ダンジョン街の長い夜

<1>

 地上に戻ると、すでに日はとっぷりと暮れていた。夜にあらがうようにいくつもの街灯が灯り、淡い光でダンジョン街を覆うにごった闇と争っている。

 結果は――さんざんなものだった。抑えきれない黒の浸食が、街角のそこかしこを真っ暗に染めている。まだ人の技術では、何もかも飲み込む夜闇に到底歯が立たない。まるで今回のダンジョン潜りのように。


 ティオは大きなため息をもらし、のたりと足を踏み出す。ひさしぶりに参加した冒険は、ひどく残念な結末であった。


 先日治療協力で知り合った魔術師ダットンを、少年冒険者マイトに引き合わせてパーティを組む手伝いをした。そこまではよかったのだが、さっそくダンジョン潜りを提案するマイトの誘いを、ダットンを紹介した手前断り切れず、しかたなく付き添うことになった。

 内向的で人見知りのダットンが、早くパーティになじめるように気を回したというのも理由の一つだろう。先日の一件以来、ダットンには妙になつかれている。


 こうして、ひさしぶりに参加した冒険は――さんざんなものだった。

 前にマイトと戦士ゴッツの二人で、ダンジョン地下十階までたどり着いたと聞いている。それなのに、今回は四人であったにも関わらず、地下九階に潜るので精いっぱいであった。


 もちろん、毎回すんなりとことが運ぶわけではない。遭遇するモンスターの種類によっても、たどったルートの仕掛けによっても、ダンジョンの難易度は左右される。だが、普通に考えれば、どれだけ困難があろうとも人数が増えた分容易になるのが道理だ。それなのに、結果的に悪化したわけだ。多少なりともティオは責任を感じる。


 今回ティオがしたここと言えば、二度簡単な治療に回復魔法を使った程度。元々冒険に乗り気でなかったとはいえ、戦闘になると隠れていることしかできず、ダンジョン探索においても役に立つことはない。マイトは充分だと言ってくれるが、足手まといでしかない状況は心苦しかった。


「ハア、こんなことなら行かなきゃよかった……」


 ティオの口から、思わずため息混じりのグチがこぼれる。疲労感にやるせなさも加わり、うつむき加減な顔の角度が、さらに下へ落ちていった。

 そこで、ふと道端に靴が転がっているのを目にした。抜け落ちたのか片方だけが横倒しとなって、街灯の明かりのなかにぽつんと落ちている。


 不思議に思い首をかしげた瞬間――ティオは飛び上がりそうなほど驚いた。視線がずれたことで、少し先に影の塊があることに気づいたのだ。

 ちょうど街灯が途切れた暗がりに、何者かが倒れている。目を凝らして、そのシルエットから女性であることはわかった。おそらくはつまずき、靴を片方残して転んだのだろう。


「どうかしましたか?!」


 慌てて駆け寄り、医術者の顔で覗き込む。

 二十代の若い女性だ。意識はあり、脂汗を浮かべた苦悶の表情で耐え忍んでいる。唇を噛みしめているので声はなかったが、血走った目が救助を求めていた。


「あっ――」と、ティオは言葉に詰まった。一目見て、彼女の症状を悟ったのだ。

 動揺を抑え込んで素早く周囲を見渡すと、こちらに近づいてくる冒険者らしき男の姿があった。


「わたしは医術者です。近くに診療所があるので、そこまで我慢してください」彼女に早口で伝えて、今度は冒険者に声をかける。「お願いします、手を貸してください!」


 善良な冒険者の協力をえて、大急ぎでミスミ診療所に向かう。

 まだミスミは残っているようで、診療所に明かりが灯っていた。ティオは扉を力任せに開けて、勢いよく飛び込む。


「うおっ、びっくりした!」


 運よく待合室にいたミスミと目が合う。唐突なティオの登場に少々面食らっているようだ。珍しく仰天した様子で、身構えた姿勢のまま顔を引きつらせている。

 診療時間外ということもあって、いまは白衣を着ておらず、いつもより心持ちラフな雰囲気を発していた。


「なんだ、嬢ちゃんか。どうしたんだ、今日の冒険ですごいお宝を手に入れて、自慢しにでも来たのか――」

「ミスミ先生、急患です!」


 その一言で、気が抜けていたミスミの表情が変わる。

 遅れて冒険者に抱えられた患者が到着。その身体を見て、またもミスミの表情は変わった。


「おいおい、なんて患者を連れてきたんだ……」

「かなり苦しそうです。先生、診てあげてください」

「いや、うん、苦しそうなのはわかるけど、これは……どう見たってアレだろ。診察も何も、ちょっと手が出せない」


 どういうわけか、ミスミはひどく焦っている。目が左右に揺れ、ビクビクと肩が震えていた。


「どうしたんですか、先生らしくない」

「ムリだって、俺の専門外だ!」ひょうひょうとした態度はどこへやら、ミスミにいつもの余裕がない。「妊婦の処置なんてできないぞ!!」


 待合室の椅子に座らされた女性のお腹は、はち切れそうなほど膨らんでいた。彼女が妊娠していることは、一目瞭然だ。医療知識などなくとも、誰もが同じ結論に達したことだろう。


