友だちに会いにいこう
第42話 エピローグ
――ああ、また今日がやってきた。何の代わり映えもしない、色のない朝が。
ワシは書斎の椅子から体を起こし、散らかされた本をかき分けて自室を出てリビングに向かう。そこは荒れ放題でリビングよりもゴミ溜め場という方がふさわしい。まあワシが片付ける気を起こさないので当然と言えば当然の有様だ。
ゴミに足を取られながらテーブルまで歩き、魔法でポッドにお湯を沸かせてお茶を作り飲む――味がしない。香りもしない。無意味だと分かっていながら惰性でその習慣を繰り返している。
あの日からワシの世界から何もかもが消えてしまった。世界からは色が消え失せ、何を食べても飲んでも味も香りもなく、ただただ刺激のない怠惰な毎日を過ごしている。
思いもしなかった。あの子がいなくなっただけでこんなにも変わってしまうなんて。あの子の存在がどれだけワシの世界を色付けていたのか。
何百年生き続けてきた上であの子を失ってたった十年、そうたかだか十年がまるで牢獄に閉じ込められているかのように息苦しくワシにのしかかっている。
(あの子は今、どうしているだろうか)
それを思わない日は一日だってなかった。魔法を使えば盗み見ることはできる。でもあの子は砂の目を持つ。魔法を使えば簡単に見破られ、最悪痕跡を辿られてここを知られてしまうかもしれない。それでは駄目だ。あの子との繋がりを完全に断った意味がない。
「潮時、なのかもしれんな」
ワシは長く生き過ぎたのかもしれない。
師匠の真似事をして友達作りをした。それは決して無駄ではない、意味のあることだったはずだ。しかし、それをかすませてしまうほどにあの子は眩しかった。あの子を知り、そして失ってしまったワシはもう以前のようには戻れないのだろう。
そこまで考えたところでワシは決意した。最後に一度師匠の元を訪ねて別れを告げ、そしてこの世界を去ろうと。もうこの世界に未練はない。一人どこか静かなところで不死の魔法を絶ち、ひっそりと息を引き取ろう。いつか訪れる日、それがきっと今日だったのだ。
ワシは師匠の元に行くために転移魔法を起動させる。
だがその時、魔の森の魔法生物が一つ反応を消した。どうやら誰かが仕掛けを見破ったらしい。
ほんの気まぐれだった。あの子が来た時と同じことをした人の顔を見たくなったのだ。ワシは重い体を動かし、魔法生物が消えた場所へ歩き始める。
◇
そこは締め切られた真っ暗な部屋の中。その部屋の中でろうそくの火に照らされながら女性が何かをぶつぶつと呟きながら紙に何かを書き出している。すると突然女性は大声を上げた。
「ああ、そうかようやく分かった! この第十三層だ! ここの仕掛けが罠で、誘導された手順で解くと第二十層のこの仕掛けが発火して失敗するんだ! ほんっっっとにこの魔法を組んだやつは嫌らしいな全く。どうやったらこんなのを思い付くんだ? 頭の中を覗いてみたいもんだよ」
女性はひとしきり文句を呟くと、ろうそくを持って部屋の中を歩き回り始めた。そして部屋いっぱいの床に描かれている巨大な魔法陣に色々な紋様を書き加えていく。
それが終わると女性は満足そうに腰に手を当てて頷いた。
「これでよし。ようやく二十層までの仕組みが解けたはずだ。さて、もう一度試してみるかね。私の頭にかかっている魔法、さっさと解かないとあっという間に婆さんになっちまう」
女性は魔法陣の中心に立って両手を地面につける。すると描かれた魔法陣が極彩色の光を放って起動した。
「さあ、今度こそ成功しておくれ!」
◇
僕は机に座って足をぶらぶらさせながら師匠の課題に取り組んでいた。
「えっと、これがこうなってこうだから、いやでもそれだと水精の特性で……ああもう、分かんない!」
僕は頭をぐしゃぐしゃと掻きむしると、羽ペンを放り出して机の上に突っ伏した。
