<2>
たった一時間の講習で、ティオは冒険者となった。渡された銀色のタグには、『登録名ティオ・エステリア。レベル初級冒険者。クラス医術者』と刻まれている。
「それでは登録料500トールをお支払いください」
「えっ、お金払うんですか?!」
ダンジョン管理組合の会計員が、当然といった様子でうなずく。月給の半分近い支出である。
この望まぬ展開となった経緯からして、登録料は会長持ちと勝手に思っていたが、そうはならなかった。割引さえしてくれない。心底払いたくない無駄銭だが、こうなっては行きがかり上払わないわけにもいかなかった。
ティオはため息をついて、サイフの中身を確認する。見る間に顔が青ざめいく様子が、自分自身でわかった。
「あの、いま手持ちがなくて……」
「安心してください。分割払いもしています」
会計員は誰に対しても変わらないであろう営業スマイルを浮かべて、分割払いの契約用紙を差し出した。
「ハア」と、またもため息がもれる。分割契約を終えたティオは、その足でダンジョン入口広場に向かう。そこで調査隊と落ち合う予定になっていた。
調査期間は半日、調査隊が護衛してくれるということで、特別な準備は必要ないと連絡があった。ティオが用意したのは、冒険者病の調査記録を書くためのノートとペンだけだ。ミスミの要請で、ダンジョン内の状況・行動・印象をくまなく記入しなければならない。
重い足を引きずるようにして、大通りを抜けて入口広場に達した。
幾人もの冒険者がたむろするなかに、『調査』と書かれた腕章を巻いた一団が目に入った。そこで、ティオは見知った顔を発見する。
「あれ、あなた……」
「あっ、医術者の姉ちゃん。今回いっしょに行く医術者って姉ちゃんだったのか」
くっきりとした太眉が、親しみを込めてわずかに垂れる。
「よろしくね」ティオは、その少年冒険者に微笑みかけた。「すっかりよくなったみたいだね。よかった」
ダンジョン崩落事故に遭い、ティオの失態によって一時は心肺停止に至った新人冒険者マイトだ。からくもミスミの応急手当で息を吹き返し、どうにか一命をとりとめた。ある意味ティオの進路を決定づけた存在といえる。
「あのときはありがとう。おかげで、こうしてまた冒険に出られるようになったよ」
「わたしは……何もできなかった。むしろ足を引っ張っただけ。お礼はミスミ先生に伝えて」
「話には聞いたけど、あのヤブ医者に救われたってのが、いまいち信じられないんだよなぁ。まあ、折を見て会いに行ってみるか」
会話が一旦途切れたところで、調査隊のリーダーが挨拶にきた。そっけない事務的な対応で、歓迎されていないことはすぐに察する。
「事情は聞いている。身の安全は保障するので、こちらの指示通りに行動してくれ」
早々に事前説明を打ち切り、リーダーは他の調査隊員を目線でうながすと、率先してダンジョンに通じる石階段を下りていく。
まだ心の準備ができていなかったティオだが、置いてけぼりでは話にならない。勇気を振り絞って、最後尾に立つマイトにぴったり張りついた。
ダンジョン地下一階部に到着と同時に、ティオは「ひっ!」と小さな声をもらす。
地上の明かりが届く階段下だというのに、ひんやりとした空気に満たされていたのだ。確か講習で聞いた話によると、ダンジョンは季節関係なく一定の温度で保たれているらしい。温暖な時期ゆえ冷たく感じるが、寒冷期ではむしろ温かく感じるという。
「行くぞ」と一声かけて、ランプを手にしたリーダーが先陣を切った。
調査隊の足並みに合わせて、腰が引けたティオもおそるおそる歩きだした。足を踏み出すごとに、石床にうっすらと積もった砂埃がかすかに舞い上がる。
初めてダンジョンに入ったティオの感想は、“思っていたよりも整備されている”だ。もっとおどろおどろしい環境を想像していたが、ところがどっこいダンジョンは建築屋でも雇っているのかといぶかしむほどに造りがしっかりしている。
「崩落事故があったのに、ずいぶんとサッパリしてるね」
一瞥したところ瓦礫のたぐいは見当たらなかった。崩落事故からまだ数日、その残骸が残っていてもよさそうなものなのにまったく目にしない。
「ああ、それはダンジョン自体が勝手に片づけてるんだってさ。どういう仕組みかわからないけど、気づいたら破損個所もなくなってるらしいよ」
まだ冒険者となって日の浅いマイトであるが、自分よりも新参のティオには少し得意げであった。先輩風を吹かせることがうれしいようだ。
微笑ましくて思わず笑みがこぼれる。
「へえ、そうなんだ。本当に生きてるみたいだね」
一応ノートに書き記しておく。何が役立つ事象か判別つかないティオは、とりあえず手当たり次第に見たモノ感じたことをあまさずメモしていた。
調査隊の足音に、ペンを走らせるかすれた音が混じる。その合間をぬうように、「チッ」と舌打ちが入り込んだ。確かめるまでもなく、先頭を行くリーダーが発したものだとわかった。のんきに話すティオとマイトに何やら苛立っているようだ。
「おい、ひよっこ。お客さんを守るのがお前の仕事だぞ。気を抜かずしっかり見てろよ」
マイトは顔をしかめて、ムッと唇を結ぶ。よほど気に入らないのか、感じが悪い。
ちゃんとした目的意識を持っていたなら、あるいは我慢もできたかもしれないが、好き好んでダンジョンに来たわけではないティオからすると、いとわしいことこのうえなかった。普段は温厚なティオの顔にも、自然と怒りが浮かびあがる。
その様子を指示通り見ていたマイトは、そっと頭を寄せて小声でささやく。
「あいつ、パーティが解散してイラついてんだ。俺たちに八つ当たりしてんだよ」
「そうなの?」聞こえないように、ティオも小声で返す。
「俺も含めて、組合主導の調査隊に選ばれるのは、いまパーティを組んでないフリーのメンバーって暗黙の了解がある。手間賃が出るから、アルバイト感覚で参加しているわけだけど、やっぱり冒険者としては組合のヒモつきでダンジョン潜りは心中複雑なものがあるんだ」
現状に不満があることはわかったが、だからといって無関係のティオに当たるのはお門違いもいいところだ。
「それにしても、イキがりすぎだな。中級冒険者だからって、下の冒険者を見下してやがる」
冒険者のレベルは三つに区分けされており、それぞれ地下二十階以内にとどまっている頃は初級、地下四十階以内が中級、四十一階以降に足を踏み込んだ者が上級と格付けされる――と、講習で説明を受けた。
中級に上がれるのは初級の内十分の一ほど、上級まで到達できるのは百分の一にも満たない狭き門だと聞いている。
嫌味な男であるが、実力は確かなのだろう。それを実感する出来事が、ほどなくして起きることとなる。
地下一階をくまなく調査し、二階に差しかかった直後――突然ふくらはぎに衝撃が走った。ティオは「キャッ!」と悲鳴をあげて、つんのめり前を行くマイトにしがみつく。
痛みはそれほどでもない。軽い打撲だと医術者の思考が瞬時に解をだす。
「ミツメネズミだ!」
そう叫んだのはマイトであったか。ティオは何が起きたのかわからぬまま、ちらりと背後に視線を送る。
そこで目にしたのは、体長一メートルはあろうかという巨大なネズミだ。ゴワゴワとした灰色の薄汚れた獣毛の奥に、知性を廃した真っ黒な目が三つ並んでいた。
ティオは腰がくだけて尻もちをついた。喉がひきつり、呼吸を忘れる。ダンジョンに巣食うモンスターとの遭遇――覚悟していたことだが、平穏無事に地下一階を通過できたことで完全に油断していた。
マイトは慌てて腰にさげた剣を抜き、不格好な姿勢で振り下ろす。
ミツメネズミは臆することなく突進し、いともたやすく身をくねらせて避けた。そのままマイトの脇をすり抜けていく。
「何やってんだ、ひよっこ!」
怒号と共に
トゲのついた無骨な柄頭が、ミツメネズミの腹部を力任せに叩いた。大きな体が造作もなく吹き飛び、壁に激突する。
「ギョゥ」と奇怪なうなり声を最後に、ミツメネズミは動かなくなった。たった一撃で、あっさりと決着はつく。
「チッ、ザコ相手に手間取ってんじゃねえよ。まったく、使えねえな」
舌打ちを鳴らし、リーダーはブツブツと愚痴をこぼす。
マイトは悔しそうに唇を噛んで、焦燥に揺れた目を伏せた。失態した事実がある以上、何も反論できない。
そこからのダンジョン進行は、これまでの平穏な道のりがウソのように激しいものとなる。ゴブリンの群れと遭遇したり、凶暴な大蛇に襲われたり、隠れていたスライムが天井から落ちてきたりもした。
ミスを挽回しようとマイトはしゃかりきに奮闘したが、あいにく空回りの連続。結局撃退したのは、調査隊のリーダーであった。
ようやく平静が戻ったのは、三階に辿り着いてから。ダンジョン内のひらけた部屋に、ちょろちょろと壁の隙間から水が湧きでる一角があった。誰の手によるものか、湧き水の下にはブロックを積み上げた囲いが作られて、水が一定量溜まるように工夫されている。
ちょっとした休憩所として活用されているらしく、先客の冒険者が二組腰を下ろして体を休めていた。
「俺たちも、しばらく休憩に入る」
そう言ってリーダーは座り込み、調査隊のメンバーが書き込んでいた地図をにらむ。変転前の旧地図も取り出し、違いを確認しているようだ。
水場で汗と埃にまみれた顔を洗い、カラカラに渇いていた喉を潤したティオは、ほっと一息つくと改めて周囲を見回した。
ちょうど意気消沈して冴えない表情のマイトが、何やら休憩中の冒険者に声をかけていた。そのままマイトは、フラフラと部屋を出ていこうとする。
慌ててティオは後を追う。――まさか失態を気にして、途中退場を考えているのだろうか。
「マイトくん、どこ行くの?!」
「えっ?」と、キョトンとした顔が振り返る。「どこって、小便だけど」
予想していなかった答えに、少々面食らう。同時に、ティオの下腹部もわずかに張っている感覚があることに気づく。
「わざわざ離れて……その、やるの?」
「そりゃそうさ。立ち入りが少ない深い層だと気にしなくていいんだろうけど、こんな浅い層だと所構わずってわけにはいかないよ。他の冒険者の迷惑になる。邪魔にならない場所でやるのが、マナーってもんだ。好き勝手やってバラけさせるより、一つに固めといたほうがいいってことで、冒険者は便所ポイントの情報だけは隠さず共有するのがならわしになっているんだ」
先ほど冒険者に声をかけていたのは、そういうことなのだろう。
「えっと、あ、あのね。わたしもいっしょしていい?」
声は尻すぼみに小さくなっていったが、マイトの耳にはちゃんと届いた。ただ意図が伝わらなかったようで、不思議そうに首をかしげる――が、遅れて理解が進むと、恥ずかしそうに頬を赤らめて、目をそらしながらうなずいた。
二人して部屋を出る。地下三階の便所ポイントは、通路を右に折れてすぐのところだった。行き止まりとなった壁際に、汚物が転々と転がっている。
ティオは思わず顔を背ける。ツンと鼻を突く臭気が、埃っぽい空気の底に淀んでいた。
「姉ちゃん、お先にどうぞ。俺、人が来ないように見張っとくから」
「えっ、嫌だ! マイトくんが先にやってよ!!」
排泄物を残して目撃されるのは絶対に避けたい。先行だけは断固拒否して、マイトを押しやる。
しばらく待って、立場を交代。マイトを信じてはいたが、もしもを想像すると気が気でなくて、少し手こずってしまった。
とにかく、無事に――終了。そそくさと部屋に戻る。
「戻ったか。よし、行くぞ!」
待ち構えていたリーダーが号令をかけて、調査が再開される。
その後もモンスターに襲われるなど苦難の道のりはつづいたが、地下五階に到達したところで変転部分のチェックは完了した。調査隊の任務、ならびにティオの実地調査は完遂された。
書き記したメモがどれだけ役立つのか。いまだティオは結論づかないが、やり遂げた達成感は少なからず胸を熱くする。
こうして、ティオの初めてのダンジョン冒険は幕を下ろしたのだった。
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