第40話 砂の目

 師匠は前方を、僕は後方を警戒する形で囲まれた状況に対応していた。

 魔力の流れからして全員が魔法使い。それもかなりの使い手だ。師匠がいる以上、分が悪いとは言わないけど、相当な面倒事に首を突っ込んでしまったのには間違いない。


 すると、前方にいた三人の内の一人が前に出てきた。砂の目で見れば分かる。この魔法使いは他のとは別格だ。間違いなくこの集団のリーダーだろう。

 そいつが顔を隠していたローブのフードを取った。下からそいつの顔があらわになる。そいつは男で、短く刈り込まれた髪に無骨な顔立ち。右目には縦に一本古傷が付けられていた。

 男は僕達に向かって話しかける。


「お前達、何故なにゆえエヴァンズ家の事を嗅ぎ回っている」


「なるほど、あの情報屋からこちらの情報が漏れたか」


「答えろ。事と次第によってはここでお前達を消さねばならぬ」


 そう言うと、男はローブから右腕を覗かせた。その手には剣の握りの部分だけがあった。


「ぬん!」


 男が気合を入れると、握りの先端から凄まじい魔力が噴出した。魔法を剣のようにして扱っているんだろう。宿る属性はおそらく炎と雷。複数の属性を一つに束ねて使えるなんて、相当の実力者だ。


「お前達が何者か分からない以上、理由を今答えることはできん、と言ったらどうするね?」


「……切る」


「ふむ、どうやら本気のようだ。ならば一つ相手をしようか」


 師匠は右手を前に出して構える。その手にはいつの間にか剣が握られていた。まるで月明かりもない夜のような漆黒。それは師匠の純粋な魔力を剣にして形作っているようだった。


 張り詰めた空気が流れる。その空気を男の絶叫が打ち破った。


「ズウウウゥゥェェエエエエアアアァァァ!」


 男が迫真の気迫とともに踏み込み、師匠に向かって剣を振り下ろした。師匠は流れるように自らの剣で相手の剣を受け止めた。瞬間、凄まじい魔力の圧が発生し、僕は吹き飛ばされそうになる。


「我が炎雷剣を事も無げに止めるか! 見事!」


「お前さんこそ素晴らしい使い手だ。これほどの魔法使いはそんじょそこらにはいないだろう。もしやお前さんは……」


「問答無用! ただ死合うのみよ!」


 男と師匠が激しい打ち合いを始める。とてもこの中には入っていけない。僕はただ見ているしかなかった。

 その時ふと気づく。最初は男の連撃に師匠は反撃する隙もなく耐えるしかないのだと思っていた。けど、師匠の表情は余裕そのもので、まるで子供のチャンバラに付き合っているような、そんな風に見えたのだ。

 相手もそれに気付いたんだろう。切り結んだ状態で師匠を睨みつけた。


「貴様、一体何者だ? 我の炎雷剣と打ち合ってそのように飄々ひょうひょうとしていられる筈がない!」


「人のことを聞く時にはまず自分からと学ばなかったかね?」


「……いいだろう、冥土の土産に答えてやる! 我が名はエヴァンズ家魔法私兵団団長、ミドガルド・ローレンツよ!」


「エヴァンズ家の? なるほど、やはりか」


 師匠はそれを聞くと、左手からいつの間にかもう一本の剣を取り出してミドガルドと名乗った男の炎雷剣に叩きつけた。すると、あれほど猛々しく燃えていた剣がまるで水でもかけられたかのように消えてしまう。それを見たミドガルドは慌てふためいた。


「ば、馬鹿な! 一体どうしたというのだ!?」


「一時的にその魔法を封印させてもらった。今のを聞いて、もう争う必要はないと思ってね。それをこれから証明しよう。お前さん、こっちへ」


 そう言って師匠は僕に手をこまねいた。僕は少しだけ体を強張らせながらも、師匠の元に歩いていく。

 師匠の所に辿り着くと、師匠は僕の両肩を持ち、ミドガルドの前に差し出した。


「さあ、この子を見てみなさい。それで分かるはずだ」


「何を分かれと……いや、これはまさか! そんな、そんな馬鹿な!」


 ミドガルドは僕に顔を近づけると、突然酷く取り乱した。まるでありえないものを見てしまったかのように。

 そんな彼を諭すように、師匠はゆっくりと話しかける。


「この子は砂の目を持っている。そう、かつてエヴァンズ家が亡くしたと思われていた砂の目の跡継ぎ、アリス・エヴァンズ。それがこの子の名だ」


「……え?」


 一体師匠は何を言っているんだ? 僕が公爵家の跡継ぎ? そんな訳がない。僕は天涯孤独の身で身寄りなんているはずがない。

 でもこの時、運命の歯車が少しずつ噛み合い、ゆっくりと回り始めていることを僕は知らなかった。



 それから僕達はミドガルド達に連れられて、ある大きな屋敷にたどり着いた。そして僕達は屋敷の中の待合室に通される。


「ここでしばらくお待ちを」


 ミドガルドは僕達を部屋に残して去る。

 その時、僕の頭の中はずっと、ぐるぐると自問自答を繰り返していた。さっきから何もかもが飲み込めない。僕の出自、僕の本当の名前、全てが幻のようにぐらつき、まるで体が空に浮いているような違和感にさいなまれていた。


「お前さん、ここに座りなさい」


 師匠に言われて、僕は初めてその場に立ち尽くしていたことに気付いた。

 僕はよろよろと歩き、師匠が座っているソファーの横に座る。ソファーは深く沈んで僕の体を包み込む。立っているよりは幾分か、自分の存在が確かになった気がした。

 僕は意を決して師匠に問う。


「師匠……僕がこのエヴァンズ家の跡取りってどういうことですか? そんなこと、あるはずがないのに!」


「事態が飲み込めないのは良く分かる。だがその答えは少し待ちなさい。これからやってくる人物と共にゆっくりと紐解いていこう」


「でも……!」


「落ち着きなさい」


 なおも食い下がろうとしたけど、有無を言わせない師匠の迫力に負けて僕は黙るしかなかった。

 静寂の中、時計のカチ、カチ、という音だけが室内に響き渡る。


 どれだけ時間が過ぎただろうか。まるで永遠のように続くような静寂を、けたたましく開かれたドアの音が打ち破った。


「アリス!」


 ドアを開いたのは女性だった。女性は僕のところまで走ってきて、両手で僕の顔を包み込む。


「ああ、本当に砂の目……やっぱりアリスなのね。良かった、生きていて本当に良かった!」


 女性は僕をぎゅっと強く抱きしめる。しかし僕はそれを突き放してしまう。


「やめてください! 一体何なんですかあなたは!」


「アリス……」


「シーラ、落ち着きなさい」


 部屋にもう一人入ってきた。今度は男性だ。

 男性は女性を抱えると、僕達の対面に座らせて、自分もその隣に座った。

 男性は痩躯そうくで背が高い紳士だ。口元にはひげを蓄えていて、いかにも貴族といった風貌だった。

 対して女性は酷くやつれている。目には大きなくまがあり頬痩せこけている。何か酷いストレスを抱え込んているような、そんな印象を受けた。

 男が話し始める。


「今回はご足労いただきありがとうございます。私がエヴァンズ家当主ライアン、こちらは妻のシーラです」


「シーラでございます。それであの、その子は本当にアリスで間違いないのですよね!」


 シーラさんがすごい剣幕で前のめりに聞いてくる。それに師匠が答えた。


「はい。世の中に二つとない砂の目を持つ者。それが揺るぎない証拠です」


「ああ……夢ではないのね。あれから十四年、もう駄目だと諦めていたのに、こんな奇跡が起こるなんて!」


 シーラさんが両手で顔を覆って絞り出すような声を出して泣き出した。それをライアンさんが背中を擦って慰めている。


「全てを話してもらえますか。この子のためにも」


「……分かりました。あなたとアリスにはそれを知る権利がある。お話しましょう。あの日に何があったのか」


 師匠の問いに対し、ライアンさんが静かに語り始めた。

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