平凡な日常の終焉
「お父様、お母様、行ってきます」
父や母からは返事が返ってくることはなかった。
それでも、少女は玄関の扉に手をかけたまま後ろを振り返った。
もしかしたら廊下の奥から聞こえてくるんじゃないかと。
だがそんな希望は絶望へと変わり諦めて外へ出る。
いつからだろうかこんな生活が当たり前になってしまったのは
昔はこんなんじゃなかったのに…
今から半年前、小さな町工場を経営していた私の父は政治家になった。
民間人からの成り上がりだった父は政財界の繋がりを持ってはいなかった。
その為、両親は朝早くに外出することが頻繁になり私とはすれ違いの生活が多くなっていた。
…しょうがない
時々、家族三人で食事や会話が楽しくできた昔を思い出すが、過ぎてしまった過去は二度と返ってくることははない。
私がため息混じりで見送りのない家を後にすると、玄関先には黒い車が停まっていた。
「おはようございます。愛美様」
車に乗ると運転手の男性がいつもと同じ笑顔、同じ言葉で私に挨拶をしてくる。彼にとっては挨拶も仕事なのだから仕方がないことなのだ。私も同じように運転手に挨拶を交わした。
「今日、悟は?」
「悟ぼっちゃまでしたら部活動の為、朝早くに学校へとお送り致しております」
…そう。
これもいつもと同じ変わらない会話。おうむ返しのように同じ答えが返ってくる。
私は無言で頷いた。
悟とは私の彼氏の名前。
悟の父は政治家。祖父も今は総理を務めている。
政界の御三家と囃される橘家の息子でもある悟はいずれ総理になるかも知れない。
悟と私がお付き合いを始めた事を伝えたら両親は抱き合って喜んでいた。
ただ…
これは私の本心ではなかった。
父が政治家となった翌日から私は都内にある私立の進学高へと編入が決まった。
その学校は政財界の子や孫が多く在学しており都内でも有名だった。
母は最初から決めていたらしい。私に相談なく編入話しを進めていた。
当時、高校一年だった私は別の学校に通っていた。
せっかく新しく出来た友人達とは別れたくなかった私は、母に初めて逆らった。
なのに母は顔色を変え激怒した。
…そして私は生まれて初めて母に頬を叩かれた。
それ以来、私は両親に本音を語ることはやめた。
高二の新学期から新しい学校に通い始めて一週間が経ったころだろうか、「彼女になってほしい」と同じクラスの男の子から告白された。それが悟だった。
悟はイケメンで成績優秀、部活はサッカー部のエース。おまけに現総理の孫である。
リア充の頂点にいる彼には朝から毎日のようにとりまきの女子生徒が騒いでいた。
ただ、そんな彼が私に告白してきたのにはそれなりに理由があった。
元アイドルだった母に似たのか私はかなりの美少女に育っていた。昔は友達と学校帰りに買い物をしているとよくスカウトをされていた。
勉強も私が以前通っていた高校の方が断然に偏差値が高かく周りの子との差は歴然としていた。
…「彼女になってほしいと言われても。私はあなたのこと好きじゃないです」
彼と話した初めての会話。
私は彼のようなイケメンでリア充の人間が大嫌いだった。
だからこの高校に編入してからは誰とも話さず友達も作る気は無かった。
「それでいい。ただ形だけの彼女になってくれれば」
私はすぐに理解した。彼が何を言いたいのか。
「そう言う事ですか…、分かりました。ただし、いっさい私には何もしないこと。それが約束できるのであれば私はあなたの彼女でいいですよ」
「わかった約束するよ」
そうして私は悟の彼女になった。
だからだろう、この車に毎日私しか乗ってなくても別に不思議ではなかった。
運転手が車を発進させると私は車窓から映る歩道を眺めていた。
「愛美様、お体の具合がよろしくないのですか?」
