不治の病
湯野正
終わり、或いは始まり
息を殺して物陰に潜む。
足音は段々とこちらに近づいてきて––––、遠ざかった。
胸をなでおろす。
安堵の息を漏らし、隣で同じように息を殺していた妹に笑みを向けた。
「はぁ、もう声出しても大丈夫だぞ」
「…本当?」
まだ不安そうにこちらを見る幼い妹の頭をくしゃくしゃと撫でた。
本当は自分も不安で一杯だが、守るべき存在のお陰でなんとかやけにならずに、諦めずに済んでいる。
今俺たちは食料調達に向かうところだったが、危うく感染者に見つかるところだった。
もう、地球上のどこにも安心できるところなんてない。
あの日、一ヶ月前から世界は変わってしまった。
C2ウィルス。
それが世界を変えたものの名だ。
突然ヨーロッパだかのどこかの外国で発生して、ものの一週間で世界中に蔓延した。今では人類の九割が感染者だと今では意味のないものしか映さないテレビが無事だった時に言っていた。
感染したものはおよそ三日で発症し、理性を失い非感染者を襲い始める。
まるで映画やゲームのゾンビみたいに、だ。
感染者に触れられれば、アウト。
やつらの同類になって人を襲う運命が待っている。
特効薬は、未だに見つかっていない。
「やったねお兄ちゃん!」
俺たちのカバンの中には一杯に食料が詰め込まれていた。
感染者の目をかいくぐり、なんとかスーパーの倉庫から取ってきたのだ。
世界がまだまともだった頃そこでバイトをしていて、偶然鍵を持っていたのが役に立った。
食料で膨れたカバンを背負う妹は、かなりの重さを感じているはずだがとても嬉しそうで声が大きくなってしまっていた。
「あぁ、でもちょっと声を小さくね」
「はぁーいごめんなさい…」
「うん、偉いぞ」
妹の頭を撫でる。
少し悲しそうだった顔がすぐに笑顔に戻った。
これだけあれば、しばらくもつ。
なんとかやっていける。
––––そう想ったのが過ちだったのだろう。
俺たちの背後から何人もの人間が駆ける様な足音が聴こえて来た。
「––––ッ!抱えるぞ!」
「えっ?」
まだ状況が理解出来ていない様子の妹を抱き上げ、走り出す。
追っ手、追跡者だ。
恐らくスーパーから食料を奪取したのが奴らにバれたのだろう。
奴らは理性をなくしているが、厄介なことに知性が残っているのだ。
「えっ?お兄ちゃん?」
「––静かに、大丈夫だからッ!」
心臓が張り裂けそうなほどに強く脈打つ。
足も限界を超えるほどに酷使する。
しかし、こちらは子供一人と満載のカバンを二つ抱えている。
段々と足音が近づいている。
––––決断する時が来ていた。
「畜生ッ!」
俺は何度も道を曲がり、追跡者の目から一瞬逃れた隙にカバンを投げ捨て茂みに飛び込んだ。
妹の口を手で押さえ、自分も息を殺す。
直ぐに奴らはやってきた。
「ククク、困った子猫ちゃん達ですねぇ」
「この
「血ダ!血ヲ寄越セ!」
聴いているこちらが叫びだしたくなるような台詞を口に出しながら感染者達が此方に近づいてくる。
心臓の鼓動が五月蝿い。
奴らに聴こえてはいないだろうか。
「ククク、どうやら奪った物は諦めたようですね」
「問題はどちらに向かったかだ。あるいは––––」
「血ィ!血ィ?」
感染者達は目と鼻の先だ。
震えそうになる歯を意識の力を総動員して必死に耐える。
妹も恐怖からだろう、瞳から涙を流しているのに必死で声を出すまいとしている。
そして––––。
しばらくして感染者達は離れていった。
どうやって家に帰ったのか、覚えていない。
食料は手に入らなかったが、最悪の事態は免れた。
だが、何時までだろう。
何時まで耐えきれるだろうか。
「うぐっ…ひっく…」
「大丈夫、大丈夫だよ」
震えて涙を流す妹を抱きしめる。
幼い妹を不安にするわけにはいかない。
「お兄ちゃん…お兄ちゃん…」
「俺がいるから、何とかするから」
頭を撫で、背中をさする。
この子を守れるのは、俺だけだ。
諦めちゃダメだ。絶対に。
「大丈夫、
「お兄、ちゃん?」
「どうした?どこか
「いやっ!?」
突然突き飛ばされた。
「安心して、絶対にお兄ちゃんが
「いや、いやっ!」
何故、
そもそも、俺は何から、
C2ウィルスは二ヶ月くらいで免疫ができ、症状が勝手に収まった。
多くの人の心に大きな傷跡を残したが、しばらくすれば以前の生活が戻ってきた。
「わが
「
完全に元に戻るには、もう少し時間が必要だが。
不治の病 湯野正 @OoBase
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