第24話 リーリアが消えた日

 それから僕とリーリアは毎晩、あの花畑で会うようになっていた。


 リーリアは村の外に出たことがないらしい。だから僕がこれまで見てきたことをリーリアに話して聞かせている。なるべく楽しいことを選んで話しているのだけど、竜の世界や空の世界なんかは突拍子も無さすぎてなかなか信じてもらえなかった。それでも、リーリアは僕の話をいつも楽しそうに聞いてくれている。


 その日も僕はリーリアに会うため、宿を抜け出して花畑のある森へと向かっていた。けど、着いた花畑のいつもの場所には誰もいなかった。


「リーリア、今日は抜け出すのに失敗したのかな?」


「リーリアはもう来ないわ」


 突然、僕の背後から女性の声が聞こえて僕は飛び退った。人影が月明かりに照らされる。それはカレット先生だった。カレット先生は以前とは違う落ち着いた表情で僕を見ていた。


「先生、リーリアが来ないってどういうことですか?」


「……少し落ち着いて話しましょう。来なさい」


 そう言うと、カレット先生は僕を先導するように歩き出す。僕もカレット先生の後ろに付いていった。

 カレット先生は僕達がいつも話していた切り株にたどり着くと、そこに腰を下ろす。そして僕をちらりと一瞥いちべつした。僕も座れということだろう。僕はカレット先生の横に座る。


 カレット先生はそのまま何も喋らず、痛いほどの静寂が流れた。正直、すごく気まずい……。いっそ僕から何か話題を振ろうと口を開けた瞬間、カレット先生がぼそりと呟いた。


「ありがとう。あの子の話し相手になってくれて」


「え?」


「リーリアが抜け出してたのは知ってたわ。ここであなた達が話しているのも隠れて見てたのよ」


 何度もリーリアと会っていたのに全然気付かなかった。抜け出したのを見逃してたってことは、実は外に出ても大丈夫な状態だったんだろうか。でも今、リーリアはいない。何だかすごく嫌な予感がする。


「先生、リーリアはどうしたんですか?」


「容態が急変したのよ。何とか今は症状を抑えて眠ってるわ。でも、制限時間は刻一刻と迫ってきてる」


「!? 先生、僕達にリーリアを診させてください!」


 病気に対する知識量や治癒魔法に関しては自信がある。それに師匠だっている。病名は分からないけど、僕はリーリアを治してあげる自信があった。

 でも、それを聞いたカレット先生は僕をキッときつく睨みつける。


「それは絶対にやらせない。リーリアは私が治すの」


「先生、何でそんなに魔法による治療を嫌うんですか? 魔法は使い方さえ間違えなければ素晴らしい手段です。だから……」


「でもあなた達はここにずっと留まるつもりはない。気まぐれに現れて、治して、そしてまたどこかに行ってしまう。でも、医者である私はこの村でずっと患者を診続ける義務がある。もしあなた達が治した病気がまた再発した時にあなた達がいなかったら。そしてまた私に治せなかったら。私は今度こそきっと折れてしまう。あなた達さえいれば患者を死なせずに済んだのに、と。だから、私はもう魔法に頼るわけにはいかないの」


 あまりに自分勝手な言い草に僕の頭にかっと血が上る。


「そんなのはただの偽善です! 救える命をプライドと引き換えに見殺しにするのと変わらない!」


「偽善だろうとなんだろうと、私はこの村のたった一人の医者なの。だから絶対に私は折れてはいけない。それに勘違いしないで。リーリアは私が絶対に助ける。そう、もう二度と、あの時みたいには……」


 そう言って先生は自分の前髪をくしゃりと握りつぶした。必死に自分の中の何かを押し殺しているような様子だ。僕は心配になって先生に声をかける。


「先生?」


「……ごめんなさい、大丈夫。大丈夫よ。とにかく、伝えたかったことはそれだけ。話を聞いてくれてありがとう。えっと……」


「ミョシュアです」


「そう、ミョシュアくん。あなたの保護者にも今の話を伝えておいて。じゃあ私はもう行くわ」


 僕にそう告げると先生は立ち上がり、ゆっくりと森の奥へと消えていった。



「師匠!」


 僕は急いで宿屋に戻り、師匠の部屋のドアを乱暴に開け放つ。中にはいつも通り、へべれけになってベッドに顔を埋めている師匠の姿があった。

 僕はそのまま無遠慮に師匠の両肩を持って引き起こし、師匠に向けて対酒の魔法をかけた。ふにゃふにゃになっていた師匠の顔が、ゆっくりと元に戻っていく。


「ふう、もったいない……。一体どうしたね? お前さんがこんな強引なことをするなんて」


「リーリアが、リーリアが大変なんです! カレット先生が、もう時間がないって!」


「ああ、落ち着きなさい。一つずつ、ゆっくりとだ」


 師匠の落ち着き払った言葉にようやく僕は自分が慌てていることに気づいた。僕はその場で二度深呼吸をすると、これまで何があったか、リーリアのことやカレット先生のことなどを師匠に説明した。

