第7話 ドラゴンの世界
僕達はどうやら巨大な塔の天辺に立っているようだ。周囲を見渡すと、雲海に浮かぶ四つの島が見える。その島からはそれぞれ一本の道が伸びていて、僕達のいる中心の島に繋がっているようだった。
「ここがドラゴンの世界……」
「そう、普通なら絶対に人は立ち入れない世界だ。綺麗だろう?」
「ええ、とっても――」
師匠の言う通り、この世界の景観は圧倒されるものがあった。雲海は本物の海のように大きく波打ち、島を覆う森は緑にキラキラと文字通り宝石のように
「主殿。我らが
「ああ、そうだった」
「長?」
「さっきの話に出てきたマスタードラゴンさ」
そう言って師匠とちびドラゴンは、背後にあった大きな扉の前に歩を進める。そして扉の前に立つと、扉はゆっくりと音も立てずに開いた。
中にはまるで城のように巨大なドラゴンが突っ伏せるようにしてこちらを見ていた。
体は深い深い緑色。
そのドラゴンを見た瞬間、僕は前から吹き飛ばされそうなほど強い暴風にさらされたような錯覚を感じた。
原因はこのドラゴンの魔力だ。こんな強大な魔力は感じたことがない。師匠の魔力でさえ、このドラゴンの半分も無いのではないだろうか。
僕はその場から弾き飛ばされないよう、必死に耐えて立っているだけで精一杯だった……。
しかし師匠はまるで何にも感じていないかのように軽く声をかける。
「やあ、マスター。今回もご招待いただきありがとう」
「相変わらずお前は変わらないな。いや、またさらに
「ワシの友だちさ。まあなぜか師匠と弟子という間柄になってしまってるのだがね」
そう言って師匠は僕を見た。挨拶をしろということだろうけど無茶だ……! 息をするのも精一杯で、言葉なんて出せやしない。口をパクパクとさせて、何とか声を出そうと試みたけど全く出る気配がない。
すると、マスタードラゴンは細い目を少しだけ見張った。
「ああ、すまない。ただの人の身にこれは辛かろう。ついこやつを基準にしてしまってな」
マスタードラゴンがそう言った瞬間、魔力の圧が立ちどころに消えてしまった。踏ん張っていた僕は思わず前につんのめってしまい、転びそうになってしまう。
それを見たちびドラゴンは、馬鹿にしたように小声で笑う。それが頭にくるが、まずはこのドラゴンに挨拶をしなければ。けど、緊張でうまく言葉が出てこない。
「ど、どうも初めまして。えっと、あなたにお会いできて、こ、こうえ」
「はは、そんな堅苦しい挨拶はいいさ。今日は楽しんでいくといい。きっと面白いものが見れるだろう」
「マスター、どうやらワシの弟子は参加もしてみたいらしくてね。飛び入りだがいいかい?」
それを聞いてマスタードラゴンは僅かに目を見開いた。
「ほう、それはそれは。いいとも、歓迎しよう。だが今回の子ども達はやんちゃが多い。お前の弟子なら心配はいらないと思うが、少しの怪我ぐらいは覚悟してもらうぞ?」
「が、頑張ります!」
弟子として師匠に恥をかかせる訳にはいかない。僕はしっかりと前を見据えて力強く答えた。
マスタードラゴンはそれを見て喉を鳴らし小さく頷く。
「覇竜祭は始まるまでもう少し時間がある。その間にこの周辺を見て回ってみると良い。グルタ、お前が案内しなさい」
「はい!」
あのちびドラゴン、グルタっていうのか。ドラゴンに名前という概念はないと思ってたけど、それは間違いだったみたいだ。
僕達はマスタードラゴンに会釈をするとその場を後にした。
ものすごく緊張してたようで、体から一気に力が抜ける。僕は落ち着きを取り戻すために二回ほど深呼吸した。
「さて、これからどうするかね?」
師匠の質問に僕は少しだけ思案した。この塔の中を探検するのもいいけど、それよりもさっき眼下に広がった景色が忘れられない。
