539.一族の、ために。

 俺は、もう少し詳しくアンティック選手に質問をさせてもらった。

 それによると……


 アンティック選手は、『ヘルメス通商連合国』の国民なのだそうだ。

『ヘルメス通商連合国』は、確か……『死霊使い』だった吟遊詩人のジョニーさんの妹弟のギャビーさんとアントニオ君の故郷でもあったはずだ。


 ギャビーさんたちからも少し聞いていたが、『ヘルメス通商連合国』は商人が集まって作った連合国家らしい。

 国王は存在せず、合議制議会の議長が国家元首の役割をするというこの世界では珍しい国のようだ。


 アンティック選手からより詳しく聞いたところによると、大きな商会が力を持っていて、小さな商会や商会に属さない国民にとっては、住みやすい国とは言えないらしい。

 貴族の代わりに、商会が地位と権力を持っているということのようだ。

 国家元首である議長は、事実上規模が大きく力のある商会の代表が選ばれるらしい。

 合議制の国といっても、それほど民主的な国というわけではないようだ。

 ただそれでも、普通の王族や貴族が支配する国よりは、自由な気風があるのではないかとのことだ。


 アンティック選手の一族は、『シンニチン商会』という商会を運営しているが、小さな商会で連合議会に参加する権利すら持っていないらしい。

 連合議会というのは、最上位の議会のようで、おそらく国会にあたるようなものなのだろう。


 元々『シンニチン王国』はもっと東にあったようなのだが、国が滅んで今の『ヘルメス通商連合国』のある土地に移り住んだのではないかと考えられているそうだ。

 記録が残っていなくて、『シンニチン王国』があった正確な場所などはわからないらしい。

 先祖が、いつから『ヘルメス通商連合国』のある場所に住みだしたのかも、はっきりしないとのことだ。


 アンティック選手の一族は、船での海上交易をして何とか生計を立てているらしい。

 海上貿易は安全な航路を選んでも、突然迷い込んだ海の魔物に襲われて命を落としたり、リスクの高い商売なのだそうだ。

 そのかわりうまくいけば、収益も大きいらしいのだが。

 まさにハイリスクハイリターンな商売のようだ。


 数ヶ月前、アンティック選手の一族は、航海中に突然現れた海の魔物に襲われ、三隻の船のうち二隻を失い、経済的にも追い込まれた状況にいるのだそうだ。

 大型船二隻とすべての積荷は失ったが、幸い乗組員は無事だったらしい。

 乗組員は、皆アンティック選手の一族で鍛えているために、奇跡的に死者が出なかったとのことだ。

 ただ新しい船を買う資金もなく、残った船で何とか海上貿易を続けていたらしい。


 そんな中、セイバーン公爵領の海に面した港町『ウバーン市』に着いた時に、今回の『三領合同特別武官登用武術大会』の話を聞き、すぐに参加を決めたのだそうだ。

 もしセイバーン公爵領で仕官できれば、海上貿易を止めて一族で移り住むことも考えていたようだ。


 次期当主となるアンティック選手は、一族の窮地を脱するためにもこの大会で優勝したかったようだ。


 ちなみに、この大会は優勝すると賞金ももらえる。

 二年に一度開催している通常の『武官登用武術大会』の優勝賞金は三百万ゴルで、今回の特別大会も同額の三百万ゴルになっている。

 三百万ゴルは、俺の元いた世界の三百万円と同じぐらいだから、優勝賞金としてはかなり低い気もするが……元々武官に登用するための大会だし、こんなものかもしれない。

 しかも一つの領の中での優勝であって、世界チャンピオンみたいな感じではないからね。


 もっとも、三百万ゴルは俺の感覚では少なく思えたが、この世界の一般庶民からしたらかなりの大金で、一攫千金と言っていい賞金のようだ。

 普通の仕事をして得る一ヵ月の給金は、大体十万ゴルから二十万ゴルぐらいのようなので、三百万ゴルは大金だよね。


 アンティック選手は、もし優勝できればいきなり正規軍に仕官できる可能性もあるし、優勝賞金もあるので本当に移住するつもりだったらしい。

『ヘルメス通商連合国』では、自由な気風の国家と言いつつも大商会が既得権益を握っていて、小さな商会はいくらがんばっても大きく成長することが難しい状況なのだそうだ。

 ほとんどの商会は、現状維持がやっとという閉塞感の中にあるそうだ。


 若いアンティック選手は、新しい世界の可能性にかけたいと思ったのだろう。

 優勝して好条件で仕官できれば、ある程度の稼ぎが確保できるので、それを足がかりに一族も呼んでセイバーン公爵領で新たに事業を始めようと考えたのだそうだ。

 セイバーン公爵領が豊かな領で、住みやすいということが近隣の小国家群にも知れ渡っているらしい。


 それなのに予選を突破できず、号泣していたようだ。

 なぜ腕立てしながら号泣していたのかは、あえて尋ねなかったが……。

 まぁ俺も経験があるが試合に負けた時って……自分の不甲斐なさと、応援してくれた人への申し訳なさと……いろいろな気持ちで、かなり落ち込んじゃうよね。

 どんより落ち込んで打ちのめされてるよりは、号泣しながらでも腕立てしてる方がいいかもね。

 早く立ち直れる感じだし。


 一緒に海上貿易をしている一族は、『ウバーン市』にとどまっていて、取引のある商会との売買の手続きをして、その後は屋台を出して日銭を稼ぎながらアンティック選手が帰って来るのを待ってくれているのだそうだ。


 アンティック選手は、一人で『コロシアム村』まで来たらしい。

 残念ながら敗退してしまい、嬉しい報告を持って帰れないアンティック選手の心情を思うと……俺も少し切なくなってくる。


 そこで俺は、アンティック選手に助け舟を出すことにした。

 今までの話を聞く限り、本気で国を出て移住したいと考えているようだし、一族全員を養うためにはアンティック選手が仕官するだけでなく、商売をしなきゃいけないという事情もわかった。


「改めて自己紹介させてもらうけど、私はピグシード辺境伯家家臣グリム=シンオベロン名誉騎士爵といいます。『フェアリー商会』という総合商会の会頭もしています。もしよかったらだけど、君たち一族の『シンニチン商会』に投資をさせてもらえないかな?」


 俺はそう切り出しつつ、アンティック選手にある提案をした。




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