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 住居が密集した裏通りに、二軒の集合住宅アパートにはさまれた小さな事務所があった。見落としそうなほど簡素な看板に、『魔術師ギルド』と書かれている。


 前日魔術師ギルドとの交渉を一任されたティオは、さっそくマヒ魔法の使い手を求めて事務所に足を運んだわけだ。少なからず緊張していたが、迷うことなく扉に手をかける。


 建てつけが悪いのか軋みを上げながら開いた扉の奥は、事務所と言うよりも休憩所のような室内装飾をしていた。細長い間取りの部屋に、いくつかのテーブル席が並び、そのうち一つに座っていた中年男性が面倒そうに顔を上げた。

 見える範囲にいるのは彼だけ。他に人の気配はないので、おそらくギルド専属の事務員なのだろう。


「わたしは医術者ギルドのティオです。折り入って相談したいことあり参りました」

「相談?」男は酒焼けしたかすれた声で返す。


「まず、こちらをどうぞ」先にタツカワ会長から受け取った要請書を手渡す。「実は火急の要件で、マヒ魔法の使い手を捜しています。ギルド所属の魔術師のなかに、マヒ魔法の使い手はいらっしゃいませんか。ぜひ紹介していただきたいのですが」

「急にそんなこと言われてもねぇ――」


 事務員の男は怪訝そうに眉をひそめて、片肘をついた姿勢で要請書に目を通す。あまり友好的とは言い難い態度であったが、会長名義の協力要請は効果てきめんで、「やれやれ」と心底わずらわしそうに不満を吐きだしながらも、よたよたと腰を上げた。

「ちょっと待ってろ。いま名簿を調べてくる」そう言って奥の部屋に下がり、ティオは一人残されることになった。


 手持無沙汰でやることがなく、なんとなしに周囲を見回す。

 魔術師の集合所とは思えない粗雑な部屋だ。清掃も怠っているようで、天井の角にクモの巣が張っていた。同じ魔法使い系のギルドなのに、医術者ギルドとは大違いである。


 それは、ギルドが担う性質の違いが要因なのだろう。医療施設も兼ねている医術者ギルドと、あくまで互助組織でしかない魔術師ギルドでは、当然事務所の形態も異なってくる。元々魔術師は探求心が強く、そのなかでもダンジョン街に身を置くのは冒険者志向に富んだ者が多数だ。はじめから事務所に集まるという習慣がないのかもしれない。


 待たされること約二十分――ようやく事務員が戻ってくる。大きな帳面を手にして、元いた席に腰を落ち着けた。


「あんたは運がいい。ちょうどいい適任者が一人いる」

「本当ですか?!」


 栞代わりにはさんだ指をずらし、帳面を開ける。それはギルド所属魔術師の登録名簿で、個人情報から経歴、使用可能な魔法の種類まで明記されていた。

 目に入ったのは、ダットン・バーンという名前。年齢は二十歳、初級冒険者という文字もちらりと見えた。


「ここでの住まいは教える。あとは本人と会って、直接交渉してくれ」


 口頭で伝えられた住所をメモして、丁寧に礼を言い、ティオは魔術師ギルドを後にする。ダットンの住居はギルドからさほど遠くはない、その足で出向くことにした。


 裏通りをさらに奥へ進み、入り組んだ路地を通った先に安普請の簡易宿泊所が連なっていた。いわゆる貧民窟スラムと呼ばれる地域だ。

 かつてのティオなら恐怖を感じたかもしれないが、ミスミ診療所に通うようになってだいぶ耐性がついた。恐れて尻込みしている時間はないというのも大きい。


 すれ違う住人から好奇の目を向けられても気にせず、目当ての簡易宿泊所を見つけると迷わず飛び込んだ。いまにも崩れそうな木製の階段を上がり、二階四号室の扉をノックする。

 反応がない――留守だろうか?


