<3>

 泥のように眠っていたミスミが、ようやく目を覚ます。木々に覆われたエルフの里は、陽射しが届きにくく時刻を読みづらいが、すでに正午を回っていた。

 ミラーリングは軽蔑の視線を送ったが、まだまぶたが開ききっていないようで、まったく通じなかった。何を言っても冗談めかして受け流す、冒険者仲間であったタツカワの図太さを思い出した。


「ハハッ、すごい寝ぐせ」


 テーブルで待ち構えていたマイトが、のんきな声で言った。

 ミスミはいびつな形に跳ねた髪を戻そうと、手を頭に持っていこうとするが、中途半端な位置で止まってしまう。


「ううぅ、筋肉痛で体が痛い……」

「しょうがないな、ほらっ――」


 代わりにマイトが髪を手ぐしですいてやり、どうにかこうにか多少見れる程度のボサボサ頭に戻してやる。

 その様子を冷めた目で見ていたミラーリングは、一段落ついたタイミングで、用意しておいた昼食の皿をテーブルに並べた。


「食事だ。早く食べて、女王様の診察に向かうぞ」


 皿を覗き込んで、マイトがげんなりした表情を浮かべた。朝食に出した料理もまったく同じもので、マイトにとっては本日二度目となる。

 野草に、種子から抽出したオイルをまぶしただけのサラダだ。エルフの里では取り立てて珍しくもない一般食である。


「えー、また草か……」

「これだけか。OLの食事かよ」


 マイトだけでなく、ミスミもぼそりと文句を言う。言葉の意味はよくわからなかったが、嫌味であることはわかった。

 エルフは基本的に菜食を中心とした食生活を送っている。時には動物性の食材を口にする場合もあるが、種族的な身体機能の問題によって消化に手間取り便秘になるケースが多く、少量をつまむ程度で抑えるようにしていた。


 ダンジョン街で冒険者をしていた頃に、人間の食事は嫌というほど見てきた。ミラーリングにとってはどれも胸焼けしそうな雑多な料理であったが、あれを人間の基本食とするならば、彼らがエルフの料理に不満をもらすのも納得できる。

 ――それはそれとして、やはり腹は立つ。


「嫌なら食べるな。私はお前達の給仕ではないのだぞ、用意してもらえるだけありがたいと思え」

「へいへい、食べますよ」


 出会ったときの憧憬はどこへいったのか、マイトはしかたくという態度を隠すことなく、もそもそとサラダを食べはじめた。仲間のことを思い出し、どの時代も冒険者は、礼節を欠く性質を持っているのかと首をかしげたくなった。


 食事が終わると、ミスミはすぐに席を立った。まだ口の中にはサラダが残っており、モグモグと細かくかみ砕いて飲み込みながら、出かける準備を整える。まったく行儀が悪い、礼節を欠くのは人間の性質なのかもしれない。


「それじゃあ、女王様の診察に行くとするか」


 ミスミは前日とは打って変わって、やる気を見せた。内心手に負えないと逃げ出すのではないか心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。一晩眠ってゆっくり休んだことで、医者の本分を思い出したのだろうか。


「えっと、俺は別行動してもいいかな?」少しきまりが悪そうに、マイトが言った。「いっしょに行っても役に立たないだろうし、変なこと言って女王様に失礼があったらまずいでしょ」


「そりゃ、まあ、そうけど……。いったい、どこに行く気だ?」

「せっかくここまで来たんだから、ちょっくら森を冒険してくる。朝もそこらを散歩したんだけど、それだけだと物足りない」


 ミスミは呆れ気味にため息をついて、ちらりと目線をよこしてきた。

 どうでもよかったので、ミラーリングは無視した。それを“承認オーケー”と判断したらしい。


「いいだろう、行ってこい。あんまり遠出して迷子になるんじゃないぞ」

「わかってる!」


 言うが早いか、マイトは喜び勇んで飛び出していった。

 その背中を見送り、ミスミは苦笑しながら肩をすくめる。


「まったく、遊びに来たんじゃないんだぞ。護衛の役目を忘れてるのか」

「我らも行くぞ」


 よけいなことで、貴重な時間を奪われたくない。ミスミをうながして、ミラーリングも出発した。

 女王居住の樹木通用口をくぐり、スロープを通って私室の広間に入る。昨日と変わらず赤い花に囲まれた位置で、ジュレイオは穏やかに出迎えてくれた。


「お待ちしていました。さあ、どうぞ」


 ジュレイオがさっと手を振ると、樹木の一部で生成された床が隆起して、椅子の形状に変化した。

 驚きのあまりあんぐりと口を開けたミスミは、勧められるがまま遠慮がちにちょこんと腰を下ろす。


「……これも精霊魔法ですか?」

「ええ、そのようです。物心ついたときには自然と使えるようになっていたので、あまり精霊魔法と意識したことはないんですけどね」


 少し照れくさそうに笑い、ジュレイオは長い銀髪を指に絡める。エルフ内でも女王ほど精霊に愛された存在はいない――もっと誇ってもいいのではと思うのだが、ジュレイオは一度として自慢するようなことはなかった。


「ロックバース氏が残した診察記録、読ませてもらいました。女王様がおっしゃったように、なかなか面白い読み物でした」


「ジュレと呼んでください」その口調は、どことなくすねているような響きが混じっていた。「そのようなよそよそしい呼び方では、わたくしがミスミ医師を芯から信頼することができません」


 ミスミは焦り、視線を泳がせながらボサボサ頭をかく。「そ、そういうことなら、ジュレさん。これでよろしいですか?」

「呼び捨てでかまわないのですよ」

「それはご勘弁を。厳しい監視の目がありますからね」


 両者は同時に、隅に控えたミラーリングを見た。何も失礼なことはしていないというのに、ばつが悪くて思わず顔をそらしてしまう。

 ジュレイオは口元に手を当て、笑いをこらえている。正直面白くないが――女王が楽しそうで何よりだ。


「えっと、話を戻します。診察記録を興味深く読ませてもらったのですが、おおむね納得できる部分といくつか疑問に思う部分がありました。まずは、それらを質問させてもらいます」


「すぐに診察とはいかないのですね」

「問診も立派な診察ですよ。問題点を洗い出すには、遠回りに見えても一つ一つ疑問を解いていくのが早道です」


 ミスミの問診は、他愛もない質問からスタートした。本人の病歴に恒常的な痛みの有無、両親の病歴及び死因、接触のある友人に病気を患っている者はいないか、よく口にする飲食物の種類、かわいがっている動物はいないか――などなど。答えが返ってくるたびに、用意した紙に記入し、時おり診察記録と見比べている。


「えー、少しプライバシーに関わる質問をします」ちらちらとミラーリングの様子を確認しながら、ミスミは控えめにたずねた。「その、親しい間柄の男性はいますか? はっきり言ってしまえば性的な交わりのある男性です」


 それが“呪い”とどんな関係があるのかと、ミラーリングはいきり立つが、汚い言葉が口からもれる寸前に押しとどめる。ひとえに敬愛する女王が、さして気にした様子もなく平然と受け取っていたからだ。ここでミラーリングが口出しすれば、恥をかかせることになる。


 ジュレイオはわずかに含みの声色で、きっぱりと言った。「いません、残念ながらね。自分で言うのもなんですが、それなりに見れる容姿をしていると思うのですが、何が問題なのか誰も言い寄ってこないんですよ」


「もったいない話ですね。これほどの美人に声をかけないなんて、エルフの男はどうかしている」

「あら、お上手。よろしければ、ミスミ先生にもらっていただこうかしら」

「そいつは光栄です。機会があれば、是非に」


 女王の存在感に慣れてきたのか、ミスミは調子を合わせて返していた。多少照れてはいたものの、きわどい軽口にも対応している。

 ふつふつと沸き起こった嫉妬心が、ミラーリングの視線を鋭く尖らせていった。にらみつけると、ミスミは目をそらして微妙に顔をひきつらせる。


「……あの、それでは次の質問です。さっき見た精霊魔法について、診察記録にはエネルギーの操作とありますが、ごの解釈はエルフ的に正しいと思いますか?」

「精霊魔法とは、“自然界に存在する森羅万象をエネルギー体と見なし、それらに指向性を持たせることで操作する魔法である”というやつですね」


 診察記録の一文を、ジュレイオはそらで言ってみせた。何度も読み返して、すっかり頭に入っているのだろう。

 ミスミは目をパチクリ瞬かせて、実際の文章を確認している。


「そう、それです……」

「正直言って、よくわかりません。ロックバースさんの友人の魔術師が推察した定理であると聞きましたが、わたくしはエネルギー体というものに実感が持てなくて、正しいとも間違っているとも言えないです。そもそも手を使うのと同じような感覚で精霊魔法を利用しているので、わたくしに判断することなどできないのですよ」


 センスに特化した天賦の才を持つジュレイオに、理論的な解釈を聞くこと自体が間違いなのだ。それに気づいたのか、今度はミスミの目が、ミラーリングにも問いかける。


「自然が持つエネルギーは、うっすらとだが感じないわけではない。だが、精霊魔法のあり方を、理論立てて説明することは難しい。正しいような気はするが、あくまで感覚的なものにすぎず、定理が明確に正しいとは言いきれないのが実際のところだ」


 思い描いた答えにつながらなかったのか、ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、質問の観点を変える。


「ここには生命に宿る精霊もいて、活性化魔法に似た効果を発揮できると書いてありますが、本当でしょうか?」


「それについては、間違っていないと断言しよう」女王に代わり、ミラーリングが答える。「ダンジョンで何度も経験したことだ、身をもって実証してきた。ただし、活性化魔法ほど効力が高いわけじゃない。気持ちを落ち着かせて高ぶりを癒すといった精神に作用する効能が本来の使い道で、活性化は副次的な産物にすぎない」


「笑うことで免疫細胞が活性化する。生命の精霊魔法には、あれに近い効果があるのかもしれないな。そうなると――」


 ミスミは問診の返答を記入したメモに目を走らせる。

 何やら期待できる結果をえられたらしく、口元にニヤリと笑みが浮かんだ。


「最初の質問で、ジュレさんは生まれてからこれまで病気をしたことがないと言ってましたね。それは、無意識に生命の精霊魔法を自分自身にかけていたということはないでしょうか。妖精族は元々免疫力が高いようですが、それでも病気を一切患ったことがないというは、なんらかの理由がないと説明つかない」


「そういうこともあるかもしれませんね。でも、それが呪いとどう関係するのでしょう?」

「そこが問題です。そもそも“呪い”とは、いったい何を指すのか――ロックバースの診察記録によると、ジュレさんに“呪い”と思われるような邪悪な魔力のたぐいは感じられないとあります。もしかしたら見落としたのかもしれないし、魔力とは違う力が働いていることも考えられる。俺は魔力を感知できないので、診察記録の正確性を断ずることはできません。だから、ここはロックバースの判断が正しいという前提で診察しようと思っています。そうすれば、もし俺が病理に失敗したとしても、いくつかの診断範囲を絞ってやれて、次の医者が真実を見つけ出す助力にはなる。ロックバースがそうしたようにね」


 ミラーリングは遠回しな説明にイライラして、思わず語気を荒げた。「つまり、何が言いたいんだ!」

 口にこそしないがジュレイオも同意見のようで、半ば苦笑が混じった困り顔を浮かべている。


「つまり、ジュレさんは“呪い”になんてかかっていない。生命の精霊魔法では防ぐことのできなかった、なんらかの病気を患っているという線で診察しようと思う」

「呪いは存在しないということですか?」女王らしからぬ取り乱しようで、ジュレイオは戸惑いの声を上げた。「でも、わたくしは何度も呪いによる発作を起こしています。診察記録にも発作の様子が書かれていたはずですが」


「原因が呪いであるとは断言できませんよ。病気によって引き起こされた発作の可能性も充分にあります」


 どうやら引っかかるものがあるらしく、ジュレイオは思いつめた表情で自分の手のひらに視線を落とした。かすかに指先が震えて、こわごわと握り込む――まるで見えない何かをつかみ取ろうするように。


「ここで発作が起こってくれれば、ある程度絞り込めると思うんですがね。さすがに、そう都合よくいかない」

「おい、女王の発作を望むなど、不敬がすぎるぞ!」


「いやいや、別に望んでるわけじゃないって。ただ診察するにあたって、病状を知っておくのは真相究明に必要なことなんだ」

「結果としては、同じことだろ。いい加減にしないと、タツカワの知り合いとはいえ許さんからな!」

「なんでそうなんの。見当違いにキレるのは勘弁してくれ!!」


 ギャアギャアと騒ぎ立てる二人を尻目に、ジュレイオはいまだ手を見ていた。ぎこちなく開いた手のひらは、空っぽである。

 淀んだ空気を吐き出すように、かすれた声でつぶやく。「呪いではない……?」


 女王は赤い花に囲まれて、しばし“呪い”の根源に想いを巡らせるのだった。


※※※


「帰る気になった?」


 マイトがエルフの里を一回りして、森の境界線を踏み越えようとしたときだった。背後から声をかけられ、ゆっくりと振り返る。

 ずっと視線は感じていたので、驚くことはなかった。むしろいつ声をかけてくるのかと、待っていたくらいだ。


「えーっと、シフルだっけ」


 道中邪魔してきたエルフの少女シフルーシュだ。今日は弓こそ持っていないが、ツンツンした雰囲気はあのときと同じである。


「人間が勝手に私の名前を呼ぶな!」

「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」


 この切り返しは予想していなかったらしく、露骨に動揺が顔を覆う。目線が右に左に大きく揺れて、一向に定まる様子はない。あわあわと口を震わせて、最終的に絞り出した着地点は、「……シフルでいい」


 うまく返せない自分自身に落胆したのか、細い肩をがっくりと落として舌打ちを鳴らす。

 その様子にマイトは苦笑しながら、軽い足取りで森の境界線を踏み越えた。


「まだ帰らないよ。これでも一応護衛ってことになってるんで、ヤブ先生の治療が終わるまでは付き合うつもり」

「あんなヤツに、女王様の呪いが解けるわけがないだろ。これまでも何人も人間が治療に来たけど、誰一人として治せなかったんだ。ミラー兄様が頼み込んで連れてきた高名な医術者ってヤツも、結局何もできずに逃げ帰った。あいつも、きっと逃げ出すに違いない」


「そりゃあ、ヤブ先生でもダメかもしんないけどさ、やってみないことにはどうなるかわからないだろ。最初からムリと決めつけて、自分勝手に邪魔するのはバカみたいだぞ。まるで女王様に治ってほしくないみたいに見える」


 女王の救済は、エルフの里の宿願。それなのに、感情に任せて、可能性の芽を自ら詰んでいると指摘されたわけだ。

 シフルーシュの整った顔立ちが、一瞬にして怒りの形相を宿した。よほど腹立ちをおぼえたのか、肌が露出した目に見える部分全部が、これ以上ないほどに紅潮している。


 だが、その口から怒りの言葉がもれ出ることはない。我慢したわけでも、頭に血が昇りすぎて思考が停止したわけでもなく、理にかなった反論を構築することができなかったようだ。悔しそうに唇を噛んで、やり場のない怒りを塞いでいる。


「ところで、ヒマしてるなら、この辺りを案内してくれないか」

「なんで、私がそんなことしなくちゃいけない……」

「そっか。なら、しょうがないな」


 別段期待していたわけではなかったので、マイトはあっさり引き下がり、当てどもなく歩きだした。ダンジョンでは絶対に行わない、目的地の設定されていないちょっとした冒険だ。


 遠ざかる背中を眺めていたシフルーシュだが、何を思ったのか、気づけば後ろをついてきていた。つかず離れずで一定距離を保ち、振り返るたびにわざとらしく目線を外す。

 マイトはどうしたものかと考えたが、途中から面倒になって、尾行は気にしないことにした。理由があるとするなら、いずれむこうから言ってくるだろうと。


 しばらく森の探検に集中する。代り映えしない木々が立ち並ぶ風景のなかにも、よく観察すると新しい発見は見つかるものだ。降り積もった落ち葉の感触や、木の根元に群がったコケの色合いや、森に住まう生き物の種類や、さっき食べた野草の生育地や、女王の部屋で見た赤い花の群生や――好奇心をもって目を向ければ、森はいろんな顔を見せてくれる。無機質なダンジョンでは味わうことのできない、新鮮な驚きをマイトは堪能していた。


 やがて、一定の区画だけぽっかりと木立が途切れた空間に足を踏み入れる。さえぎる枝葉がないので陽射しが差し込み、そこだけは青々とした下草が生える原っぱとなっていた。


 マイトは一休みしようと腰を下ろし、そのままゴロリと寝転がる。全身に降りそそぐ暖かな陽の光が心地いい。

 プンと小さな羽音を鳴らし、鼻先をハチが横切っていくのが見えた。なんとなく目で追っていくと、原っぱの境目に生えた木の下をシフルーシュが覗き込んでいる姿があった。


 よく見ると、木の幹には青地に染められたヒモが巻かれている。何かの目印であるらしく、興味をひかれたマイトは四つん這いで近づいていった。

 どういうわけか、シフルーシュは素手で木の根元を掘り起こしていた。それほど深くない場所で、土に埋もれたオレンジ色の塊を発見する。


「何それ?」


 急に声をかけられたことに驚き、シフルーシュはビクッと肩を震わせた。ふぬけた態度を恥じ入ったらしく、頬がほんのり赤らんでいる。


「そ、そんなことも知らないのか。花糖だ」

「花糖?」

「まったく無知な人間だ」優位に立てたことがよほどうれしいのか、シフルーシュは抑えきれないといった感じで挑発的なドヤ顔を浮かべる。「花の蜜を土の中で寝かせて、固まらせたモノのことだ」


 オレンジ色の塊の端っこを、軽く指でつまむと簡単に割れた。細かく砕けた欠片の一つを、彼女は口に放り込む。


「えっ、それ食えるの? 俺にもくれよ!」


 マイトは言うが早いか素早く欠片を奪い取り、指ごとかじりつくように食べる。


「ちょっと、何を勝手に――」

「うほっ、うまい! 甘い!!」


 じわりと溶け出たほのかな甘みが、口いっぱいに広がっていった。舌で転がすたびに粘っこい蜜が溢れ、唾液と混じり喉の奥に流れていく。

 マイトは目を輝かせて、呆れ顔のシフルーシュをじっと凝視した。


「エルフの食事は味気ないものばかりだと思ってたけど、これはいい、すごくいい。もう一つ、おくれ!」

「ハア? ふざけたこと言うな。どうして、あんたなんかにやんなきゃいけない」

「そんなにケチケチしなくてもいいだろ。もう一つだけ……いや、ヤブ先生にもお土産で持っていきたいから、もう二つ三つくれないか」


 迫るマイトを押しのけて、シフルーシュは軽い身のこなしで距離をおく。花糖を渡すものかと臨戦態勢を取っているが、その表情はこれまでと違いわずかにほころんでいた。どうやらマイトが頼み込む姿を見て、少しは自尊心が満たされたらしい。

 そんな心模様がわかりやすく伝わったので、マイトは苦笑しながら一歩踏み出す。


「お願い、その花糖ってやつを少し分けてくれよ」

「嫌われてるの知ってるくせに、しつこいなァ。ミラー兄様が人間は変わったヤツが多いと言ってたけど、本当だった。あんた、変なヤツだね」


「あんたじゃない、マイトだ――それが俺の名前。ちょっとタイミングがおかしくなったけど自己紹介させてもらうと、俺は冒険者のマイトだ」握手を交わそうと手を差し出すが、あっさり払われる。信頼をえるには、もう少し時間がかかりそうだ。「それと、別に俺は変なヤツじゃないぞ、たぶん」


 ついでのように付け加えた否定の言葉に、シフルーシュは思わず吹き出しそうになって、必死にこらえた結果むせて咳き込むことになる。


「おいおい、大丈夫か?」


 心配して声をかけると、目の端に涙を浮かべて、シフルーシュは首を振った。


「これが大丈夫に見えるなら、あの医者に頭を診てもらったほうがいい」


 相変わらずの悪態であったが、その口調に微妙な変化が見受けられる。彼女自身気づかぬうちに、ぴったりと閉じていたはずの心の扉がかすかに隙間風を通した。

 マイトは肩をすくめて笑いながら、いまがチャンスと花糖の欠片をいくつか奪う。


「あー、勝手に持っていくな!」

「そう怒るなよ。シフル、美人が台無しだぞ」


 マイトのからかいに腹を立てたシフルーシュは、目を吊り上げてにらみつける。彼女の怒気を帯びた大きな声が、静かな森にこだますのだった。


「土よ! マイトをこらしめろ!!」

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