第55話 転移者は花火を見上げる
「お見せしたいものがあります」
俺は自分の姿を黒髪黒目に戻すと姫の側へ寄り、その手を取って外に出た。
慌てて他の三人がついて来る。
侍女のルーシアさんは薄いヴェールのようなものが付いた帽子をフェリア姫に被らせた。
ああ、気が付かなくてすみません。
祭りの夜は更けて、どこからともなく笑い声や激しく言い合う声が波のように繰り返す。
屋台も終わりかけ、香ばしい匂いも少なくなっていた。
「もう終わりだから無料でいいよ。 持ってきな」
気の良いおっちゃんの声に女性たちは微笑み、ミランが受け取っていた。
そんな広場を抜け、俺たちは海辺へと出る。
広場に掲げられた明かりが届かない影に入り、港の端に腰を下ろす。
「暗いので気を付けて」
黄色い肩の鳥を目印にして、フェリア姫が俺の身体に掴まりながら隣に座る。
周りを警戒しながら騎士と侍女がその隣に肩を並べて座った。
ミランはその二人の後ろから、屋台で買った串焼きを差し出しながら話しかけている。
同じ年頃のせいか、案外、この三人は気が合うようだ。
俺は様々な魔法陣を描いたメモ帳を取り出す。
「祭りのために作った魔術ですが、まだ未完成で。
でもあなたにお会い出来るならもっと早く作っておくべきでした」
俺は少し照れながら、その魔法陣帳から何枚かを抜き出した。
そして、その一つに手を乗せて<発動>する。
紙から光が一つ生まれ、海の中へと下り、放たれた線のように海面を沖へと走る。
途中でそれは空へと向かい、真っ黒な空の中ほどでパアンッという音と共に火花が散った。
「おお、何だ?」
ミランたちが空を見上げる。
広場の人々も音に驚いて海を見ていた。
「ここなら暗いですから、ヴェールは取ってもいいですよね?」
良く見えるようにとフェリア姫の顔にかかっているヴェールを上げる。
そして、俺は次々に魔法陣を描いた紙を<発動>していく。
「花火というんです。 私が生まれた国では夏の夜にやるんですけどね」
俺はよく病院の屋上で見ていた。
高層の場所での見物はうだるような昼間の暑さや冷房の涼しさとは違い、時々吹く夜風が気持ち良かった。
たった一人で見る花火はちょっと寂しかったけどね。
でも今は隣に愛おしいと思える女性がいる。
「きれいですね」
彼女はため息のように言葉を零す。
正直、元の世界の花火に比べたら子供のおもちゃの花火のようにしょぼい。
まだまだ未完成の魔術だ。 でもそれを知っているのは俺だけ。
王子が『自分ならー』とブツブツ文句を言ってくる。
この世界の人たちにすれば攻撃用ではない魔術の光は珍しいらしい。
ああ、本当に、元の世界で見た、あの美しくて荘厳な花火を彼女に見せてあげられたら。
大きかったり小さかったり、星が散ったり、川のように流れたり。
いつの間にか大勢が海岸に押し寄せ、空を見上げていた。
俺は最後の一枚を手に取る。
そして、それを<発動>すると隣の女性の手をそっと掴んだ。
一番大きな花火の魔法陣は発動から発現まで少し時間がかかる。
手を握られたことに驚いて、フェリア姫が俺のほうに顔を向けた。
大きな音がして、空を焦がすように大きな大きな花が空に咲く。
俺はその光に照らされた彼女の頬に手を伸ばし、自分の顔を近づける。
「おおおお」
どよめく声が海に広がる中、俺は彼女の唇にキスをした。
深く長く、想いを込めて。
暗くなった空と海の間に、たった二人だけの時間が止まる。
「なんだー、もうおしまいかあ」
ミランの声に俺たちは離れた。
「ええ、終わりですよ」
彼女のヴェールを下ろした俺の声は少し弾んでいたように思う。
俺は彼女の手を握ったまま「帰りましょうか」と立ち上がる。
歩き出した俺たちの後ろを三人がついて来る。
「船の出立は明日の朝ですか?」
歩きながらそう尋ねると、彼女は後ろの侍女を振り返った。
「いえ、帰りは転移魔法を使うつもりです。 今夜、どこか人気の無い場所で」
「そうですか」
それなら、と俺は三人を再び家へと招待する。
何もないように見える廊下の壁に手を当てる。
魔力を通すと扉が現れ、中に階段がある。
「ミランさんは外を警戒しててください」
「え。 ああ、分かった」
俺たちはミランを置いて階段を上がった。
俺のベッドの上に丸くなっていたユキが顔を上げた。