 すでに陣痛がはじまっているのか、我慢を凝縮した声が喉をひきつらせていた。息継ぎするように荒い呼吸を吐き、時折痛みを逃がそうと体をねじりもしている。

 もう猶予がないのは、医者の目を通さなくてもあきらかだ。


「嬢ちゃん、なんとか処置できないか。同じ女なんだから、一回くらいは経験あるだろ?」

「あ、あるわけないですよ!」ティオは頭に血が昇り、反射的に抗議する。「変なこと言わないでください。男性と、そういう……経験は一度だってありません。そもそも誰かとお付き合いしたことすらないのですから!!」

「いや、そういうことを言ってるわけじゃないんだけど」


 遅ればせながら言葉の意味を察して、ティオは顔から火が出る思いをした。

 ミスミが言っていたのは、“出産に立ち会った”経験のことだ。どちらにしても経験はないわけだが、言わなくてもいいことを口にして、恥をさらす必要はまったくなかった。


「くそっ、なんでうちに連れてくるかな。普通は産婆のとこにでも行くだろうに」


 ボサボサ頭をかきながら、ミスミは心底迷惑そうに恨み言をもらす。


「気が動転していて、他に思いつかなかったんです。ミスミ先生なら、きっと助けてくれると信じていたもので――」

「悪かったな、助けてやれなくて」


 声に苛立ちが混じる。本心を言ったのだが、嫌味と取られたのかもしれない。

 切羽詰まって焦った状況では、普段なら軽く受け流しそうなものでも、ひねくれた解釈で引っかかりそうだ。ティオはおかしな方向に進む話題を打ち切り、元々の問題に話を戻した。


「ミスミ先生が処置できないなら、どうすればいいでしょうか?」

「そりゃ……産婆のところに行くしかないだろ。いや、連れてきたほうが早いか。嬢ちゃん、ひとっ走りして呼んできてくれよ」


「ごめんなさい、お産婆さんを知りません。場所を教えてもらえたなら、行ってきますが」

「……ウッ、俺も知らないや」


 ここまで付き合ってくれた冒険者の男も知らないと言う。出産に関わる経験がなければ、それはしかたないことだ。

 おそらく妊婦自身は知っているだろうが、とてもじゃないが聞きだせる状況ではない。


 頭をひねり、どうにか絞り出した解決策は、「そうだ、カンナさんなら対処できるんじゃないですか。もしできなかったとしても、お産婆さんの居場所は知っていると思うんですよ」


「うん、カンナさんならわかるかも」

「では、さっそく呼びに行ってきます!」


 何度か遊びに行ったことがあるので、カンナバリの住まいは承知している。診療所から少し距離はあったが、ティオの足でも急げば往復三十分ほどで済むだろう。


「いや、ちょっと待て。カンナさんのところには俺が行こう」駈け出そうとしたティオを、慌ててミスミが制止した。「嬢ちゃんは彼女を見ていてくれ。こういうときは同性のほうが安心できると思うんだ」


 その言い分には納得できた。確かに出産時は、男性よりも女性に付き添われたほうが心やすい。ただ手当てが必要な事態を想定するなら、医者としての経験に富んだミスミが残るべきだろう。


 どちらが残っても、痛し痒しだ。正解のない選択を迫られて、二人は不安に満ちた顔を見合わせる。

 ――しかし、選択など吹き飛ばす出来事が、そのとき起こった。


「あがぁぁッ!!」と、悲鳴にかぎりなく近い叫び声を妊婦が発したのだ。同時に、赤みを帯びた粘り気のある水が足を伝い床に落ちる。

 破水だ。赤ん坊を包んだ卵膜が破れて、血液の混じった羊水がもれ出たのだ。


 ある程度予想していた状況であるが、実際に起きたとき対処できるとはかぎらない。半ばパニック状態となって、ティオは右往左往する。ミスミにいたっては固まってしまい、瞬きすらできないでいた。


「うるさいなぁ。何やってんだい!」


 突然診療所に響いた怒声が、二人の医者の混乱を断ち切った。ちょっとしたショック療法だ。

 声の主は、派手目な化粧が印象的な老年に差しかかろうという年代の女性だ。いつ訪れたのか、妊婦に気を取られて、まったく気づかなかった。


「あ、メリンダ……」ミスミが呆けた声で名を口にする。

 彼女は診療所のすぐそばにある、安酒場『銀亀酒の酒場』の女将だった。

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