<4>
タツカワ会長が手配した高級馬車に運ばれて、オルトスとリジィがミスミ診療所にやって来た。馬車は見た目の装飾だけではなく、振動を抑えるサスペンションが組み込まれて乗り心地も高級仕様となっている。病で弱った体にかかる負担を、なるべく軽減しようという会長流の心遣いであった。
そのかいあってオルトスの体調は、比較的良さそうだった。娘の支えなしでは馬車から下りることもできない状態だが、ゆらりと周囲を見渡す目に生気が見て取れる。
「いらっしゃい。疲れたでしょう、こちらにどうぞ――」と、ミスミが招き入れたのは、診療所ではない。その隣に建つ木賃宿だった。
カンナバリがオルトスを抱えて、木賃宿の一室に運び込む。病室代わりに使用するべく、会長に頼んで用意してもらったのだ。徹底的に清掃消毒を済ませて、病人の看護室として充分な水準に仕立てておいた。ちなみにリジィが寝泊まりする部屋も、事前に押さえている。
真新しいシーツに張り替えたベッドにオルトスを寝かして、「少し待っててくださいね」とミスミは急ぎ足で木賃宿を出る。
つねに穏やかな表情であることを心がけていたが、内心焦りで苛立っていた。
カンナバリを通してティオに患者の到着時刻を伝えいたのだが、彼女の姿も肝心のマヒ魔法を使える魔術師の姿も見当たらない。ここのところ両者とも忙しく、すれ違いばかりでろくに顔を合わせていなかった。どこかで齟齬があったのかもと、時間経過と共に不安が膨らんでいく。
「おいおい、何やってんだ……」
膨らんだ不安が破裂しそうなほど大きくなった頃に、ようやくティオが姿をあらわす。くせっ毛の長髪に覆われた陰気そうな男の手を引き、息を切らして駆けてきた。
待ち構えていたミスミを確認すると、ティオは申し訳なさそうに眉をハの字に下げる。
「すみません、遅れました!」
問答無用で脳天にチョップを叩き込む。もちろん手加減をして。「時間厳守!!」
出会い頭の体罰に仰天した長髪の男は、顔を引きつらせてティオの背中に隠れた。
「ご、ごめんなさい――」
「もういい、いまのでチャラだ。それで、その後ろのが魔術師か?」
「はい、魔術師のダットンさんです」ティオは彼を紹介しようと押し出そうとするが、しっかりと背中に張りついて離れない。早々に諦めて苦笑を浮かべる。「ちょっと照れ屋なところがありまして……」
照れ屋の一言で片づけていいものか、その様子を見ていると疑問だ。しかし、問題は実力の度合いである。人間性はこの際どうだっていい。
「腕は確かなんだろうな?」
「それは保証します。本当はわたしが治療を施したくて、マヒ魔法を教わっていたのですが、やっぱり一朝一夕ではうまくいかず使いこなせるようにはなれませんでした。その分、指南の過程でダットンさんは医療用マヒ魔法のコツをつかみ、完全にコントロールできるようになってます」
「そんなことやってたのか。どうりで最近見ないと思った」
「習得できるか不安だったので――現にできませんでしたし――なかなか言い出せなくて。結局ダットンさんの力を借りることになりました」
ティオなりに貢献しようと、裏で努力していたことはわかった。いまは実を結ばなかったとしても、いずれ大きな力となることだろう。それはそれとして、いま取り組まなければならない直近の問題が重要だ。
ミスミは改めて魔術師ダットンに顔を向けた。落ち着きのない挙動不審な態度ばかりが印象に残る。ときおり視線がニアミスすることはあっても、はっきりと目が合うことは一度としてなかった。腕は確かというが、不安はつのる。
「マヒ魔法の効果時間はどれくらいなんだ?」
ティオはちらりとダットンを見やるが、口を開く様子はないので彼女が答えた。「うまくいって三時間から四時間といったところでしょうか」
「マヒに対しての副作用はあるのか?」
「痛覚に関わる神経系統をマヒさせる影響で、場合によっては手足や口周りに痺れが出る可能性はあります。ただ魔法の持続時間がすぎれば、痺れも取り除かれます。そのときは痛みも再発しているわけですが」
鎮痛薬にも限度がある、これはしかたないことだろう。肉体に障害が残ることがない分、魔法のほうが優秀とも言える。
「仮死状態までマヒを強めた場合は、効果時間は変わるのか?」
「そこまではちょっと……」
専門外のティオが答えられない以上、質問の回答は専門家にバトンが渡される。
ダットンはあからさまに動揺して、まるで見えない手に襲われているのかように体を縮めて防御姿勢を取った。話の流れを理解して即座に反応したところを見ると、バカでないことは確かなようだ。
「お願いします、教えてください」とティオにうながされて、長い逡巡の末にようやくダットンは口を開いた。
「に、にじ、二時間、くらい――」
「短いな、もう少し延ばせないものか? できれば四時間、最低でも三時間はほしい」
いきなりの要求に、ティオは怪訝そうに眉をひそめた。マヒ魔法の目的は、患者の苦痛を取り除く緩和ケアだと彼女は聞いていた。いぶかしむのは当然だろう。
ミスミは説明不足を理解しながらも、説明をはぶくことを決断した。ここで別問題を打ち上げて、ティオに反発されては厄介だ――単に、面倒くさいと思ったのも大きい。
「とにかく、オルトスさんの治療と並行して、仮死のマヒ魔法を延長させる方法を考えてくれ。それも、できるだけ早急に。猶予はあまりない!」
強引に押し込めたことで、ティオに疑問を飲み込ませることは成功した。しかし、意外なところから反発の声が上がる。
「ちょ、ちょっ、ちょ――」ダットンだ。前のめりとなって、口の動きに合わない言葉数を吐きだす。「それ、困る。そんなの聞いて、ない」
思いがけない展開に、ミスミは少々面食らう。ティオいわく“照れ屋”なダットンが、こうも露骨に反発するとは思わなかったのだ。
言葉の足りないダットンに代わり、ティオが説明を付け加える。
「ダットンさんはいまお金に困っていて、早く稼がなきゃいけないのに無理言って協力してもらっている状況なんです。あまり時間を取られるようなことは、ダットンさんとしては避けたい。そういうことですよね?」
二度三度とうなずくことで、ティオの言い分があっていると知らせる。
「なんだ、そんなことか」もっと複雑な事情があるのかと不安になっていたミスミは、ほっと胸をなでおろした。「それなら俺に任せろ。タツカワ会長に言って、労力に見合った給金を払うように頼んでやるよ。これで問題ないだろ」
「そんな安請け合いして大丈夫なんですか。会長が支払ってくれるのか、わからないじゃないですか」
「なぁに、払わなければオルトスさんの治療に支障が出るんだ。たとえ渋ったとしても、最後には払わざるえない」
「少しずるい気がする……」
「ずるかろうと悪かろうと、患者のためだ。使えるものは何だって使うぞ」
ひとまず、これで金銭の問題はクリアとなった。ダットンが本当に納得したのか微妙なところだが、もう表立って反発することはなかった。
一応は事前に済ませて起きたい要点は、すべて片づけたことになる。あとは治療をつづけながら、追々不足した課題を補っていけばいい。
ミスミは二人を連れて、病室となった木賃宿の部屋に向かう。
話には聞いていたのだろうが、ダットンは実際に患者を前にするとわかりやすく狼狽しはじめた。カンナバリが気さくに声をかけても、リジィが深く頭を下げて挨拶をしても、呼気を乱すばかりでまともな返事をかわせないでいる。
鼻のつけ根にしわを寄せたミスミは、小声でティオに言った。「あいつ、本当に大丈夫か?」
「わたしと話すときは、だいぶマシになったんですけど……」
ティオのずれた受け答えに、ミスミはボサボサ頭をかいて苦笑する。
不安は一向に消えない――が、いざ魔法を唱える段となると、あきらかにダットンの様子が変わった。これまでの挙動不審な態度と打って変わり、心を落ち着かせて流暢に魔法を唱える。自分の得意分野だけに、自負心が内気な精神を上回るのかもしれない。
手のひらから放たれたマヒ魔法が、オルトスのむしばまれた体にじわりと浸透していくのが目に見えてわかった。その険しかった表情が、徐々にやわらいでいく。
「オルトスさん、どうですか?」
答えようとするもうまく口が回らないのか、言葉になりそこなったうなり声がこぼれる。しかたなくオルトスは、目線を動かすことで良好だと伝えた。
マヒ魔法による痛み止めは成功だ。達成感よりも、まずは安堵が湧き起こる。
オルトスの瞼が、ゆっくりと落ちていった。ほどなくして、やすらか寝息が聞こえてくる。
「よかった、
これからは、効果が途切れるたびにマヒ魔法をかけなおさなければならない。合間に仮死化の持続時間を延ばす鍛錬を行うことを考えると、かなり骨が折れる役目となるだろう。
しかし、肝心の“いつまでつづけなければならないのか?”という問題を、ティオが問うてくることはなかった。身内の手前ということもあるだろうが、彼女も理解しているのだ。それほど長い日数にはならないと。
「リジィさん、今後の予定を説明しますので、こちらに――」
わずかに戸惑いの色を顔に差した彼女を、部屋の外に連れ出す。扉を閉める瞬間、ちらりと見えたティオの顔つきは、隠しきれない不審がにじんでいた。
そのうち事情を伝えなければならないとは思うが、いまは少々タイミングが悪い。ティオを動揺させる事態となれば、仮死化の鍛錬にプレッシャーがかかり、完成が遅れる可能性があった。そういうわけで、見て見ぬふりをして、何事もなかったようにやりすごすことを決めた。
リジィの宿泊場所として使う部屋に移り、ミスミは小さな咳払いを一つ打ち、改まった口調で言った。
「――準備が整い次第、手術を行います。魔法とは違い、体に
「ちょ、ちょっと待ってください。手術って……そんなの聞いてない」
「それが、あなたのお父さんの願いです。オルトスさんは完治を条件に、こちらの言い分を飲んで入院も承諾してくれました。正直に言えば完治は難しい。現状において最良の治療を施したとしても、再発の可能性はあります。そういう諸々の事情も理解したうえで、完治を条件にしたのだと思います。俺は最後まで責任をもって付き合っていく覚悟を決めました。あとは、リジィさんの覚悟だけです」
ミスミの熱意に押されて、リジィは怯えたように身を反らした。その顔には困惑がもたらした感情が、目まぐるしく揺れ動いている。
しばらく動揺に支配されていた心が、何かの拍子にふと落ち着く。
“負けん気が強く、頑固”とタツカワ会長が評したオルトスの血筋は、確かに彼女にも流れているようだ。まっすぐミスミを見すえた視線に、強い意思の力を感じた。
※※※
オルトス入院から四日後――診療所にいたミスミの元に、冴えない表情のティオがまるでオバケのようにぬぅっと顔を見せた。
「ミスミ先生、どうにか仮死の持続時間を三時間以上に延ばすことができました」
朗報であるにも関わらず、声に喜びの響きは混じっていない。よほど疲労しているのか、それとも何かしら悩みを抱えているのか――少し気になりはしたが、勘繰る余裕がいまはなかった。
ミスミは腹の底に力を込めて、勢いよく立ち上がる。
「よし、カンナさんを呼んできてくれ。すぐに手術の準備に取りかかる!」
「はい……って、え? 手術??」
「あれ、まだ言ってなかったか。まあ、とにかくそういうことなんで、早くカンナさんを呼んでこい。忙しくなるぞ」
「どういうことか説明してくださいよ!」
「あとでしてやるから、いまは急げ! はい駆け足!!」
納得できない不満げなティオを強引に追い出し、ミスミは準備をはじめる。
診療所には診療室と入口待合室の他に、従業員の更衣室兼休憩所として使用している小部屋や二階のミスミの自室を除くと、もう一室空き部屋があった。これまではミスミが集めたガラクタの集積場と化していたのだが、今回のために泣く泣く処分して、臨時の手術室として改装を済ませておいた。