初めて見る相手にふわりふわりと尻尾を振っているのは、敵意がないことを感じている証拠だ。
「まあ、かわいい」
女性二人はユキの白いふわふわした毛並みとつぶらな砂色の瞳に頬を緩める。
「砂狐か。 珍しいな」
騎士はそう言ってジロジロ眺めた。
デリークトでも砂狐は滅多に見られないらしい。
「ここは私の自室です。 先ほどご覧になったように魔力扉がありますので滅多に他人が入ることはありません」
ベッドに机、斜めの天井には星が見える天窓。
部屋自体はそんなに広くはない。
あまり物がないので空間的には広く見えるだけだ。
広めの一人部屋の病室のようなものである。
「ではここで移転魔法陣を展開させていただきます」
魔術師である侍女のルーシアさんが長い杖を取り出して、ぶつぶつと少し長めの呪文を唱えている。
杖でトンっと床を叩き、そこに魔法陣が浮かび上がる。
『古代魔法の正式な形だな』
王子が興味津々でそれを眺めている。
「様子を見て来ます」
騎士が先に魔法陣の中へ入り、消えた。
「どこへ繋がっているのですか?」
俺が訊くとルーシアさんは、
「この砂漠の向こう、デリークトの最北端の町の森の中にある館です」
と教えてくれた。
「私たちは、今、その館で静養しているということになっているのです」
フェリア姫が続けて説明してくれる。
「おお、それでは砂漠さえ越えることが出来れば、お隣同士ということですね」
俺がうれしそうに言うと侍女は呆れた顔になった。
砂漠などそう簡単に超えられるはずはない、そういう顔だ。
騎士が戻って来て、改めて三人が魔法陣に乗る。
俺は魔法鞄からアップルパイを取り出して「これを」と慌てて渡そうとする。
フェリア姫がそれを見て、一歩魔法陣からはみ出した。
驚いて目を見張る侍女と騎士の姿が消え、黒髪の姫だけが残った。
姫は最初唖然としていたが、すぐにクスクスと笑い出す。
俺は頭を掻きながら「あー、すみません」と謝った。
どうせ侍女はすぐに戻って来るだろう。
その前に、俺はどうしても彼女に言いたいことがあったんだ。
姫の前で片膝を付き、正式な騎士の忠誠を誓う礼を取った。
「フェリア姫。 私は今、この町で『呪詛』について調べています。
あなたの痣を消す方法を、必ず見つけて見せます。
それまでどうか待っていてください」
どうか、何があっても負けないで。
この世界の、この町で、俺があなたのためにがんばっていることを忘れないで。
姫の手の甲にキスをする。
「ケイネスティ様」
涙を浮かべた彼女が俺の髪にそっと唇を寄せる。
「ありがとうございます。 フェリアはいつまでもお待ちしております」
見つめ合っている間に魔法陣が出現し、金髪の侍女が迎えに現れた。
「それでは」
俺は礼の姿勢のまま、魔法陣に消えていく彼女を見送った。
「夕べの、ありゃあどこの姫様だ?」
翌朝、総出で広場の掃除をしていると、ミランが側に寄って小声で聞いて来た。
「さあ?」
いつも通りすっとぼける。
掃除が終わると斡旋所から来た作業者たちに、お菓子や肉などの食料が入った袋を渡していく。
「え、いいんですか?」
「はい。 これは手伝っていただいたお礼ですので遠慮なく受け取ってくださいね。
斡旋所からはちゃんと約束通りの報酬は出ますから、そちらも忘れずに」
亜人など、日雇いに明け暮れているウザスから来た作業員たちは顔を見合わせている。
「今回のようにまたお願いすることもあるかも知れません。
何もない町ですが、また来てください」
今回は、客にしてもこうして働く者たちにしても、まず来てもらうことが目的だった。
この町を気に入ってくれて、いつか住みたいと思ってもらえたらいいな。
祭りの噂は思ったより遠くまで届いたらしい。
隣のウザス領からだけでなく、他の町からもサーヴに人が訪れるようになった。
「お前のお陰で忙しいんだが」
問い合わせが殺到して、ミランは毎日客や手紙の対応に追われている。
疲れた顔のミランに「すみません」と口止め料も含めた上等な酒を渡す。
それから俺は子供たちを連れて収穫の終わった農地を回り、去年と同じように小麦の配送をする。
峠の見張り台の兵士たちが護衛してくれて、その年の秋は無事に過ぎて行った。
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