師匠の出す課題はいつも難しいけど今回はいつにも増して難問だ。考えすぎて頭が爆発しそうになる。僕は突っ伏したまま恨めしげに師匠の課題を睨みつけた。
「僕って才能ないのかなあ……」
今の師匠に勢いで弟子入りしたはいいものの、来る日も来る日も一人で課題課題課題……。それに付いていくだけで精一杯で、現に今もその課題に心を折られそうになっている。僕が魔法使いとしてやっていけるのかどうか、日に日に不安が増していく。
その時、家全体がドカンと大きく震えた。窓ガラスがカタカタと鳴り、庭の木に止まっていた小鳥が一斉に空に飛び立つ。
「ああ、またやったよあの人……」
僕は小さく一つため息をついて席を立ち、音の元凶へ小走りする。廊下を抜けてドアの前に立つと、僕はそのドアを勢いよく開け放った。
「またですか師匠! いい加減後始末する僕の身にも……」
師匠に向かって放つ僕の声が徐々にか細くなる。師匠はボロボロのぐっちゃぐちゃになった部屋の物に埋もれて、床に描かれた魔法陣の上に座り込んでいた。いつもと違うのは、あの師匠が涙を流している。泣いている師匠を見るのなんて初めてだった。
「師匠、一体どうしたんですか?」
「……やっと、やっと全部思い出せたんだ。そうか、そうだった。私はこんな大切なことをずっと……」
「し、師匠?」
明らかに師匠の様子がおかしい。師匠はとめどなく溢れる涙を拭おうともせずに何かを抱き締めるように両腕を胸の前で組んで震えている。
僕があっけに取られていると、師匠は突然すっくと立ち上がり、両腕でごしごしと乱暴に自分の顔を拭いた。そしてさっきの様子が嘘みたいにしっかりとして僕に指示を出す。
「ザック、出かける準備をしなさい。これから長旅に出るよ。ったく、辿り着くのに十年もかかっちまった」
「え! いきなりどうしたんですか!? そもそも旅ってどこに?」
「どこ、か。そうだね。お前に紹介したい友だちがいるんだ。伝説の大魔法使い、異世界の魔法少女、誇り高い村医者とその助手、星を飲み込む鯨を倒した勇者達、空の世界に住むウサギに生意気なチビドラゴン。他にも色々。ああ、でも一番最初に……」
そこまで言って師匠は僕に向かって笑った。いつもの全てを見透かしたかのような大人びた笑い方じゃない。まるで子供のみたいに朗らかで、大切なおもちゃを見つけたような無邪気な顔で。
「思いっきりぶん殴って文句を言いたい人がいるんだ。何を考えてるか分からない変人で自分のことが何一つできなくてそのくせ自分のやりたいことはやりたい放題、そして人一倍寂しがり屋のくせに一人でいることを選んだ私の……いや、僕の一番の友だちに」
◇
一度は断ち切られた二人の物語。それが今、再び交わろうとしていた。
◇
ワシが魔法生物が消えた場所に辿り着くと、そこには二人の人が立っていた。
一人は年が十と少しぐらいの男の子。もう一人は銀髪を腰まで伸ばした女性。その女性がワシの魔法生物の丸い核を持って佇んでいる。少し俯き加減なのと前髪が長くて顔は半分くらい隠れてしまっている。
「よくそいつを倒したなあ。お前さんで二人目だよ」
ワシがそう声をかけると、女性がピクッと肩を震わせた。そして突然大きく振りかぶると、魔法生物の核をワシに向かって剛速球でぶん投げてきた。完全に油断していたワシは何とかそれをギリギリでかわす。
「うおっと、危な……ぐお!」
核に気を取られていたワシの顔に凄まじい衝撃が走った。女性がワシ目掛けて走ってきていて、拳でワシの顔を思いっきり殴りつけられたのだ。ワシは倒れ込み、女性が馬乗りになって両手でワシを殴り続ける。
「ちょ、ちょっと待った! なぜワシがここまで殴られなくてはならんのだね!?」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 自分の胸に聞いてみろ! 僕にはあなたを殴る権利があるはずだ!」
「そうは言っても……いや、まさかお前さん……」
ここでようやくワシは女性の顔を見ることができた。確かに大人になっている。しかし、その顔をワシが忘れるはずもない。
「アリス……なのか?」
名前を呼んだ瞬間、女性はより一層の威力で殴りかかってきた。
「そうですよ! あなたが置き去りにした僕です!」
「馬鹿な、お前さんの記憶は確かに封印したはずだ! あれはどんな魔法使いにも気付かれないし、気付かれたとしても破れるはずがない!」
「忘れましたか? 僕には砂の目がある。砂の目に写ったものは何があっても忘れない。僕はこの十年間、砂の目に残された光景を取り戻すために生きてきたんです! そして今日、ようやくそれは叶った……」
そこまで話すと途端に拳の勢いが落ちた。まるで子供が親に駄々をこねて当たるように弱々しくなる。
その時、わしの顔に雫が落ちる。それはアリスの目から溢れた涙だった。アリスは殴る手を止めると、涙で顔をくしゃくしゃにしてワシにしがみついた。
「うわあああああああああああ! やっと、やっとここに辿り着けた! 師匠、師匠ーーーーー!!!」
その瞬間、ワシの見えている世界に色が灯った。モノクロだった世界が極彩色に輝き始める。アリスから伝わる熱が温かい。それをもう二度と離さないよう、ワシはアリスの体を両腕でしっかりと抱きしめた。
その時、ワシの頬をすっと何かが流れる。それは涙だった。ワシは生まれて初めて涙を流したのだ。
「すまなかった……すまなかったなぁ……アリス。ああ、あああああぁぁぁぁぁ!」
もう止まらなかった。感情が
初めての経験だった。こんなに人を愛おしいと思うなんて。アリスは、ワシにとってこんなにかけがえのない特別な存在だったんだ。それに気付かされた時、ワシはもう二度とこの子を手放したくないと思った。
そうしてワシ達はいつまでも泣いていた。泣くだけ泣いて落ち着いたのか、アリスがワシの体を離して立ち上がり、倒れたままのワシに手を差し伸べる。ワシも目に残る涙を袖で拭うと、アリスの手を取って立ち上がった。
「ねえ師匠? オーウェンさんが僕に言ったことを覚えてますか?」
「お前はお前だ。自分の人生を歩んでいけ、だったかね?」
「はい。僕は僕自身の意思でここに立っている。僕の選んだ道はエヴァンズ家の跡取りの使命を全うし、そして同時に師匠と共に歩む道だ。師匠、また一緒に友だちを作りに行きましょう?」
「……そうさな。ワシもお前さんと離れて心底思い知った。ワシにはお前さんが必要なんだと。自分から手放した手前でバツが悪いが、またワシのそばにいてくれるか? 今度こそ友だちとして」
「ええ、もちろん! でも僕にとって師匠は師匠です。それだけは変わりません」
アリスは花のように笑って手を差し出した。ワシはその手を強く握り返す。もう二度とこの手を離してなるものか。
「あ、あの……」
その時、ワシ達以外の声が聞こえた。見ればそこにはあの頃のアリスのような子供がワシをおずおずと見ていた。
「ああ、放っておいてすまないね。師匠、僕の弟子のザックです。ほらザック、この人が僕の師匠だ。ご挨拶なさい」
「ザ、ザックといいます! よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。良さそうな子じゃないか」
「ええ。見込みはある子ですよ。でも今伸び悩んでてましてね。だから見せてあげたいんです。僕達が旅してきた人を、世界を」
「ああ、そりゃいい。きっとこの子の良い刺激になるだろうさ。ならば善は急げだ。早速出かけるとしようか」
「はい。ほらザック、こっちに来なさい」
「は、はい!」
ザックがワシのそばに近寄る。ワシは地面に手をついて転移魔法を起動させた。
「さて、今日はどこへ行こうか」
無限に広がるこの世界。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます