第8話 覇竜祭開演

 そしてついに覇竜祭が始まった。

 僕とマスタードラゴンは、塔の頂上にある一際広いスペースにいた。周りにはグルタみたいなちびドラゴン達もいる。けど、その中にグルタはいなくて僕はちょっと心配になった。


 覇竜祭の舞台は竜仙湖の真上。そこに底面だけ除かれた結界で仕切られた箱の中に、レッドドラゴン、ブルードラゴン、ホワイトドラゴン、ブラックドラゴンの大人達が入れられている。数は種族ごとに大体五〇体ぐらいだ。

 そして師匠はというと、なぜかその四種に囲まれる形で箱のど真ん中に浮かされていた。


「マ、マスターさん! 何で師匠があんな、いかにも全員から狙われます的な場所に立ってるんですか⁉」


「うむ、始まれば分かる。時に人の子よ。向こうの声は拾えるかね?」


「い、いえ。結界のせいで魔法が弾かれてしまって……」


「では私があの中の音を届けよう。さて、準備もいいようだ。これより覇竜祭を始める!」


 マスタードラゴンの一声で結界の箱の中のドラゴン達が雄叫びを上げる。それと同時にドラゴン達が一斉に口を開き師匠に向けた。口の前には巨大な魔方陣が幾重にも重なって描かれ、それを見るだけでとんでもない魔法が行使されようとしているのが分かる。


「うわあああ! ほら、やっぱり全員から集中砲火を受けるじゃないですか! いくら師匠でもあんなの防ぎきれるわけが……!」


「まあ見ていなさい」


 取り乱す僕とは裏腹に、師匠はそれに対して逃げようとも攻撃しようともしていない。後ろ手を組み、ただその場に浮いているだけだった。

 その時、師匠が呪文を詠唱しているのが僕の耳に届けられる。


「エルセ・ラグレッサリ・エンジメリクル・ミュスラティア・クスラトゥース・ヴァングテイジ・ジュライムーラセルテス(開け我が深淵よ。この世ならざる数多の命、今ここに顕現けんげんする。軍靴ぐんかを踏み鳴らせ。全てを蹂躙じゅうりんせよ。我に仇なす愚者を討ち滅ぼせ)」


 その呪文に僕は戦慄した。翻訳の魔法でも翻訳できない。でもその意味は僕の脳内に直接浮かび上がる。こんな呪文なんて聞いたことがない……。僕が、いや世界が魔法として確立しているものとは完全に別種の何かだった。


 ドラゴン達が師匠に向かって攻撃を繰り出した。魔法陣から極彩色の光が放たれ、師匠は四方からその光に包まれる。

 眩しすぎて直視できない。僕は袖で目を隠し、光が消えたことを確認して恐る恐る袖を下げた。そして映る光景に自分の目を疑った。


 あれを食らって無事で済むはずがない。そう。済むはずがないのに、師匠は未だ健在だった。

 その周囲には真っ黒な人形ひとがたをした何かが四体、巨大な盾を持って師匠を守っていた。たった一つでもまともにくらえば大きな山が軽く消し飛びそうなほどの威力を持った攻撃をまとめて受けたはずなのに、それらも傷一つ負っている様子がない。

 一体、あれは何なのだろうか……。


「人の子よ、魔法とは何かね?」


 突然、マスタードラゴンが僕に問う。

 質問の意図が分からず、僕はちょっとどぎまぎしながら頭にある知識で答える。


「えっと、自身の魔力を媒介にして、時に呪文や魔法陣を使い、通常では発現されない世界の摂理を引き出して行使するもの、ですか?」


 僕の答えはマスタードラゴンの期待に応えたみたいだ。マスタードラゴンは軽く頷く。


「そう、一般的に魔法とはそういうものだ。私達ドラゴンがブレスなどで使うものもね。だが、あの魔法は違う。あやつの魔法は生きている。この世界とはまた別次元の摂理から産まれた何万という生きた魔法を身に宿し、それをおのが深淵の中で飼っているのだ。良く見ておきなさい。あれがあやつだけの魔法。黒の軍団だ」


「黒の……軍団」


 それを聞いて僕は息を呑んだ。


 続けてドラゴン達が第二波を仕掛ける。

 今度はブレスだけじゃない。レッドドラゴン達は星を召喚し、ブルードラゴン達は巨大な氷の槍を、ホワイトドラゴン達は虹色に輝く玉を作り出し、ブラックドラゴン達は黒く渦巻く何かを発生させている。


 師匠がまた呪文を唱え始めた。


「メリク・ジェムト・ヴァーティゴ(でよ、ジェムト隊)」


 師匠の周りに黒い穴が次々と現れる。その中から、名状できない何かが這い出てきた。いや、本当に何か分からないんだ! 何かがいると確かにこの目でそれを捉えているはずなのに、それがどういう形状をしているのか、大きさはどれぐらいなのかなど全てが理解できない! 完全に認識が阻害され、背中から這い登るゾワゾワとした恐怖の感覚が僕を包み込んでいく。


 ドラゴン達が一斉に攻撃を放つ。先程とは比較にならない攻撃が師匠に襲いかかる。

 名状しがたき何かがドラゴン達の放った魔法に群がりしがみつく。すると穴が空くように次々と魔法が消滅していった。いや違う、あれはきっと食べられているんだ。あっという間に魔法は全て食べ尽くされ、完全に無効化されてしまった。


「クリティア・ヴァーティゴ・エムル(クリティア隊、前進せよ)」


 そう師匠が唱えると、またもや師匠の周囲に無数の黒い穴が開き、今度は剣を持った騎士らしき人影が次々に現れる。これもまた全身が真っ黒だ。

 結界の中を埋め尽くさんほどの凄まじい数のそれらは、穴から這い出ると規則正しく隊列を組み、ドラゴン達に向かってゆっくりと進軍していく。


 そして、黒騎士達とドラゴン達との白兵戦が始まった。ドラゴン達は必死に黒騎士達と戦い続ける。いや、これはむしろ蹂躙じゅうりんという言葉が正しいのかもしれない。


 ドラゴン達も善戦はしている。その巨大で鋭利な爪と牙で黒騎士達を次々に引き裂いていく。しかし圧倒的物量の黒騎士の勢いは止まらない。いくら仲間がやられようと怯みもせず、まるで意思がないかのようにただひたすらに前進する。

 止まない雷雨のような黒騎士達の剣撃によって一匹、また一匹とドラゴン達が力尽き、結界の中から落ちて竜仙湖の湖底に沈んでいく。最後にはギリギリまで抵抗していたブラックドラゴンの一匹も群がる黒騎士の攻撃の前についに力尽き、断末魔を上げながら竜仙湖へと落ちていった。


