ダンジョン街のヤブ医者

丸田信

ダンジョン街のヤブ医者

<1>

 突如世界がひっくり返ったような激しい衝撃に襲われた。

 隙間なく敷き詰められた床石が跳ね上がり、側面を囲う長く伸びた壁が大きくうねる。頭上を覆った天井は波打ち、耐え切れず破損した石片がボロボロと落ちてきた。


 何が起きたというのか――新米冒険者のマイトには理解できなかった。ダンジョンに足を踏み入れたのは今回で二度目という駆け出しに、落ち着いて状況を判断する技術スキルはまだ身についていない。

 眼前に降ってきた破片に驚き、慌てて壁際に飛びのく。勢いあまって肩がぶつかり、よろめきながら手をついた。


 それが運の尽き――支えようとした手がまるで飲み込まれるように、ずるりと壁の中に埋もれていった。

「うわっ!」と反射的にもれた驚愕の声も、崩れ落ちる石壁の轟音に埋もれてかき消える。


 気づいたときには瓦礫に圧し潰されて、マイトは身動きできなくなっていた。とりわけ埋もれた右腕は重篤で、肘から先の感覚がマヒしている。

 どのような状態にあるのかも判断つかず、混乱のみが思考をグルグルとかき回す。不安によって絞り出された助けを求める声は、ひどくか細く頼りない。


「誰か……助けてくれ。早く、ここから出してくれよ……」


 同じく新人三人の仲間とダンジョンに潜り、いっしょに未知の災害に遭遇したはずだった。瓦礫に埋もれる寸前、顔をひきつらせた魔術師を視界の隅にとらえている。

 それなのに、誰も答えてくれない。ダンジョン管理組合を通して知り合い、出会ってまだ数日という間柄であるが、一応は命を預ける仲間として契約したにも関わらず。


 彼らも下敷きになってしまったのだろうか?――そんな想像が脳裏をかすめるが、あれこれ考えた末にマイトが至った結論は「あいつら、置いてきやがった……」


 ドロドロとした粘っこい絶望が、瓦礫以上の重みとなって心を圧迫する。

 マイトは声にならない悲痛な叫びを、血混じりの吐息と共に吐き出した。


 どれくらい経った頃だろうか。時間感覚を失った曖昧な意識の淵で、ふいにマイトは光を見つける。

 文字通り“光”だ。淡いオレンジを帯びた炎の灯りが、ゆらゆらと蛇行しながら迫ってくるのを目にしたのだ。


「あら、こんなところに――」


 手提げランプを持った小柄な女性だった。舞い上がった瓦礫埃で所々薄汚れていたが、元は真っ白であろうワンピースをまとっている。

 ダンジョン装備としては不釣り合いな格好だ。街中で夕飯の買い出しに行くときのような軽装である。


 彼女は積み重なった瓦礫の下を覗き込みマイトの姿を確認すると、のしかかっていた壁の残骸をひょいと持ち上げた。脇に放った残骸の重々しい落下音が、その特異な能力を際立たせた。

 仰天してを目を丸くしたマイトであったが、理由はすぐに察した。


 小柄だが骨太で筋肉質な体つきに、丸鼻の人懐っこい愛嬌のある顔立ちをしている。針金のような硬質な髪を一本に束ねて、白いワンピースの背中に垂らしていた。彼女の身体的特徴は、屈強で怪力自慢のドワーフ族と合致する。