「僕は地上に降りてみたいです」
「分かった。では、竜仙湖に案内する」
「竜仙湖?」
「竜仙湖は彼らの憩いの場だよ。その水で体を洗うと傷が治り、飲めば病が癒える。彼らの命の水みたいなものだ」
「へぇ、そうなんですね。じゃあそこに行きますか」
「こっちから地上に降りられる。ついてこい」
グルタに案内され、僕達は塔の内部に入る。
その時、僕は何か嫌な視線を受けた気がして振り返った。しかしそこには誰もおらず、僕は首を傾げて師匠達を追うのだった。
◇
塔から地上に降り、僕達は水晶のように煌めく森の中を抜けていく。そしてしばらく行くと、目の前がパッと開けた。
「ここが竜仙湖……」
龍仙湖は綺麗な翡翠色をしたまん丸で大きな湖だった。湖の
僕達は湖の畔まで近づく。するとグルタが近くの木に近寄って、枝になっている実を指さした。
「貴様、どれでもいいからその実を食べてみろ」
「何だよ急に……もしかして僕を騙そうとしてるんじゃ?」
「客人に無礼な真似ができるか! いいから食べろ!」
それもそうかと僕は考え直し、海のように蒼い果物に右手で狙いをつける。軽く右手を握って手前に引き寄せると、果物はプチッと簡単に枝から離れ、僕の目の前に飛んできた。
僕はそれを掴んで一口食べてみる。その瞬間、ありとあらゆる味の洪水が僕の口の中を駆け巡った。それだけでは飽き足らず、果物の果汁が全身を駆け巡り、頭の中が多幸感で満たされ痺れていく。あまりの出来事に僕の思考は完全に止まり、美味しさの暴力に打ち震えていた。
「これはいかん――」
遥か彼方から師匠の声が聞こえる……。
気がつくと、師匠が僕の顔を両手で包み込み、じっとこちらを見つめていた。師匠の両手から、ほんのりと温かい体温を感じる。あの多幸感と痺れはいつの間にか消えていた。
「――あ、あれ。師匠? 僕は一体……?」
「魔力中毒だ。ここの果物は多量の魔力を含んでいてね。ドラゴンは良薬だが、お前さんはちと耐えられなかったらしい」
「すまない。悪気はなかったんだ……」
グルタが本当に申し訳なさそうに頭を垂れている。その様子から、十分グルタの誠意が伝わった。だから僕はグルタに近づくと、右手を軽く頭の上に置く。
「大丈夫、気にしてないよ。とっても美味しかった。ありがとう」
「お前……」
グルタはゆっくりと顔を上げる。その表情から読み取れるのは驚き八割、嬉しさ二割と言った感じだった。
僕はようやくグルタの事を少し分かった気がする。少し偉そうでひねたところはあるけど、きっとこいつは根は素直で良いやつなのかもしれない。
その時、他のドラゴンの声が僕達に微かに届いた。
「おい、グルタのやつだ」
「あいつ、覇竜祭には出ないんだろ? いや、出られないの間違いか」
あの時感じた嫌な視線が僕達に向けられる。あれは僕や師匠に向けられたものではなかった。グルタに向けられていたんだ。
グルタを見ると、苦しそうに眉間にシワを寄せながら、ぐっと口元を引き締めていた。何かがグルタにあるのは明白だ。心配になり僕はグルタに声をかける。
「グルタ、あのドラゴン達は……」
「二人ともすまない。そろそろ塔に戻ろう」
言うが早いか、グルタは元来た道を戻り始めてしまう。僕と師匠は顔を合わして頷き、小走りでグルタを追いかける。
追いついた僕はグルタに改めて声をかけた。
「グルタ、いきなりどうしたんだ。あいつらが言ってたのって一体……」
「悪いが話したくない。これ以上聞いてくれるな」
きっぱりと突き放され、僕は言葉を失ってしまう。
そうして僕達は重苦しい空気に包まれたまま、無言でグルタと一緒に塔に戻るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます