冒険者病、あるいはダンジョン病

<1>

「ヒマですね」

「ヒマだねぇ」


 朝から時間を持てあまして、ティオは持参した医術書をぼんやり眺めていた。その隣でドワーフの看護師カンナバリは、黙々と編み物をしている。


 ティオがなしくずしでミスミ診療所に居座るようになって、一週間がたとうとしていた。

 その間に訪れた患者は、たった二人だけ。一人目は近くの安酒場から運び込まれた泥酔客で、ティオが活性化魔法で対処した。二人目はあくびをした拍子にあごが外れたという老人、こちらはカンナバリが力任せに戻した。


 ミスミ診療所に押しかけたのは、退屈な日々を送るためではなかった。一言で言ってしまえば、「思っていたのと違う」だ。

 手取り足取り医療知識を教えてもらえるとは思っていなかったが、こうも機会がないと見て盗むことさえできない。必死に抑え込んでいるが、腹の底にたまった不満は膨れあがる一方だ。


 今日も今日とて診療所は開店休業状態――不満とは別に、この診療所がどうやって収益をえているのか心配になってくる。所属は医術者ギルドのまま研修名目で通っているティオは、ギルドから給金が支払われるので問題はない。だが、ミスミやカンナバリはどこから賃金が支払われているのか、いまのところ謎だ。


 ちらりと奥の診察室に目を向ける。患者のいないときは、立ち入りを禁じられていた。閉じた扉の向こう側で、ミスミが何をしているのかも謎であった。時々どこかしらからもらってきたガラクタを持ち込んでいるようだが、その使用法はまるで見当がつかない。


「ねえ、カンナさん。ミスミ先生っていつも何を――」


 ティオが疑問を言い終えるに前に、思いがけず診療所の扉が打ち開かれた。ことのほか勢いがついており、蝶番がギシリと軋みをあげる。

 不謹慎なことだが、ティオの顔にほんのり喜びが灯った。だが、ひさしぶりの受診患者……ではないことは、ぬっと足を踏み入れた男を見てすぐにわかる。


 老年に差しかかろうというのに、溢れんばかりの活力を帯びた顔立ち。大柄で恰幅のよい体つきは、病の影を一切感じさせない健康体そのものだ。何よりも、底知れぬ威圧感を宿した角ばった面構えに、ほがらかな笑みが咲いている。


「あら、会長さんじゃない」

 その人物こそ、ダンジョン管理組合会長タツカワ・ショウジ。ミスミ診療所への紹介状をこう際に、ティオも面会したことがあった。


「やあやあカンナ、元気にしてたかい。ちょいと困ったことがあってね、ミスミ先生呼んできてくれないか」

「はいはい」と診療室に向かうカンナバリの背中を見送り、タツカワはくるりと顔向きをティオに移した。


「医術者のお嬢ちゃん、本当にここで働いてるんだな。どうだい、少しは勉強になってるかい」

「あ、いや、はい、その……」


 ティオは言いよどんで、ぎこちなく苦笑する。無理を聞いてもらった手前、まだ何もしていませんとは言いづらい。


「気にすんな気にすんな、そんなこったろうと思ってたよ。嫌ならいつでもギルドに戻っていいんだぞ。こっちのことは遠慮する必要はない、あの朴念仁はなんとも思いやしないさ」


 会長はくだけた調子で笑いながら言った。どこまで本気なのか、よくわからない。


「何かあったんですか?」

 ボサボサ頭に無精ひげ、いつもと変わらぬミスミが診療室から顔を出した。鼻のつけ根にしわを寄せて、面倒そうに会長を迎える。


「そんな嫌そうな顔するなよ。仕事だ、仕事」

「あんたの持ってくる仕事は、厄介なものばかりなんだ。誰だっていい顔はしないっての」

「そう言うなって。頼むよ、ミスミ先生。解決できそうなのは、先生くらいなんだ」


 二人の年は二十歳ほど離れていたが、同郷の気安さからかずいぶんとざっくばらんだ。町の名士である会長と、こんなふうに話せる人物がダンジョン街に何人いることか。

 ティオの胸の奥で小さな驚きがこぼれる。表情にもれでなかったのは、ひとえに先ほどの会長の言葉がまだ耳に残っていたのが大きい。――いつでもギルドに戻っていいんだぞ。


「で、どういう案件なんですか?」ミスミはわずかに表情を締めて、医者の顔を覗かせた。

「冒険者病って知ってるかい。ダンジョン病とも言われている」 こちらは会長の顔そっちのけで、緊張感はまったく見えてこない。


 ミスミは軽く肩をすくめた。ティオも初耳であった。ただ一人思い当たる節があるのか、カンナバリが「ああ」と声をあげる。


「ちゃんとした病名ってわけじゃないんだ。冒険者の間でだけ通じる、新人がよく患う疾患のことをそう呼んでいる。昔から知られていて、俺も駆け出しの頃にかかったことがある。そいつがどういうわけか最近頻発しているんだ。たいした病気じゃないんだが、こう被害者が増えると管理組合として放っておくわけにもいかない。理由を探って、対策を立てられないものかと相談に来た」


