女王の呪い

<1>

 その男は音もなく診療所に入ってきた。


 本日ダンジョン潜りが休みということで、ヒマを持て余して遊びにきていたマイトと談笑していたティオは、彼の存在にしばらく気づけなかった。

 どうやらカンナバリは気づいていたようだが、何も言わず目を合わそうともせず無視していたらしい。


 ティオがようやく認識したのは、「うわっ!」と視界の隅に男をとらえたマイトが驚きの声を上げたことがきっかけだ。その声に驚かされる側となったティオは体をすくめて、こわごわと待合室を見回し、二度驚くことになる。

 男はすらりとして背が高く、見惚れるほどに端正な顔立ちをしていた。ピンと先端の尖った長い耳が目につく。


「エルフだ。はじめて見た……」


 マイトがぽつりと呟きをこぼす。失礼な物言いであるが、同じセリフがティオの頭のなかでも流れていた。

 エルフは見目麗しい容姿を種族間の特徴とする妖精族の一種だ。同様に妖精族であるドワーフが人間と友好関係を結んでいるのに対し、エルフは閉鎖的で故郷の森を離れることがほとんどないという。こうして人里に姿を見せるのは、非常に珍しい。ティオやマイトにとって、エルフは物語のなかだけの存在であったのだ。


「エルフがこんなところに何の用なんだ?」


 気が動転して声を発せないでいるティオに代わり、抑えきれないといった様子でマイトがたずねた。

 普段ならば来客の応対はカンナバリが行うのだが、今回は不機嫌そうに腕組みした姿勢を崩そうとしない。妖精族に分類されるドワーフとエルフだが、正反対の性質ゆえに相性が悪く、犬猿の仲だと聞いたことがある。


「ここにミスミという男がいると聞いた。誰がミスミだ?」

「ミスミ先生なら奥に――」


 ティオが診察室に目を向けると、彼はためらうことなく進み出て扉に手をかけた。感謝を示す態度は一切なく、当然のように高圧的な立ち振るまいを乱すことはない。エルフとは、そういうものなのだろう。

 音もなく診察室に滑り込んだエルフを、慌ててティオとマイトは後を追う。


「……えっと、何?」


 突然のエルフの来訪に、さすがのミスミも動揺していた。ボサボサ頭に無精ひげが、美しいエルフ男との対比でいつもより見すぼらしく感じた。


「お前がミスミか。診察してもらいたい方がいる。いっしょに来い」

「なんのことだ。もうちょっとわかるように説明してくれないか」

「説明は道すがらしてやる。お前はエルフの里までついてくればいい」


 単刀直入すぎて肝心な部分がはぶかれた要求に、ミスミは困り顔を浮かべる。口下手なのか、それとも説明する意思がないのか――どちらにしても、これでは埒が明かない。

 どうしたものかと鼻のつけ根にしわを寄せてミスミが思案していると、「まったく、これだからエルフってやつは面倒なんだ。礼儀を知らない。まず名乗るのが筋ってもんでしょ」


 遅れて診察室に入ってきたカンナバリが、憤りを込めて吐き捨てるように言った。

 エルフは冷たい視線を投げて、小さく舌打ちを鳴らす。それでも多少は思うところがあったようで、はぶいた情報を小出ししていった。


「私はミラーリングだ。タツカワにお前のことを聞いた」


 その名前を聞いた瞬間、マイトは顔色を変える。


「ミ、ミラーリングだって!?」

「マイトくん、どうしたの?」


 突然興奮したマイトは、そわそわと落ち着かない様子でエルフを凝視する。


「姉ちゃん、冒険者なのにミラーリングを知らないのかよ。タツカワ会長とパーティを組んで、ダンジョン最下層に到達した伝説のエルフ冒険者だ」

「わたしは冒険者のつもりはないんだけど……」と、グチをこぼしながら、ティオも改めてエルフに目を向ける。


 タツカワ会長のパーティが、ダンジョン攻略を果たしたのは二十年前のことだ。ミラーリングの外見はティオと変わらない年頃に見えるが、実年齢はかなりのものと推察される。エルフは非常に長命な種族で、ウソかマコトか永遠に若さを維持できるといううらやましい話を聞いたことがあった。


