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「で、では、治療いたします」

 新人医術者ティオは、緊張の面持ちで赤黒く腫れあがった患部に手をあてがった。


 彼女は口の中で吐息を混ぜ合わせた呪文をつぶやく――と、次第に手のひらが熱を帯びはじめた。陽だまりのような柔らかな熱波が、じわりと患部に染み込む感覚があった。

 患者の冒険者がわずかに顔をしかめる。噛み締めた奥歯が、ギリリと鳴っていた。


「あっ、もう少し我慢してくださいね。いま折れた骨を繋いでるところです」


 回復魔法は大別して二種類ある。肉体を元来の状態に修復する再生魔法と、人が持つ治癒力を向上させる活性化魔法だ。


 今回のような骨折患者の治療に使用するのは再生魔法である。術者の技量にもよるが、自然治癒ではありえない方式による修復ゆえ肉体への負担は大きく、痛みがともなうことは珍しくない。どちらかといえば活性化魔法を得意とするティオの技量では、不得手な再生魔法にかかる負担はいかばかりか。


 だからといって、遠慮して治療の手を止めるわけにはいかない。顔を上げると、緊急診察所と化したダンジョン入口広場に、次々と負傷者が運び込まれている。

 ダンジョン崩落という大災害に巻き込まれた冒険者の数は膨大だ。まだ研修中の新人も駆り出さなければ現場が回らないほどに。


「やあ、おつかれさん。がんばってるようだな」

「あっ、先輩……」


 ひとまず無事治療を終えて、ほっと胸をなでおろしたティオの元に先輩医術者がやってきた。

 汗で絡みついた長い髪をくるりと一まとめに束ねながら、力ない笑みを返す。二十代半ばになろうというのにまだ幼さの抜けきれない顔には、すでに疲労が色濃く差している。


「修行中だってのに、いきなりこれだもんな。あまり無理するんじゃないぞ、自分が潰れてしまったら元も子もない」

「はい、気をつけます」


 そうは言っても、うかうか休んでもいられない。物憂げに周囲を見渡すと、医術者ギルドの先達が、フル回転で治療にあたっていた。一番下っ端の新人が、いつまでも怠けているわけにはいかない。

 パンと頬を叩いて気合を入れる。ティオは先輩と共に、未熟な自身の手でも治療可能な比較的軽度の患者を捜すことにした。


「それにしても、ダンジョンの事故ってよくあることなんですか?」

「そうでもない、実はぼくもこの規模のダンジョン災害に遭遇したのははじめてだ。最深部ではたまに起こってるらしいけど、こんな浅い層でダンジョンが変転するのは十年ぶりだそうな」

「生きたダンジョンの気まぐれなんでしょうか。あっ――」


 額に血をにじませて座り込んだ冒険者の姿が目に入った。彼の肩には黄色い札が貼ってある。

「医術者ギルドの者です」黄色い札には、頭部裂傷とメモ書きがされていた。「傷口見せてもらいますね」


 今度も滞りなく治療は完了。ティオは安堵の息をつく。

 その隣で先輩も、黄色い札の負傷者を治療する。たった二年であるが、キャリアの差は明確に手際のよさとしてあらわれていた。


「この“トリアージ”という札は便利ですね。患者さんの重症度が視覚的にわかりやすい」


 トリアージは四つの色の札で構成されており、治療の緊急度や重症度をそれぞれの色で識別する仕組みとなっていた。

 赤色がもっとも重症で、優先的にベテラン医術者が担当する手はずになっていた。次が黄色、緊急度は低いものの生命に危険が及ぶ可能性があるケガで、適切な治療が必要とされる負傷者に貼られる。新人のティオはおもに黄色札の負傷者を手当てするように言われている。緑色は救命処置を必要としない軽度負傷者。最後に黒色――これはすでに死亡が確認された犠牲者が対象だ。


「トリアージを考えたのは、ここの町医者だ。負傷者が同時発生することも多いダンジョン街ならではの知恵なのかもな」

「そうなのですか!?」最先端の医術研究機関であるティオの母校“魔法学院医術科”においても、トリアージは認知されていなかった。しかし、「他の現場でも活用できる手法なのだから、もっと普及してもよさそうなものなのに」


「そうもいかない事情があるんだ。有用性はうちの医術者ギルドも認めているが、考案者に問題があってね。なかなか受け入れられない状況にある。この町医者はギルドに所属していないどころか、医術者ですらない。回復魔法を使えもしないんだ」

「えっ――」


 ティオは絶句する。彼女の常識内に、医術者以外の医療従事者は存在しないのだ。――いったい、回復魔法もなしにどうやって治療するというの?

 眉間に深いしわを刻んで、困惑を瞳に灯す。その様子を横目に見て、先輩は苦笑をもらした。


「ぼくも最初は驚いた。あの人が医者と――医術者ではなく、あくまで医者と――名乗っていられるのは、このダンジョン街だからこそなんだ」


 二人は黄色札の患者を受け入れながら話をつづける。


「この町の成り立ちは知っているかい?」

「はい、こちらの医術者ギルドに派遣が決まってから簡単にではありますが勉強しました。元はどこにでもあるような小さな農村だったのですよね」


 広大な平野地の集落で稲作農家をはじめたのが、いまやダンジョン街と呼ばれる“クリステ”の出発点だ。ちなみにクリステは、田の神様クリスタスが由来とされている。


 農作がうまく回り出すと、次第に人が集まるようになり、その都度耕作地は広がっていった。そうして新たな土地を開墾していくなかで、偶然ぽっかりと口を開けた大穴を発見することになる。不審に思った村人が穴の周辺を探ると、それが石造りのダンジョンの入口であるとわかった。


 この謎のダンジョンについて村人は協議し、血気盛んな若者が調査に乗り出した結果――凶暴なモンスター群に襲われもしたが、苦難の末に農家の収入では一生かかってもえることのできない財宝を手に入れた。

 村人はクワを捨てて、我先にとダンジョンに潜るようになる。どこから話を聞きつけたのか、ならず者の冒険者も集まりだした。

 こうしてかつての農村は、ダンジョンを中心とした冒険者の町に変貌していく。


 不思議なことにダンジョンは、数えきれないほどの冒険者を飲み込んでも、尽きることなく財宝を吐きつづけた。さらに見えざる手により内部構造は次々と変化していった。発見当時は昨日と今日で、通路の道筋が違うこともざらにあったという話だ。ある程度形状が定着しはじめたのは、発見から五十年ほどたった頃――それでも頻度こそ下がりはしたが、いまなお変転は繰り返されている。今回のように。


 誰が言いだしたのか、いつしか“生きたダンジョン”と呼ばれるようになった。冒険者の希望と絶望を吸って成長つづける、命を宿したダンジョンと。


「これで、ひとまず大丈夫です。あとは経過を見て、痛みが残るようなら医術者ギルドにお越しください」


 立て続けにティオは二人、先輩は四人の負傷者を治療した。どうやら峠は越えたようで、あからさまな負傷者は目に見えて少なくなっていた。

 ティオの内にようやく安堵が芽生え、強張っていた体がほぐれていくのを感じた。疲労を吐きだすように火照った息つき、改めて話のつづきに切り込む。


「あの、それで例のお医者さんのことですけど……」

「ああ、そうだった。とにかくクリステはダンジョン街と呼ばれるようになり、多くの冒険者が一攫千金を夢見てダンジョンに挑戦するようになった。成功と失敗と、そのどちらでもないドロップアウトと、いくつも積み重ねられたわけだけど、誰一人として最深部にたどりつく者はいなかったんだ。ダンジョン発見から百年ほどたち、一組のパーティがあらわれるまで」


 少しでも町の歴史を調べたならば、必ず目にする人物だ。二十年前にダンジョンを制覇したのは、「ダンジョン管理組合の会長さんですよね」


「そう、リーダーのタツカワ・ショウジ率いるパーティ。最深部がどうなっていたか、タツカワさんは多くを語らないけど、苦労に見合う対価はあったようだ。莫大な富をえたタツカワさんは町からダンジョンの権利を買い取り、管理組合を立ち上げた。それまで無軌道だった冒険者を束ねてある種の秩序をもたらしたこともあって、いまやすっかり町の名士となっている」


 冒険者の町となったダンジョン街で管理組合の影響力は絶大だ。町長さえもおおやけに対することはないという。それは別組織の医術者ギルドにしても同じだった。


「実はクリステの医術者ギルドは管理組合から資金援助を受けているんだ。冒険者支援に協力しているのも、そういうわけ。正直言って頭が上がらない。例の町医者はタツカワさんと同郷で、親しい間柄にあることもあって、活動を黙認しているというのが実情かな。まあ、回復魔法を使えないので実質的な医療行為はできないに等しい、名目だけのヤブ医者扱いが町の総意なんだと思う」


「なるほど、そういうことですか――あっ、また負傷者が運ばれてきましたよ」

 ダンジョン管理組合の救助隊によって搬送されてきたのは、まだ十代であろう若い冒険者であった。その胸には、黄色札が貼られている。


 苦悶に歪んだ顔を脂汗で濡らし、勝気そうな太眉がハの字に落ちている。見ると右腕の肘から先は出血で赤く染まり、不自然な方向に折れ曲がっていた。

 治療にあたろうとした先輩を制して、ティオは進み出る。黄色札の負傷者なら、先輩の手をわずらわせることもない。


「もう大丈夫ですよ、すぐに治療します」


 ティオは右腕つけ根を縛る木綿ひもをほどき、再生魔法を唱える。難局を乗り切ったことで、心に幾分の余裕と自信が湧き上がっていた。

 熱のこもった手のひらで患部を丁寧になでる。傷痍部位が広く、少し時間がかかりそうだ。


「手伝おうか?」

「いえ、平気です。やらせてください」


 じわりじわりと効果はあらわれ、正常な状態に戻ろうとする作用が骨の軋む音として耳に届いた。腕の内部で砕けた骨が繋ぎ合わさり、断ち切れた腱が再結合する。複雑にねじれた筋肉は張りを取り戻し、行き先を閉ざされていた血管や神経は本来の経路をたどる。痛々しい裂傷も次第に塞がっていく。


 想像以上に治療には時間がかかった。比例して彼が受ける痛みも相当に大きい。

 冒険者の少年は身もだえながら、何やらうなされている。「くそっ、ヤブ医者の野郎……」


 ティオは集中して治療に専念する。雑念をそぎ落とし、ただ一心に魔法を唱えつづけた。

 やがて少年の容態に変化があらわれる。全身をくるんでいた戒めがほどけたように、スッと肉体を硬化させていた力みが抜けたのだ。


「やったじゃないか。よくやった!」


 先輩の賞賛に、額の汗を拭って笑顔を返す。ティオは長い吐息をもらして、腰を落とすと人心地ついた。

 その次の瞬間だった――事態が急変したのは!


 ふいに少年の体が大きく跳ねた。まるで水揚げされた魚のように、激しく体を痙攣させている。顔色は見る間に赤黒く変わり果て、口から細かな泡が吹きこぼれる。

 何が起きたというのか、ティオには理解できなかった。それは先輩にしても同じで、あ然として身じろぎ一つできない。


 頭が真っ白になったティオは、ただ漫然と彼の胸元を見ていた。貼りついたトリアージの黄色だけが、くっきりと意識の奥に吸い込まれる。

「おい、何やってんだ!」


 その声がどこから発せられたものかわからない――いや発せられたことすら気づかない。

 認識したのは、突然突き飛ばされてから。ベチャリと地に伏したことで、ようやくティオは呪縛から解き放たれた。

 ゆるゆると顔を起こすと、白衣をまとったボサボサ頭に無精ひげの男が目に入った。難しい顔で冒険者の少年を診ている。


「ミスミ・アキオ……」

 先輩がぼそりとつぶやく。

 彼こそは、クリステの町医者――ダンジョン街のヤブ医者だ。

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