「目に見えない何かがあったことは確かだ」じっと二人の話を聞いていた手練れの冒険者ガンシンが、ぼそりと口をはさむ。「あのとき、俺も軽い目まいと吐き気を感じていた」
「どうして、そのとき言ってくれなかったんですか!」
思いがけない告白に、先輩は強い語気で責める。
「そんな余裕なかったんだよ。目の前でこいつが気を失って、俺自身のささいな異変なんて吹っ飛んじまった」
「いま、体調はどうですか?」
「平気だ。もう異常は感じられない。――それにしても、あの妙な感覚は毒物とは思えんのだが」
ティオと先輩は顔を見合わせる。この場にいる誰よりも経験豊富な中級冒険者であるガンシンの意見は、充分に考慮しなくてはならない。
ティオは魔法学院医術科の授業で、毒について学んだことを思い返す。あくまで治療する際に必要な事項だけで、専門的な知識をえたわけではないが、おおまかな概要はおぼえていた。
一口に毒と言っても、神経毒や出血毒といった種類があり、有毒物質の性質によって伝染するスピードや症状に大きく差が出る。毒治療にはおもに活性化魔法をもちいり、たいていはそれで事足りるのだが、特殊な毒物であった場合は性質を見極めて的確な処置を必要とした。
ドワーフの症状を毒物によるものと仮定するなら、おそらくは神経毒の類であろう。身体の状態を見るに、それほど毒性は強くないものと予想される。だが、急激な意識喪失を引き起こした症状とは矛盾を感じた。
やはりガンシンの言うとおり、毒物以外の原因を考えるべきなのだろうか。
「なあ、地下二十階ってどんな感じだった?」
意図せずマイトが、ティオの聞きたかったことを先に言ってくれた。原因究明には、発生源を知ることが一番の早道だ。
「どんなと言われても……」
「さっきセントが言ったように、空っぽの広い部屋だった」言いよどんだ先輩に代わり、ガンシンが答える。「こりゃあ何か罠がしかけられているのだと思って、俺達は慎重に部屋を探っていた。突然、こいつが気を失うとは考えもしなかったからな」
冒険者としては当然の判断だ。そこに落ち度は感じられない。
「どんなことでもいいんです。何か気づいたことはありませんか?」
「うーん、あのときはあまり気にならなかったが、少し暑かった……気がする」
「あっ、そういえば、そうかも」と、先輩も同意した。
暑かった。気温の変化。それが意味することは――ちんぷんかんぷんだ。
「……音がした」
ふいにくぐもった声がした。聞こえたのは下から。
視線を落とすと、横たわったドワーフのまぶたがわずかに震えていた。左目が開き、少し遅れて右目が半分開く。
「よかった、気がついたんだ!」
先輩が手慣れた様子で容態を診断する。まだ多少吐き気があったようだが、健康状態に問題はないという結論にいたった。
ゆっくりと体を起こす動作を見ても、肉体的な不調は感じない。くわしい検査をしてみないことには正確な診断はくだせないが、ひとまず安心してもいいだろう。
「何が起こったのか、おぼえていますか?」
ヒザを揃えて隣に位置取り、ティオが聞き取りやすいようにゆっくりとした語調で尋ねた。
ドワーフは眉間に深いしわを刻み、わずかに首をかしげる。「妙な音が聞こえたような気がしたが……あれは幻聴だったんだろうか」
先輩とガンシンは顔を見合わせている。二人には聞こえていなかったらしい。
「どんな音だったんでしょう?」
「耳馴染みのない音で、どう伝えればいいのかわからん。とにかく、規則正しい一定のリズムで鳴っていたように思う。確かめる前に頭が痛くなって、目まいがして、意識が遠くなった」
ドワーフの聞いた音が事実であったとしても、この謎の症状と関連性があるものか現状ではわかりようがない。
ティオの目は階段に向けられる。実際に行って、確認してみないことには解明は難しいだろう。しかし、それは自ら危険に飛び込むことを意味した。
「どうだ、動けるか?」
ガンシンが手を貸して、ドワーフを立ち上がらせる。一瞬ふらついたが、自力で踏ん張り持ちこたえた。
「大丈夫だ。一人で歩ける」
「それはよかった。お前を担いで戻るのは、骨が折れそうだからな」
その言葉に、マイトが飛び上がって反応する。「ちょっと待った、戻るの?」
「ああ、一旦戻って立てなおしだ。いま無理をする必要はない」
「でも、俺達といっしょのほうが攻略しやすいでしょ」
ガンシンは呆れ返り、嘲るようにマイトを見下ろした。
「ひよっこ、お前はそれでいいのか?」嫌みったらしい物言いであったが、冒険者の真理を説いてくれている。「協力するのは結構なことだが、最後の壁は自分達の力で乗り越えるもんだろ」
冒険者として痛いところを突かれたマイトは、声を詰まらせて、恥ずかしそうに顔を伏せる。
その肩を、ガンシンは強く叩く。衝撃でよろめくほどに。
「今回は先をゆずってやるよ。まあ、行くか引くかはお前ら次第だけどな。せいぜいがんばんな、ひよっこ」
ガンシンは仲間を引き連れて撤退する。後につづく先輩は、振り返るとティオに微笑みかけた。
「ぼくが冒険者になったのは、ティオ、君に触発されたからなんだ。冒険者になった君を見て、ぼくも医術者だけじゃなく違う道を進んでみたいと思った。もう少し形になってから知らせたかったんだけど、うまくいかないものだね。君の行く道を応援しているよ」
ここで答えるべき言葉は、本来別のものだと思う。先輩の気持ちを受け取って、自分の気持ちを返すのが自然だったろう。でも、ティオの口からこぼれたのは、現実的な話だった。
「あの先輩。地上に戻ったら、このことをミスミ先生に伝えてくれませんか。ミスミ先生なら、きっと謎を解明してくれると思うんです」
肩透かしを食らって一瞬戸惑いを浮かべた先輩だが、すぐに気を取りなおしてうなずく。「ああ、わかった。必ず伝えるよ」
去っていくガンシンのパーティを見送り、仲間達は牽制するように互いの顔に視線を巡らせた。それぞれの心に芽生えた迷いを、誰かが吐露してくれるのを待っている状況だ。
番人が守る地下二十階が危険であることは百も承知――だが、ガンシン達の話で、予想していた危険とは、別種の危険が潜んでいることが確定した。未知の危険に踏み出すのが冒険者とはいえ、対策を立てられない状態ではためらってしまう。
重い沈黙が落ちるなか、こらえきれないといった様子で真っ先に口を開いたのはシフルーシュだった。「それで、どうすんの?」
「どうするって……そりゃあ、行くしかないだろ」マイトの声に少し動揺が混じっていた。「ここまで来たんだ。戻るなんて選択肢はない」
「で、でも、な何が起きて、起きたのか、わからないことには、ど、どどうしようもないんじゃ……」
「行って調べるか、引いて次の機会をうかがうか。安全策を取るなら、引くべきだな。調べたところで、解明できるとはかぎらないのだから」
弱気になった仲間をにらみ、マイトはへの字に口を曲げる。端的に言えば、子供のようにむくれた。どうやら先ほどガンシンに言われたセリフが、思いのほかこたえているらしい。冒険者としてのプライドが傷ついたのだろう。
ティオは苦笑して、自分も似たようなものかと場違いなことを思った。ノンにヤキモチを焼いていた自分と、ムキになっているマイトが重なる。
「行くだけ行ってみようか。危なくなったら逃げればいいんだから」
これまでにない積極的な言葉が、するりと口からこぼれていた。仲間の驚く顔を見ながら、内心自分自身も驚く。心情を重ねたことで、マイトに味方する意見がわき出たのだろう。
「だよな。姉ちゃんもそう思うよな!」
「ティオがそう言うなら、まあ、行くだけ行ってみるか」
ゴッツが納得したことで、パーティの指針は決定した。不安を振り払い、全員が覚悟を決める。
「よし、出発だ!」
マイトの号令で、一同階段に足を踏み出す。注意深く周囲を探りながら慎重に下りていくと、終点に大きな扉が待っていた。
地下二十階を区切る最後の扉だ。この先に、通常ならば番人モンスターがいるはずだった。
「体に異常を感じたら、すぐに言ってね。いつでも撤退できるように準備しておくように」
注意事項をティオが告げると、ゴッツの大きな手が扉を押し開いた。ギィッとかすかな軋みをあげながら、地下二十階の全容があらわになる。
話に聞いたとおり、何もない大きな部屋だった。番人もいなければ、次につながる道もない。壁に囲まれた空っぽな部屋――空っぽなだけに、よけい不気味に感じる。
「本当に何もないな……」
シフルーシュが辺りを見回しながらつぶやく。その手に持ったランプの火が、不安定に揺れる。
全員が部屋に踏み込んだ直後、ギィと音を立てて扉が閉まった。反射的に振り返るが、誰の姿もない。おそるおそるダットンが確認すると、扉は難なく開いた。閉じ込められたわけではなく、自動的に閉まるしかけが施されていたようだ。
ホッと安堵して、改めて部屋を眺める。
目に見える範囲に、おかしな点は見当たらなかった。ただガンシンの言葉とおり、心持ち暑くなった気がする。熱源となりそうなモノは、どこにもないというのに。
「どうだ、何か見つかったか?」と、マイトが声をかける。
よい返事は皆無だった。全員の顔に不審が宿っている。
次第に調査範囲は広がり、集まって行動していたのがばらけるようになっていた。大きな部屋だけに団体で動くと効率が悪く、半ば無意識に一人また一人と離れていった結果だ。
左側の壁際に寄っていたティオは、ふと暑さが増したことに気づく。同時に、これまで感じなかったささやかな振動が、肌を叩く空気の波として伝わる。
耳をこらすと――ドッ、ドッ、ドッと規則正しいテンポの不思議な音が聞こえた。これがドワーフの言っていた謎の音なのだろうか。
「あ」と、かろうじて言葉と形容できる声が、ティオの口からこぼれた。
それは兆候と呼べる予感など一切なく、突然襲ってきた。急激な目まいに見舞われ、頭痛と吐き気で体を縛られる。立っていることもままならず、ヒザの力が抜けて無様に倒れ込んだ。
何かあれば報告するようにと自分で言っておきながら、誰にも告げることができなかった。もはや声を発することも困難な状態である。
「どうしたの、ティオ!」
偶然シフルーシュが目撃していなければ、しばらく気づいてもらえなかったかもしれない。それほどに見えざる脅威の進行は、素早く静かだった。
仲間が駆けつけて、ティオの体を抱きかかえる。
うすれゆく意識のなかで、ぼんやりと壁がうごめいているように見えた。あれは錯覚だろうか?
「ど、ど、どどうしよう!!」
「いいから、早く戻るぞ!」
「何やってんの、こっちこっち!!」
「ちょ待った、あ、あれはなんだ?! ゴー――」
慌てふためき焦るあまりに、行動が乱れる。冷静な判断を下せず、一歩も二歩も対処が遅れていた。
これまでにない危機的な状況だ。そうわかっているのに、ティオは不思議と恐怖を感じなかった。頭のなかには、自身が患う症状の疑問だけがくっきりと浮かび上がっている。なぜ? どうして?――繰り返される問答の結論が導き出される前に、意識はプツリと途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます