「頭が良くなる本ください!」

「話が違うぅ……」

「立ち話もなんですのでどうぞ」

「あっ……はい。ごめんください……」


 と、(大変棒読み気味の)少女に誘われて、あかりはとりあえず店内に踏み入った。


 意外にも店内は片付いている。


 いや、むしろ。 


「ふぉわー……」


 ちょっと、素敵かもしれない。


 本屋なんだから、それは本棚はあると思っていたけれど――まさか、こんなにも所狭しと詰まっているとは。どれもこれもが古いのだけど、うっすらと飴色に光ってすましている。


 外から見たときにはわからなかったのだけど、やけに部屋の天井がたかくて、それに合わせた本棚のそのまた天辺なんて、あかりが二人肩車しても届きそうにない。


 そのさらに上、一つだけのぞく天窓から、うっすらと赤らんだ西日が真っすぐに差し込んでいた。


 本棚の通路の奥。


 ちいさな、一人掛けのカウンターに向けて。


「これはぁ……なかなかによきですねぇ」

「お気に召しましたか?」

「お気に召しました! なんか、水族館とか、海の底、みたいで……。空気まで、キラキラしてるみたいです!」

「それは埃の反射ですね」

「あっそうなんですね」

「申し訳ありません。諸事情ありまして、どうにも手が回らないもので」


 ハウスダストアレルギーなどありましたらお引止めは致しませんので……。と呟きながら、少女は奥のカウンターへ進んでいく。


 レジスターと、虫眼鏡の置かれた、本棚と同じ飴色の机。


「なにかアテが外れられたようですが――よろしければ、どうぞ」


 と、その向かいにコトリと置かれた小さな椅子。


「私も、気になります」

「あー……そうですよね。店員さん、自分のお店の噂とか、そりゃ気になりますよね」


 それは、そうだろう。


 正直に言うと、あかりにこの店にいる理由なんてもうほとんどないのだけれども。


 それでもあかりは腰かけた。


 語るのはやぶさかではない。


 それに、目の前の『店員さん』があかりのはなしを気にしているのと同じように、いや、あるいはそれ以上に。


 あかりも、興味がでてきてしまった。


「私、聞いたんです」


『文城堂書店』


「この学園のどこかに、『願いが叶う本屋さん』が、あるって――」


***


 それは噂話らしく、あるいは与太話らしく。とりとめもなくあやふやで、とらえどころなく有耶無耶な。


 例えば「知ってる? この学園の七不思議、って奴」を枕に。


 あるいは「これね、先輩の先輩が言ってたらしいんだけど」を前おいて。


 時には「こないだあの子が言ってたの、あれはほんとは間違いなのよ」ともったいぶって。


「一番大事な本を売ると願いを叶えてくれる」「どんな願いも叶う魔法の本を売っている」「願いを叶えるためになくした本を探すよう言われる」「願いが叶った後皮を剥がれて本にされる」「本の中の世界に閉じ込められて願いが叶う」「願いが叶うんだけど帰り道振り返ると帰れなくなる」「願いを叶える代わりに一年間本屋で働かされる」「次のお客が来るまで本屋で働かされて交代した後願いが叶う」「とにかく雑に願いが叶う」「願いが叶う魔法のボールのありかが書いてある本が売っている」「願いが叶った後一冊本を書くまで帰れない」「全部嘘っぱちだよ。でも願いは叶う」


 まるで一つも信用ならないけど。


 確かに共通しているのは一つ。


 この学園のどこかに、『願いの叶う本屋さん』がある。


 その名前は、――



***


「『文城堂書店』だ、って……」

「……なるほど」


 とりとめのない話だ。あかりの語り口もまたとりとめもなく、何度も脱線しては、引き返し。いつの間にか、目の前には小さなティーカップがあった。


 顎を紅茶の香がくすぐる。


「私が聞いたバージョン……『信じる気になったバージョン』は、その――」


 こうなると、とんでもなく恥ずかしい。


 いい年して都市伝説を信じ込みました、と告白するのは。


「――その、『文城堂書店に行けば、願いを叶える本を売ってくれる』って、奴で……」

「願いを叶える本、ですか」

「……はい、お恥ずかしい話です……」


 もう真っ赤である。


 消えてしまいたい。


 しかし、当の『店員さん』のほうはそんなことはどうでもよさそうだった。


「ふむ」とか「ええ」とか言葉少なな相槌を打っていたのが、鳴りを潜めている。


 手元のティーカップに指をかけたまま、じっと水面を見つめ。「――願い、願いを叶える本を、売る――」呟いている。


「そのように変質するのですね」

「はい?」

「失礼しました。独り言です。――つかぬことを伺いますが」


 ひたり。


 目が、合う。


「お客様のおっしゃる『願いの叶う本』ですが、それは、いわゆる願望器というか……『ビビデバビデブー』の類、というニュアンスで?」

「え……?」

「言葉が足りませんか――ランプの魔人の類、ではないのですね?」

「あ、はい。もっとこう、なんていうか。もっと専門的というか、融通が利かないというか……オーダーメイド的というか……」

「『ひみつ道具』?」

「そう! それです!」


 上原あかりが『信じる気になった噂』


「ドラえもんみたいに、『不思議な力でその願いだけ叶えてくれる本』を、ピンポイントで売ってくれる本屋さん、っていう、ニュアンスです!」

「なるほど、なるほど、なるほど、なるほど」


 なるほど。


『店員』が繰り返す。


「御用立て、承りました」

「へ?」

「不思議な力、ではありませんが。ここは本屋です。『文城堂書店』です。もしお客様が『不思議な力で願いを叶えてほしい』と仰いましたら、わたくしは『大変申し訳ありませんが当店ではお取り扱いしておりません』と申し上げるほかありませんでしたが――本が欲しい、ということならば」


 そして彼女は掌を伸べた。


 店を埋め尽くさんばかりの、本棚へ向けて。


「ございますかもしれません。お客様の、『願いを叶える本』が」

「……ほんとですか?」

「確約は致しかねますが」


 ですので、お伺いしてもよろしいでしょうか?


「お客様の『願い』とは、なんですか?」

「ハイ! 頭が良くなる本ください!」

「ないです」

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