第21話 偽りの友だちから師匠になった日

「ワシの友だちになってくれないか?」


 その時、僕の頭の中は完全に混乱していた。化物を倒したと思ったら突然奇妙な人が現れて一体何をされるかと身構えていたのに、友だちに……なってほしい? 突然何を言ってるんだこいつ?


 とにかく、どうやら僕は九死に一生を得たらしい。いや、死ぬためにここに来たのに一生を得たなんて矛盾してるけど、何かもうそんな気持ちがどっかへ飛んでいってしまった。

 どうせ外に出ても僕の居場所なんてない。だったら……。


「――分かりました。それで、友だちになったらどうするんですか?」


 嘘だ。僕はこいつに一切心を許しちゃいない。


「ふむ、じゃあワシの家に来なさい。どうせ、行く宛はないんだろう?」


 それを聞いて僕は心の中を読まれたのかと一瞬驚いたけど、ちょっと考えれば何てことはない。僕の姿格好から浮浪者なんてのは誰だって見れば分かる。どうやら向こうに警戒させないようにしながら懐に潜り込むのは成功したみたいだ。


 男はちょいちょいと右手で手招きをして歩き出した。僕はほんの少しだけためらったけど、意を決して男の後を追う。


 男は魔の森の奥深くへと歩を進めていく。魔の森のおどろおどろしさはより一層増し、あちこちにさっきみたいな化物達の姿も垣間見える。でも、化物達は僕達に反応することなく、まるで微動だにしなかった。


 僕は男と話をするために小走りで男に追いついて横に並ぶ。何をするにしても、まずはこの男から情報を手に入れないと。


「それで、あなたは誰なんですか?」


「ワシかい? ワシはただの世捨て人な魔法使いさ。まあ、ワシのことは好きに呼ぶといい」


「なぜあなたは魔の森にいるんです?」


「ここはワシが作ったんだよ。誰も入ってこれないようにね。まあいつの間にやら世間じゃ度胸試しの場所になってしまってるようだが、いつも適当に脅かして帰ってもらってるよ。だが、百目を倒したのはお前さんが初めてだ」


 そう言われて僕ははたと気付いた。魔の森についてはどれも恐ろしい噂ばかりだったけど、皆生きて帰ってきているんだ。つまり、この森は本当にただ驚かせて帰らせるだけのはた迷惑な場所らしい。ここを僕の死に場所に、なんて考えてたのは完全に失敗だったのだ……。


 しばらく歩き続けていると、突然視界が晴れた。そこは今までの雰囲気とは打って変わった、至って普通の場所だった。明るい日が差し、その中心には二階建ての古めかしい家が建っている。あれがこいつの住処ということか。


 男は家に向かって歩いていき、玄関のドアに手をかけるとゆっくり開いた。立て付けが悪いのか、ギギギッと軋むような音を立てる。

 僕はその中を覗いて絶句した。一言で表現するなら腐海。部屋中に無機物と有機物が無秩序に混ざり合ったものが放置され、得も言われぬ光景を生み出している。浮浪者の寝床でもここまでひどいのはなかなか見たことがない。匂いはあまりないのがせめてもの救いか。

 男はそれに全く気にする様子もなく、僕の手を引いて中に入っていく。そして男は部屋の中心にあるテーブルの椅子に僕を座らせた。


「さて、と。ワシがお前さんを見込んだのは他でもない。お前さんの目だ」


「僕の……目?」


「そう。お前さんの目は砂の目と言ってね、普通は見ることのできない魔力を捉えることができる。今はほとんど眠っている状態だがね。そのおかげで百目の核を見抜くことができたんだろう。どれ、ちょっと失礼するよ」


 そう言って男は僕に手を伸ばしてきた。僕は反射的に身を引こうとしたが、もう片方の手で肩を掴まれて逃げられない。そして男の右手が、僕の両目を塞ぐように覆った。僕は恐怖でぎゅっと固く目を瞑る。

 触れられた男の手は、最初は氷のように冷たかった。でも、段々と熱を帯びてきて、最後にはまるで火を突きつけられているような熱さになる。その熱が僕の目の中に入っていく感覚。それが目の中で弾けたかのような感触に襲われた。


「うわ!」


 僕は大きく仰け反って椅子から倒れてしまった。ガタンと大きな音を立てて僕は仰向けに倒れる。

 火花が散ったようにチカチカした目に最初に入ったのは茶色い木目の天井。でもそれだけじゃない。何かモヤのようなものが漂っている。僕はゆっくりと起き上がると部屋の中を見回した。

 部屋は薄紫色をしたモヤで充満していた。感覚的に、それは煙とかそういうものじゃないのが分かる。きっと多分、男の言っていた魔力だ。


「ふむ、良かった。どうやら覚醒に成功したみたいだね」


「これが……砂の目。でも、こんなのが見えて何になるっていうんです?」


「魔力は魔法使いでさえ見えないものだ。それを見ることができるのはすごい才能だよ。さらに砂の目は見たものを全て己に吸収する力もある。本を読めば中身は忘れないし理解もできる。魔法だって見ただけで自分のものにできる。どうだい、素晴らしいだろう?」


 そう力説する男を、僕は内心で肯定した。それが本当なら僕はとんでもない力を手に入れたことになる! これさえあれば、きっと僕はどんな困難にだって打ち勝てる。もう町から町へフラフラとさまよう必要なんてない。僕は、何だってできるんだ!


