1179.伯爵の、涙。
「シンオベロン卿、孤児院に良からぬ噂があることも、ベニーとムーランから聞いた。今調べさせている。もし問題があれば、必ず正すから安心してくれ」
ムーンリバー伯爵は、ツリッシュちゃん達みなしごに目が届かなかったことを詫びた後に、孤児院についても言及した。
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
「ところで……ツリッシュちゃんは、どこの生まれだね? ……会った事はないよな?」
突然、伯爵がそんなことを言った。
まさか……ツリッシュちゃんが、貴族の令嬢だったことに気づいたのか?
ツリッシュちゃんが、不安そうに俺を見つめている。
「ツリッシュちゃんは、この迷宮都市の下町でおばあさんと一緒に暮らしていたそうです。おばあさんが亡くなって、一人になり、借りていた家も追い出されたそうです」
「なるほど……そうなのか。今後も、そういう例はあるかもしれんな。何か対策を立てておかねばならんな」
よし、何とか誤魔化せたようだ。
「ツリッシュと言うのは……略称かな? まさかツリーシュベルっていう名前ではなかろう?」
おっと……誤魔化せていなかったようだ。
伯爵は、訝しげな顔で見つめている。
もしかして……幼い頃のツリッシュちゃんに、会ったことがあるのか?
「まぁおじい様、どうして知ってるの? ツリッシュ姉様の名前は、ツリーシュベルっていうのよ」
まずい……ルージュちゃんが、名前を知っていたようだ。
「本当か!? もしかして……ツリーか? クレセント伯爵家のツリーシュベルではないのか!?」
伯爵が、興奮してツリッシュちゃんの肩を掴んでいる。
これは、もう言うしかないな。
「伯爵、私からご説明いたします。
この子は、確かにクレセント伯爵家の令嬢ツリーシュベルちゃんです。
七年前のクーデターの時に生き延びて、この迷宮都市で、乳母だった女性とひっそり隠れて暮らしていたのです。
今でこそ、女の子の格好していますが、私と出会った時は、男の子として生きていました」
俺から伯爵に説明をした。
もうこうなったら隠すより、話す方がいいと判断したのだ。
もちろん、彼女に不利益なことが起きるようなら、俺が全力で守る。
「な、なんと! ……そんな、そんな、そんなことが……。
ワシは、何をしていたのだ……。この迷宮都市にいたとは……。
しかも、男の子として……貧しい暮らしをして……、その後は、みなしごになり路上生活を……。
あゝ、ほんとにすまない……すまない、すまない、すまない……うう、うぅぅぅ」
伯爵は、泣き崩れてしまった。
俺を含め周りにいる人みんなが驚いているが、伯爵が話すのを見守っている感じだ。
ツリッシュちゃんも、突然のことに、またもや呆然としている。
「本当にすまない。
私の管理する迷宮都市にいたのに……何も知らずに、本当にすまない。
……クレセント伯爵……大将軍は、ワシの先輩でな。仲良くさせてもらっていたのだ。
あのクーデターの日……たまたま公都にいた私が駆けつけたときには、虫の息だった。
消えゆく意識の中で、ワシに二つのことを託された。
一つは、この国を頼むということ……一時的に反逆者に屈服してでも、生きながらえて、時期を待って国を正せと頼まれた。
そしてもう一つは家族、孫娘を助けてほしいと頼まれたのだ。
ワシは、クレセント家の生き残りがいないか必死で探した。
そして孫娘のツリーシュベルが生死不明だということがわかった。
だが……必死で探しても見つからなかったのだ。
まさか迷宮都市にいたとは……」
伯爵はそう言うと、また涙を流した。
俺は、前にツリッシュちゃんから聞いた話を、伯爵に伝えた。
七年前のクーデターの時に、六歳だったツリッシュちゃんは、たまたま乳母と出かけていて、難を逃れたこと。
その後は、乳母とともに迷宮都市で隠れるように貧しい生活をしていたこと。
そして万が一にも生き残りだと気づかれないために、男のふりをして生きてきたこと。
十歳になったときに、七年前に起きたことを乳母から聞かされたこと。
乳母からは、常日頃から問題を起こさないように、厳しく言われていたこと。
特に貴族とは関わらないように、言いつけられていたとのこと。
クレセント伯爵家と親しくしていた貴族でも、今生き残っている貴族は、信用できるかわからないと乳母が言っていたこと。
などということを、説明した。
「そうか……乳母の考えも間違っていないのう」
伯爵は、しみじみと呟くように言った。
「おばあちゃんは……乳母は、迷宮都市が一番安全だと思って、ここに住むことにしたそうです。
それでも太守様を信じていいかは、わからないと言っていました」
ツリッシュちゃんが、申し訳なさそうに言った。
「確かにそうであろう。
その慎重さがあったから、生き延びてくれたのだろう。
亡くなった乳母に、感謝せねばならんなぁ。
私は公都の無理難題にも屈服し、生き延びることを優先していたから……信用できないと思われても当然のことだ。
それに……もし、私の耳に入る前に、他の貴族……特に公王派の連中の耳に入っていたら、命はなかっただろう。
もどかしいが……乳母の判断は正しかったと、認めざるを得ないな」
そう言って、伯爵が再び涙を流した。
最初に会ったときには、あれほど腹の底が見えない人だったのに……今は、感情むき出しで、むせび泣いている。
おそらくだが……亡くなったクレセント伯爵に頼まれたことをなんとか守ろうと、必死でツリッシュちゃんを探していたに違いない。
それがまさか自分のお膝元である迷宮都市にいて、しかも不遇な環境で暮らしていたと知ったのだから……やるせない気持ちでいっぱいだろう。
この涙を見る限り……この人は、信用に足る人物のようだ。
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