 もう一度ノックするも、やはり反応はなかった。ティオは落胆して肩を落としながらも、諦めきれずにこれまでよりも強く三度目のノックを敢行した。

 すると、ついに「誰?」と蚊の鳴くような声が返ってきた。


 微かな衣擦れの音が扉に近づき、貧相な男がおずおずと顔を出す。まるで病人のような青白い肌に、不安げに揺れる小さな目、乾燥したカサカサの唇、それらを艶のないくせっ毛の長髪が覆っている。

 見知らぬ相手であることに、彼は目を白黒させて驚いていた。動揺が表情筋に伝わり、頬をヒクヒクと震わせている。


 ティオは一瞬ためらったが、患者に向き合うときのように笑顔を作って尋ねた。「魔術師のダットンさんでしょうか?」

「は、はい……、そです」


 落ち着きがなく、挙動不審な態度が際立つ。少し距離を取りたい気持ちが芽生えるが、ぐっと踏みとどまり笑顔をつづけた。


「わたしは医術者のティオです。ある治療にマヒ魔法が必要で、魔術師ギルドに要請したところダットンさんが適任ではないかと紹介されました。よろしければ、手伝ってもらえないでしょうか」

「えっ、いや、で、でも……、こ、こっちにも都合、都合がある、というか……」


 ダットンは吃音症であるのか、発する言葉がやけにつっかえる。それがよけいに拒絶の意を、強く印象づけた。


「お願いします。どうしても、あなたの力が必要なんです!」

「そ、そう言われても……。た、助け、助けてあげたいけど、ぼくも困ってる」ダットンは一息ついてから、理由を告げる。「お金、がない。はた、働いて稼がないと、ここを、追い出されてしまう」


 ティオが根気よく耳をかたむけ、話をつなぎ合わせたところ――冒険者を夢見てダンジョン街に訪れたダットンだが、内向的な性格が災いして、これまで誰ともパーティを組めなかったという。ダンジョンに潜って財宝を手に入れなければ、当然金銭をえることはできない。気づけば手持ちの金は底を尽き、魔術師ギルドに工面してもらった分も残りわずか、簡易宿泊所の料金も滞納する事態に陥っていた。これ以上は待てないと宿泊所の主に脅され、いよいよ冒険者を諦めて田舎に帰るか、とりあえず別の仕事で命をつなぐか、選択を迫られている切羽詰まった状況だと教えてくれた。


 事情を知れば、ダットンが困る理由も納得できた。しかし、だからといって諦めるわけにはいかない事情がティオにもある。


「ダットンさん、取引しませんか」両者に益があるアイデアを、ティオは閃いた。「もし手伝っていただけたなら、知り合いの冒険者を紹介します。彼らも充分なパーティを組めず苦労しているので、きっと喜んで仲間になってくれますよ」


「本当に?!」

 思わず身を乗り出したダットンだが、その表情はすぐに曇った。

 まだ何か思いとどまる理由があるのかと、ティオは怪訝そうに眉間にしわを刻んだ。


「や、やっぱりダメだ。ぼ、ぼくのマヒ魔法は、医療用に、体得したものじゃない。うまく加減できない、と思う」


 本来は敵対者モンスターに対して放つ魔法で、威力を調節する必要はない。そもそも調節してマヒ魔法を唱える鍛錬を行っていないのだ。

 医療の一環として使用するとなると、不安をおぼえるのは倫理的に理解できる。教習なしに命に関わる行為を抵抗感なく行える者は、案外と少ない。


「ならば、ダットンさんは直接手助けしてくれなくともかまいません」

「ええっ?」


 それは、最初から心に決めていたことである。マヒ魔法の使い手に協力をえるのは最低条件として、同時に行おうとした計画がティオにはあった。


「その代わり、わたしにマヒ魔法を教えてください!」

 患者のために自分ができること――考え抜いた末に辿り着いた答えが、マヒ魔法の習得だ。


※※※


 父の看護をつらいと思ったことはない。早くに母を亡くし、男手一つで育てられたリジィにとって、病に苦しむ年老いた父を支えるのは一人娘の役目と信じてうたがわなかった。ただ蓄積した疲労によって、いつまでも倦怠感が抜けずにいるのは、単純につらい。


 汚れ物を手にして父の部屋を出た瞬間、無意識にため息がこぼれる。疲労がもたらした、ため息であったとしても――そんな自分自身をリジィは自己嫌悪した。


 ムカムカと胸の奥で渦巻く吐き気を押さえつけて、洗濯をするべく裏口に向かう。その途中、ふと目に入った研屋の作業場に、つい先日見たばかりの白衣の背中を発見する。

 慌てて作業場を覗くと、そこには案の定医者のミスミがいた。何やらカイバと話し込んでいる。


「ミスミ先生、いらっしゃってたんですか」

「やあ、リジィさん、こんにちは」


 ボサボサ頭に無精ひげ、ひょうひょうとした態度も、そっくりそのまま先日とまったく変わらない。違う点をあげるとするなら、今日は助手の女医術者を連れていないくらいだろうか。