「危うく見逃すところだったわ、キミは運がいい。もう大丈夫、安心して」

「あ、ありがと……」


 つっかえながら感謝の言葉を口にする。声を発すると、胸にチリチリ痛みが走った。

 救助が来てくれたことで緊張がゆるみ、目を背けていた痛みが意識に入り込んだのだろうか。ただ、いまだ瓦礫に埋もれた右腕だけは、先ほどと変わらず感覚を失ったままだ。

 苦悶の表情を浮かべたマイトを、女ドワーフが心配そうに見つめて――やにわに来た道を振り返った。


「ミスミ先生、こっちですよ。ここに負傷者がいます!」

「おー」と、奥の通路からのんきな声が返ってきた。


 やがて白衣を着た男の姿がランプ灯りに照らし出される。腕には医術者を表す腕章が巻かれていた。

 年は三十代半ばといったところ。ボサボサ髪にまばらな無精ヒゲを生やした、ひょうひょうたる風貌の男だ。その足取りは少々危なっかしく、瓦礫の散乱した通路をよたよたと渡ってきた。


 彼は女ドワーフの上からマイトを覗き込み、ジロジロと無遠慮な視線を投げかけて、ぼそりと一言。「タグは?」


 それがマイトに向けられた問いとは、しばらく気づかなかった。


「冒険者タグだよ、ダンジョン管理組合が発行してる認識票。まさかモグリの冒険者じゃないだろうな」


 今回のような事故、もしくは不運にも力尽きて息絶えた冒険者の身元証明のために、ダンジョン管理を担う組合が認識タグを配布していた。原則として冒険者タグ所持が、ダンジョン探索許可申請のもっとも初歩的な規則になっている。


「あっ、ここにありますよ」

 マイトが答えるより早く、首に下げていた薄い金属板を、女ドワーフが見つける。身元証明の刻印には、「登録名はマイト・ローベリット。レベルは初級冒険者。クラスは戦士となってますね」


 男は白衣のポケットから紙切れを取り出し、ランプ灯りに寄せて目を走らせる。どうやら本日ダンジョンに入った登録者名簿の写しのようだ。名前を確認して、「うん」と小さくうなずいた。


「あの……、そろそろ助けてくんないかな」


 マイトは痛みに喘ぎながら言った。もろもろ手順があることは理解できるが、当事者としては救助を優先してもらいたい。

 どうにもつかみどころのない目線に見下ろされて――思いがけずフッと鼻で笑われた。


「そいつはダメだ。お前さんは、しばらくそこで寝てるんだな」


 男はきっぱりと言いきる。一切迷いのない口調であった。


「な、なんでだよ。あんた、救助に来た医術者だろ。た、たた助けてくれよ!」

「残念ながら、俺たちは別に救助隊ってわけじゃないんだ。人手不足で被害状況の確認に回されただけの、しがない町医者にすぎない。応急処置はしてやるから、本物の救助隊到着をおとなしく待ってな。ちゃんと場所は伝えておく」


 悪びれた様子もなく、失望に叩き込むセリフを平然と言ってのける。

 マイトは愕然として、返す言葉もない。


「カンナさん、とりあえず右腕のつけ根あたりを軽く縛っておいて」

「はいよ、先生」

 命じられたとおりに女ドワーフは、マイトの右腕つけ根を木綿ひもで縛りつけた。その間に、男はどこからともなく取り出した黄色い札に何やらメモ書きして、ぺたりとマイトの胸に貼りつけた。


 たったそれだけで、応急処置は終了。二人は顔を見合わせて、「さて、おいとましますか」という空気をかもしだす。

 マイトは慌てて、せめてもの希望を口にした。


「ちょっと待ってくれ。こ、この腕に乗った瓦礫だけでも取ってくれよ。これじゃあ身動きできない」

「そいつはムリだな、右腕が潰れちまってる。この場で治療する手立てがない以上、現状維持しておいたほうが無難だ」

「なんでだよ。あんた医術者だろ!」


 まるで予想だにしていなかった言葉であったかのように、男は怪訝そうな表情を浮かべる。その目はちらりと医術者の腕章をかすめて、肩をすくめた女ドワーフに移り、再びマイトの元に戻ってきた。

 その顔つきに、どこかいたずらっぽい感情が宿っている。男はニッと笑って、ざっくばらんに言った。


「悪いな、俺は回復魔法なんて上等なモノは一切使えない。ただのヤブ医者だ」

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