ー驚いた、いつも無言で運転をしているだけだと思ってたのに…。
同じ高校の人間に自分の弱さを見せたくないからと、私は編入してから感情を表には出さないように心がけてきた。
なのにこの運転手は私のほんの少しの動揺に気づいていた。
バックミラー越しから彼の顔を伺っていると目があった。
ーさすが名家に長くから運転手を務めているだけのことはある。すぐに私の視線に気づくなんて…
「大丈夫です。心配していただいてすいません」
「いいえ、これも仕事ですから。愛美様、最近は寒暖差が激しく冷え込みも強くなってきてますので、風邪をひかないよう体調管理には充分心がけて下さい」
「ありがとうございます」
運転手の彼が言ったとおり、車内に差し込む陽射しはまだ夏の始まりをも予感させるほど強く眩しかったが、歩道に並んでいるイチョウの木は黄色く秋の到来を告げていた。
ーこの生活になってもう半年かぁ
ー何も変わらない退屈な毎日だったなぁ
ーでも、それも今日までで終わり
そう考えると急に喉が渇いてきた。朝は緊張して何も食べてなかった。
「運転手さん。コンビニに寄ってもらえませんか」
「はい、かしこまりました。ただ、学校の授業開始には間に合うようにお願いします」
「飲み物を買ってくるだけですのですぐ戻ってきます」
コンビニの駐車場に入ると私は店内に入り目的の物だけを買って車に戻った。
「はい。これ運転手さんの」
……。
私だけ飲んでるのも可哀想かなってコーヒーを渡したんだけど。
手渡したコーヒーを開けずに何故か彼はずっと私の方を見ている。
「もしかしてコーヒー嫌いでした?…これはダメですよ私が飲みたくて買った紅茶なんだから」
慌てた私は自分用に買った紅茶を口に入れすぎてしまった。
ケホ、ケホ。
「大丈夫ですか愛美様」
彼が心配そうにきいてきた。
「あの、僕の事は気にしないでください。愛美様が飲み終わってからいただくので」
「ああ、そうなんですか。もう、それならそうと早く言ってください。私はてっきり紅茶が欲しかったのかと思って」
「ずっと見てたのは、坊っちゃまの知り合いから物を頂くことが初めてだったので驚いていました」
ーなんだ。焦って損したじゃない。もう、真面目なんだから運転手さんは。
「そうだ、運転手さん名前は?」
「金山と言います。名前は弥彦です。
…確か一番最初にお会いした時にお伝えしたと思いますが」
ーあ、最初に自己紹介されてたんだ。…全然聞いてなかった。
それほど今の生活が私にとっては苦痛なのかもしれない。
「金山さんってやっぱり優しいんですね。それに、缶コーヒー飲んでもらって結構ですよ。待たれると飲みづらいので」
私に勧められ彼が缶コーヒーを口に含むと一息ついた。
「どうしてですか?」
「だって、何も言わずコンビニに寄ってくれたじゃないですか。本当は禁止されてるの知ってるくせに」
私が通っている校則はとても厳しく登下校の買い物も違反だった。悟の運転手である金山がそれを知らないはずがなかった。
「それは、私は愛美様の運転手を任された使用人ですので仕事の方を優先させただけですよ」
「じゃあ私の言う事は何でも聞くんですかぁ仕事とかと言って」と意地悪そうに彼に聞くと「そうですね。愛美様が無茶な命令をしなければね」と笑みを浮かべながら彼は応えてくれた。
その彼の優しい笑顔に私はホッとしていた。
ほとんど話しをしたことがなかったが実際のところ私はこの運転手、金山さんを心の支えにしていたのかもしれない。
名前は忘れていたが…。
確か、年齢は40歳だと言っていたかな。でも年齢より断然に若く見える。それに優しい物言いと細目が私は好き。
ー私のお父さんだったら良かったのに…
高校に行くのが憂鬱で仕方なかったときに、金山の些細な心遣いが私を穏やかにさせてくれていた事を思い出した。
