<3>

「どんな治療したんだ?」


 ジロリと尖った目を、呆然とした若い女医術者に向けた。

 彼女はビクッと肩を震わせて、涙の海で目を泳がせる。まるで俺がいじめてみたいじゃないか――と、ミスミは頭をガリガリとかいて嘆息した。


「あのなぁ、黙ってないで答えてくれよ。指示どおりの治療をしたかどうかだけでも言ってくんないか」

「指示……」


 意図が通じていないのか、女医術者ティオはぎこちなく口にする。


「トリアージにメモ書きしておいたろ、見てないのか?」


 言われてはじめて気づいたようで、ティオのうるんだ目がトリアージに落ちる。黄色札には、『再生魔法と併用して活性化魔法を使用するべし』とはっきり書かれていた。

 見落としていたことは、その顔色で一目瞭然だ。わなわなと唇が震え、いまにも意識を失いそうなほどに血の気が引いている。これ以上患者が増えては面倒極まりない。


「いかんな、チアノーゼが起こっている」


 患者マイトの唇周囲が青紫色に変色していた。ちらりと視線を送った手の先でも、爪の周りから変色がはじまっている。これは血液中の酸素が不足し、皮膚や粘膜に症状があらわれていることを意味した。危険な兆候だ。


「いったい……なにが……どうして……」

「クラッシュ症候群だ。こいつは長いこと、右腕が瓦礫の下敷きになっていた。解放されたことで壊死した筋肉からカリウムやミオグロビンが漏出して、腎機能が著しく低下している」


「ク、クラッシュ? カ、カリウム、ミオグロビン?」

「ああ、わかんねえなら難しく考えるな。それよりも早く活性化魔法を――」


 そのとき、フッとマイトから力が抜けた。引きつっていた手足が抵抗なく地に落ち、天を仰いでいた顔が支えを失い横を向く。

 ミスミは緊張を走らせて素早く首筋に指をあて脈を探り、つづいて心音も確かめる。


「死んだ」


 心肺停止を確認、一言で結果を告げた。

 ティオは膝から崩れ落ち、ハッハッと喉が詰まったような荒い呼気をこぼした。血走った目をひんむいて、動くことない少年の遺体を凝視する。


 年若い彼女が患者の死と直面するのは、これがはじめてなのだろう。遅かれ早かれ医療に従事していれば、いつか必ず突き当たる試練だ。死を受け入れて、乗り越えてからが医者として真のスタートだとミスミは思っている。なぐさめやはげましの一つや二つ、年長者として送るのはやぶさかではない――ただし、それはもう手がつけられない状況であったならばだ。


「カンナさん、前に教えたアレ頼むよ」

「はいよ、先生!」


 ミスミの診療所で看護師として働く女ドワーフのカンナバリが、腕まくりをしながら駆け寄ってきた。邪魔なティオはまたも突き飛ばされる。ドワーフの怪力ではねられたので、さっきよりも勢いよくゴロゴロと転がっていった。


 いきなりのことで目を白黒させたティオが呆然と見ている前で、ミスミは手際よく準備をはじめる。マイトの頭を反らして気道確保、口腔内にたまった泡を丁寧に取り除く。

 カンナが患者側面の定位置につくと、目線で合図を送った。


「いきますよ、先生。イチ、ニ、サン、シ――」


 彼女は胸部中央やや左寄りに両手を重ねてすえると、一定のリズムで押しはじめた。応急手当による蘇生処置、心臓マッサージだ。

 きっかり三十回正確に胸骨圧迫を繰り返し一時停止。その間にミスミがあごを固定した状態で、迷うことなく口をつけて息を吹き込む――これを二回。人工呼吸である。心臓マッサージと人工呼吸のセットは絶え間なくつづく。


 何が行われているのか理解できない医術者二人は、顔を見合わせて困惑をわかちあった。

 こらえきれず先輩が、おそるおそる声をかける。「あの、いったい何を……」


「見てわかんないのか、心肺蘇生だ。いまならまだ間に合うかもしれない」

「蘇生――蘇生魔法ということですか?!」


 ティオがすっとんきょうな声をあげた。それは無理もないことで、失われた命を復活させる蘇生魔法は医術の参考書にも記されていない幻の大魔法なのだ。

 息を二回吹き込んでから、ミスミは面倒そうに答える。


「そんな大それものじゃない。やり方さえ知っていれば、誰だって使える医療処置だ。ほら――」


 もう何度反復したかも数えきれない心臓マッサージの末に、絶命したはずのマイトの指先がピクリと動いた。つづいてつっかえていた異物を吐きだすように、小さく顔を振って咳き込む。