殺菌作用の高い薬草を煎じた高濃度アルコール液を、清潔な布巾に含ませて丁寧に拭き消毒に勤しむ。
その間にカンナバリが到着。入念な打ち合わせ済みで状況判断の早いカンナバリは、すでにティオを応援の医術者を呼びにギルドへ走らせており、準備はすみやかに次の段階へ移る。
手術道具の手入れに、患者への通告及びメンタルケア。さらにはやって来た応援医術者に、治療の段取りも説明した。
そうして手術の準備が整ったのは、一時間ほど経った頃だろうか。緊張感に包まれた手術室に、カンナバリに付き添われて患者が姿をあらわす。
「ええっ!?」
反射的に驚きの声をもらしそうになったティオは、自分の顔をひっぱたくような勢いで慌てて口を手で塞ぐ。
困惑のこもった目が凝視していたのは、不安に全身を浸食された患者――リジィであった。素肌の上に真新しい木綿のガウンを身に着けただけの格好で、うろたえながら集まった面々に視線を巡らせている。
「ミスミ先生、どういうことすか! どうしてリジィさんが
詰め寄ってきたティオを押しのけて、ミスミは笑顔で患者に話しかける。
「そんなに硬くならないでください。あなたは寝ているだけでいいんだから、心配することは何もない。目が覚めたときには、すべて終わってますよ」リジィがおずおずとうなずくのを確認して、手術室の隅に控えていた臨時麻酔医に目線を送った。「よし、やってくれ」
ビクッと肩を震わせて引きつった顔を上げたダットンは、遠慮がちに進み出るとマヒ魔法を唱える。日常はともかく魔法だけは流暢に発するダットンだが、初実践の緊張からか、このときばかりは少し呪文詠唱がたどたどしい。
それでも仮死化のマヒ魔法は無事に成功したようで、リジィの体から力が抜けていく。すかさずカンナバリが受け止めて、手術室の中央にすえられた脚の高いベッドに横たえた。
ミスミは職人に頼み込んで作ってもらった特注品の薄手の手袋をはめながら、ちらりと動揺のおさまらないティオに目をやる。
「彼女は癌――乳癌だ。幸いにもまだ初期段階で、転移はないと思われる。いまなら手術で患部を取り除けば、治療できると判断した」
「さ、最初からリジィさんの手術が目的で呼び寄せたのですか?」
声を震わせながら、ティオが言った。ちょっぴり怒気が含まれているのは、何も告げなかったことに対する憤りが原因だろう。
苦笑してボサボサ頭をかきそうになったが、感染症対策の手袋をしていることに気づいて、ふれる寸前に止めた。
「そういうわけじゃない。ただ父方は癌家系で、母親も亡くなる直前の症状を聞くに乳癌らしいと予測できた。遺伝的に彼女も同様に癌を患う可能性は高い。で、オルトスさんの往診に行ったとき試しに診察をしてみたら、乳房にしこりがあるのを発見したわけだ」
ティオは意外にあっさりと状況を飲み込んだ。まだ顔つきに戸惑いは残っていたが、反発の気配は消えている。
それだけ信頼されているということか――そんなうぬぼれが、ミスミの脳裏をかすめていった。
「……そろそろいいかな」
ベッドに横たわったリジィは、完全に意識を失っていた。注意しなければ見逃しそうなほど、呼吸が浅い。生命活動が極端に低下した状態は、眠りとは別物だ。彼女の肉体は仮死の領域に到達した。
「では、ミスミ先生」
カンナバリが手術道具を乗せた角皿を取り出す。そこにはメスとして使用する、カイバに研いでもらった小さなナイフも並んでいた。
ひさしぶりの手術に、実のところ少し気後れしている。内心一番緊張していたのはミスミかもしれない。だが、ここまで来たからには、いまさら引くことはできない。ミスミはゆっくりと深呼吸をして、意を決すると宣言した。
「これから手術を開始する。よろしくお願いします!」
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