第23話
軽く口をつけてから、麻実は再び語りだした。
「警察はまともに捜査してくれなかった。だから真犯人は、未だに街中を大手を振って歩いている。だったら、無理やりにでも警察の目をこちらに向けさせて、捕まえてもらうしかない。そう思って訴えたんだけど、誰も相手にしてくれなかった。だったら私や多田くんが犯罪を犯すことで、別件ではあるけど、街中の治安を悪くして再び警察の注意を引くしかない」
「そ、そんな! 麻実さんはそれでいいんですか?」
麻実は両手を背後について、後ろに体重をかけた。
「いいも悪いも、そんな倫理的な話を吹き込んでくれるはずだった両親は死んじゃった。私を束縛するものは何もない。家族も、友人も、道徳心もね」
『重要なのは、協力してくれる同志だけ』と付け足して、麻実は口を閉ざした。
しばしの間、クーラーの低い唸りが部屋を満たした。
「一つだけ、訊かせてください」
「何かしら?」
麻実は、天気の話でもするかのような軽々しさで振り向いた。
「どうして優海を巻き込んだんですか」
「優海ちゃんを?」
「ええ」
「うーん、そうねえ……」
顔を正面から逸らしつつ、麻実は顎に手を遣った。
「まあ、噂はあちこちから入ってくるものでね。優海ちゃん、自分のゲーム動画をインターネットにアップしてたのよ。実名で投稿するなんて、珍しい人がいたものだと思ったけれど」
「優海がネットに?」
初耳だった。自分の腕前を披露したかったのだろうか。
頷きながら、麻実は話を続ける。
「彼女が動画をアップしてたのはYouTube。Twitterにも随分書き込んでたわね。暴力的な言動について。だからマークしてたのよ、私たちの同志に加わってくれないかなー、って。そう言って誘ったらすぐに乗ってくれたわ。よっぽどストレスが溜まってたのね」
僕は視線を自分の膝に落とし、呟くように言った。
「どうして……」
「ん?」
「どうして優海は、僕に相談してくれなかったんだ? 何か僕にも手伝えることがあったかもしれないのに」
「ま、優海ちゃんにも矜持ってものがあったのでしょうね」
空になったペットボトルを放りながら、麻実は答えた。
「矜持、ですか」
「ええ。兄の足手まといになるわけにはいかないし、自分が支えなければならない。強迫観念に囚われるのも無理ないわ」
「何が優海をそこまで追いつめたんです?」
「さあ? そればっかりは本人に訊いてもらうしかない、かな」
親に捨てられ、施設を出なければならなくなったとしたら、兄妹で協力して、生活費を稼ぐのが普通だろう。しかし、優海は僕が受け取っていた奨学金を除き、生活費は自分一人で稼ごうとしていた。これでは、優海は僕のために全てを投げ打って生活に臨んでいたことになる。いったい何故だ?
その時、僕のスマホが振動した。麻実を見ると、顎をしゃくっている。『自分に構わず話をしろ』ということらしい。
僕は、平常心であれ、と自己暗示をかけながら、ゆっくりと画面を覗き込んだ。そこに表示されていた名前は、
「須々木、武人……」
小声で読み上げる。どうしてこのタイミングで、彼は話をしようとしているのだろう。まあ、彼からすれば、僕の現状など分からないはずだが。
「はい、塚島です」
と、言い終える前に、向こうから重苦しい声が響いてきた。
《優翔くん、その場に伏せろ。頭の上に手を載せるんだ》
「す、須々木くん?」
《早く!》
と、須々木が叫んだ直後だった。
バン、という破裂音が連続した。階下からだ。何事だ?
「チッ!」
麻実はホルスターから得物を抜き、カバーをスライドさせた。それに気づいた時には、通話は切れていた。
「ま、麻実さん、何が起こったんです?」
「敵襲だ!」
敵? 麻実たちの立場からすると、敵というのは警察、だろうか。
まさか、拳銃で戦うつもりなのか?
