<2>

 外見上はマイトと変わらぬ年頃の少女に見えるが、実年齢はまったく予測できない。

 妖精族のなかでも、エルフは特に長命で若さを維持する種族であると聞く。おそらく生物が持つ老化因子が、通常とは異なる構造をしているものと思われる。そのメカニズムを解明することができたならば、人類の夢である不老も実現可能になるかもしれない。ただ残念ながら、この世界の医療科学が分析研究を行える水準に達するまで、まだ数百年はかかることだろう。


 ――とにかく、彼女の年齢を読み解くのは難しかった。整ってはいるが幼い顔立ちをしており、エルフのなかでは少女に分類される年代だとは思うが。


「おい、何すんだ。危ねぇだろうが!」


 手にした剣をブンブン振って、マイトが怒りの叫びを上げる。

 その様子を横目に見て、うっとうしそうに顔をしかめたミラーリングが、感情を押し殺した静かな声で言う。


「なんの真似だ、シフルーシュ。冗談では済まないぞ。それを向けるということは、私と敵対するということだ」


 シフルーシュと呼ばれた少女は、少なからず動揺したようで、頬がわずかにひきつっていた。それでも、構えた弓を解こうとはしない。

 弦にかかった矢が狙っているのは、あきらかにミスミとマイトがいる方向だ。同族に対して敵対の意志はないのかもしれないが、人間に対しては明確な意志を感じる。


「ミラー兄様、そいつらを里に入れるつもりですか。人間に頼るのは、もうやめてください。何度繰り返しても結果は同じです、無能な人間に呪いを解くことなどできません!」

「まるで我らなら解けるとでも言いたげだな。お前はよほど優秀なようだ」


 痛烈な皮肉だったらしく、少女は声を詰まらせて黙り込んだ。やり場のない怒りと恥ずかしさで、顔が真っ赤に染まっていく。エルフ特有のすまし顔をしているが、案外わかりやすい。

 ミラーリングは鼻で笑い、軽くアゴをしゃくって合図を送る。


「行こう。ここで愚か者に足止めされるのはバカらしい」


 疲労が軽減したわけではないが、いつまでも弓矢の標的となっているのは勘弁願いたい。ミスミは異を唱えることなく、そろそろと歩きだす。


 まるで相手にされていないことに、感情的なエルフの少女は逆上する。「ま、待て!」とヒステリックに制止し、弦を引いていた手を離してしまう。

「あっ!」と上ずった声がもれた。反射的に二射目を放ってしまったが、おそらく実行する気はなかったのだろう。瞬間的に表情が曇る。


 一射目と違い正確に狙いをつけていたわけではなかったが、運悪く飛び出した矢はミスミを射抜く――その直前、突如一陣の風が吹きつけて、間一髪のところで軌道を横にずらした。大きくそれていった矢は、池に吸い込まれて水飛沫を上げる。

 ミスミは腰を抜かし、その場にへたり込む。恐怖に体を震わせながらも、寸前に聞いた言葉を思い返していた。


「風よ」そして、「木よ」


 ミラーリングが口にしたのは、ただの言葉にすぎない。しかし、声となり響き渡ると、それは世界に干渉する。

 実際に風が吹きつけ、不自然に矢をそらした。木々が密集して防壁となった森は、横殴りの突風など起きるはずがないというのに。


「キャアッ!」と巨木の上から悲鳴が聞こえた。エルフの少女が足を滑らせて、枝から落下したのだ。何やら思いもよらない出来事が、そこでも起きたのだろうか。少女の華奢な体が地面に叩きつけられる。うまく受け身を取ったとしても、ケガをまぬがれない高さだ。


 だが、今度も激突の直前に、危機を回避する不自然な現象が発生していた。巨木に絡まっていたツタが、少女の体に引っかかり落下を防いだのだ。身をよじると、まるで拘束するように手足や体にツタが巻きつき、彼女は身動きできなくなる。


「あれが……精霊魔法」


 マイトは目を見開いて、興奮気味に言った。

 精霊魔法とは、自然現象を操るエルフが得意とする魔法だ――と、旅立つ前にティオからレクチャーを受けて聞いている。ダンジョン制覇者であるミラーリングは、凄腕の精霊使いである――と、これは馬車のなかでマイトから聞いた。


「私と敵対することになると言ったはずだ。お前如きが牙をむいたところで、私にかなうはずがないだろう」

「大人達はミラー兄様の所業をよく思っていません」ツタに絡まった状態で、少女は叫ぶ。「これ以上外の者を、許可なく里に引き入れてはミラー兄様の立場が悪くなってしまいます」


「好きに言わせておけ。何もせず手をこまねいている連中に、私を止めることなどできない。大切なのは、女王様を救う一点のみ。そのためなら喜んで汚名をかぶろう。――私の心配は無用だ。ありがとう、シフル」


 これまでの脅しは、ミラーリングの立場をおもんばかっての行動だったのだろう。それに気づいていたからこそ、最後に少女へ向けた言葉は優しさがにじんでいた。

 先頭を切ってミラーリングは歩きだし、ミスミも後につづく。最後尾についたマイトは、心配そうに何度も振り返り見ながら少し遅れて追ってきた。


「妹さん、あのままでいいの?」

「平気だ、あれくらい自力で解く力はある。それと、シフルは妹ではない」つねに高圧的なミラーリングが、ほんの少し柔らかな表情を浮かべていた。「小さなエルフの里に生まれた者同士ゆえ、遠縁に当たるかもしれないが、親族といえるほど近しいわけではない。ただ幼い頃から知っている身近な兄のような存在ということで、不器用ながら私を慕ってくれている」


「あれで慕ってるんだとしたら、本当に不器用だ」


 一連の行動を思い返したらしく、マイトは破顔して言った。

 危うく殺されそうになった身としては、笑いごとではない。ミスミはおそるおそる少女が追ってきていないことを確認して、ほっと胸をなでおろした。


「それよりも急ぐぞ。エルフの里までもう少しだ」

 ――と、言われて、いったい何時間歩いたことだろう。エルフの言う“もう少し”は、金輪際信じないことにする。


 がっくりと頭を下げて、ぎこちなく踏み出す自分の足を見ながら、ミスミは歩きつづけていた。鼻を伝い落ちた汗が、泥にまみれたブーツのつま先を濡らす。

 蓄積した疲労によって、顔を上げるのも億劫だった。また限界が、遠くない未来に訪れることを予想できる。そんなときに、ふいに肩を叩かれた。


「ついたぞ」

「えっ?!」と目線を上げて見回したが、周囲の景色はこれまでと変化の違いがあるようには思えなかった。相変わらず木々に囲まれた森の風景が広がっているだけだ。


 里と呼べるような痕跡は、どこにも見当たらない。ミスミは化かされているのではと、本気で心配になってきた。


「ここがエルフの里?」

「そうだ。この先に、お前に診察してもらいたい、御仁がいらっしゃる」


 しばらく進むと、明確にこれまでと違うモノが目に飛び込んできた。

 樹齢千年以上はあるだろう巨大な古木だ。見上げても果てを確認できぬほど高く、幹は一周りするだけでも息切れしそうなほどに太い。神々しいまでに圧倒的な存在感を誇示している。

 ミスミは息を飲み、ただただ驚愕する。他の樹木に遮られていたとはいえ、どうして気づかなかったのか不思議でならない。


「ここだ」ミラーリングは二股に分かれた木の根の間に滑り込み、扉をノックするように太い幹を数度軽く叩いた。コンコンと木琴を思わせる小気味良い音が響く。


 すると、ヒビ割れたように細かく溝の入った樹皮の一部が、パラパラと剥がれ落ちて木肌に穿たれた穴があらわになった。古木の内側はくりぬかれているらしく、奥に通じる出入口が隠されていたのだ。

 おそらく“エルフの里”と区分された地域の樹木には、同じような仕掛けがほどこされているのだろう。ここが里であることに、ようやく合点がいった。


 先導するミラーリングに従い、ゆるい下りのスロープとなった通路へ踏み出す。不思議なことに、光源はどこにも見当たらないというのに、内部は一定の光量で照らされ明るかった。びっしりと壁面に張りついた白い胞子が、じわりと発光していることに気づいたのは、もう少し後のこと――いまは訳がわからぬまま、スロープを通って広い空間にたどり着く。


 地表との高低差的に半地下といったところ。その根元寄りの空間は、花園と見まがいそうなほど花で埋め尽くされていた。血のように赤く色づいた花の束が、所狭しと置かれていたのだ。独特な甘いにおいが充満している。


「おひさしぶりです、女王様。お約束した、医者を連れてまいりました」


 ミラーリングがふいに片ひざをついて、深く頭を下げた。

 慌てて下げた頭の方角に目を向けると、赤い花に囲まれた位置にひっそりと彼女は腰かけていた。美しい女性――言葉にあらわすと、これ以上他に付け加えることのない形容であるが、それだけでは何もかも足りないと思わせる人智を超えた美貌の持ち主である。


 足下まで届く長い銀の髪を揺らして、彼女はにっこりと笑う。美しく、それでいて可愛らしい笑顔だった。


「ミラー、おかえりなさい。わたくしのために、いつも苦労をかけますね」

「もったいないお言葉。私がふがいないばかりに、こんなにも長い間お待たせしてしまいました。今回は……今回こそは、必ず女王様の辛苦を取り除いてみせます」


 彼女の溢れんばかりの威厳に圧倒されて、無意識にひざを折っていたミスミとマイトに、澄んだ翡翠色の瞳が向けられる。


「あなた方が、お医者様ですか?」

「あっ、俺が医者です。こっちは付き添いの冒険者で……」

「そうですか、遠いところありがとうございます。わたくしは里長のジュレイオ、ジュレとお呼びください。周りの者は女王などともてはやしますが、ただ少し長生きなだけのエルフにすぎません。そんなにかしこまらないでくださいな」


 そう言われては、よけい恐縮する。ミスミはどうにか緊張を解こうと試みたが、効果のほどはいまいちだった。

 柳眉をハの字に下げて、女王ジュレイオは困り顔を浮かべる。その表情さえも美しい。


「わたくしにかかった呪いを診てくださるのですね」

「えっと、呪い……ですか」


 ミスミはちらりとミラーリングを盗み見て、心のなかで困惑の叫びを上げた。

 事情について道すがら聞くつもりだったのが、それどころではなくてすっかり失念していた。まさか患者がエルフの女王様で、病気ではなく“呪い”だとは、想像もしていなかった。呪いの解明となれば、魔法知識のないヤブ医者に出る幕はない。


 本当のことを打ち明けて、早々に退散しよう――とも思ったが、ジュレイオの期待に満ちた目を見ると、簡単に断ることができない。

 結果、適当な言い訳でお茶をにごすことになる。「その、まだ到着したばかりで、少々疲れています。誤診があるといけないので、今日は休ませてもらえないでしょうか」


 疲労しているのは事実なので、あながちウソというわけではない。ミスミの顔色を見て、ジュレイオも納得してくれた。


「そうですね、今日はゆっくりお休みください。ミラー、寝所にお送りしてあげて」そこで何やら思いついたらしく、彼女はヒモで閉じた紙束を取り出した。「――ああ、そうそう。よろしければ、こちらをどうぞ」


「なんでしょう?」

「以前いらっしゃった医術者の先生が残していった、わたくしの診察記録です。我が民の客観的な種族性質も記され、読み物としてもなかなか面白いですよ」

「それは助かります」


 何度も読み返した跡が、用紙の劣化具合に見て取れた。記録の日付は十年前、記載者は『魔法学院医術科准教授ロックバース・ケイラン』と署名されている。


 ミラーリングに別の樹木の客室に案内されると、呪いの正体を確かめるべく、ミスミはさっそく診察記録を読みはじめた。乾燥草にシーツをまとわせただけの簡易なベッドに寝転び、几帳面に書き込まれた小さな字を目で追う。


 ジュレイオが言うように、呪いや症状についてだけではなく、エルフに関しても解釈が加えられた面白い読み物だった。ミスミは疲労でヘロヘロだったが、無理やりに意識を集中して、一気に診察記録を読破するのだった。

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