第22話

「優海、お前はもう何度かここに来たことがあるのか?」

「まあね」


 軽く肩を竦める優海。


「ゲーム大会の前からか?」

「うん。あ、兄ちゃん何か飲む?」


 優海の問いに答える余裕もなく、僕は全身が脱力するのを感じた。

 結局のところ、優海はゲーム中毒から抜け出す代わりに、実際の犯罪に手を染めていたということか。


「ごめん、今はアイスティーしかないや。待って、今手錠を外すから」


 キチリ、と鍵が差し込まれる音がして、僕の両手は自由になった。僕は正座したまま、両の拳を膝の上に置いた。


「どうなったんだ?」

「何が?」


 優海は手錠を、壁際のロッカーに放り込んだ。ガチャン、と高い音がする。


「お前がその銃で撃った相手だ。一体どうなって――」

「死んだよ」


 僕は自分だけ、時の流れが止まったかのような錯覚に囚われた。

 

「そもそも撃つつもりはなかったんだけどね、向こうが鉄パイプみたいなものを振り回してきたから。あたし、最初の仕事だったから、それだけでパニックになっちゃってね。一発撃ったらお腹に当たって血がどばっと出て、麻実姉ちゃんが確かめたらもう死んでたって」


 そう言うと、優海は部屋の隅にあったテレビの電源を入れた。


《――速報です。本日午後六時頃、新都の郊外で男性の遺体が発見されました。現在警察は、男性の身元を確認しています。死因は失血性ショック死で、現場で拳銃の薬莢が発見されたことから、暴力団関係、集団的犯罪組織の調査を進めています。繰り返しお伝えします――》

「ほらね」


 悪びれる様子もなく、振り返る優海。それを見て、僕は自分の手が震えだすのを感じた。


「この、人殺しが!!」


 叫びながら立ち上がり、思いっきり拳を振りかぶる。しかし優海は座り込み、僕の腕の届く範囲に入ってきた。防御しようとすらしない。じっと、僕の目を見つめている。

 その時、はっとした。思い出したのだ。先日僕が、優海の頭部を殴りつけた時のことを。


 まさにあの瞬間、僕は『暴力』に惹かれていた。それも、無意識のうちに。

 振り上げたままの腕を引き留める僕。優海は、殴られた方が自然だとでもいうかのように、ポカンとしていた。


「殴らないの?」

「……」


 何を言ってるんだ、お前は? 殴られたいのか?

 そう問い詰められればよかったのだろう。しかし、上手く口を動かすことができず、僕は殴るのも諦めて正座に戻った。


 もしかしたら、僕と優海の間には、越えられない価値観の差、倫理観の隔たりのようなものがあるのかもしれない。それらの断絶があまりにも決定的であるが故に、僕の拳は優海に届かなかったのだ。

 少なくとも僕は、人を殺しておいて平然としている優海のことを理解することができない。


 ちょうどその時、扉が向こうから引き開けられた。


「ごめんなさいね、二人共。待ったかしら?」

「別に。ニュース見てただけだよ、麻実姉ちゃん」

「あら、そう」


 麻実は、僕と優海が向かい合っているテーブルの間に腰を下ろし、交互に視線を走らせた。


「それにしても、大ごとになっちゃったわね。優海ちゃんにはもっと慎重に行動してもらわないと」

「ご、ごめんなさい」


 麻実の怒りは烈火の如く、とは言うほどではなかったが、明確に優海を叱責する気分があった。


「これはちょっと消火に手間取るわね。まあ、優海ちゃんは港で、オジサンたちの手伝いでもしてて」

「はーい」


 オジサンたち? 何者だ?

 疑問が顔に出たのだろう、僕に向かって麻実が説明した。


「オジサンたちっていうのは、銃器の密輸に関わってる人たち。私がなんとかコネをつけて、通報しないのを条件に、少しだけ武器弾薬を貰ってるのよ」

「そ、そうなんですか」


 僕はカラカラになった喉から、掠れた音を出した。


「ま、そのアイスティーでも飲みなさいな、優翔くん。このボトルには、睡眠薬もなんて入ってないから」


 言われるがままに、キャップを開けて口をつける僕。味など分からなかったけれど、喉が急速にその機能を取り戻していくのは感じられた。

 ボトルを置き、軽く口元を拭う。それから僕は、今この場面で最も気になることを尋ねることにした。


「麻実さん、あなたはどうしてこんなことをしているんです? 人殺しなんて」

「私は殺したことなんてないわよ。今回は優海ちゃんが独断専行しちゃったことによるミス」

「ミス、って……。人が亡くなってるんですよ!?」


 僕は自分でも驚くほどの声を張り上げた。優海も麻実も、真っ直ぐに僕を見つめている。

 最初に正気に戻ったのは、麻実だった。


「まあまあ落ち着いて、優翔くん。今更騒いだって、死人は生き返りはしないわよ」

「そ、そうだ! 兄ちゃんには、麻実姉ちゃんの話を聞いてほしいんだ!」


 優海も麻実に加勢する。決まり悪くなった僕は、『何の話ですか』とぶっきら棒に尋ねた。


「私がどうして、街の中心部で強盗を繰り返しているのか。気になる?」


 僕は勢いを削がれ、ゆっくりと座り込んだ。タイミングを計ったように、立ち上がる優海。


「それじゃ、兄ちゃんはしっかり麻実姉ちゃんの話聞いといてね!」


 そう言って優海は退室した。その背中がドアの向こうに消えてから、麻実が口を開いた。


「優海ちゃんは覚えてなかったみたいだけど、あなたなら記憶にあるんじゃないかしらね、優翔くん。十数年前に起きた、連続放火事件」

「放火、事件?」


 無言で頷く麻実。そういえば、確かに火事のニュースが繰り返し流れているのが、記憶の片隅にある。

 

「あなたたちが施設に預けられて、すぐ後のことだったのだけれど。私の家も、やられたのよ」

「ッ!?」


 僕は一瞬、呼吸を忘れた。


「あの、麻実さんのご両親は?」

「私を庇って死んだわ」


 あまりに端的な物言いに、そしてその言葉の内容に、僕は唖然とするしかなかった。

 麻実の両親が亡くなった? 麻実同様に、僕と優海を気にかけてくれていた大代夫妻が?


「ちょっと待ってね、優翔くん」


 そう言うと、麻実は突然上着を脱ぎ始めた。


「ま、麻実さん!? いったい何を!?」


 何事かと慌てふためき、僕は目を逸らす。しかし、衣服の擦れる音は止まない。やがて、『優翔くん、見て』という麻実の言葉が耳から入ってきた。調子は変わっていないが、有無を言わさぬ鋭さが、その声音には込められていた。


「大丈夫よ、背中だから」


 僕は手で顔を覆ったまま、ゆっくりと指を開いた。そして、ぎょっと身を引いた。

 麻実の背中は、ケロイド状に焼け爛れていたのだ。上半分が特に酷い。うなじにかかるくらいのところまで、皮膚が赤く変色している。


「これ、女の子には致命的なのよね。まあ、優翔くんに愚痴っても仕方ないんだけど」

「そ、それは……」


 僕は直視しきれなくなり、再び顔を逸らした。


「突然服を脱ぎだすなんて、変態のやることでしょうけど、でもあなたには見せておきたかったのよ、優翔くん」


 ぼんやりした頭の中で、僕は疑問の言葉を構成した。


「その火傷や放火事件と、今あなたが強盗をやっているのには、何か関係があるんですか」

「そうでなければ、あなたの前で上半身裸になったりしないわよ」


 麻実は淡々とそう語った。全く恥じらいを感じさせない口調で。


「この火傷はね、父が私を庇いきれなかった部分の表れなの。そして、警察の怠慢でもある」

「け、警察?」


『そう、警察よ』――そう言ってから、麻実は服を着直し、僕の方に向き直って語った。僕と優海が彼女と別れてから、どんなことがあったのか。


「私は親戚中をたらい回しにされたの。あなたたちと違って、施設に入ることはなかった。うちの家系はプライドが高かったからね、自分たちの身内から、施設通いの子供なんて出したくなかったんでしょう」


 僕は口を閉ざし、しかし頷くこともできずに、なんとか麻実の話を促そうと試みた。

 上手くいったかどうかは分からないが、どうやら麻実は察してくれたらしい。


「親戚は皆、私を躾けてくれたと思う。ただ、それは自分たちの威信や世間体を保つための、片手間でしかなかった。早い話、愛情を注いではくれなかった、ってことかしらね」


 そして麻実が中学一年生の冬、彼女の人生を決定づける出来事が起きた。


「私の遠い親戚に、警察組織の人がいてね。それなりの権力のある人だったみたいなの。その人が酔った勢いで、他の親戚に話してるのを聞いたのよ。連続放火事件の捜査は、手抜き捜査だったんだって」


 僕は一旦唾を飲み、『どういうことですか』と尋ねた。完全に話のペースは麻実が握っている。


「一応、捜査本部も立てたし、それなりの期間、事件捜査は行われた。でもね、その警察組織の親戚、っていうのが、元々警視庁の人だったの。つまり、早く出世するために、捜査が荒っぽくなった、ってこと。詳しいことは知らないけど、チンピラを二、三人捕まえて、自白を強要したんですって。だから、真犯人は未だに街中をフラフラ歩いてる、ってわけ」


 つまり、麻実の両親の死は、軽々しく扱われたということか。


「で、でもそれと、麻実さんが強盗をやることに関係はあるんですか?」

「まあ、それなりに」


 麻実は立ち上がり、部屋の隅の冷蔵庫から、炭酸飲料を持ってきた。『個人的な哲学の話になっちゃうけどね』と言いながら、腰を下ろす。

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