25.突然の、襲撃者、ケニーのターン。
「急がねば……早くたどりつかなければ……」
糸を飛ばし、風切音を出しながら木々の間を駆け抜ける『アラクネ』のケニー。
彼女には、これほどの全力疾走の記憶はない。
この大森林の守護統括を任されたばかりだというのに、早速、魔物の襲撃だ。
「敬愛する“あるじ殿”のために、この大森林を守らなければ……」
そう、彼女の敬愛する“あるじ殿”のために……
———ケニーは思う———
……自分でも、もう何年生きているのか……
……考えたこともなかったが……あんなまばゆい光を浴びたことなどない……
あの光を浴びて、思考のモヤのようなものが取れたような気がする……
もちろん通常の魔物どものように、平常で冷静な思考を失っていたわけではない。
私は由緒あるアラクネ、『オリジン』なのだ。
自分の意思、思考で生きてきた……つもりだった……
……あの光を浴びるまでは……
あの光で、思考のモヤが取れ、本当の自分になった気がする。
そんな喜びもつかの間、自分のステータスを確認すると……
なんと、“グリムの
当然、テイムなどされた記憶は無い……
考えても全くわからない……
可能性があるとすれば……
やはり……あのまばゆい光か……
このグリムというのは……あの光の技主なのかもしれない……。
確認しなければ……
種族固有スキルの『糸検知』を使っても見つからないとは……
木々の間にそっと張り巡らされた糸の振動を伝って、気配を察知できるのだが、この広い大森林全域に張っているわけではない……
範囲外なのだろうか……
いや……
おそらく……あの迷宮遺跡に違いない……
確認するのみだ……。
迷宮遺跡に着いた時には驚愕した。
入り口前の広場にいたのは人族、それもレベル9の………
……それが“あるじ殿”だったのだ。
……こんな矮小な人族にテイムされたのか……
愚かにもそう思った私は、怒りとともに、力量を試すべく飛び出してしまったのだ。
あー……私はなんと愚かなことをしたのだろう……
今思い出しても恥ずかしい……
蜘蛛の糸で繭を作り、引きこもりたいくらいだ……
全く浅はかな考えだった……
あの方の前に立った瞬間……
私は生まれて初めて、自分の無力を感じた。
底の知れない、得体の知れない感じ、絶対強者のそれだ。
生殺与奪を握られているとは、このことを言うのだろう。
だが、それでいて何か暖かい……包まれるような……
この方には絶対に勝てない……
いやむしろ……そばに居たい……お仕えしたい……
この初めての……胸が苦しくなるような感覚はなんだ……
私は思考が混乱していた……
そんな私にあの方は、優しく声をかけてくれた。
そして、この大森林を守れと言う……
もちろん私に否やは無い……
あの方の役に立ちたい……それのみである。
そして……
魔物の襲撃が起きた……。
……別の領域から魔物が侵入してきたようだ。
“あるじ殿”から、魔物の侵入を警戒せよと言われた時は、他の領域から侵入してくる魔物などいるのかと思った。そんなことは記憶にないからだ。
だが、やはり私は、全く浅はかだったようだ。
我が“あるじ殿”は、すべてお見通しのようだ。
私の忠誠と力を示す機会だ……必ずあの方の役に立ってみせる!
そう……この大森林を守るのだ!
◇
ケニーが、大森林の南東の端につくと、戦線が拡大していた。
仲間の浄化された魔物『浄魔』たちが、善戦しているものの押されている。
戦っているのは、『マナ・ホワイト・ベア』『マナ・ワイルド・ボア』『マナ・ホーン・ラビット』『マナ・スパロー』『マナ・キラービー』それにアラクネ直属の各種蜘蛛の浄魔たちだ。
攻めてきているのは、大ウサギ、大ネズミ、カラス、ムカデ、猿、蛾、芋虫などの魔物たちだ。
ケニーは、ここから一番近い東側の山脈の向こう側にある魔物の領域からの侵攻だろうと予測する。
その南北に延びる魔物の領域の南端付近にいる魔物が、山脈を迂回し、大森林に侵入してきたに違いないと考えた。
ケニーに疑問が生じる。
「なぜ魔物が、自分の縄張りを離れて……余程の何かに誘導されなければ……暴走状態まではいってないようだが……」
だが、今考えてもしょうがないと、思考を切り替える。
『鑑定』スキルが使えるケニーが見たところ、現時点ではレベル40以上の強い魔物はいないようだった。
だが、数がどんどん増えている。
ケニーは、焦っていた。
「このままでは……死者が出てしまう……」
そんなことは許されないと考えていた。
なぜなら、彼女の親愛なる“あるじ殿”は、明確な行動指針を示していたからだ。
その一つ目が、[命大事に——死ぬな]ということだった。
このことは、自分自身はもちろん、このマナテックス大森林にいる全ての浄魔が死んではならないことを意味していた。
行動指針の二つ目は、[仲間大事に——
ケニーは、この大森林を預かる者としては、仲間の誰一人失うわけにはいかないのだ。
本来であれば、ケニーは自分が先頭に立ち、ひたすら相手を屠り、仲間たちにも同じように戦わせていただろう。
だがそれでは、必ず死者が出てしまう。
そんなことでは、あの偉大なる“あるじ殿”に顔向けができない。
誰も死なせない戦いとは、こんなにも難しいものか……
ケニーは、今まで、これほどの焦りは感じたことがない。
ケニーは考えた……
聡明なケニーの頭脳が導き出した答え……それは……
自分は最前線に立たず、後方にて指揮をとり、傷を負った仲間の回収をしつつ、遠距離攻撃をすることだった。
自分の飛ばす糸で、負傷した者を回収し、周りに待機させた回復能力のある仲間に回復させる。
もしくは、自分の作り出した繭の中に入れ保護する。
それをやりつつ、空中の魔物には糸による攻撃を繰り出す。
この戦い方は、常に戦場全体及び仲間の状態を確認しなければならない。
かなり高度な能力を要求される。
敵の殲滅だけを考えれば、レベル52のケニーが、ひたすら暴れた方が早いかもしれない。
だが、敵の数が多い以上、そんな手段は取れないのだ。
犠牲を出すわけにはいかないのだから。
実行するには、態勢を整えなければならない。
ケニーは、既に、戦闘の主力にする予定の直属の蜘蛛浄魔たちのほとんどを呼び寄せていた。
その分、大森林全体の警戒が疎かにならないように、レベルが低く直接戦闘に向かない『マナ・スパイダー』たちと『マナ・スパロー』たちを大森林全域に散らした。
蜘蛛の魔物の最下位種の一つである『マナ・スパイダー』は地上の警戒を、スズメの魔物である『マナ・スパロー』は空から警戒をする。
警戒だけして、直接戦闘は避けるように指示をして。
それぞれ百体、合計二百体程度いる。
万全ではないが、警戒網として最低限機能するだろう。
そして、戦線の立て直しにはいった。
数多い魔物たちから面で攻められれば、必ず損害が出る。
なるべく、数で押し切られない戦い方をするには、戦う場所を選ばなければならない。
ケニーは、現在の場所より少し後方に自分たちに有利な戦場を構築することにした。
前線の仲間たちに、作戦の概要と、しばらく戦線を維持するように伝えるとすぐに行動に移る。
全力全開のケニーは、短時間で自分たちに有利な戦場を作り上げていた。
前線を維持していた仲間たちに念話して、負傷者を回収しつつ後退するように指示を出す。
……魔物たちは、上手く誘導されて進軍してくる。
そして……
———正面の蜘蛛の巣の壁に激突し絡め取られる。
足の速い大ウサギの魔物やムカデの魔物が主に蜘蛛の巣の壁に激突している。
蜘蛛の巣の壁は真ん中だけ作られていなかった。
そこに魔物たちが殺到する。
魔物たちは、渋滞を起こしながら、その空間、五十メートル幅の通路に殺到する。
奥まで一本道が続いている。
通路両側の壁も、もちろん蜘蛛の巣だ。触れた者を絡め取る。
これが、ケニーの張っていた第一のトラップ、“
ケニーは、自分の出す強粘着の糸で作る蜘蛛の巣を、木々の間に張り巡らせ、魔物の通り道を限定し一本化する壁を作ったのだ。
少ない戦力で迎撃できるようにするためだ。
大軍を狭い谷間に誘い込むように。
そして、この蜘蛛の巣の壁に触れた者は、当然、身動きができなくなる。
これだけで、かなりの数が減らせる。
だが、できるだけ早く、広大な面積に張る必要があった。
しかも、木が折れないように、糸で厚く補強する必要もあった。
ケニーは全身全霊で糸を飛ばした。
お尻はもちろん、両手の指先すべてから糸を出した。
こんなことをしたことはない。
できるかもわからなかったが、すべては敬愛する“あるじ殿”のためであった。
蜘蛛の巣の壁は、一通り魔物を捕まえてしまえばそれまでで、残りは道をどんどん進む。
大ウサギ、大ネズミ、ムカデ、芋虫、猿などの魔物たちはまだまだいる。
ところが、先頭の集団が突然姿を消した———
———ゴゴゴゴゴゴッ
———バスバスバスッ
———ドドドドドドッ
大きな落とし穴に落下したのだ。
これは、ケニーの仕掛けた第二のトラップ、“
かなりの数が一気に落下し、後続の魔物が追加で更に重なって落ちていく。
気づいても、さらに後続に押され落ちるしかないのだ。
深さがかなりあり、次々に後続が落ち、穴一杯になるまで続く。
下の魔物は圧死し、最上段の魔物は後続に踏まれる道となり、ぼろ布のようになっている。
ケニーは、配下の『マナ・トラップドア・スパイダー』に落とし穴を掘らせていたのだ。
彼らは『トタテグモ』が魔物化したものだ。
彼らは、普通の蜘蛛のように、糸で作る蜘蛛の巣で捕食するわけではない。
地中に穴を振り、戸立て、つまり戸を作り蓋をして偽装するのだ。
近くを通った獲物を穴に引きずり込んで倒す。
この性質を持っている『マナ・トラップドア・スパイダー』は、驚異的な穴掘り技能がある。
その技を使ったのだった。
この二つのトラップで、大分、数を減らせたが……まだまだいる。
ここからが、ケニーの本来の作戦のスタートのようだ。
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