「それでは愛美様、行ってらっしゃいませ」
コンビニに寄った後は金山との話が夢中で気がついたときには高校に到着していた。
彼との会話がこんなにも楽しいものだったなんてもっと早くから気がついておけば良かったと私は少し後悔した。そうすれば、まだ他にも選択肢はあったかもしれないのに。
ただもう決めたことだ、今からやめますとは言えない
私は金山にお礼を告げ校舎へと向かった。
「愛美、おはよう」
教室に入るとすぐに一人の女子生徒が私に寄ってきた。
紅一葉、悟と幼馴染で橘家と並ぶ御三家である紅家の長女。私が悟と付き合い始めたと知ってから私の周りをうろつくようになっていた。
紅家にはしばらく女しか生まれておらずそれの予防線なのであろう。
それゆえ悟に近づくものを遠ざけようとしているのは分かっていた。
容姿にいたっては私と一葉は二人とも美人でひけをとらなかった。
新学期初日から「つぶらな瞳の可憐な美少女の愛美」 「性格がきつそうだけど美人なお姉様の一葉」2人だったらどっちがいいとクラスの男子が噂していたのを聞いたことがある。
ただ、私がそんな事に興味もなく冷たい態度で男子をあしらい続けていたら、結果的に一葉のほうに人気が集まり、編入して3日後には私は男子からツンロリと陰で囁かれるようになっていた。
その後すぐ、私が悟と付き合い始めたのがクラスに広まってから男子は誰も私に近寄ることはしなくなりツンロリのあだ名も呼ばれなくなっていた。
私にとってこれだけは悟と付き合って唯一良かったと思えるいい誤算だった。
私は一葉に軽く挨拶を済ませ悟を探す。
悟はいつもの場所に座っていた。
教室の窓側、一番後ろの席。頬に手を当てて3階の教室から見える外の景色をゆったりと眺めていた。やはり美青年はそれだけでも絵になっていた。
決して好きなわけではないけど彼の事を少し見惚れていると、私に気づいた悟が目で合図を送ってきた。
…分かったわ
悟は了解したのかいつもと同じように席を立ち私と一葉のもとへと歩き始めた。
ー他の子達、大丈夫かな?
ふと、自分以外の人が気になった。
これから大切な事をしなければいけないのになぜか私の事より他人を気にしてしまったのはさっき金山さんと楽しく話しをした事で気持ちが楽になったんだろう。
そう思ってると、いつの間にか悟が一葉の横に並んでいる。それはいつもと同じ光景だった…。
太陽と光明を司る神アポロンよ、我に光り の力を与え
闇に堕ちた亡者への断罪を我に許したまへ
私は無言のまま、教わった魔法の詠唱に意識を集中し始める…。
ー右手がもの凄く熱い…
どんな仕掛けなのかわからない。だけど光の塊が私の右手の中に集まってきていた。
私は右手に溜まった光が見えないように両手を後ろにまわして、悟の次の言葉を待った。
「おはよう愛美。そういえば、今日は愛美の誕生日だったよね。何か欲しいものある?なんでもいいよ」
その言葉は悟が私と決めた最後の合図だった…
「欲しいものかぁ。なんでもいいの?
だったら悟。私ね、あなたと一葉の命がほしいんだけどいいかな」
笑顔で返した私は話し終えると同時に魔法を大声で読み上げた
第四神界光魔法、ソードジャッジメント
魔法の行使と共に私の右手に溢れていた光の塊は、やがて金色に輝く大きな剣となった。
素早くその剣を二人に振りかざす。
一葉が私の行動に一瞬気づいたが、既に遅かった…。
…次の瞬間
大きな剣は二人の体を真っ二つに切り裂いていた。
二人の鮮血が私の制服や顔へ容赦なく飛び散る…。
私は二人が絶命しているのを確認すると、廊下へと移動し教室から聞こえる女子生徒の悲鳴を後に窓から外へと飛びだした。
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