 浮つきかけた心が顔に出ないよう、必死に押し留める。

 ここで僕の心の中をこいつに悟らせちゃだめだ。今はまだ友だちのふりをしておく必要がある。きっとここにはもっとすごい何かが色々とあるに違いない。それらをこの砂の目で吸収してから外に出ても決して遅くはないだろう。


「なんか……あんまり実感がないです」


「そうかい? まあ、だんだん分かってくるさ。さあ、次はこっちへおいで」


 そう言って男は今度は階段を昇っていく。僕も足元のゴミに気をつけながら後についていった。

 男が案内したのは普通の部屋だった。ずっと使われていないのか全体的に埃が堆積してるものの、階下みたいなゴミは一切なくまだ清潔感がある。


「ここがお前さんの部屋だ。ちょっと掃除をすれば不自由なく使えるだろう。それじゃ、今日はもう休みなさい」


「あ、は、はい」


 気がづけば、日もだいぶ傾き始めていた。そろそろ真っ暗になるだろう。


 男はゆっくりと階下に降りていく。ちょっと後を追うと、一階ではなくそのさらに先にある地下に降りていった。どうやら、そこがあいつのねぐららしい。


 僕はベッドのシーツを掴んで外に出し、バサバサと振って埃を落とすと、それをベッドに戻して全身をベッドに放り投げた。


「……くっくっくっ、あははははは!」


 ずっと堪えてきた感情を爆発させる。僕は今日生まれ変わった! もう死に場所なんて必要ない。それだけの力を僕は手に入れたんだ!



 あれから随分と時が経った。


 あいつは僕に特に何もさせず、自由に過ごさせてくれた。

 ただ、二つだけ禁止されていることがある。それは森の外に出ようとすることと、地下に行くことだ。

 外に出られないのはまだいいとして、僕の興味は地下にあった。一体そこに何が眠っているのか、考えるだけでワクワクする。だから、ここから出る時は地下を調べてからと心に決めていた。


 今日もリビングであいつと顔を突き合わせて朝食を食べている。まあ、正直美味しくない、というかよく分からない。甘いのか辛いのか酸っぱいのかしょっぱいのか、すごく表現に困る味だ。でも、最初の時よりはちょっとだけマシになった。あれは本当にひどかった……。


 食事を終えてあいつが食後のお茶を飲み終えた後、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ出かけてくるよ。日が落ちる前には戻ると思うから」


 それを聞いて僕は内心ほくそ笑んだ。これは最高のチャンスだ。丸一日あれば、地下に行ってから森を抜け出すまで、時間は十分過ぎるほどにある。こんな絶好の時を逃すほかはない。


「分かりました。行ってらっしゃいませ」


 そう言って送り出すと、男は満足そうに頷いて家の外へ出ていった。

 念のため僕は窓に近づいてそっと覗く。男は紫の光に包まれ、次の瞬間にはその場所から消えていた。


(よし!)


 これで心置きなく地下を探索することができる! 僕はすぐに階段の元に向かうと、ゆっくり地下へ降りていく。

 もちろん、砂の目を使うことも忘れない。どこに仕掛けがあるか分からないからだ。でも、特に怪しいものは僕の目には映らなかった。


 薄暗い廊下の先には一つの部屋があるだけだった。僕はドアノブに手をかけて回す。ゆっくりと慎重に押すと、ドアは音もなく開いた。鍵ぐらいはかけてあるんじゃないかと思っていたので正直拍子抜けだ。


 ドアを開けて目に入ったのは本棚だ。天井まで伸びた大量の本棚が、部屋の中に道を作っている。その置き方は乱雑で、部屋の中がどうなってるのか見当がつかない。


 僕はとりあえず、本棚の中から一冊の本を取って読んでみた。

 僕に魔法の知識は全くない。でもまるで目から染みるように本の内容が分かる! これが砂の目の力ってやつなのか。

 僕は次々にページをめくり、あっという間に読み終えてしまった。内容は幻獣の召喚魔法における高度な技術論文だった。


 本を元の場所に戻す。この本棚の本を全部頭の中に叩き込みたいけど、それをやるには時間が足りない。それよりきっと、この部屋のどこかにもっと価値のあるすごいものがあるはずだ。


 僕は本棚の迷路に足を踏み入れた。普通ならきっと迷ってしまうだろう。でも、僕にはこの砂の目がある。僕の目は、あの男から漏れ出た魔力の痕跡をぼんやりとだけど捉えていた。きっと、この跡を辿っていけばこの迷路の最奥へたどり着けるはずだ。


 そして、それは見つかった。本棚の迷路の中央にそびえる、格式高い巨大な机。きっと、ここがあの男の一番大事なものがしまってある場所だ。


 僕は注意深く机に近づく。机の上にはペンとインク以外何もない。となると引き出しだろう。僕は袖机を上から順に開けていく。中には水晶玉や指輪などの魔道具が保管されていた。これを持ち出して外で売るだけでも、一生生活するのに困らないぐらいの金になるのは明らかだった。

 そして最後の引き出しに手をかける。けど、そこは鍵がかかっていた。ここだ、この中に一番価値のあるものが眠っているはずだ!


