第41話 全ては夢幻の中に

「事の発端はこの子が産まれたことです。砂の目は一子相伝。それを受け継いで産まれてきてくれたこの子に私達はアリスと名付けました」


「砂の目はエヴァンズ家の象徴たる能力。それは祝福されて産まれてきたのだろう」


「はい、その通りです。未来のエヴァンズ家を担う希望の子として、アリスは大切に育てられる……そのはずでした。しかし、運命のあの日。その夢は打ち砕かれてしまったのです」


「それはもしや誘拐では?」


「……ええ、お恥ずかしながらおっしゃる通りです。ある日、アリスが屋敷の中から忽然と姿を消してしまいました。エヴァンズ家は総力を上げてアリスと犯人を探しましたが、いくら探しても手がかりは掴めず、一年、また一年と月日が流れて私達はいつしかアリスはすでに殺されてしまったと思うようになりました。しかし、それを公言するわけにはいきません。砂の目の後継者を失うということは、すなわちエヴァンズ家の没落を意味します。だから私達は表向き、アリスは病弱で屋敷にこもっているという話を世間に流布し、またアリスに関しての話は箝口令かんこうれいを敷いて隠しておくしかなかったのです」


「誘拐犯はおそらく四代公爵家のうちのどれかだろうね。砂の目を持つエヴァンズ家は四代公爵家の中でも特に影響力が強いため、それを疎んじたどこかの家が力を削ぐために誘拐を決行したんだろう。しかしアリスは生きていた。アリス、お前さんはどうして生きていたんだ?」


 ショックから完全に上の空だった僕は、師匠に話を振られて挙動不審に答える。


「……え? あの、それは……分かりません。僕は物心ついた時にはスラム街である人の元にいたんです。その人も亡くなって僕は各地を転々と歩き回り、最後に師匠に出会ったんです」


「おそらく誘拐犯はアリスをさらった後、捨てておけば幼子ゆえに勝手に野たれ死ぬだろうとスラム街に捨て置いたんだろう。スラム街ならばそんな子供は珍しくない自然な死に方だ。その中の一人に気にかける者はいなかっただろう。しかし、犯人の思惑に反して捨てられたアリスを拾った人物が現れた。そうしてアリスは生き延びることができ、今こうやってあなた達の元に帰ってくることができた」


「ああ、まさに神の思し召しです。これでエヴァンズ家は救われました。さあアリス、私達の元に……」


「……いい加減に、してください」


 僕はありったけの怒りを乗せた声でシーラさんの言葉を遮る。シーラさんは弾かれたように両手を口に当てて驚いた。


「え?」


「さっきからあなた達は自分のことばかり! 僕は僕だ! アリスなんて名前じゃない!」


「そんなこと……私達はアリスを思わなかった日など一日も……」


「もうたくさんだ! 僕の意思に関係なく、僕の知らない話で勝手に話が進んでいく。ふざけるな! 僕の生き方は僕だけのものだ! これまでも、そしてこれからも! 誰にも勝手に決めさせはしない!」


 もう限界だった。僕はソファーから立ち上がると乱暴に待合室のドアを開け、その場を立ち去った。

 屋敷中を走り回った。どこだっていい。逃げ場が欲しかった。僕はがむしゃらにあちこちを駆け巡った。


 ――気がつくと、僕は屋敷のテラスに立っていた。空の彼方には夕日が見えて夕闇が迫ろうとしていた。まるで……僕の心を映し出したかのようだ。

 その時背後から気配を感じて僕は振り返る。そこには師匠が立っていた。少しうつむき加減で帽子のつばで顔が隠れて表情は分からない。


「最初から全部……知ってたんですね」


「ああ」


「何で、もっと早く話してくれなかったんですか? こんなの、突然突きつけられたって受け入れられるはずがないでしょう?」


「言ったとして、お前さんは信じたかい?」


「それは……でも、だったらさっさとここに引き渡すことだってできたはずだ! どうして僕を手元においたんです!」


「ワシの元に来た時、お前さんの心は深く傷つき、ねじ曲がっていた。世界に蔓延はびこる悪意で歪み、何も信じられなくなっていた。これまでの旅はな、そんなお前さんの心を癒やすためだったのさ。そして最後にワシの師匠の元に連れていった時、ようやく決心がついた。もう元の世界に返してやれると」


「嫌です! 僕は絶対に師匠の元を離れない! ねえ師匠、また色んな旅に出かけましょう? 新しい村に新しい世界、きっと行ってない場所なんて山ほどある。だから……」


「お前さんの旅はここで終わりだ。これからは本来生きるはずだったアリス・エヴァンズとして本当の人生を歩むんだ」


 ああ駄目だ、泣きそうになる。


「……どうして、どうしてそんなことを言うんですか? 師匠にとって僕はいつでも手放せる程度の存在だったんですか!?」


「……そんな訳が、ないだろう」


「え?」


 師匠の声は、震えていた。


「ワシだってもっとお前さんと旅をしたかった! 一緒にいたかった! お前さんの存在がワシにとってどれだけ大きかったか! どれだけワシの光となって照らしてくれたか! お前さんを失うことがどれだけ怖いかワシの気持ちが分かるか!」


 初めて、師匠が荒々しく感情を出した瞬間だった。その表情や仕草は鬼気迫るようで、まるで今にも泣き出しそうなぐらいに悲しみをたたえていた。

 そうだ、駄目だ。この人を一人にするわけにはいかない。


「なら僕と帰りましょう? 僕がずっと師匠のそばにいます。だから……」


「……やはり駄目だ。お前さんは捨てられたんじゃない。本来はここで大切に、幸せに育てられるはずだった子だ。偶然拾ったとはいえ、ワシがその幸せを奪っていい道理はない」


「幸せかどうかは僕が決める! 僕は師匠の元にいるのが幸せなんです!」


「もういい。もういいんだ、アリス。ありがとう」


 その時、僕の視界が揺らめいた。頭の奥が痺れるようだ。痺れは全身に回っていき、僕はその場に倒れ込んでしまう。


「し、しょう? なにを?」


「ここが夢の終焉しゅうえんだ。目が覚めたら全てあるべき形に収まるだろう。だから今は眠りなさい」


「い、いや、だ。ぼくは……ししょうと……」


 意識がどんどん薄れていく。僕は師匠を掴もうと手を伸ばした。けどその手は虚空を掴み、僕の意識は深い闇の中に落ちていった。



 ここはどこだろう。いつの間にか僕は真っ暗な場所で一人立っていた。何もない。何も見えない。一人ぼっちの孤独な世界。

 その時、僕の目の前の地面が柔らかな光を上げて光りだす。その光の中にはオーウェンさんが立っていた。


「クリス、何があっても自分を見失うな。お前が今立っている場所、それがお前の居場所だ」


「オーウェンさん!」


 オーウェンさんに近寄った瞬間、突然オーウェンさんが凍り付き、弾けて消えてしまった……あれ? オーウェンって誰だっけ? 駄目だ、何も思い出せない。


 するとまた地面が光りだした。今度は茜と宮子、そしてジョージだった。


「何ぼーっとしとんねん。ウジウジしとったらはっ倒すで」


「ブリジット君、私達はここにいるよ」


「またお前達に会えるのを楽しみにしているぞ」


「茜! 宮子! ジョージ!」


 僕は茜達に走り寄る。しかし、それに触ろうとした瞬間、さっきみたいに氷に包まれて弾けて消えてしまった。


「今のは……誰だ?」


 思い出せない。大切だったはずのものが、僕の中から一つ、また一つと消えてしまっていく……!