「症状は?」

「腹痛に下痢、血便もたまに起きる。不思議なことに冒険しているときはピンピンしてるのに、町に戻ってから発症するんだ。だから、何が原因か当人もわからない。活性化魔法である程度抑えられるみたいだが、発症までタイムラグがあるんで病気かどうか判断がつかず受診が遅れるケースが大半だ」


 しばし思案。ミスミは無精ひげをなでつけるように、何度もあごをさすりながら考えをまとめる。


「ストレス性の腹痛とも思えるが、最近頻発してるってのが気になる。いつから増えてきたんです?」

「ここ三、四日かな。症状を訴えているのは、ほとんど初級冒険者だ」


「初級か……」何やら糸口をつかんだのか、ミスミの片眉がピクンと跳ねた。「もしかしたら、この前のダンジョン事故と関係あるのかな」


 どれだけ思考を巡らせても、ティオには病気とダンジョン事故の関連性が結べなかった。チリチリと頭の深いところで疑念がうずく。まるで疑問の種を植えこまれたような感覚である。

 それは会長も同じであるらしく、難しい顔をして軽くうなっていた。ただティオと違う点が一つ、疑問を抱え込まずに単刀直入に言う。


「わからん。それを調べるのが医者の仕事だろ」

「調べるといっても、どうすりゃいいものか。まさかダンジョンに潜れと言わないでしょうね」

「そういうことなら、ちょうどいい話があるぞ。近々ダンジョンの変転箇所を確認する調査隊を送り込む予定なんだ。そいつらに帯同していけば、安全に病気の原因を調べられる」


 ミスミは腕組して、わずかに視線をすべらせた。鼻のつけ根に寄ったしわが、気乗りしない心情を雄弁に伝えた。

 その気持ちはよくわかる。医術者のなかには、自ら冒険者となって探検に出かけることを望むタイプもいるが、ティオもミスミもフィールドワークを好む人種ではなかった。そもそも冒険に必須な運動能力に自信がない。きっと足手まといにしかならないだろう。ダンジョン崩落事故のような緊急時はしかたないにしても、喫緊の事情もなしにダンジョン潜りは御免こうむりたい。


 それでも、ミスミは迷っているようだ。「うーん、実証確認しといたほうがいいのかなぁ」迷いは視線に連動して、あちらこちらに飛び回る。

 そして、一つのところに落ち着く――いや、一人のところに辿り着く。


「えっ?!」と、思わず濁った声が喉の奥からこぼれた。そっと後ろを振り返り見てみたが、残念ながら誰もいない。


「そういや嬢ちゃんがいたな。いい機会だし、ちょっくら行って調べてみてくれよ」

「ムリですよ! 絶対ムリ、わたしに何ができるって言うんですか!!」


 とんでもない無茶ぶりに、ティオは飛び上がって全身全霊で拒絶する。しかし、返ってくるのはニヤニヤした嫌らしい笑みだけだ。

 あわあわと狼狽し、ひんむいた目で必死に助けを求めるが、誰も手を差し伸べてくれない。カンナバリさえ、気の毒そうに苦笑を浮かべるにとどめている。


「お前さんは、何しにここに来たんだ? 原因究明も立派な医者の仕事だぞ。病を選り好みする権利は、俺たちにない」ここまでは理解できた。でも、つづく言葉が不安を掻き立てる。「それにほら、実地調査はいい勉強になる……かもしれないし、すごい発見とかあれとか……見つかるかもしれない。もしかしたら、嬢ちゃんの冒険者の素質が……うん、覚醒したりするかもだぞ」


「いや、でも――」

「これは決定事項。うちの方針は俺が決める!」


 有無を言わさぬ口調で、ミスミはきっぱりと断言した。もはやティオには止められない。


「そういうわけなんで、もろもろの手はずを会長頼みます」

「わかった、任せろ」


 ティオが愕然としてる間に、とんとん拍子に話は進む。

 頭のなかでは延々と同じ言葉が繰り返し響いた――いつでもギルドに戻っていいんだぞ。

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