第72話 転移者は別れを告げる
旧地区の広場へ戻って来ると、子供たちが楽しそうに皮ボールを蹴っていた。
そうか、今日は休日だった。
俺はそんなことも忘れていた。 やっぱり緊張していたんだろう。
ミランと別れて家に入ると、そのまま寝室へ行く。
ごろりとベッドに横になると、天窓から入る明るい日差しが眩しくて目が痛い。
「何やってるんだろう、俺は」
身体も心も疲れ果てて、眠りたいのに眠ることも出来ない。
酒でも飲めればいいけど、俺は酔うこともないしな。
元の世界ではこんな時は眠れるように導入剤をもらうことも出来た。
でもこの世界では何をどうすればいいのか。
「羊でも数えるかな」
『それは何だ?』
王子が不思議そうに聞いてくる。
「えーっと、ヤギのような動物でさ、こう、牧場にいっぱいいるんだ。
それを、一匹ずつ柵を越えるのを想像して数えるのさ。
一匹二匹三匹……そのうちに寝ちゃうっていう……」
何故か効果があったようで、俺はいつの間にか眠っていた。
俺が目覚めたのは夕方で、王子は夕食の用意をしていた。
「ああ、ごめん」
『何だ?、私は普通にしているだけだ。 謝られる理由はないぞ』
王子は自分一人の判断で動いていた。
小さな子供が親の指示なしで家事をやってるのを見つかった時のように少し照れている。
うん、王子も大人になったんだから当たり前だけど、何だか微笑ましいな。
王子が作った夕食を口に運びながら、俺は荷物の中の紙を思い出した。
今朝、通信魔法陣に届いていた紙をぴらりと取り出して読む。
相変わらず眼鏡さんの字は、こう、四角張って、かっちりしている。
それを読みながら惰性で食べ続け、食事を終わらせた。
そしてもう一つ、かわいらしい文字の手紙を発見した。
『それは?』
俺はその手紙の内容に釘付けになっていて、王子の声も聞こえなかった。
自分が何をしていたのか覚えていない。
テーブルの上は片付けた。
足元に来たユキにも食事の魔力を与えた。
ああ、俺じゃなくて王子が代わりに動いていたのか。
その後、俺がぼんやりしているとトントンと裏口を叩く音がした。
「はい、今行きます」
黄色い鳥を出して王子が返事をする。
扉を開くとガーファンさんが興奮した顔で立っていた。
「ネスさん!、どうかこれを見てください」
彼は遺跡の魔法陣の一部を見せてくる。
「私の考えを是非、聞いていただきたくて!」
魔法陣を停止させるための案を描いてきてくれたようだ。
「あーはい。 ありがとうございます。 あとで見ておきます」
王子はそれを受け取りながら、
「疲れているので」
と俺に気を使ってテンションの高いガーファンさんを追い返した。
それからも夜だというのに客が相次いだ。
コセルートは「今日のお礼だ」と領主館で採れた野菜を持って来てくれた。
獣人のエラン親子も俺がいなかった間の報告がしたいとやって来たが、紙に書いた報告書にして欲しいと頼む。
ミランもまた酒瓶を持ってやって来たが、これはデザさんのところでも行けと追い出す。
『ふう、ケンジは人気者だな』
いつもの俺なら「人気者なのは俺じゃなくて王子だよ」と返すところだが、その元気もなかった。
窓から見える家の明かりが一つ一つ消えていく。
どういうわけか、今夜は月も星も見えない真っ暗闇だ。
俺はフラリと外へ出て、教会裏の砂漠に目をやる。
「王子、俺……この砂漠の向こうへ行きたい」
ただ湧き上がる想いだけで身体がフラフラと動いていた。
『ケンジ』
「今すぐに行けるものなら、飛んで行きたいんだ」
足はすでに砂漠へと向いている。
夜はまだまだ冷える。 王子は鞄からいつものフード付きのローブを取り出して羽織った。
ゆっくりと歩く俺の後ろをユキが心配そうについて来る。
【ねす?、ちがうの?、けんじなの?】
立ち止まっては帰りたそうにニャーニャーと俺のローブの裾を引っ張る。
その声を聞いたのか、アラシとサイモンが家を抜け出して来た。
「ネス、何してるの?」
相変わらず俺の足はゆっくりと砂漠へと向かって一歩一歩進んでいる。
「ねえ、何してるの?、ねえ!」
サイモンが俺の腕を掴んで引き戻そうとする。
「どうしたんだ?」
今日はずっと町中の警戒をしていたのだろう。 武装したままのソグが教会裏に顔を見せた。
「ソグさん、止めて。 ネスが変なの!」
ソグが訝しげに俺の肩を掴んで顔を覗き込んだ。
その頬に涙が流れているのを見てソグの動きが止まる。
「俺、俺は行かなきゃ。 どうしても」
ソグはしばらく考えた後、「分かった」と呟いた。
彼は俺の事情を少しは知っている。
「サイモン、私が彼について行く。 大丈夫だ。 すぐに戻る」
俺はソグに付き添われて砂漠に足を踏み込んだ。
「ソグさん、ネスをお願い」
消え入りそうな小さな声が背中に聞こえた。
ユキはサイモンとアラシを何度も振り返りながら、俺とソグのあとを追いかけて来た。
夜の砂漠は冷える。
お陰で少し冷静になって来た。
「ああ、そうだ。 魔法陣を使おう」
そう呟くと俺は魔法布を変形させた棒で転移魔法陣を展開する。
慌てて俺の服を掴んだソグとユキと共に一瞬でオアシスへと転移した。
いまだにボーっとしている俺に、ソグは湖からすくった水をかける。
「我が主。 目を覚ませ!。 いきなりどうした」
ここまで来れば誰にも聞かれる恐れはないと、ソグは大声で叫ぶ。
「大丈夫。 水は補充した。 食料もある程度持っている。
魔法紙、魔法インク、魔法陣帳……」
ブツブツと答えにならない言葉を繰り返す俺を、ソグは心配そうに見ている。
「早く早く早く……」
俺の足はもうすでにオアシスの外へと向かっていた。
「主!、ネス様」
ソグは俺を引き戻しながら地面に引き倒して押さえつける。
俺の両目から流れていた涙は砂漠の風に乾いていた。
「デリークトの姫が心配なのは分かる。
だが、我々ではどうしようもない他国の事情だ。
それは我が主も分かっておられたではないか!」
そうだ。 俺はそれで納得しようとしていた。
ウザスの海トカゲ族から姫の相手の話を聞けば、きっと落ち着くと思っていた。
心配することはないのだと、自分に言い聞かせるために。
だけど噂はひどいものばかり。
「王都からの情報。 アリセイラから手紙が」
俺は荷物から震える手で今朝の通信魔法陣で受け取った手紙を取り出す。
ソグは顔を歪める。 彼は文字を読むことが出来ないのだ。
「何と書いてあったのですか?」
会話を続けるソグは俺の身体に馬乗りになったまま逃がそうとはしない。
「……妹のアリセイラのところにフェリア姫から手紙がー。
それに、俺のことが書いてあったって」
フェリア姫は祭りの夜のことを一番親しいアリセイラに聞いて欲しいと送って来たそうだ。
「俺のことが好きだって、一生忘れないって」
その上で、彼女は他国に嫁ぐ。
アリセイラのように想い想われての幸せな結婚ではない。
だけど、国のためならと覚悟は決めていた。
「たとえ、どんなに甚振られても、どんなに残酷な仕打ちを受けて、も」
まだ若い女性がそんな覚悟をしているのに、俺は何をしているんだ。
あの優しくて、悲しそうに笑う、愛おしい彼女が。
乾いたはずの俺の目から再び涙があふれる。
痛い。 胸が痛くて痛くてたまらない。
「うわあああああああああああああああああああああああああ」
俺はソグの身体の下でがむしゃらに暴れた。
ユキが俺の心からの叫び声にビックリして怯える。
ふいにソグの力が緩み、俺はその手から逃れる。
ハァハァと大きく息をしながら立ち上がった。
「恋とは真に狂気ですな」
ソグは小さく呟いて、俺の前に跪いた。
「我が主よ。 お供させていただく」
俺はその言葉に目を剥いて驚いた。
「どちらへ?」
簡潔なソグの問いに俺は森の方角を指差す。
「承知、参りましょう」
今度はソグが俺の先に立って歩き出す。
「大丈夫です。 これでも砂トカゲ族。 砂漠で迷ったりいたしません」
俺を振り返ってニコリと笑った、ような気がした。
トカゲ族は表情がよく分からない。
「あ、ああ」
俺とユキはフラフラとソグの後を追ってついて行く。
一昼夜、休憩を二度挟んで、ようやく薄っすらと砂漠の彼方に森が見えた。
「エルフの森です」
指で示すソグに俺は頷く。
そしてそのまま更に一日歩き続け、砂漠と森の境目に辿り着いた。
王子は冷静にその場に転移魔法陣の目印になる杭を打ち込んだ。
「ソグ、ユキ、ここでお別れだ」
【なんでー?】
予想していたのか、ソグは何一つ文句を言わなかった。
エルフの森にはエルフの魔力を好む魔獣がいる。
俺一人なら何とでもなる。 ユキやソグを危険に巻き込みたくない。
「ここまでついて来てくれてありがとう」
俺はソグに礼を言い、ユキをワシャワシャと撫でまわす。
ソグとユキがいてくれたおかげで俺は無事に砂漠を越えることが出来た。
鞄からたくさんリンゴを取り出して渡す。
「必ず戻るよ」
解呪の方法を習得して。
「はい、皆にもそう伝えます」
深く礼をとったソグに、俺は背中を向けた。
ユキはありったけの魔力をぶつけてくる。
【いやあー、ねすうー、けんじーー。 つれてってーーー】
ソグがユキを抑え込んでいるのを感じる。
俺は鬱蒼とした森を歩き続けた。
遠く、遥か遠くに砂狐の遠吠えが聞こえる。
下草を踏みしめる足音にかき消され、やがてそれは聞こえなくなった。
〜第三部 完〜
二重人格王子Ⅲ~異世界から来た俺は王子と砂漠を目指す~ さつき けい @satuki_kei
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