<5>
道なりに進んだ先に、目指す場所はあった。くすみがかった飴色の木板を張り付けた壁が、独特な雰囲気をかもし出した印象的な建物だ。
ダンジョン街の外れにある、田の神様クリスタスを祀った教会――まだ農村であった頃からそこに存在し、何度かの建て直しに改築を重ねながら、町の歴史と共にありつづけた小さな木造教会である。
前を行くミスミの背中越しに、ふとティオは見上げた。教会の屋根に掲げられたクリスタスのシンボルに、まばゆい陽射しが差している。
目が眩んで視線を下ろすと、地面に複雑な影を落としていることに気づく。人によっては神々しい紋様と映るのかもしれないが、ティオの目には恐ろしい魔物の影のように映った。足がすくみ、歩調が乱れる。
それは、おそらくティオの心に問題があるのだろう。暗く沈んだ気持ちが、無意識に不吉なイメージを膨らませている。
「ティオ先生、どうしたの?」後ろにいたカンナバリが、隣に並び心配そうに覗き込む。
「いえ、なんでもないです……」
わずかにかすれた声の響きで、言葉とは裏腹な心情を悟られたと思う。だが、カンナバリはニコニコと笑顔を返すだけで、それ以上踏み込んでくることはなかった。
やさしい気遣いがありがたい。同時に、ちょっぴりやるせなさも感じる。
「やあ、ミスミ先生」教会の開け放たれた扉の前に、手持無沙汰な様子で男がたたずんでいた。「どうも、ご無沙汰してます。その節はいろいろと世話になったというのに、挨拶にも行けなくて申し訳ない」
ちょこんと頭を下げたのは、研師の職人カイバだ。どことなく居心地が悪そうに、ちらりと教会の奥に目をやった。
つられてティオも中を見ると、すでに大勢の列席者が集まっていた。最前列の席にはタツカワ会長の姿がある。そして、その隣には――
「どうも、こういう雰囲気は苦手で。どんなふうに振る舞えばいいのか、よくわからんのですよ」
「俺も同じだよ。いまだにわからない」
ミスミは肩をすくめて苦笑すると、ほんの少しためらいがちに教会へ入っていく。
両脇に座席が連なる中央通路を進み、最奥に設置された台座前に到着した。それを待ち構えていたように、よろよろと危なっかしい足取りで歩み出た人物がいた。
「ミスミ先生」
「リジィさん、おひさしぶりです。ああ、そんな無理しないでください。座ったままで結構です」
彼女は会長の手を借りて、座席に戻る。少しやつれていたが、存外顔色は悪くなかった。
乳癌手術は成功を果たし、リジィは生命を脅かす病から解放されていた。その代償というわけではないだろうが、手術から三日後、オルトスは静かに息を引き取った。娘の無事を見届けて、安らかな表情で天に召されたのだ。
リジィの術後回復を待ち――こうして本日、オルトスの葬儀が行われることとなった。台座に置かれた棺には、会長の命令で冷凍魔法による保存処理を施されたオルトスの亡骸が安置されている。
ミスミは棺に一礼すると、リジィのそばによって体調確認を行う。術後の経過は良好なようで、ひとまず安心する。これから定期的に検診を受けつづけなくてはならないが、今回にかぎって言えば解決したとみていいだろう。
しばらく会長も含めて立ち話を交わし、頃合いをみて席につく。空いていたのは後方の席で、ようやく一息つくことができた。
「葬式に来たの、はじめてか?」
ティオの暗い表情を横目に見て、ミスミが的外れなことを言った。
「子供の頃に、お爺ちゃんのお葬式に参列したことがあります。他にも近所のおじさんと、事故で亡くなった学校の先輩のお葬式にも行きました」少しためらったが、行っていないことも告げる。「患者さんのお葬式は、はじめてです」
「医術は万能じゃない。医者をしている以上、患者の死はさけられないことだ。つらくて悔しくて、しんどいことばかりだけど、担当した患者は最期まで受け止めないとな」
「ミスミ先生も、そんなふうに思うんですね……」
「まったく、俺をなんだと思ってたんだ。血も涙もある、普通の人間だぞ」
ミスミは苦笑して、ボサボサ頭を乱暴にかいた。ひょうひょうとした態度を崩すことはないが、それは心の底に感情を押しやった結果なのかもしれない。
ほんの少し安堵している自分に、ティオは気づいた。情けない話だが、ミスミも同じ気持ちだと思うと強張っていた肩の力が抜ける。
「わたしは、何もできませんでした。患者さんの力になろうとマヒ魔法を習ったのに、結局使い物にはならなかった。自分の無力さに、正直失望しています」
「それで、落ち込んでたわけか」ミスミは鼻で笑う。「最初は誰だって、そんなもんだ。いきなりブラックジャックになれはしない。ちょっとずつ経験を積んで、長い時間をかけて一人前に成長していく。新米が生意気言ってんじゃないぞ」
たとえはよくわからなかったが、なぐさめてくれていることはわかった。口調は荒いのに、どことなく照れくさそうだ。
ティオもなんだか面映ゆくて、それとなく視線をずらす――と、ちょうど二人の様子を微笑ましく見ていたカンナバリと、ばっちり目があった。頬が茹ったように熱くなる。
意識するとよけいに気恥ずかしくて、慌てて話題を変えた。
「そう言えば、リジィさんに手術の了解を取るとき、“オルトスさんのために”と言って説得したそうですね」手術後のケアをしている際、彼女自身から聞いた話だ。「ひょっとして、オルトスさんには“リジィさんのために”と言って、入院を説得したのですか?」
「そうだけど……。なんだよ、二人の親子愛を利用したことを責めてるのか」
「いえ、そういうわけでは。うまく言いくるめるものだと思っただけです」
ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、不満げな目を向ける。
「あのなぁ、言葉ってのは医者にとって大切なんだぞ。言い方一つで患者の心を癒しもするし、傷つけもする。上手に使えば薬にだってなる。医療知識がなくても誰だって使える、二番目に簡単な初歩治療が“言葉”だ」
言いたいことは理解できるが、ティオが引っかかったのは別のことだ。
「二番目ってことは、他に一番があるんですか?」
「こいつだ」
ミスミはぶっきらぼうに言って、突然ティオの頬をつねった。軽くではあるが、むにっと頬肉を引っ張られる。
「なにひゅるんでふか……」
思わずもれた声は、口の動きが制限されて発音がおかしくなっていた。カンナバリが控えめに笑う。
「一番目は“ふれる”ことだ。患者にふれる、患部をさする。母親が転んで泣く子供をなでることも、立派な初歩治療になる。肌と肌が直接ふれることは、心理的に安心感を与える効果があるもんなんだ」ミスミはニッと笑って、手を離した。「嬢ちゃん、どうだ。安心したか?」
「……しません」
つねられた頬をなでながら、わずかに目を伏せた。安心どころか、ドキドキしている。
ミスミはというと気にした様子もなく、視線を奥に向けていた。いつのまにか教会の司祭が姿を見せて、ずいぶんと長いこと棺の中を覗き込んでいたのだ。
おそらくオルトスとは近所付き合いのある顔なじみであったのだろう。遺体を見つめる眼差しに、深い慈しみが宿っている。
やがて顔を上げた司祭は、気持ちを切り替えるように小さな空咳を打ち、よく通る低い声で言った。
「我々は大切な友人を一人失いました――」
葬儀のはじまりを告げる哀悼の辞が、教会の隅々にまで響く。じわりとしめやかな空気が広がっていくのを肌で感じた。
しんと静まり返った教会内に、司祭の声がこだまする。そこへ、ふいにささやき声が重なった。脈絡なくミスミが、ティオにだけ聞こえるように小声でこぼしたのだ。
「今日のことは忘れるなよ。そうすれば、きっとティオはいい医者になれる」
ミスミからすると、ふと思いついたことを言ったまでにすぎないのかもしれない。だが、ティオにとって、それは特別な言葉だった。ミスミがいい医者になれると言ってくれた、はじめて名前で呼んでくれた――
患者の死に直面した事態は、トゲとなっていまも胸の深いところに刺さっている。苦悩や無力感は消えやしないが、するりと温かいものが割って入り、複雑に混じりあう感覚を味わう。名前を呼ばれただけで、こんなにもうれしいとは、思ってもいなかった。
ティオは赤らんだ顔を振って、この場違いな感情を押さえつける。今日は純粋に死を悼む日だ。ひざに置いた手を、痛むほどにぎゅっと握りしめた。
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