 僕は服の中から細い金属製の棒を取り出して鍵穴に入れた。鍵開けなら自信がある。棒を入れては感触を確かめ、引き抜いて形を変えてを繰り返して試行錯誤をしていく。

 そしてついにカチャッという音が聞こえた! 僕は興奮しながら引き出しに手をかけてゆっくりと引く。引き出しは音もなく開いた。


 僕は中を覗く。そこには一冊の真新しい本が入っているだけだった。正直、もっとすごいものが出てくると期待していたので肩透かしを食らった気分だ。でも、もしかしたらこの中にはとんでもない秘密が書かれているのかもしれないと思い直し、本を取り出して机の上で開いた。


今日、あの子がやってきた。あの砂の目を持った子だ。力を開放してあげたらなぜか嬉しさを押し殺していたような顔をしていた。もっと素直に喜べば良いのに。


(なん……だこれ)


あの子は全然感情を表に出さない子だ。だからワシは美味しい料理で喜ばせてみることにした。でもあの子は一口食べて明らかにまずいという顔をしていた。失敗だ。あの子を喜ばせるにはもっと料理をうまくならなくては。


ワシの服を手直ししてあの子の服を何着か作ってみた。着させてみたらちょっと大きかったみたいだがまあ元の服よりかは幾分マシだろう。今度外に出た時にもっとちゃんとしたものを買ってきてやらないと。


ウチに来てからあの子は随分と顔色が良くなったようだ。最初に会った時は今にも倒れそうな感じだったので、これでひとまずは一安心といったところか。だが、油断しないようにあの子のことをこれからもちゃんと見ておかねば。


(なんだこれなんだこれなんだこれ……!)


あの子が来てくれて本当に嬉しい。さて、明日は何をしてあげようか。あの子は、何をすれば喜んでくれるだろうか。


 もうその先を読んでいられなかった。乱暴に本を閉じると、僕はその場にうずくまった。


「なんだこれ、馬鹿じゃないのか! こんなものをわざわざ鍵をかけて大事にしまって、なんで、なんでこんな……!」


 その瞬間、目から涙があふれ出した。胸が苦しい。歯を食いしばらずにはいられない。呻くような堪えた泣き声が、僕の喉から漏れ出す。

 知らない。今まで生きてきて、こんな気持ちになったのは初めてだ。この感情が何なのか、僕には全然分からない。


(でも……)


 そう、でもこれだけは分かる。僕はこの人を絶対に裏切っちゃいけない。いや、もう裏切ってしまっているけど、それを絶対に気付かせちゃいけない。

 でも、気付かれてないとはいえこんなことをしてしまった僕は、きっとあの人の友だちになる資格なんてないだろう。なら、僕は一体どうしたら……



「いかんいかん、すっかり遅くなってしまった」


 ワシは転移魔法で外から自宅へと帰ってきた。日が落ちる前に帰ると言ったのに、向こうでの出来事が予想以上に長引いてしまい、もう完全に日が暮れてしまっている。


 家の窓からは明かりが漏れている。まだあの子は寝ずにいるのだろうか。そんなことを考えながら、ワシは玄関のドアを開ける。


 その時飛び込んできた光景にワシは驚いてしまった。リビングがすっかりと片付けられている。床を埋め尽くしていたゴミは一つ残らず消え、床や壁に窓は一目で分かるほど磨き上げられている。

 そのリビングの中央にあるテーブルに、あの子は座っていた。帰ってきたワシを見て破顔する。


「お帰りなさい、師匠!」


「し、しょう? いきなりどうした? まさか熱でも……」


「違います! 僕は考えたんです。まず師匠は日常生活がダメダメです。掃除はしない、料理はまずい、何でもやったらやりっぱなし。だから僕は師匠の身の回りのお世話をすることにしました。そのかわり、師匠は僕の師匠になって色々と僕に教えてください!」


「いや、お前さんはワシの友だ……」


「さあ、早くテーブルに座ってください。すぐに僕の作った夕食を持ってきますからね」


 そう言ってあの子はキッチンへ走っていってしまった……。

 何があったかは分からないが、仕方なしにワシはあの子の言った通りにテーブルに座る。程なくして、あの子が両手いっぱいに料理の皿を持ってきてテーブルの上に並べていく。


(……まあ、そういうのもいいかもしれんな)


 求めていたものとは違ってしまったが、二人で食卓を囲み笑いながら、ワシはそんなことを考えていた。



 この日が僕の思い出の日。大切な、そう、人生で一番大切な日だ。

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