「それで、その会長の仲間がどんな要件なんだ。誰かを診察してほしいってことだが」

「診察対象は部外秘だ」ミラーリングはちらりとカンナバリを一瞥する。「エルフの重要機密をもらすわけにはいかない」


「なんか大ごとみたいだな。そんな人を、しがない町医者の俺が診察してもいいのか。もっと適した医術者がいるんじゃないのか?」

「タツカワがお前を推薦した。あいつは適当な男だが、安易なウソをつく男ではない」


 口調は淡々としているが、会長に対してはわずかに情を感じる。パーティメンバーだけあって、会長への信頼度は高いようだ。

 ミスミは短く吐息をもらし、さりげなく視線を横にずらしていく。結論をためらっているように見えた。


「まあ、会長経由の依頼なら、断るわけにはいかないか。ただ、少し問題がある」

「問題だと?」

「さっき言っていたが、エルフの里まで出張しなきゃいけないんだろ。そうなると、診療所を長いこと閉めなきゃいけなくなる。数は少ないが、俺を頼りにしてくれている患者がいるんだ。その人たちを放ってはいけない」


 ずれていったミスミの視線がたどり着いたのは、ティオの元だった。ミスミが抱える不安の種を、ようやく察する。

 不在の間、留守を預かる存在が必要なのだ。ためらいながらも、ティオはおずおずと話に割り込んだ。


「あの、診療所はわたしが見ています。うまく対処できる自信はありませんが、ミスミ先生が戻ってくるまでなんとかやってみます」


 決意に呼応して、ポンとお尻を軽く叩かれた。カンナバリが笑顔を送っている。


「うん、わたしも協力する。ミスミ先生がいなくても、なんとかなるよ」


 その言葉に、困惑を浮かべたミスミが食いついいた。


「えっ、ちょっと待った。カンナさん、いっしょに来てくれないのか?」


 別段変わった様子もなく、カンナバリは平然とうなずいた。


「わたしは行きませんよ。エルフに協力するなんて、まっぴらごめんです」

「当然だ。薄汚いドワーフを里に入れる気はない」


 互いに言うだけ言って、目を合わせようともしない。隠すことない嫌悪感だけを、突きつけあっている状況だ。


「見知らぬ土地で、こちらの手順を知る助手なしに診察するのは不安だよ。それに何が起きるかわヵらない、いざってときに対処してくれる人が近くにいてほしいんだ。カンナさんに付き添ってもらわないと困る」

「嫌です」


 ミスミの懸命な頼みを、きっぱりと一言で切って捨てた。いつも温厚で好意的なカンナバリが、ここまで頑なに断るということは、もうどんな説得をしたところで無駄なのだろう。


 必ずしも診察に必要なわけではないが、信頼のおける人物がそばにいてほしい気持ちはわかる。ティオも有効な解決手段がないものかと、いっしょになって頭を巡らせた。

 そこで、思いがけず解決案を提示したのは、隣で話を聞いていたマイトである。


「それなら、ちょうどいい人材に心当たりがある」

「誰だ?」


「俺!」にんまり笑って、マイトは自分自身を指さした。「医術のことはチンプンカンプンだけど、ヤブ先生の護衛くらいならできるぞ」

「何を言ってるんだ、お前は――」


 ミスミの呆れ声を遮り、マイトは身を乗り出して言った。「実はエルフの里に一回行ってみたかったんだ。それに、ダンジョン以外の冒険も経験してみたい!」


 ちらりとミラーリングを見ると、これといった反応はない。ドワーフでないなら、同行者の人選に興味はないようだ。裏を返せばマイトであってもかまわないということでもあった。

 ミスミはボサボサ頭をかいて、小さなうなり声を上げる。


「いや、しかしだなぁ……」


 結論を出すのは、まだ早い。だが、他に協力してくれそうな人物が思いつかないのも事実だった。

 結局この二日後、ミスミはマイトと共にエルフの里へ旅立つこととなる。


※※※


 代り映えしない緑の景色に見飽きた頃、悲鳴のようないななきを発して馬は足を止めた。


「これ以上はムリですね。この先は馬の足では難しい」


 馬車の御者が含みのある声色で言った。予想以上の長い道のりに、辟易していたのだと思う。

 その気持ちは、ミスミもよくわかった。これほど長い時間馬車に揺られていたら、誰だって――たとえ本職であっても――嫌になるというものだ。

 薄い敷物を一枚敷いただけの固い座席に座りつづけたことで、全身が凝り固まって痺れるような痛みが駆け巡っている。そのなかで尻だけは削げ落ちたのではと錯覚しそうなほどに、まったく感覚がない。


 マイトにしてもミラーリングにしても、馬車を降りると即座に体をほぐしはじめる。生物として当然のことながら、妖精族のエルフも長期にわたって同じ姿勢を強制されると、身体に負担があるのだと知見をえた。


「エルフの里は、このあたりなのかい?」


 ダンジョン街を出発して、三台の馬車を乗り継ぎたどり着いたのは、見渡すかぎり木々で埋め尽くされた深い森の端だった。周囲に顔を巡らせても、それらしき場所は見当たらない。


「いや、違う」ミラーリングは薄暗い森の奥に目を向けた。「ここからは歩いていく」

「やっぱり……。で、後どれくらいかかるんだ?」

「徒歩で丸一日といったところか」しれっと、とんでもないことを言う。


「そんなにかかるのか!?」

「私の足で、休まず行けばだ。お前の足では、倍近くかかるかもな」


 絶望的な言葉に、ミスミは気が遠くなる。鼻のつけ根にしわを寄せて、長いため息を吐いた。

 森という慣れない地を進むことを考慮すれば、倍程度では済まないかもしれない。エルフの里に到着するのは、いつになることやら。


 それでも、ここまで来て引き返すわけにもいかない。ミラーリングに先導されて、しぶしぶ森に足を踏み入れた。

 地面に盛り上がった木の根に何度も足を引っかけながら、よたよたとおぼつかない歩みで必死についていく。どこもかしこも同じに見える木立の景色は、案内人を見失えばすぐさま迷子になるだろうと確信させる。途中手に入れた頑丈な枝を杖替わりにして、ミスミは疲弊した体にムチを打ちつづけた。


「ヤブ先生、だらしないな。普段運動しないから、すぐにへばるんだ」

「運動不足とか、そういう問題じゃないだろ……」


 最低限の休憩仮眠を取りつつ、強行軍はつづく。

 疲労に加えて、森のなかは陽の光が届きづらいこともあって、時間感覚が正常に働かない。森に入って何日たったのか、いまが昼か夜か――すべてが曖昧だ。ミスミの体は限界を迎えようとしており、思考は混濁してはっきりとしなかった。


 そんなボロボロの容態を見て取り、ミラーリングはうんざりした声で言った。「少し休む」


 休憩場所に選ばれたのは、湧き水が生んだ森の小さな池の畔だった。小指ほどの白い花が群生しており、その周りを羽虫がブンブン飛び回っている。


「ほらっ、ヤブ先生、飲みなよ」


 ぶっ倒れて横になったミスミの口に、両手ですくった水をマイトが流し込む。

 大半は顔を濡らす結果となったが、どうにか喉に届いた分が折れそうな心にわずかな活力をもたらした。ミスミは気力を振り絞って池の縁に這っていくと、顔を突っ込み存分に澄んだ水を飲む。縮こまった胃袋に染みわたり、枯れそうだった細胞一つ一つに水分が浸透していくのがわかった。


「ハア、生き返った……」


 かろうじて命を繋いだミスミは、足を投げ出して座り込む。水分補給によっていくらかマシになったとはいえ、疲労が消え去ったわけではないのだ。ふくらはぎの筋肉がゆるやかに痙攣している。


 こんな見るからに消耗しきった状況だというのに、ミラーリングは表情を変えずに冷たい一言を放った。


「回復したか。では、出発するぞ」

「殺す気か!」思わずミスミは叫ぶ。「診察する前に、こっちが死んじまうよ!」


 深い森にミスミの怒号が響く――その次の瞬間、前ぶれなく信じられないものが降ってくる。

 矢だ。左右の足の間に、ストンと矢が降ってきて地面に突き刺さった。もう少しずれていれば、危うくミスミの股間に命中していたところだ。体のあれこれが縮こまり、恐怖によって髪のみならず無精ひげまで逆立った。


「本当に殺す気か!!」


 マイトは腰に差した剣を抜き、素早くミスミをかばう位置に立つ。ミラーリングは微動だにしなかったが、わずかに目線を上げていた。

 どこから矢が飛んできたのか、ミスミはまったくわからなかったが、、二人はすでに察知しているようだ。マイトの背中に隠れながら周囲を見回し、見当違いの方向をさまよった末に、偶然射手を発見する。


「シフル……」


 ミラーリングが苦々しい声で、ぼそりとつぶやく。

 弓を構えたエルフの少女が、大量のツタが絡まった巨木の太い枝に立っていた。

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