 ミスミは半開きのまぶたをこじ開けて瞳孔を確認すると、唇を拭って短く息をついた。


「どうにか戻ってこれたようだ。こいつは運がいい」


 蘇生は成功した。目の前で起きた奇跡が信じられず、ティオは魂が抜けたような呆けた表情を浮かべる。しかし、それは束の間のこと――じわりと歓喜とも安堵ともつかない感情が押し寄せて、ぎこちない泣き笑いがこぼれた。


「よかった」と、心の底から沸き起こった想いがつぶやきとなってあらわれる。ミスミは苦笑しながら、新人医術者を目線でうながす。


「おい、ぼけっとしてないで早く活性化魔法をかけろ。蘇生したといっても、腎不全が改善したわけじゃない。代謝と解毒を活性化させて血液の浄化がかなわないと、また同じことの繰り返しだぞ」

「は、はい!」


 理屈はわからなくとも、今度はに従う。ティオは大慌てで手をかざし、口の中で呪文を唱えた。

 だが、どういうわけか回復魔法が発動しない。動転しながら何度試しても、得意なはずの活性化魔法がその手に灯ることはなかった。


「えっ、ど、どうして……」ヒステリー混じりの、うわずった声がもれる。「な、ななんで!?」


 積み重なった疲労によってか、もしくは振り回された不安定な心に原因があるのか――何にしても不発という結果は残る。うろたえ困惑に思考を乗っ取られたティオは、半ばパニック状態で顔をひきつらせた。


「ぼくがやろう」


 見かねた先輩が、代わりに活性化魔法を唱える。

 ティオはぺたんと腰を落とし、頭をかきむしるようにして不甲斐ない自分を嘆く。その後頭部を、ミスミは問答無用に軽くはたいた。


「何やってんだ、お前――」一秒を争う救急救命の場で、落ち込んでいるヒマなどない。反省会は後で好きなだけすればいいのだ。「手が空いてるなら、水を汲んでこい。腹が満杯になるまで水を飲ませつづけろ。血中の毒素をある程度下げることができる」


 理解はしていない。だが、自分にもまだできることがあると、ティオは躍起になって飛び出した。つまずき転び、泥まみれになりながら水場に駆けていく。


「これで安心ですかね」懸命な後ろ姿を見送って、カンナバリが言った。

「さあ、どうだろう。やるだけはやった、あとはこいつの生命力次第だ」


 ミスミは残る治療は若い医術者二人に任せて、のらりくらりと歩きだす。周囲を見回すと、医術者ギルドの活躍で、現場は一段落を迎えようとしていた。回復魔法を使えないヤブ医者に、これ以上とどまる理由はなかった。


「今日はよく働いた。疲れたよ」

「いつも患者さん、ろくに来ないですからねぇ」

「それは言わないで……」


 カンナは豪快に笑いながら、分厚い手でミスミの背中を叩く。白衣に積もった粉塵が、ぶわりと爆発したように舞い広がった。

 喉に鼻腔に埃が絡まり、激しく咳き込む。ミスミはこぼれ落ちた鼻水を、どこか楽しげに白衣の袖で拭った。


※※※


 ダンジョン入口広場に通じる大通りには、冒険道具の商店がいくつも軒を連ねていた。武器防具を揃えた装備屋にはじまり、ダンジョン道具に特化した探検器具の店、薬草を量り売りする薬剤店、手に入れた財宝を換金する両替商、ダンジョン管理組合公認の保険屋なんてものまである。


 先日のダンジョン崩落事故などなかったかのように、通りは数多くの冒険者で賑わっていた。いつもと変わらぬダンジョン街の光景だ。

 そのただなかを、不安げに歩く女が一人いる――ティオだ。彼女は行きかう冒険者の合間をぬって、手書きの地図を頼りに路地裏に飛び込む。通りを一筋奥に入っただけというのに、そこは閑散として妖しい雰囲気に包まれていた。