 後に残ったのは師匠と黒の軍団だけ。その黒の軍団も、師匠の指鳴らし一つで跡形もなく消えてしまった。

 魔法勝負とは思えないあまりに異様な戦いは、師匠の一人勝ちという予想もしない形で幕を閉じたのだった。

 誰もが固唾を呑み、声一つ上げるものはいない。


 そして決着がつくと同時に結界が割れ、師匠がこちらに飛んできた。

 塔の天辺に師匠が降り立った瞬間、ドラゴン達が一斉に雄叫びを上げた。一瞬、それらは師匠に対する罵声なのかと思ったが違う。全て、師匠を称賛するもののように聞こえた。


 そして先ほど戦ったドラゴン達が竜仙湖から帰ってきた。どのドラゴンも傷がほとんど癒えている。なるほど、竜仙湖の真上で戦っていたのはそういう意図があったんだ。

 彼らは我先にと師匠を取り囲む。


「またやられちまったな! 相変わらず凄えぜ、あんたの軍団は!」


「俺は奴らを一〇〇は食い破った! お前はどうだ?」


「くっ、僕は八〇程度しかやれなかった……。次だ、次こそは!」


「ああ、感動だ。私はついに憧れの貴方に挑むことができた……」


 ドラゴン達は師匠を褒め称えながら己の戦績を自慢しあった。戦いに負けてしまったのに、なぜ彼らはこうも嬉しがっているのか。

 その疑念を感じ取ってもらったのか、マスタードラゴンが僕に向かって話しかけた。


「ドラゴンはな、より強い者に尊敬の念を抱く生き物なのだ。だから負けても己を恥じず、戦った相手を褒め称える」


「で、でも師匠が勝っちゃったら意味がないじゃないですか⁉」


「うむ。こやつが勝つことは半ば予定調和よ。なので勝者は最後まで立っていられたドラゴン族となる。皆の者! 今年の覇者はブラックドラゴンとなった! これからブラックドラゴンの長の言葉は私の言葉として、次の覇竜祭まで従うのだ!」


 ドラゴン達から割れんばかりの歓声が上がった。ブラックドラゴンの長らしき巨大な黒いドラゴンは大地が震えるほどの雄叫びを上げ、己の力と責任を誇示する。


 そんな中、師匠が僕に近づいてきた。さっきの光景がフラッシュバックし、僕はほんのちょっとだけ後退りしてしまう。


「さて、どうだったかな?」


 師匠の問いかけに僕はつい目を伏せた。誤魔化すかどうか、正直言って迷った。けど、ここは本心を伝えるべきだと顔を上げる。


「……正直、これまでにない恐怖を覚えました。僕は師匠の元に一年いて、師匠のことをどこまでも理解しているつもりでいました。でも……それは間違いだった」


 僕がそう言うと、師匠は悲しげに顔を歪ませる。それを隠すように師匠は右手を帽子のつばに当てて、目深に被り直す。


「うん……そうか。お前さんがワシを怖がるというのなら……」


「違います!」


 師匠は僕の叫び声に師匠は顔をはね上げた。その目は驚いたように大きく見張っている。


「確かに怖かった。今だってあの魔法を、あの戦いを思い出すと腹の底から震えが止まらない。でも、僕はいつもの師匠を知っています! 自堕落でいい加減で何を考えてるかわからない、でも誰よりも優しい。そしてそんな師匠が大好きなんです! だから僕は師匠の元を離れません! 絶対に!」


 僕の独白を聞いて、師匠はあっけにとられていた。そしてしばらくすると、師匠は目元を隠すように右手を額に当てる。口元は笑っていて、微かに震えているようにも見えた。


「……まいったな。そんな大胆で熱烈な告白されたら照れてしまうじゃないか」


 師匠の言葉に僕は耳まで真っ赤になるのを感じた。全身に熱い血が巡るのを覚えながら、僕は矢継早にまくし立てようとする。


「んな! こ、告白じゃないです! ただの自分の本心で……じゃない、ええと!」


 慌てて訂正しようとするけどうまい言葉が出てこない……。身振り手振りで何とか表現しようとする僕を見て、マスタードラゴンが笑った。


「ふふ、いい弟子ではないか。さあ、次は小竜達だ。人の子も参加するのだろう? 準備しなさい」


 マスタードラゴンに言われて、僕はグルタのことを思い出した。とりあえず師匠のことは置いておいて、僕はマスタードラゴンの方へ向いて問う。


「マスターさん、一つ教えてください。グルタはなぜ参加できないのですか?」


 その問いで、ドラゴン達に動揺のざわめきが生まれた。そして、マスタードラゴンは小さくため息を吐く。


「うむ……グルタはな、生まれつきの体質のせいで魔法が使えんのだ」


「え? でもグルタは師匠の家に迎えに来たじゃないですか?」


「あれは私がグルタをそちらへ飛ばしたからだ。魔法が使えぬ者を覇竜祭に出す訳にはいかぬ。つまりはそういうことだ」


「――ッ! すみません! 始めるのは少し待ってください!」


 そう叫ぶと、僕は弾かれたように走り出していた。


 ようやく分かった。この世界の中、グルタはきっと一人ぼっちなんだ。

 僕もかつては一人だった。だから世界から爪弾きにされる気持ちが良く分かる。そんなグルタをこのまま放ってなんておけない!

 一人ぼっちのグルタを救うため、僕はそこら中をしらみ潰しに探し回った。

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