<3>

 ゴッツは診察席に腰を下ろすと、小さく吐息をもらした。

 昔から医術者や医者を前にしたときのかしこまった雰囲気が苦手で、気持ちが落ち着かない。無意識に片足を小刻みにゆすり――いわゆる“貧乏ゆすり”だ――振動が伝わることで、大きな体がガタガタと震えていた。


「そう緊張するな。楽にすればいい」


 よほど強張った顔をしていたのか、ミスミは苦笑して肩をすくめる。その後ろに控えたカンナバリとティオも、苦笑を浮かべている。

 ゴッツは自分の顔にふれて、堅苦しい仏頂面を大きな手でもみほぐした。


「それで、お前さんはどういう用件なんだ?」

「一言で言うと、足がかゆいんだ」


 口で説明するよりも、直接見て診断してもらったほうが早いと思い立ち、ゴッツは分厚いブーツに手をかけた。革ひもをゆるめて隙間を作ると、一気に引き抜く。

 密閉されていた素足が解放されて、ひやりと心地いい。同時に、むわっと鼻を突くすえた臭いが診察室に広がった。

 反射的にミスミは鼻を腕で押さえ、カンナバリとティオは弾かれたように後ずさった。


「こいつは……重症だな」こわごわと足を覗き込んで、ミスミはためらいがちに言った。「水虫か」


 足の指の間が白くふやけて、ところどころすりむけていた。乾燥して硬化したかかとには、白い筋のようようなヒビが走っている。

 軽い痛みもあるが、それよりも問題なのはかゆみだ。ひっかいたところで一瞬楽になるだけ、解消されることはない。


「どうにかならないかな、ヤブ先生。これのせいで長時間の冒険が苦痛なんだ」

「そう言われてもなぁ、水虫は案外厄介な病気だ。自然治癒が期待できない」


 思いもよらない言葉に、驚きの表情でティオが身を乗り出す。


「活性化魔法も通用しないのでしょうか?」

「水虫の元はカビ菌の一種で、こいつに寄生されて起こる皮膚病だ。このカビ菌の感染スピードは早くてな、免疫細胞を活性化させても追いつかないだろう。ちなみに、これが股に寄生するとインキンタムシになる」

「いんきん……」


 ティオは赤面して、恥ずかしそうに引き下がった。


「治療法はないんだろうか。せめて、かゆみをやわらげる方法だけでも知りたい」

「水虫に効く外用薬があるかどうか――そこらへんは薬剤店に行って話を聞いてみるといい。とりあえず、いまからできることは足をこまめに洗い清潔に保つよう心がけて、なるべくカビ菌が好む湿度の高い環境を整えないことだ」


 視線は脱いだブーツに集まる。足を締めつけて密閉する構造上、通気性が悪くどうやっても蒸れてしまう。汗が溜まるので雑菌も繁殖し、鼻が曲がりそうな悪臭が染みついていた。

 ゴッツは困り顔でうなり声を上げる。冒険者である以上、予防の処置も難しい。


「たとえば通気性のいいサンダルに履き替えるとか、そういうわけにはいかないのか?」

「ムリですよ」カンナバリが冒険者の気持ちを代弁してくれる。「いつ何が起こるかわからないダンジョンでは、足下の防護も重要です。動きやすさと耐久面の両方を兼ね備えるのは、ブーツくらいでしょう」


 探せば他にあるのかもしれないが、ゴッツとしてはなるべく替えたくないというのが本心だ。先頭で立ち回る役割的に、道具は信頼できるモノを使いたい。肝心なときに不具合があっては、パーティ全体に迷惑がかかる。


 ミスミが鼻のつけ根にしわを寄せて別の方法を思案するなか、わずかに表情を曇らせたカンナバリが同情の声をもらした。「ダンジョンは清潔な場所とは言えないからねぇ。冒険者の職業病みたいなものよ」


 彼女の言う通り、水虫に苦しむ冒険者はゴッツだけではない。酒場などで顔を合わせると、冒険状況よりも水虫治療の話のほうが盛り上がることが多々あった。

 苦しみは分かち合えば分かち合うほど、気持ちが楽になるものだ。具合は一切楽になることはないのだが。


「どれだけ有用性があるかわからないが、除湿効果のある物をブーツに仕込んでおくのはどうだろう。たとえば木炭とか」

「木炭って、除湿効果があるんですね」と、ティオは妙に感心する。「でも、靴に入れておくのは痛そう……」


 実行したところを想像して、苦笑い。問題点には目をつむり、ミスミは提案をつづける。


「まあ、そこらは工夫してもらうしかない。あとは、休憩ごとにブーツを脱いで足を拭く。何よりも清潔にするのが大事だ」

「わかった、やってみよう」


 他に選択肢がないのなら、ゴッツはうなずくしかなかった。手間ではあるが、少しでも改善する見込みがあるなら試してみる。

 冒険者にとっては、当然だが冒険が第一だ。そこにともなう苦労ならば、受け入れるのも当然となる。


「なんか、素直だな」


 すんなりと応じたゴッツが、よほど意外だったらしくミスミは目を丸くして驚いていた。

 これまでどんなふうに思われていたというのか、気になるところだ。


「ゴッツは少し頭の固い面もありますが、根はマジメな子なんですよ」と、カンナバリが彼女なりの人物評を告げる。

「そうですね。体が大きいうえに強面なんでとっつきにくいですけど、打ち解けると案外話しやすいし、マイトくんよりもよっぽど人の意見をよく聞いてくれます」と、ティオが付け足す。


 ――それはともかく、ティオにとっつきにくいと思われていたことを、このときはじめて知った。少しショックだった。


「なんにしてもだ。お前さんも症状を見ながら気長に治療していくしかない。あまり焦らず、じっくりやっていこう」


 対処療法でしかないが、何もしないよりはマシだろう。それに、なすべきことが決まった分、闇雲に独自治療を試していた頃よりも安心感があった。もしうまくいかなかったとしても、ミスミに責任を押し付けつことができるのも気楽だ。


「あっ、そうそう、言い忘れてたけど水虫はうつる。気をつけるんだぞ」


 ふと思い出したように、笑いをこらえながらミスミが告げる。

 それはゴッツにではなく、診察室にいるもう一人の冒険者に向けたからかいであった。


※※※


 最後に診察室へ訪れたのは、妙に深刻な表情のマイトだった。席に座ると、何やら思い詰めた顔で診療所の面々を見回す。


 切迫した空気を帯びている――が、それは無理やりひねり出した、精一杯のシリアスだと簡単に見抜けた。

 時おり様子を探る視線が、ちらちらと向けられる。

 ティオはカンナバリと顔を見合わせて、軽く肩をすくめるのだった。


「お前も相談があるのか?」ミスミが億劫そうに問いかける。「本当に?」

「あるよ、あるに決まってるだろ! 冒険者をやっていたら、悩みの一つや二つポンポコ湧いてくるもんなんだよ!!」


 早くも表情は崩れて、いつものマイトに戻る。怒ってすねて、太い眉を立てるように吊り上げると、フンと鼻を鳴らして腕組した。

 ミスミはボサボサ頭をかきながら、相談事を告げるように目でうながす。


 一つ咳払いを打って、マイトは溜めに溜めてから口を開いた。「最近仲間とうまくかみ合わないんだ」


 そんな話は聞いていなかったので、ティオはびっくりして目を瞬かせる。曲がりなりにもパーティの一員として何度も冒険に参加してきたので、少なからず彼らの関係は理解しているつもりだった。見たところ不和があるようには感じなかったが、知らぬうちにすれ違いが起きているのだろうか。


「あいつら、リーダーの俺の言うことを全然聞いてくれない」


「えっ?」と、思わずティオは声をもらす。

「えっ?」と、反射的にマイトは声を返した。

「マイトくん……リーダーだったんだ」


 これまでの冒険で、マイトをリーダーだと思ったことは一度としてない。確かに冒険の方向性を決めていたのは、仲間内で一番積極的なマイトだった気はするが――良く言えばムードメーカー、悪く言えば賑やかしくらいにしか思っていなかった。

 そんなティオの考えを見抜いたのか、マイトはむくれて顔を赤くする。


「あのなぁ、マイト。そういうことは仲間と話し合ってくれないか。診療所に持ち込まれてもどうしようもない」

「いや、でも……」

「デモもストもない。病気の相談になら乗ってやるが、パーティの問題に部外者が口出しするのはルール違反だろ。ほらっ、さっさと診療室を出て、じっくり話し合うんだな」


 ミスミは面倒そうに手をヒラヒラと振って、退室をせっついた。


「待ってくれよ、ヤブ先生!」慌ててマイトはすがりつく。「も、もう一つ悩みがあることを思い出した!」


 あっさりとリーダー問題は投げ出した。マイト自身、そこまでこだわっていないのかもしれない。

 どうして診察の延長を求めているかは、不明だ。ただ単純に、自分一人何もミスミに相談することがない状態に疎外感を抱いただけ――ティオは、そんな気がした。


「どうせ、くだらない悩みなんだろ」

「そんなんじゃない。立派な悩みだ!」マイトの目が、一点に向けられる。「もうすぐ初級の壁にたどり着きそうなんだ。まだまだ未熟な俺達が、壁を乗り越えるために、どうしても協力してくれる助っ人がほしい」


 ティオは大げさに顔をそらすが、マイトは椅子を引きずってまで強引に覗き込んでくる。さらに首を回すと、負けじと椅子をごと追ってきた。

 不毛な視線の追いかけっこを繰り広げるなか、ちらりとミスミの姿が目に入った。他人事だと思って、その顔は半笑いだ。むかっ腹が立ってくる。


「いいじゃないか、嬢ちゃん手伝ってやれよ」

「ミスミ先生、簡単に言わないでください。ダンジョンに潜るのは、本当に大変なんですよ!」

「そうは言っても、いつも診療所にいるのは気が滅入るだろ。たまにはダンジョンで憂さ晴らしするのもいいんじゃないか」


 何もわかっていないくせに、適当なことを言う。


「憂さなんてありません!!」


 ティオの反発をどう解釈したというのか、マイトがおかしなところに食いつく。


ができたら、ダンジョンに来てくれんの?!」

「別にそういうわけじゃ――」

「よし、姉ちゃんがウサるようにがんばってみるか!」


 マイトの頭の中でどのような思考が働いたのか、まるでわからないが、とにかくやる気になっている。

 悩みは解決したといっていいだろう。その代わりに――


「えー、ウサるって何……」


 冒険者でもあるティオに、思いがけない悩みが降りかかってくるのだった。

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