血は巡る

<1>

 雑然と活気が詰め込まれた都心部から馬車を走らせ辿り着いたダンジョン街の外れには、かつて農村であった頃の面影がまだ色濃く残っていた。

 収穫前の青々とした麦穂が田畑を彩り、草原を囲った柵の内で羊に似た家畜が放牧されている。


 無心で深呼吸を一度――穏やかで、のんびりとした空気が、忙しない都心暮らしで溜め込んだ、心の澱をやさしく溶かしてくれるようだ。

 ミスミはゆるやかに吹きつける風を堪能しながら、そろりと視線を巡らせた。いくつかの似かよった木組みの掘っ立て小屋が点在しているなかに、一軒だけ石造りのしっかりとした建物が見つかる。


「あれですかね」


 一瞬遅れて同じ場所に視線を止めたティオが、先立って歩きながら言った。

 その後ろにつづき、彼女の肩越しに中を覗き込む。開け放たれていた戸口の奥は、汚れの目立つ古ぼけた作業場となっており、三人の職人が体を丸めて仕事に没頭していた。手元から発せられるリズミカルな擦過音が、ミスミの耳に届く。


 刃物を研いでいるのだ。砥石に刃を当てて、丹念に研磨している。

 集中した職人たちは、来客に気づいていない。ちらりと隣に目をやると、ティオも困り顔を向けていた。


 どちらが声をかけるか無言のやり取りを交わし、先に折れたティオが口を開く。「すみません、よろしいでしょうか」

 一斉に手が止まり、三人の視線が戸口に集まった。


「こちらに研師のオルトスさんはいらっしゃいませんか。ダンジョン管理組合のタツカワ会長の依頼で、診察にやって来ました」

「ああ、会長さんが言ってたお医者さんですね。お待ちしていました」


 職人の一人が立ち上がり、タオルを巻いた頭を下げた。三十代後半のヒゲ面の男だ。表情は堅苦しいが、意外と物腰は柔らかい。


「いま、ここを任されているカイバです」男は名乗り、くるりと背後に顔を向けて壁越しに声をかけた。「おーい、お医者さんが来たぞ!」

 作業場を仕切る壁には、隣の部屋と繋がる扉があった。しばらく待つと、慌てた様子で女が顔を出す。


「ごめんなさい、お待たせしました」


 顔色が悪く、少しやつれている。まだ熟成するには早い三十代前半といったところだが、疲労によってかずいぶんとくたびれて見えた。

 彼女は無理をして笑顔を浮かべると、どうにも頼りない所作で奥の部屋に招いた。


「どうぞ、こちらです」

 作業場の裏は住居となっており、彼女に先導されて廊下を進む。足を踏み出すたびにギシリと床板が軋む。


「オルトスさんの娘さんですか?」

 ミスミが尋ねると、一拍遅れてうなずく。「はい、娘のリジィです」

 顔つきだけでなく、声にも疲労感が混じっていた。患者とは別に、彼女の診察も必要かもしれない。


「本日はわざわざ診察に来ていただいて、本当にありがとうございます。父ちゃ……父は、どういうわけか昔から大の医術者嫌いで、どんなに体調が悪くても医術者ギルドを頼ろうとしないんです」

「気になさらないでください。俺は会長に依頼されて、来たわけですから」


 そもそも今回診察に訪れたのは、タツカワ会長たっての願いであった。

 先日ふらりと診療所に訪れて、病に伏せている知人の診察を注文してきたのだ。『現役の頃に世話になった研師なんだ。助けてやってくんねえか』と、スポンサーに言われては断れるはずもない。


 タツカワ会長も見舞いがてらに付き添う予定であったが、管理組合の雑事が片づかず直前で断念。代わりに空いた馬車の席を、往診に志願したティオが埋めることになったわけだ。不満はないが、少し不安はある。まだ駆け出しのティオが対するには、厳しい患者であると予想された。


 会長の話によると、患者のオルトスは医術者嫌いで体調悪化がはじまった五年来診察を受けていないという。すでに床から起き上がることもかなわないほど衰弱しているとも聞いた。会長は忙しさにかまけて、長い間連絡を取らなかったことをずいぶんと悔やんでいた。おそらく治療を要する段階は越えている。

 ミスミに診察を頼んだのは、一縷の望みにかけたのか。もしくは、穏やかな最期のケアを願ったからか。


「この部屋にいます」

 リジィは廊下の突き当りに面した扉を、断りの声をかける素振りも見せず開けた。

 小さな部屋の板敷に、直接布団が敷かれていた。枯れ枝のように痩せ細った老人が、微かな寝息を立てている。


「父ちゃん、会長さんが呼んでくれたお医者さんが来てくれたよ」

 軽く肩を揺すると、だぶついた瞼がわずかに開いた。よどんだ目の焦点が合うのに、少し時間がかかる。


「チッ、あの野郎、いらねぇと言ったのに本当に呼びやがったのか。お節介なヤツだ」

 意外なことに声色はしっかりとしている。ただ体を起こそうとすると、痛むのか顔をしわくちゃにして歪めた。


「あっ、寝たままでいいですよ」

「いや、起きる――」


 ミスミの制止を振り切り、娘の手を借りて上体を起こした。それだけで、もう息が切れている。

 オルトスはしばらく呼吸を整えるための休止をはさんで、落ち着くと緩慢に視線を向ける。目の下は落ちくぼみ、肌は乾燥して荒れ、老人性の黒いシミが目立つ。生彩失った鉛色の顔は重病人特有のものだ。