「じゃあ、そういうことでよろしく」と、ミスミは声をかけて、カイバの肩をポンと軽く叩いた。

 そして、訳がわからずキョトンとしたリジィに向き直って、穏やかな笑みを浮かべた。


「あの父ちゃんの診察ですよね?」

「うん、そう。部屋はわかってるから、ちょっと行ってくる」リジィは付き添いを申し出ようとしたが、先手を打たれる。「ああ、一人で行くよ。リジィさんは少し休んだほうがいい、かなり疲れているようだ」


「そうさせてもらえ。顔色が悪いぞ」

 カイバも同調して引きとめる。医者嫌いの父と差し向かいで会わせることにためいはあったが、もはや廊下を進む姿を見送るしかない。


 非難を込めた視線をカイバに送り、文句の一つも口にしようと思ったが、早い段階でやめた。まだ胸に残った吐き気が、口を開けると這い上ってきそうだ。

 しばらく黙って沈静化するのを待つ。その間に、吐き気といっしょに憤りもやわらいでいった。


「ねえ、あの人と何を話してたの?」

「仕事の話だ」そう言って、カイバは布にくるまれた複数の小さなナイフを見せる。「あの先生、結構せこいぞ。親方の診察を盾に値切ってきた」


 その姿を想像すると、少し笑えた。リジィの口元に、ずいぶんと久しぶりに微かな笑みが浮かぶ。


「それで応じたの?」

「しかたないだろ。親方を引き合いだされたら、飲むしかない」

「それはそれ、これはこれ。ちゃんと分けて応対しないと、父ちゃんに怒られるよ。いまうちの研屋を仕切ってるのはあなたなんだから、しっかりしなさい」

「……わかってるよ」


 少しむくれた様子を見せながら、カイバは素直にうなずく。こういう実直なところを、リジィは気に入っていた。


「父ちゃんは、職人には戻れない。あたしが頼れるのは、もうカイバだけなんだ」

「……ああ、わかっている」


 リジィとカイバが深い仲となって、もうどれくらい経つだろう。カイバがオルトスに弟子入りした直後から、お互い惹かれあっていたことは確かだ。

 この関係を父に伝えたことはなかったが、おそらく気づいてはいたと思う。後継者としてカイバに目をかけていたのは、職人仕事に口出しを許されなかったリジィにもわかった。


 いつか結婚しようと約束もした。そのいつかは、“カイバが一人前になったとき”――それが、“父の病気が治ってから”に代わり、ずるずると先延ばしとなって現在に至る。


「早く、親方にはよくなってもらわないとな。まだまだ教えてもらいたいことが山ほどある」

「そうだね、よくなってほしい――」


 その希望のカギを握る医者が、父の寝室から出てくる。もっと時間がかかるものと考えていたので、思いのほか診察が早く終わったことに驚く。

 ミスミは作業場に顔を向けてリジィの姿を確認すると、どこか晴れやかな表情で手招きした。

 従わない理由もないので廊下に踏み出すが、何か心に引っかかるものがあった。ざわつく気持ちと連動するように、小さな痛み走る。


「治療方針が決まりましたよ」ミスミはさらりと信じられないことを口にする。「オルトスさんにはこちらの準備が整い次第、診療所に来てもらうことになりました。リジィさんにも付き添ってもらいますので、そのつもりでお願いします」


「ちょ、ちょっと待ってください! それ父ちゃんが承知したんですか?!」

「もちろん。患者さんの許可なしに、こんなことできませんよ」


 リジィはあ然として、何度も目を瞬かせる。医者嫌いの父が診療所での治療を認めるとは――どんな交渉を行ったのか、まるで想像がつかない。幻術魔法でも使って、洗脳したのではとうたがいたくなる。


「これに際して、リジィさんにいくつか質問があります」

「はあ」頑固な父の変節を、まだ信じきれないリジィは、呆けた声を返すので精いっぱいだった。


「まずは、亡くなったお母さんのこと教えてください。当時の状況などを、できるだけくわしく」

「えっ、父ちゃんじゃなく、母ちゃんのことですか?」


 質問の意図がつかめず、リジィは困惑する。とりあえず尋ねられるがまま答えはしたが、これにどんな意味があるのか皆目見当もつかない。

 その後もミスミの意図不明の不思議な質問はつづき、その都度首をひねりながら答えていった。


 結局リジィは最後まで、ミスミの真意を知ることはできなかった。

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