 師匠は僕の話を静かに聞いてくれていた。そして最後まで聞くと、師匠はベッドから立ち上がる。


「え、どこに行くんです?」


「どうやらそろそろちゃんと事情を知る必要がありそうだ。と言っても、先生に直接聞いても話してくれないだろう。だが、あの人なら事情を話せば聞いてくれるはずだ」


 そう言って師匠は部屋を出ていく。僕もその後に付いていった。



 師匠が向かった先は村長のグライスさんの自宅だった。夜遅くだというのにグライスさんは快く僕達を部屋の中に招き入れてくれた。

 僕達は事の経緯をグライスさんに話した。全てを聞いたグライスさんは目を瞑ったまましばらく動かなかったが、ゆっくりと目を開けた。その目はある種の決意のようなものが見えた。


「分かりました。覚悟を決める時が来たようです」


「では話していただけるんですね」


「はい。事の発端はこの村でずっと発生している奇病、ボロアディスです。この病は村で一度に必ず一人しか発症せず、体の一部が徐々に膨らみ始め、最後には内側から破裂して死んでしまう恐ろしい病です。カレット夫妻はずっと、この奇病の治療方法を研究してきました。しかしある時に、とある魔法使いが村を訪れ、見事にボロアディス病を治療しました。それは村全体が喜んだものです。しかし、魔法使いは村からいなくなり、その後しばらくするとまたボロアディス病は再発してしまったのです。しかもそれはカレット先生の夫、ライル先生でした。カレット先生と私達は懸命に治療をしましたが、結果的にライル先生は亡くなってしまいました。その日からです。カレット先生が魔法使いを毛嫌いするようになったのは」


 体の一部が膨らむ症状。僕はそうなってしまった人物を知っている。


「そのボロアディス病ってまさか……!」


「はい。今はリーリアが発症してしまっています。カレット先生は夫に続き、一人娘まで失おうとしています。だから私達は軽々しく、この話に口を出すことができませんでした。しかし、もう猶予がないということであれば手段を選んではいられません。どうかお二人方、リーリアを治療していただけませんでしょうか? カレット先生は私が責任を持って説得いたします。どうか、どうか……!」


 グライスさんは僕たちに向かって机にかじりつくように頭を下げた。僕と師匠は慌ててグライスさんの頭を上げさせる。


「グライスさん、ワシ達はそのリーリアという子を助けたいためにここにいる。だから頭なんて下げんでくれ。その代わり、カレット先生の方はよろしくお願いします」


「おぉ、おお! ありがとう! ありがとうございます! では早速私はカレット先生を説得しに参ります。お二方は準備の方をよろしくお願いします。それでは!」


 言うが早いか、グライスさんは家から慌ただしく飛び出していってしまった。後に残されたのは僕たち二人。しん、とした室内で僕は師匠に語りかける。


「師匠、ありがとうございます。これでリーリアを助けることができる!」


「まだ分からんよ。あの先生を本当に説得できるかも分からんし、それにボロアディス病か。厄介な奇病のようだ。きっと一筋縄じゃいかないだろうさ」


 いつもの自信たっぷりな様子はどこにいったのか、珍しく師匠が自信なさげに口にする。てっきり、いつもみたいに任せておきなさいと言われると思っていたので、僕は途端に不安になってしまった。

 でもやるしかない。僕たちで、リーリアを助けるんだ!



 ミョシュア君と別れた後、私は村の墓地に来ていた。私の目の前の墓石の下に、夫だったライルが眠っている。

 もう一人でここに来るつもりはなかった。でもミョシュア君に現実を突きつけられた時、耐え難い不安感に襲われて、私はすがるようにここに来てしまった……。


「ねえ、あなた。私は、一体どうすればいいの……?」


 私は墓石にしがみついてさめざめと泣く。

 私はリーリアを絶対に失いたくない。この手で助けてあげたい。でも、ライルを助けるために最後の手段を取ったあの日が脳裏にこびりついて離れない。ライルのお腹を刃物で裂いて患部を必死に探そうとして……そう、あの日の悪夢は私を捕えて離さない。そして、私はライルを失ってしまった……。

 もう時間がない。私は、ライルにしたことと同じことをリーリアにしようとしている。でも、


「できない、できないわ……」

 

 あれからずっと気丈に振る舞い、もう二度と弱い姿は見せないつもりだった。でもこの日だけは、私は全てをさらけ出して心の底から泣いた。

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