 無意識のうちに、ごくりと喉が鳴る。ためらいがわずかに足取りを鈍らせるも、ティオは注意深く視線を走らせながら進みつづけた。

 やがてさびれた安酒場と木賃宿が並ぶ一角に、探し求めた目的地を見つける。元は刺青屋であったものを改装した建物だ。そこは、ミスミ診療所――入口脇にちょこんと木製の表札がかかっていた。


 おそるおそる扉を開けると、すぐに見知った顔と出くわす。意外なほど清潔に保たれた待合室に、女ドワーフが手持無沙汰な様子で座っていた。

「ありゃ、医術者の娘さんじゃない」


 ティオのことを、ちゃんとおぼえていてくれた。看護師カンナバリはにっこり笑顔を浮かべる。


「その節はお世話になりました」ティオは深々と頭を下げて、少し緊張をにじませて言った。「ミスミ先生はいらっしゃいますか?」

「いるわよー。うちは年がら年中閑古鳥が鳴いてるからねぇ、いつ来たってヒマしてる」

「カンナさん、いらんこと言わないように。それに、ヒマじゃないときもたまにはあるし」


 声が届いてたらしく、奥の部屋からミスミが顔を出す。ボサボサ頭に無精ひげ、白衣をまとった姿は先日と同じだ。


「あっ、こ、こんにちは。挨拶が遅れて申し訳ありません」

 ティオは改めて頭を下げる。


「んなもん別にいいって。――あの冒険者の小僧、助かったんだってな。話は聞いてる」

「すべてミスミ先生のおかげです。わたしが未熟だったばかりに、先生にはお手数をおかけして、お詫びの言葉もありません」


 そのバカ丁寧な言葉遣いに、ミスミはどこか居心地が悪そうに苦笑する。


「そんなこと気にするな、何事も適材適所だ。過程がどうだとしても、医術者の魔法がなきゃ助からなかった。お前さんはこれから精進して、立派な医術者になってくれ」

「いえ、先生がいなければ彼は命を落としていました。わたしは危うく、医術者でありながら患者を殺してしまうところだった。先生はわたしの恩人です。しかも、こんなどうしようもないわたしをこころよく受け入れてくださって感謝しています」


「だから、気にするなって――ん?」

「えっ?」


 どこでズレはじめたのか、微妙に会話が噛み合わない。互いにキョトンとした顔を、互いの瞳に映す。

 じわりと不審が湧き出して、なんとも言えない気まずさが膨れた。視線が右に左に飛び回り、最終的に再びかち合う。双方疑問が宿った視線だ。


「えっと、話が飲み込めないんだが……どういうこと?」

「どういうことも何も、今日から先生の下で修行することになってるはずですが……」


 一瞬の沈黙のあと、ミスミの顔に困惑が爆発する。


「な、なんだ、それ!? 聞いてないぞ、そんなこと!!」

「何を言ってるんですか! わたしはちゃんと許可を取りましたよ。ダンジョン管理組合のタツカワ会長が、了承をえたとおっしゃってました!!」


 どうやら連絡事項のミスではなさそうだ。「あのクソ親父。何を勝手に決めてやがるんだ!」


 ミスミは拳を握りしめて、怒りに震える。それはティオにしても同じだ。話が通っていないとは、微塵も思っていなかった。

 しかし、いまさら後には引けない。反対する医術者ギルド長に無理を言って、ミスミ診療所への研修を受諾してもらったのだ。これであっさり出戻りするのは、あまりに体裁が悪い。


「ハハハ、まあ、いいじゃないですか」ぎくしゃくした空気を吹き飛ばすように、カンナバリが豪快に笑う。「職場が賑やかになって、楽しくなる。それに先生言ってたじゃないですか、医術者の助手がほしいって」


 ミスミは何か言い返そうと口を開くが、結局声にはならず嘆息だけがもれた。

 許可が下りたのやら下りていなのやら――ボサボサ頭を乱暴にかく姿を横目で見ながら、とりあえずティオは声を張り上げて言った。


「これから、よろしくお願いします!」

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