 病状は深刻だと一目で見て取れた。隣でティオがツバを飲み込む音が聞こえる。


「タツカワの義理で今回はだけは付き合ってやるが、治療はいらねぇぞ。わしは医術者ってやつを一切信用していない」

「それについては安心してください。俺は治療ができない医者ですんで」

「どういうこった?」

「俺は回復魔法を使えないんですよ。だから、病気の原因がわかっても、治療のしようがない」


 オルトスが肩を小刻み震わせる。体に負担がかからない方法で、笑ったのだと気づく。


「タツカワの野郎。とんだヤブ医者をよこしやがったな」

「名医だろうとヤブだろうと、オルトスさんは何もやらせないんでしょ。それなら気にすることじゃない」

「違いねぇ」オルトスはまたも肩を震わせて、わずかに口元をゆるめた。「よし、いいだろう。あんたは気に入った、さっさとやってくれ」


 ミスミは笑顔を返し、顔面の状態から検査に入る。ティオは無言でノートを広げて、あまさず症状を書き取ろうとペンを構えた。

 まずは顔色に皮膚の状況を確認、目を覗き込み、口を開けてもらって口腔内も観察した。つづいて検査の手は首元に下がっていく。耳の裏側から喉、そして首筋に沿って流れるように指先を当て異変を探る。リンパ節に腫れがあり、ふれるとオルトスは顔を歪めた。


「痛みますか?」

「そりゃあ痛いよ、全身あちこちがな。どっか一つの場所がってことはない。腹の中だったり、首だったり、背中だったり、糸で繋がってるみたいに痛みが共鳴しやがる」

「へえ、なるほど。――それじゃあ次は上半身を見てみます。上着を脱いでください」


 オルトスは娘に手伝ってもらい、苦労して上半身裸となった。垂れた皮が骨にかぶさっただけの痩せ細った体に、かつて研師として活躍した時代の名残りが傷やシミとなって残っている。

 背中から腰にかけて、微かに濃い色に肌が変色していた。おそらくは床ずれの跡だろう。まだ薄い変色具合からみて、リジィがしっかりと看病していることは伝わった。


 ミスミは胸部の触診を行いながら、何気ない調子で話しかける。「ところで、オルトスさん」

「なんだ?」

「どうして、そんなに医者が嫌いなんですかね。よほどの理由があるんですか?」


「まあな。わしの親父も爺さんも、それにカカアも、医術者に殺されたんだ」

「ええっ!」と、思わず驚きの声を上げたのはティオだ。視線が集まったことに気づくと、ばつが悪そうに頬を紅潮させてうつむいた。

 オルトスは軽く肩を震わせて、説明をつづける。


「別に本当に殺されたってことじゃねえよ。親父も爺さんも、わしと同じように体を壊して寝込んだ時期があってな。そんときは医術者に治療してもらったんだが、一時的に元気になりはしたが、すぐに体調が悪化してポックリ逝っちまったんだ。二人ともだ」


「回復魔法が効かなかったのでしょうか」ティオがぼそりと言った。

「一時的であっても回復したんだ、効いてはいたはずだ。ただ回復魔法も万能じゃない。そのことはダンジョン崩落のときに思い知っただろ」


 ミスミに指摘されて、ティオはしゅんと縮こまる。


「どんな理由があったにせよ、わしは医術者ってやつを信頼できなくなった。治療を受ける気が起こらん。おかげで、こうして親父や爺さんよりも長生きしていることを考えると、あながち間違っちゃいなかったんじゃねえかと思ってる」

「そうでしょうね」ミスミはあっさりと同意した。「でも、それは治療に当たった医術者の理解が足りなかったからだ。回復魔法が悪いわけじゃない」


 少し含みのある物言いに、その場にいた全員が引っかかった。怪訝そうな視線が四方からミスミに向けられたが、当の本人はどこ吹く風で、平然と診察をつづけている。

 わずかに戸惑いのこもった声で、オルトスは探りを入れた。


「この忌々しい痛みの原因が、何かわかったのか?」

「まだ、はっきりとは断言できません。一度診療所に持ち帰って検討してみます」


 この言葉にもオルトスは引っかかる。たるんだしわが不自然にひずみ、面相が険しく変化した。


「おい、また来るとか言わないよな。診察は今回だけって話だろ」

「何を言われても、また来ますよ」ミスミはさして気にした風もなく、落ち着いた声色で断言する。「オルトスさんのためじゃない、娘さんのためにね」


 娘を引き合いに出されて、オルトスは言葉を失った。リジィが弱っているのは、老人も気づいていた。長くつづく看護の日々が、疲労となって蓄積しているのは顔つきを見ればわかる。


 困惑を浮かべたリジィは何か言いたげに口を開くが、結局声にならなかった。小さな息遣いを押し殺すように閉じた唇を見て、オルトスも喉元まで上がっていた拒絶を飲み込むこととなった。


「とりあえず、今日は終わりにしましょう。あまり長いと体にさわる。近いうちに、来ます」


 ひとまず診察を打ち切ったミスミは、ティオを連れて早々に退散する。待たせておいた馬車に乗り込み、診療所への帰路についた。

 その車内で、ぼんやりと流れゆく景色を眺めていたミスミに、どこかためらいがちにティオが声をかける。


「あの、先生……」

「ん?」窓枠に頬杖をついた姿勢を崩すことなく、ミスミは曖昧な相槌を返した。

「本当は、もうわかっているのではないですか? オルトスさんがかかった病気がなんなのか」


 平常心を心がけたつもりだが、わずかに頬が強張った。心の中で舌打ちを鳴らし、溜まった感情を吐きだすように肺が空っぽになるまで息を吹いた。

 どう答えるべきか迷ったが、長い沈黙の末に口を開く。ティオはバカでも間抜けでもない、隠し立てしたところでいずれ察して理解する。


「癌だ。それも、かなり進行している。もう長くはないだろう」

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