<2>
診療所に戻ったミスミたちを待っていたのは、浮かない顔のダンジョン管理組合会長タツカワだった。
ミスミはうんざりして、鼻のつけ根にしわを寄せる。
「で、オルトスのとっつぁんはどうだった?」
開口一番予想通りの質問が投げかけられた。期待半分不安半分といった様子の視線を、ボサボサ頭をかく腕でさりげなくさえぎる。
「ダメですね。手の施しようがない」
「そんなに悪いのか……」
「末期癌です」
病名を聞いて、会長は愕然とする。多少なりとも、治療可能な病気だと期待していたのだろうか。
その気持ちはわからないでもない。オルトスの容態は、末期癌患者としては驚異的であった。
「痛みで理性が削がれてもおかしくない状態だというのに、まだ正常に思考が働いていることがすごい。よっぽど忍耐強い人なんでしょうね」
タツカワ会長は薄く笑い、曖昧にうなずいた――もしくは、ただうなだれただけかもしれない。
「とっつぁんは昔から負けん気が強かったからな。とんでもなく頑固で、一度決めたらテコでも動かないめんどくさいオヤジだった。冒険者の客がわんさかつくんだからダンジョン近くに引っ越せと言っても、先祖伝来の土地を守るって聞きゃしない。こっちに来てれば、もっと早く病状に気づいてやれたってのに」
「そういうオッサンだから、会長は気に入ってたんでしょ」
虚を突かれたように呆けた表情をみせた会長は、フッと短く息をついて、ぽつりと言った。「かもな」
その言葉を最後に、しばらく沈黙が下りる。誰もがどんよりと曇った顔で消沈するなか、もっとも悲痛な表情に染まっていたのはティオだった。ひしと唇を噛んで、深く考え込んでいる。
惑うように揺れた視線が、遠回りの末にミスミのところへ落ち着く。何やら言いたげに口を開いた――が、思いを言葉とする前に、別の言葉が一瞬早く診療所に響いた。
「本当に、もうどうにもならんのか?」声を発したのは会長だ。「たとえば、延命治療を施す手立てすらないのだろうか」
「残念ながら、ここでは難しいでしょうね。癌治療に必要な機材も薬品もないですから」
ティオが身を乗り出して話に割り込む。
「ミスミ先生、どうして回復魔法は使えないのでしょうか。癌とは、悪性腫瘍のことですよね。活性化魔法で免疫機能を高めれば、撃退も可能なのではないですか?」
「場合によっては効果がある。ただ逆効果になる確率のほうが高い。悪性とはいえ腫瘍は体内で生み出されたもの、活性化するのは免疫細胞だけではなく癌も同じということだ。嬢ちゃんも聞いただろ、オルトスさんの親族は医術者の治療を受けたことで寿命を縮めた。癌を早期発見できたならば、患部を避けて活性化魔法を当てれば治療できたかもしれないが、その見極めは現状において非常に難しい。何よりも、いまのオルトスさんは癌転移を起こして、体のいたるところをむしばまれている。魔法に頼るのは危険だ、かえって命に関わる」
まだ回復魔法の可能性を捨てきれないティオは異存があったようだが、論理的な反証を発想することができず、結局再び唇を噛みしめることになる。
患者を助けたいという想いは、医術者として当然だ。諦めず手立てを考えるティオは、けっして間違っていないとミスミも認める。だが、医者として冷静に病状を受け止め、患者の最期を考えることも間違いではなかった。
「もう俺たちにできることは、オルトスさんが穏やかな最期を迎える手伝いをするくらいだろうな」
「終末医療……ってやつか」タツカワ会長は喉にトゲが刺さっているかのように、つっかえながら言った。
ミスミはうなずき、改めてティオに顔を向けた。
「――そこでだ。話に聞いたところによると、魔法には人間の神経をマヒさせる術があって、痛みを緩和する治療に応用できるらしいじゃないか。医術者ギルドで、その魔法を使える会員に心当たりはないか?」
