師匠、師匠に会いに行く

第34話 師匠の師匠

「はあ、はあ……。師匠、まだなんですか?」


 僕は額ににじむ汗を腕の袖で拭き、この日何度したか分からない質問を投げ掛ける。


 僕達はその日、鬱蒼うっそうと茂る森の中をかき分けて進んでいた。その森は入ってくる生物を意思を持って拒んでいるかのようで、一歩足を踏み出す度に草が絡まり、進めば木の枝が狙いすましたかのように顔に飛んでくる。そうやって進むたびにごりごりと体力が削られていくのだ。普通の人なら薄気味悪がって途中で引き返してしまうだろう。

 僕の砂の目は、この森に充満する不思議な魔力を捉えていた。魔の森とはまた違って禍々しさはないけれど、この進みにくさは明らかにこの魔力が原因だ。何者かの干渉が、この森全体に働いている。


 師匠はと言うと、僕の前に進みながら道を作っていた。


「ほら、あと少しだから頑張りなさい」


「そう言い始めてから何時間経ったと思ってるんですか?」


「おや、そんなに経ったかね? まあもうちょっとだ」


 そう言って事も無げに師匠は先を歩き始める。僕は小さく溜め息をついて師匠の後を追った。

 わざわざ歩いていかなくても、目的地まで転移魔法で行けばいいのに。そう思わなくもないけど、この森に満ちる魔力といい、何か理由があるんだろう。


 そうしてまた一時間ほど歩いた頃、ようやく僕達の前の視界が少しだけ開けた。そこは小さい広場になっていて、真ん中には人一人がようやく通れそうなぐらいの亀裂が走った黒い岩が鎮座していた。


「ここが目的地なんですか?」


「まあちょっと見てなさい」


 師匠は黒い岩に近づくと、両手を岩について何かを唱え始めた。すると、岩が薄ぼんやりと光り始めた気がする。

 それを確認した師匠は僕に向かって手を差し伸べた。


「さあ、こっちにきなさい」


「え? まさかこの亀裂の中に入るんですか?」


「ああ、大丈夫だから。ほら」


 そう言われて僕は半信半疑で師匠の手を取る。師匠は僕の手をぐいっと引くと、僕達は岩の亀裂に体を滑り込ませていた。

 その時、僕達の目の前は目も眩むような光で溢れ、僕は思わず両腕で両目を隠した。光は徐々に消え、ようやく直視できるようになって腕を下げた僕の目に写ったのは、見渡す限りの広大な草原だった。僕達が苦労して通ってきたはずの森が、跡形もなく消え去っている。


「こ、これって一体!?」


「ここはな、ワシ達が住んでいる世界から隔絶された別の世界だ。ここへはワシの転移魔法でも来ることはできない。唯一の入り口がさっきの岩だったのさ」


「それで、師匠はなんでこんな所に来たんですか?」


「ワシの師匠に会いに来たんだよ」


「師匠の……師匠!?」


 驚く僕をよそに、師匠はさっさと伸びている道に沿って進んでいく。僕は慌てて師匠の後を追った。

 師匠の師匠。考えてみれば確かにいてもおかしくはないのだけど、今まで思いついたことさえなかった。どんな人なのか全然想像がつかない。師匠は不老不死でもう何百年も生きているというから、その人も不老不死なんだろうか。


「一体どんな人なんですか?」


「一言で言えば豪胆、かな。大雑把で細かいことを気にしない。あと不思議な魅力があってね、師匠に関わった人はみんな師匠のことを好きになるんだ。魔法とかそんなの関係なくね」


「へえ」


 大雑把で細かいことを気にしないのは師匠も同じだと思ったけど、それはあえて口には出さないでおいた。でもとりあえず一安心する。どうやら怖い人じゃなさそうだ。


 そうして道をしばらく進んでいくと、だんだん何かが見えてきた。初めに見えたのは白い石壁。それが左右に見渡す限り伸びていて、道の先には木でできた大きな門と関所のような場所がある。どうやら大きな街みたいだ。

 僕達が門に近づくと、関所の中から人が出てきた。金髪で大柄。きれいに整った髭を貯えた中年の男だ。


「――ライアさん? おお、やっぱりライアさんだ!」


「やあ、君はマイルズかな? 元気そうで何よりだ」


「良く分かったな! あんたが最後に俺と会ったのは十歳の頃だってのに!」


「なに、雰囲気で分かるのさ」


 師匠とマイルズと呼ばれた男性はお互いを抱きしめる。師匠はマイルズさんの頭を軽く叩いた。


「随分大きくなったなあ。ワシの膝ぐらいしかないちびっ子だったのに」


「そりゃ成長するさ。いやあ、ライアさんが帰ってきたと聞いたら皆喜ぶぞ! おっと、こうしちゃいられない。さっそくオーウェンさんに……」


「それにゃ及ばねえよ」


 マイルズさんの奥から若い男の声が聞こえた。見れば、そこには年季の入った赤いマントを羽織った一人の男性が立っていた。

 がっちりした体つきに師匠と同じぐらいの高い背丈。若々しい黒髪は無造作に伸ばされているが不思議と不潔感はない。顔つきは二十代前半といったところか。そして不思議なことに、若いはずなのにまるでかつてマスタードラゴンを前にした時のような圧倒的な凄みを感じるのだ。この人、只者じゃない。


 師匠が前に出て頭を下げる。


「お久しぶりです、師匠」


「おう。よく帰ってきたな馬鹿弟子。そっちのちっこいのは?」


「ワシにも弟子ができました。名前はないので、今回はクリスと呼んであげてください」


「お前に……弟子!? 本気か?」


「ええ、まあ色々とありまして。ほら、挨拶しなさい」


「えっと、クリスです。よろしくお願いします」


 師匠に促され、僕はオーウェンさんに挨拶して頭を下げた。

 オーウェンさんは僕の前に歩いてくると、僕の頭を片手で豪快にわしゃわしゃとかき回した。


「よろしくな、クリス。大変だろ、こいつの相手をするのは?」


「ええ、そりゃあもう……」


 そう言ってちょっと前のことを思い出す。あの時はもう散々だった……。


「……ん? お前ちょっと見せてみろ」


 突然、オーウェンさんが僕の顔を両手で掴んでじっと見つめた。僕は抗えずオーウェンさんの為すがままにされる。

 オーウェンさんは僕の瞳を見ていた。するとみるみるうちに顔色が変わっていく。


「これはまさか……砂の目か! おい、ライア! こいつは……」


「師匠、それについてはまた後ほど」


 オーウェンさんが真剣な表情で師匠を見つめる。それに対して師匠はなぜか悲しそうな目で返していた。一体、僕の砂の目がどうしたというのだろうか?

 オーウェンさんは小さく溜め息をつく。


「……分かった。まあそれはそれとしてだ」


 オーウェンさんが僕と師匠の肩をがっちりと組む。


「今日は宴だ! マイルズ! 町の皆に伝えてこい!」


「あいさ! すぐに始められるように準備してきます!」


 そう言うと、マイルズさんは放たれた矢のように町の方へ走り出していった。


「お前ら覚悟しておけよ。絶対に酔い潰してやるからな。あ、対酒の魔法は禁止な」


「ええー……」


「はは、いいじゃないか。たまにはお前さんも酔ってみるといい」


 オーウェンさんに肩を組まれたまま僕達は町の中へ入っていく。町の中はすでに、割れんばかりの大歓声が僕達に向けられていた。

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