「麻実さん、僕は?」
「黙って伏せて!」
須々木と麻実の二人に言われてしまっては、僕はそれに従うしかない。
僕は身体を丸めた。すると、まさにタイミングを見計らったかのように、鋭利な音が響き渡ってきた。これは、銃声だ。それも実銃の。
麻実はドアを蹴り開け、さっと廊下に顔を出した。再び舌打ちする。
「音響閃光手榴弾か!」
少しだけ目を上げると、微かに、しかし真っ白な煙が廊下に昇ってきていた。
「麻実姉ちゃん!」
優海の声がする。
「あたしはどうしたらいい?」
「この部屋で優翔くんの身を守って!」
「そんな! あたしだって戦う!」
「馬鹿! あんた、今まで誰のために頑張ってきたんだ? 兄さんのためだろう? 早く部屋に入って、ロックしろ!」
優海は不器用に頷き、部屋に入ってきた。
「兄ちゃん、伏せてるな?」
「ああ!」
既に何度も警告を受けている。
「できるだけ部屋の奥に! 冷蔵庫の陰に入ってくれ!」
僕は返答もできず、しかしすぐに指示に従った。冷蔵庫と壁の間の隙間に自身の身体を押し込む。体育座りの姿勢で、後頭部に手を当てた。
と、同時に、階下から銃声が連続して響き渡ってきた。
「くそっ!」
優海は部屋中央のテーブルを倒し、バリケードにしてその陰にしゃがみ込んだ。
確か機動隊の使っている盾は、拳銃程度では傷つかないはずだ。麻実たちがどんな武器を持っているのか知らないが、攻め込まれて終わりではあるまいか。
だが、麻実たちも防戦一方ではなかった。キィン、と空を斬るような悲鳴が響き渡ったのだ。聞き覚えのある人間の悲鳴。この声は――。
「詩織さん!?」
思わず冷蔵庫の陰から頭を出した僕に、優海は『引っ込んでろ!』と一喝。だが、僕も退くわけにはいかなかった。
「お前ら、詩織さんを誘拐していたのか!?」
「そうだよ! 機動隊は、人数も装備もあたしたちより上なんだ! 人質を取る以外に、一体どうしろっていうんだ!」
馬鹿な。そこまで僕の周囲の人々は、暴力に晒されていたのか。しかし、どうして?
優海の抱いた暴力性、麻実の抱いた復讐心、詩織の抱いた献身の心。それらが螺旋を描くように、犯罪へと彼女たちを引きずり込んだのだ。もちろん、詩織は『被害者として』だが。
廊下や階下は視認できないが、銃声はどんどん近づいてくる。優海は落ち着きなく、肩で息をしている。
すると全く唐突に、ドアが向こうから引き開けられた。
「おい、優海!」
「多田さん! 麻実姉ちゃんたちは!?」
多田は質問口角泡を飛ばしながら言った。
「麻実は一階で戦ってる! その間に、俺たちは一旦屋上へ避難するんだ!」
「詩織姉ちゃんは?」
「安全は確保している。とにかく、一緒に来い! 塚島優翔、お前もついて来い! 死にたくなければな!」
「あ、ああ!」
僕は慌てて陰から這い出し、優海の後について部屋を出た。
※
「兄ちゃん、あたしの前に! 多田さんの後ろから離れないで!」
優海が叫ぶ。僕は中途半端に応答しながら、多田の細い後ろ姿を追った。しかし、
「優海! 俺がしんがりを務める! 撤退時に一番危険なのは、最後尾と決まっているからな!」
「わ、分かった!」
多田は優海と僕が通り過ぎるのを待って、僕の後ろについた。
その時気づいた。多田の得物は拳銃ではない。自動小銃だ。確か、MP-5といっただろうか。日本でも警察の特殊部隊、SATが正式採用していたはずだ。バレルが短く、狭い場所での取り扱いが容易に設計されている。
だが、敵味方が入り乱れているこの場では、無暗にそれを使用することはできない。自動小銃の制圧射撃となれば、機動隊が盾を有していたとしても十分威嚇にはなるだろう。が、後からやって来るであろう麻実や、その人質にされている詩織を巻き込むわけにはいかない。
「屋上に出たらどうするんだ?」
銃声に負けないよう、僕は二人に問うた。答えたのは多田だ。
「殺傷用手榴弾を放り投げて、敵の損害を大きくするんだ! 恐らくビルの裏手の海面沿いにも特殊部隊がいるだろうが、そこは人質を使って撤退させる! 後は海に飛び込んで脱出だ!」
つまり退路は確保されている、と。きっと人質は詩織だけではないだろうから、彼女だけでも交渉の過程で解放してもらいたい。
その時、僕の背後から、ふっと多田の気配が消えた。
「多田さん?」
振り返ると、廊下の向こうの階段から麻実が上ってくるところだった。左腕を詩織の首に回し、右腕一本で拳銃を連射している。多田はその二人を待っていたのだ。
「麻実! あとは俺に任せろ!」
「気をつけて、多田くん!」
それだけ言葉を交わすと、麻実は僕を急かして前方へと追いやった。すると、今まで聞いたこともないような、連続した銃声が耳を貫いた。
パタタタタタタタッ、と唸りを上げる、多田の自動小銃。一瞬止んだかと思うと、今度は鈍い爆発音が連続した。手榴弾が使われているらしい。こんな狭いところで使ったら、爆風が暴れ狂って危険極まりないはずだが。
僕は多田へと振り返ろうとしたが、優海に思いっきり腕を引かれ転倒。そのまま半ば引きずられるようにして、階段を上り切った。
ブラッディ・ベレッタ〔take1〕※更新凍結 岩井喬 @i1g37310
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