「確かにマヒ魔法で痛みを和らげたり、状況によっては患者を仮死状態にして命を長らえさせることもできると習ったおぼえはありますが、ダンジョン街の医術者に使用できる者はいません」
「仮死も可能なのか」思いがけない効果に、ミスミは目を輝かせる。
そんな小さな変化に気づかないティオは、申し訳なさそうに説明をつづけた。
「マヒ魔法は、回復魔法と系統が違うんです。だから、医術者には習得が難しい。魔術師ギルドに行けば、もしかしたら使い手がいるかもしれませんが……」
「悪い、よくわからん」
「えっと、なんて言えばいいのか」ティオは言葉に窮して、顔を振りまごついた。「そもそも魔法というのは、各系統ごとに鍛錬法が違いまして――」
魔法の素となる魔力を持たない者に、その特色を解説するのは難しい。ティオは言葉選びに迷い、どんどん混迷の深みにはまっていく。
見かねたタツカワ会長が助け舟を出す。会長自身はミスミと同じく魔力を持たない存在だが、冒険者として身近で接してきた分、魔法への理解度は高かった。
「ようするに、魔法ってやつはスポーツみたいなものなんだ」
「スポーツって――よけいわからなくなるようなこと言わないでくださいよ」
「こう考えろ。魔力ってのは筋力、魔法は競技だ。ガキの頃から野球ばかりやってたヤツに、サッカーをさせてもうまくボールは蹴れないだろ。そりゃあなかには何でも器用にこなすヤツはいるだろうが、そんなもんは例外だ。医術系の魔法という競技を習っていたお嬢ちゃんには、魔術系の魔法という競技をこなす魔力が備わっていない」
ミスミは眉をひそめて、ボサボサ頭をかいた。会長のたとえ話は、飲み込むのに少々抵抗感がある。
「うーん。なんとなくわかったような気はするけど、結局のところマヒ魔法はどうしたらいいんだ?」
「魔術師ギルドに当たるしかないな。うまい具合に使い手がいればいいのだが……。とにかく、組合のほうから協力するように手を回そう。俺が言えば、あいつらも無下にはできないはずだ」
タツカワ会長は、普段微塵も感じさせない有力者としての顔をちらりと覗かせた。
この件については、会長に任せればいいだろう――と、判断した矢先に、何を思ったかおずおずとティオが手を上げた。
「あの、魔術師ギルドの交渉は、わたしに任せてもらえませんか。もちろん会長さんの口添えがあってのことですが」
ティオの表情は真剣そのものだ。けっして思いつきやいい加減な気持ちから、こぼれ出た言葉でないことはわかる。
「急にどうした?」
「少しやってみたいことがあるんです。ダメですか?」
「いいや、そんなことはない。わかった、魔術師ギルドのほうは嬢ちゃんに任せるよ」
他にすべきことがあるミスミにとって、雑事で時間を奪われるのは避けたい。マヒ魔法についてはティオに託そうと決めた。
ただ心配な点が、まったくないわけではない。
「手助けはするが、本当に大丈夫かお嬢ちゃん。医術者ギルドと魔術師ギルドは、あまり良好な関係ではないのだろ」
タツカワ会長は少し不安げだ。魔法使いの関係性に見識がないミスミは、鼻のつけ根にしわを寄せて首をかしげる。
「どういうことですが?」
「単純な話だ。どちらのギルドも大元は魔法学院が出発点だから、医術科と魔術科の権力闘争引きずっている。ギルドは独立した組織ではあるが、人の集団である以上どうやっても逃れることはできない」
「こっちにも学閥があるんだな。世知辛い」
ミスミはため息をついて、ちらりとティオに目をやった。
二つのギルドの関係を知らぬはずはないティオであったが、その決意に陰りは見えない。意気込む理由は見当つかないが、何やら気合に満ちていることは確かだ。
「まあ、とにかくがんばってくれ」
「はい!」
威勢よく返事したティオの双眸には、メラメラと燃えたぎる情熱の炎が宿っていた。
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