「ミョシュア君、あなた達のおかげで私達は救われたの」


「またね、ミョシュア!」


「カレット先生! リーリア! 待って! 置いてかないで!」


 また砕ける。消えていく。大切なものが手からこぼれ落ちていく。僕は無我夢中で光を掴もうとあがき続ける。


「フレッド君、また一緒に冒険するス」


「ノイ!」


 また届かない。伸ばした手は空を切り、欠片さえ僕の手の中には残らない。


「覇竜祭で築いた絆、俺は生涯忘れぬ」


「グ……ルタ?」


 消える。消える。消える。気づけば、僕の周りの光は全て消えてしまった。いや、一つだけ残っている。一際大きく温かい、僕が一番大切にしているもの。僕はせめてそれだけは守ろうと光にすがりつこうとした。


「……なら……しているよ……」


 微かに聞こえる懐かしい声。それが聞こえたかと思うと、大きな光は弾けて消えてしまった。光の残滓ざんしが空から僕に降り積もる。ああ、まるで光る雪のようだ。


 ――あれ? 僕は、何をそんなに大切にしていたんだっけ?



 私は自室のベッドの上で目を覚ました。ちょうど日が昇り始めた頃で、窓からは柔らかな日の光が部屋の中に差し込んでいた。


「……あれ、なにこれ?」


 目に違和感を感じて私は顔に手を当てる。私の顔中が涙でびしゃびしゃになっていた。


(どんな夢を見てたんだっけ?)


 何とか思い出そうと私は頑張ってみる。でも夢の中身はこれっぽっちも思い出すことができなかった。

 思い出せないものはしょうがない。私は諦めてベッドから降り、軽く身支度を整えて部屋の外に出る。そして廊下を歩き中庭に出た。そこにはお父様とお母様が中庭のテーブル席でお茶を楽しんでいた。


「おはようございます! お父様! お母様!」


「あら、アリス。今日はずいぶん早いのね。いつもお寝坊さんなのに」


「ははは、これは今日は雪が降るかもしれないな」


「もう、お父様ったら!」


 私が怒った素振りを見せると、お父様はごめんごめんと私の頭を撫でてくれた。


「さて、すぐに朝食を作るわね。待ってて、お父様、お母様」


「うん? 朝食はいつも通り料理人が用意しているよ」


「あれ? 朝食はいつも私が……ううん、そうよね。間違えちゃった!」


 そう、私は料理なんかしたことがない。ないはずなのに、なんだろう。この胸に残るもやもやは。すごく気持ち悪くて私は胸を押さえてうずくまる。


「大丈夫アリス!? どこか具合でも悪いの?」


 お母様が心配して私に駆け寄って様子を見に来てくれた。

 なんだろう、目が、私の目が……おかしい。今見えている視界の裏側に、何かが映し出されている。それはザラザラと不透明で何が映っているのか分からない。でもひどく懐かしい、胸が引き裂かれるようなこの感覚。それを見せられていると、私はいつの間にか涙を流していた。


「なに……これ? どうして、私何も知らないのにどうして!」


「どうしたアリス、落ち着きなさい! 誰か来てくれ! アリスの様子がおかしい! あとお医者様にも連絡を!」


 お父様の指示で私は自室のベッドに移された。お医者様にも診てもらったけどどこにも異常は見られず、しばらく安静にして様子を見ることになった。


「それじゃあアリス、ゆっくり休んでいるんだよ」


「おやすみなさいアリス。出歩いちゃ駄目よ」


「はい。おやすみなさい。お父様、お母様」


 お父様とお母様が私の頬にキスをして私の部屋から出ていった。

 二人が出ていった後、私はこらえていた感情を爆発させる。


「……あああああああぁぁぁぁぁぁ!」


 枕に顔をうずめて私はあらん限りの声を出して泣いた。なぜ泣いているか私には分からない。でも、私の砂の目に映るこの光景を見ていると、私は泣かずにはいられなかった。

 泣きながら私は決意する。きっとこの光景は私にとってとても大切だったもののはずだ。なのに私はそれを忘れてしまっている。

 私は忘れない。大切なことを忘れているということを忘れない! 一生かかったって絶対にこの光景の正体を突き止めてみせる! そう心に決意しながら、私は枕を涙で濡らすのだった。

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